第2話 中世ヨーロッパの風景2

 鉄製農具が普及するまでは、ヨーロッパの農村はなかなかに大変だったようで森林面積が広く、森林の中は干拓が必要なこともあるほどの湿地状態だったことが多かったようだというのは前回の通りです。


 このことはグラストンベリの記録を見ると、今でこそ海から遠く離れた農村地帯になっていますが、当時は丘の部分が半島状になった湖沼地帯だったことがわかります。

 だからこそ、丘の部分を島に見立てたリンゴの島という名前がつけられたのだということですね。

 干拓が進んだのは概ね12世紀以降で、そこからは今と変わらない農村風景へと変化していったようです。


 ともあれ、10世紀ぐらいの時代ではまだまだ森林は広く、昏くジメジメとしており、まさに野盗やならず者の住処として相応しく、また幽霊やこの世ならざるものの住処として考えられていました。


 修道院が農村の中心になっているというのはヨーロッパではわりとのどの国でも見られる光景ですが、当初はまず修道院が森林に挑み開拓を行ううちに周囲に農村が形成されていったという具合のようです。


 このような開拓修道院は静寂を求める修道士にとってはもってこいの場所で、それ故に森林開拓の楔として機能しました。


 また、農村の形も日本とは随分と異なっていたようです。

 基本、ヨーロッパの麦は粗放栽培的な手法がとられており、面積当たりの収穫率はそれほど高くありません。

 米は水で麦は肥料でとるなんて言葉があるように、麦はとにかく肥料が重要でそれだけの肥料を投入することは当時はほとんど不可能でした。

 代わりに広さでカバーするため、重量鋤が開発されました。

 この重量鋤は非常に重たいために、細かい畑を作るのが苦手です。

 結果、中世ヨーロッパの畑は細長い畑になっていきました。方向転換するのが難しかったので直線的な畑になっていったわけです。


 こうした紐状の畑が森林によりそうようにして点在していたのが、人口が増加するまでのヨーロッパの農村的風景だったようです。

 森林は豚などを養うと同時に、耕作地域の保水機能も併せもっていました。

 その一方で狼や野盗がうろつく危険な場所でもあり、森というのはそれだけで一種の禁域として機能していました。


 中世後期のロマンス作品などを読んでみますと、湖や池などはかなりの確率で森林のまっただ中にあるという描写と遭遇します。


 それだけ森林の保水能力は高かった、ということなのかもしれません。


 沼沢地としての森林は昏くジメジメしており、正直あまり魅力的ではありませんがいろいろなものが内包されていそうです。

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備忘録 長靴を嗅いだ猫 @nemurineko

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