B面【ナマイキ女子高生・紅花の誤算】
「べにちゃん。あたし、だめだあ」
大好きないとこのお姉ちゃんからの、もう何年振りかになる直接の電話に喜んで出たワタシが聞いたのは、自分で自分を蔑む涙声だった。
「やんなきゃいけないこと、なーんにもできなかった。サイアクだ……」
お姉ちゃんが都会に出たのが、もう八年前。
志望の大学にばっちり合格して、一流企業に就職して、お盆や正月に帰ってくるたび構って欲しがるガキんちょに本気で付き合ってくれて、今年もまた帰ってきた時にイケてる仕事の話やお洒落を教えてもらうのが楽しみで。
笑顔より先に、こんな言葉と会うなんて、一分前のあたしは想像もしていなかった。
「実はさ。家族にも、友達にも、打ち明けられてなかったことがあったんだ」
お姉ちゃんは、できる人だった。ぴかぴかのきらきらで、才能や魅力に溢れているのが、いとこっていう贔屓目を除いてもわかった。
だからこそ、目をつけられた。よくない意味で。
いわゆるパワハラを、上司からずっと受けていた。悪辣で陰湿に、まわりにバレないように。
「しょーもな、学生かよ、って思ってさ。そんなふうに、やり過ごして受け流してるつもりだったんだけど……本当は、たまっちゃってたんだなあ、鬱憤」
帰省して聞く話では、バリバリに活躍してたお姉ちゃん。
でも、仕事は少しずつ荒れて、評価が落ちはじめて、気づいたときには取り戻せなくて。
イライラして仕事ができない、仕事ができないからイライラする、そんな悪循環。それが、何より辛かったのは――。
「――覚えてる? 近所に住んでた、あたしの後輩の、ほら」
うん。覚えてる。
お姉ちゃんがいつもからかってた、そんで、お姉ちゃんに憧れてて惚れてるのもミエミエ、けどコクる勇気もない、青島とかいうの。家族付き合いがあったからって、帰省するたびに「まあ挨拶くらいは」みたいな態度で来ては、お姉ちゃんとわたしの時間を邪魔してた余分なヤツ。
お姉ちゃんから遅れて二年、あいつも大学に進学して地元を出た。お姉ちゃんと違って、盆や正月にも地元に帰ってこないダメダメだったから、あたしは邪魔者がいなくなってそれはそれは喜んだもんだ。
……で。
どうして、そんなやつの話が今出るんだろう?
「助けてくれたの。アオが」
……え?
「あのさ。去年、うちの会社にね。偶然入ってきたのが、アオだったの。その新卒指導についたのがあたしでさ」
うまくやったんだよ、とお姉ちゃんは言う。
久々に再会した地元からの後輩に、情けない姿は見せられなくて。……それに、自分に期待してくれてる親に、彼づてに知らせられるのも怖くて。パワハラなんか受けていないように振る舞った。
実際、うまくやれた。一年間、憧れで理想の先輩を保てるくらいには。そのおかげで……そういう風に振る舞わなきゃ、という意識もあって、お姉ちゃんの精神状態や業績も回復しつつあった。
けれど、それをウザいと思う相手がいて。
「あいつ、一年目の新人には重すぎる仕事押し付けて、アオにわざと、でっかいミスをさせたんだ。上司のあたしに、責任おっかぶせるために」
電話越しに、お姉ちゃんの怒りが伝わってくる。
……問題は、ここからだ。
さっき、お姉ちゃんはもう語っている。
アオに助けられた、って。
「アオのやつ、知ってたんだ。あたしにも秘密で、パワハラの証拠を揃えてた。それで、どうやってもしらばっくれられないように、役員会に提出したの」
炸裂した内部告発。これで、お姉ちゃんに嫌がらせしてたバカがこらしめられてめでたしめでたし……そんなふうになっていたら、この電話はかかっていない。
「あたしに嫌がらせしてたのさ、コネ入社な大株主の孫だったんだ。……結局、どっちを取るかの話になった。ぽっと出の新入社員か、大事な大事な御曹司か……」
結果。
青島が必死に集めた証拠は、揉み消された。ただ、完全にはなかったことにできなかったようで、パワハラクソ御曹司はお姉ちゃんと離す形で異動……事実上の栄転……をし、そして、青島は業務のしくじりを理由に自主退職を痛烈に促され、これを呑んだ、という。
「あいつさ、挨拶の一つもないでやんの……。あたしが無理矢理有給消化させられてる間にさっぱり消えて、何度言ってもちゃんと片付けなかったデスクも嫌みなぐらい綺麗で、勝手な手紙一枚だけ残してさ……」
愕然としたまま席に戻ったお姉ちゃんは、引き出しの中に一枚の便箋を見つけた。
そこには、こんなことが書かれていた。
《姉ちゃんが辛い目にあってんの知ってたのに、気づかないふりしててごめん。俺は、俺がやりたいようにやっただけだから、気にしないで》
「べにちゃん。あたし、だめだあ」
最初の台詞を、もう一度お姉ちゃんは繰り返した。
「あいつ今、どこで何してんだろ。電話にも出ないし、既読もつかないんだ。気にすんなとか無理いうなよ、ちゃんと、しあわせになってくれてるの見なきゃ浮かばれないよお……」
お酒が入っているらしいお姉ちゃんはおいおい泣いて、ワタシはそれをなぐさめる。何となく次の日にまで、十二時間前まではどうでもよかったはずのやつのことが気にかかる。
もう六年は顔も見てない、そいつ。
パワハラクソ御曹司からお姉ちゃんを助けたことより、ひとりよがりな別れかたでお姉ちゃんを悲しませていることのほうにムカムカしながら、いつもガラガラの通学電車に乗って。
「……は?」
呼吸が、止まるかと思った。
この時間、何人かの常連くらいしか乗らない電車に、スーツ姿の見知らぬ男性が先客として乗っていた。
……いや。その言い方は、正しくない。だからこそ、二つの意味の「は?」が出た。
一つ目の意味は、気持ちのいい朝だというのに眠そうなサラリーマンが……まさに昨日、お姉ちゃんが話し、行方を心配していた青島だったこと。
二つ目の意味は……六年も前に見たっきりの青島が、そいつだと直感的に確信してしまった、自分自身について。
(……いや、いやいやいや。まだでしょ、うん)
そう、どちらも決めつけるにはまだ早い。
ワタシははやる胸を(……なんで?)知られないようにしながら、素知らぬ顔で近づいて、インタビューを敢行する。
「ちょっと~。まだ朝なのに、どうしてそんなに疲れた顔してるんですか、おにィさん?」
「はい!?」
誤解なきようにいうけれど、ワタシは普段、あんま……というかゼンゼン、こんなことをやるわけナイ。知らないサラリーマンに、馴れ馴れしく、ナンパみたいに声をかけるなんて。
ただ、その時はとても自然にそうしていた。できてしまっていた。相手があの青島なら、こっちから下手に出るとか気後れするとか笑っちゃうし。
……そんなふうに考えられてしまった時点で、なんだか、もう既に確かめる意味とは? って感じだったけど、結論からしてやっぱりサラリーマンは青島だったし、『都会で首になったんで地元に戻って再就職した』って話でビンゴ。
ワタシはうきうきした。これをお姉ちゃんに教えれば、きっと喜んで褒めてくれるに違いない。
ただ、その前に……ちょっと気にかかることがあった。
「自分がやりたいことやったんだから、ショックじゃないって思ってたんだけどさ。やっぱ、念願の会社でがんばるぞって意気込んでた分だけダメージあったっぽくて。気合いをいれようとしても、どうせまたダメになる、みたいな気分になるんだ。なんか、いつでも――頭が起ききらずに、眠さの膜が張ってるかんじ」
これは、まずい。
お姉ちゃんが、今の青島を見たらどう思うか。自分のせいで仕事を辞めた相手が無気力になりかけている、と更に気に病んでしまんじゃ……!?
……ふん。なら、ワタシのシゴトは簡単だ。
「へぇ、そうなんだぁ。おにィさんって、やっぱり疲れてたんですねぇ。ふふ、構ってあげがいあります♪」
ワタシの手で元気にしてから、青島発見をお姉ちゃんに報告する。やれやれまったく、世話が焼ける青島め。
思えば昔っからそうだ。
お姉ちゃんの恋人として自分が眼中にない、というのは、ろくに好意のアプローチも魅力のアピールもしてない自業自得なくせに落ち込んで、その度にワタシがフォローしていたじゃないか。今回だけじゃない、筋金入りの恩人だ。
なのにこの青島ときたら、こっちは一目で気づいてやったというのに、向こうはワタシに気づくそぶりも見せやしない。
……まあ、そりゃあ? ガキんちょが順当に年取ってオジサンになったみたいな青島と違って? ワタシはあの頃とは比べ物にならないくらいオトナになったし? かわいくなったし? スタイルだけはお姉ちゃんを越えちゃったくらいの美人だし? 両親が離婚して名字も変わったから名前を聞いてもぴんとこないのも無理ないかもだけど? それにしたって、ワタシだけ一方的にわかるなんてそんな不公平あっていいかな!?
そんなふうにムカつくもんで、ワタシは青島を元気にしながら、全力でからかうことを決めたのだ。
青島は昔と変わらず、いじりがいがある。前に座って目を見つめたり、横に座って肩を寄せたりするだけで、慌ててるのが丸ワカリ。ふふ、ほんっと単純、ばっかみたい♪
「はよはよー」
「はよはよー、紅花。へえ、続いてるわね、遅刻ぎりぎりじゃない登校。ようやく勉学の面白味に目覚めた? それはとてもよろしいわね、制服が可愛くて必死こいて入学したけど、進学校のレベルについていけねー! とかやかましくてこっちははらはらしてたから」
「あはは、んなわけねーけど。ま、モチベはあがってっかな。せっかくだし、アタマも結構冴えてるから、始業前に今日の小テストの予習付き合ってくれね、委員長?」
新しいオモチャが見つかった。だからちょっと、毎日に目的がなくて張り合いがなかったタイクツが薄れてる。それだけそれだけ、ほんとそれだけ。誰が何と言おうとそうですから。
ワタシの攻略の甲斐あって、青島も元気になってきてる。これも、ワタシに対してなーんか対抗心を抱いてるっぽい本人は否定するだろうけど、くぷぷ、言い逃れできねーっすから。
こうなってくると楽しみなのは、ワタシの正体を知ったときのリアクションだよね。まさか、あの幼馴染みで年下の女の子がこーんな美人になってたとか知ったら、その子にこれまで心の支えになってもらってたとわかったら、どんな反応くれるのやら。
ふふ、もしかしてもしかするけど、いや多分これ確実なんだけど、ありがたすぎて感動しすぎて、思い余って告白とかしてくると思うわ絶対。
あはははは、無理無理! ありえないありえない! 誰があの青島と!
そりゃあ自分の身を呈してお姉ちゃんを助けたこととか不覚にもやるじゃんって思ったし、朝の電車でのやりとりとか結構楽しくて、その、最近は夜寝るときに明日朝のこと考えてダルくなったりしないようにもなったけど、それとこれとは別腹といいますか! もし告白なんてされようもんならワタシこう言うから! 『勘違いさせちゃった? アハッ、ごめんねー。残念だけど、おにィさん、ないわー。ほら、ワタシにとっておにィさんって、放っておけない小動物なんでコイビトとかは』
「べにちゃん!」
「……え?」
呼吸が、止まるかと思った。二つの意味の「……え?」が出た。
一つ目の意味は、思いがけない喜びに、理解できずに固まって。
二つ目の意味は……自分でもよくわからない、胸をちくりと刺す痛みに。
「やっほー、お姉ちゃんあらわるだぞー!」
それは、見れば、わかる。
放課後、校門の前で待っていた、通る男女の誰もが目を止めずにいられないイケてるスーツ姿の女性は、まぎれもなく大好きなお姉ちゃんだ。
どうして?
なんでここに?
ワタシの顔に浮かんでいたであろう疑問を酌み、お姉ちゃんは胸を張って答えた。
「やめちった、あんな会社。んで、地元でちょうどよく人探してる、しかもこれから延びること間違いなしのベンチャー企業があったもんで、ついさっき、社長に訪問挨拶してきた。即採用だぜ、ぶいぶい。諸々条件、前よりずっといいくらい!」
駆けて跳んで抱きついた。
お祝いの言葉を述べたと思う。
お姉ちゃんはそれを受け入れて、頭を撫でてくれる。あったかい。なつかしい。心が満たされる。
なのに、胸のどこかが、ガンガンガンガン全力で警鐘を鳴らしてる。
「これからはさ、前みたいにお休みの日とか遊べるよー。嬉しいだろー。あたしも嬉しい! ……んでー、そんで、だけどさ」
予感があった。
たとえるなら、陸上で、「位置について、よーい」の後。すぐに来るものを察するまでもない、緊張感だけが際限なく満ちるその時間。
「聞いたんだ。アオも、その、こっちに帰ってきてたって。……あいつ、会ったりしてる? ほら、べにちゃん、アオとすっごい仲良かったじゃん。キレイになったねーって褒められたりしちゃってない? だとしたら……あはは、ライバルだね、なんちゃって!」
大好きで尊敬しているお姉ちゃん。
その顔は、今まで見たことのない……学生時代、どんな相手のアプローチものらりくらりとかわしてきた人の、始めてみる、緊張とそわそわに満ちたものだった。
ワタシはそれを見て思う。
おいおい、ついにやってんじゃん青島。
これ、攻めるの今だぞ。
∥
何気ない朝。
いつもの電車。
ワタシがその姿をいつものボックス席に見つけると同時に、相手もまた、いつもの入り口から電車に乗ったワタシを見つける。……珍しい。今日は、寝たフリなんかしていない。
「はよはよ~おにィさん! 珍しいなあ、今日は起こされ待ちじゃないのぉ?」
「……約束したろ、昨日」
鞄からゲーム機を出して、青島は……今日は自分のほうから、対面に座るワタシの隣に移ってきた。
「ほら。昨日、あんなに楽しそうにやってたから、楽しみにしてんじゃないかと思って。……まあ、それに。認めるのは癪だけど。お前が誘ってくれるヒマつぶし、俺も結構好きだよ、紅花」
その、照れくさそうに微笑む横顔に思った気持ちを、口になどしたくない。昔から、お姉ちゃんとの時間を独占したがるあたしに何度も何度も、自分だって好きな相手を譲ってくれた相手に感じていた思いを、今さら、素直に打ち明けられなどしない。
ただ、わかってしまったからには、もう、わかってなかった昨日までには戻れない。
「あはっ、いい心がけじゃん! そんじゃあ今日もぉ、い~っぱい楽しもうね、おにィさん♪」
片側に海、片側に秋の木々。青と紅の間を、朝の電車が走っていく。誰の邪魔も入らない、二人だけの空間をくれながら。
……さて、さてさて。これは朝から、とてつもない難問だ。
何しろ猶予がない。こっちが時間ならあるとのんきこいているうちに、開始の号砲までもが鳴ってしまった。サボっていた本人が悪い、なんて言葉がいまさらイヤミにブーメラン。
使えるのは、平日に乗り合わせる電車の三十分ぽっち。あと何回あるかも知れない、短すぎるチャンスの積み重ねで――過去の青島が、お姉ちゃんを想って募らせた時間を上回らなくてはならないという、くらくらするほどキッツいムリゲー。
さあ、全力で考えよう。やれることなら全部しよう。
一体どうすれば、昔からどうしようもなく察しが悪いこの鈍感に……教えるのではなく自分から、ワタシの正体も、そんで、ワタシの気持ちも、わからせることができるだろう?
「……さっさとわかれよ、ばかぁ」
少しだけ顔を伏せて呟く。
どうか、きっと紅葉みたいに色づいているほっぺたが、隣の相手にばれませんように。
朝の電車の三十分、サラリーマンと女子高生はわからせあう 殻半ひよこ @Racca
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