朝の電車の三十分、サラリーマンと女子高生はわからせあう
殻半ひよこ
A面【眠たいサラリーマン・青島の苦悩】
全国のサラリーマンに聞きたい。いや、同意してもらいたい。
朝が来ると、死にたくなるよな?
俺はなる。ただでさえ寝起きで意識がモウロウとし、やる気も何もありゃしないところに洗顔・着替え・朝食・出勤のフルセット課題をぶちこまれるのだ。酷さと言ったら格ゲーの死体蹴りもかくや……いや、死体蹴りでもやられた側が横になっていられる分だけまだいい。いうなれば、死体さえ叩き起こして歩かせるネクロマンシー的発送、非人道界のチャンピオンだ。
そんな、毎朝起きては死んでいるに等しい俺にとって、唯一の安らぎと言えるのが、朝の通勤電車だった。
田舎町の無人駅から勤務地の市街地まで向かうローカル路線の鈍行は、近隣のピークタイムを絶妙に外しほぼ貸しきり状態。俺はガラガラの四人がけボックス席に王様気分で陣取り、ほんの束の間、心を憂鬱に染める社畜マインドから解放される。
七時十五分発で終点まで三十五分。手動の窓を開けると、走り出した電車が新鮮な秋の空気をふんだんに供給してくれる。一月前、都会から実家に帰ってきて再就職した当時はどん底の気分だった俺が、どれほどこれに癒されたことか。
静けさに満たされた社内、俺はイヤホンをつけスマホでアラームをセットすると、ゆったりと目を閉じて……。
「あ~っ! ちょっとぉ、おにィさんダメだよぉ、寝たフリして無視だなんてぇ。はぁい、没収~♪」
……イヤホンが外され、電車の走る音とはまるで違う、聞きながらは眠れない騒がしい声が耳に飛び込んでくる。
腕を組んだ姿勢のまま、俺は殊更、これ見よがしにため息をついて目を開ける。
ボックス席の向かい側には、髪をツーサイドアップにくくった、見るからに生意気そうで、こちらを舐めくさったような表情をした、女子高生が座っていた。
「きゃははは、起きた起きた! はよはよ~おにィさん、ねね、今日は何してヒマつぶそっか?」
「……どっちが早く寝れるか競争、とかどう?」
「却下で~す!」
朝の平穏よ、今日もさらば。
こうして俺の、通勤前に休みたい時間は終わり、わからせの三十分が幕を開ける。
∥
このクソ生意気で年長に対する敬意の欠片も見られない女子高生と出逢ってしまったのは、学生のころ以来振りに朝の鈍行を利用し始めるようになった、まさに初日のことだった。
「ちょっと~。まだ朝なのに、どうしてそんなに疲れた顔してるんですか、おにィさん?」
「はい!?」
制服には見覚えがあった。その女子が着ているのはここらじゃ唯一の進学校のものであり、俺が学生の時分には一切接触のなかった人種の装備である。
「しょ~がないですね~。ワタシってスッゴい親切なんでぇ、おにィさんのために一肌脱いであげますよ。かまってあげます、嬉しいでしょ? お礼なんていいですいいです、ワタシもちょうど、通学中ヒマだったんでぇ♪」
「え、あ? ひ、ヒマならスマホでもいじってりゃいいじゃん?」
「も~! いいんですよぉそんな、遠慮しなくてぇ! あ、そこ失礼しま~す」
やんわりとした拒絶にも構わず距離を詰められ、ボックス席に座って来られで確信する。
自分が今、厄介な相手に目をつけられ、絡まれているのだと。
「知り合いになるわけですしぃ、まずは自己紹介からですね! ワタシ紅花(べにはな)っていうんですけどぉ、おにィさんは?」
「青島(あおしま)です、どうも」
反射で胸ポケットから名刺を出して、まずひとしきり笑われ、格好のオモチャを見つけたとばかりに質問攻めを食らった。
この電車に乗るようになった経緯とかを矢継ぎ早に質問され、混乱していた俺はうっかりとそれらに答えてしまう。前の会社をクビになり、地元に帰ってきて再就職したこととか。
「へぇ、そうなんだぁ。おにィさんって、やっぱり疲れてたんですねぇ。ふふ、構ってあげがいあります♪」
そのうっかり発言で序列をつけられたのは明白であった。
毎朝、ガラガラの電車で通勤・通学している同士、必然と顔を合わせてしまう。紅花さんは俺を見つけ出すと、決まって寄ってきて干渉してくる。
最初の一週間くらいは憂鬱さが勝った。
しかしそれからは新たな感情がわいてきた。
「おにィさんって、守ってあげたくなるっていうか、構ってあげなきゃいけない気になるっていうかぁ、弱そうですよねぇ♪」
「やっほー、おにィさん。何して遊ぼっか? ……え? 敬語? ああ、この人にはいらないかなーって。なになに、そんなこと気にすんの? ぷぷっ、ちっさ♪ そんな人にはやっぱ、敬語とかいんないよねー。尊敬する気にさせてくれたら考えるけどー」
放っておいてほしい鬱陶しさは、数々のナメた発言を受け、#迎撃(うけてたつ)の精神へと開花せり。
そう、即ち……この生意気な女子高生に、大人の威厳をわからせる、と。
∥
女子高生は十代のありあまるエネルギーで攻めてくる。その方向では形勢は不利だ。
ならば俺は、大人のやりかたで対抗する。
「そっか。どっちが早く寝れるか競争でゆっくりさせてくれるんなら、これ、やっといてくれてもいいんだけどな」
俺がおもむろに通勤鞄から取り出したブツを見て、クソ生意気な女子高生は驚きに口を開けた。
「そ! そ、それ、どうしたの、おにィさん!」
控えおろうと構えたのは、大人気のゲーム機……テレビに繋げても携帯機としてもプレイできる例のヤツである。
相手の手応えを確認し、スリープを解除。すると女子高生がもう一段ギアをあげる。
「入ってるソフト、あれじゃん! 動物があつまるヤツ!」
そちらにも抜かりはない。
今日までの会話で、彼女がこのソフトに興味を持っていることもリサーチ済み。ゲームに厳しい家族の理解が得られないしお小遣いを回す余裕もない、と嘆いていたのも、テレビやネット、ゲーム実況などで見てやりたがっているという発言、まさか俺が聞き逃しているとでも思ったか!
「ほれ」
「え? い、いいの?」
「電車の通学中なんて、誰も見てないだろ。好きなだけやれ。といっても、お前が降りる駅に着くまでだけど」
「うん!」
ゲーム機を渡すと、紅花は喜んで受けとる。
……まんまと。俺の、真の思惑も知らずに。
(くくく……かかった……!)
俺の狙い、それはゲームで気を逸らし今日こそ通勤中の安眠を勝ち取る……などというせせこましい話では談じてない。
目的はあくまでわからせ。大人の威厳マックス知らしめ。
この狡猾な罠に、紅花は気付いていない。ワクワクしながら島の名前を決め、念願の無人島生活に乗りだし、素材を集めつつ島民と交遊を深め、さあこれからだという時に電車は駅に着く――するとどうなるか。
回収されるのだ。ゲーム機もソフトも、夢の時間も。
おあずけされるのだ。それらは、俺のモノなので。
じわじわと彼女は気づくだろう。実家暮らしとはいえ自分の自由を持つ大人の実力を。どうぶつたちとの生活を求めれば求めるほど、俺の機嫌を伺わなければならない、逃れられぬしがらみを……!
(取り返す……大人のイニシアチブ……!)
計画は既に、大半が成った。
後は彼女がおもしろゲームのトリコになるのを、文字通りに寝て待つだけでいい……!
「ちょっちしつれー、よいしょっと」
「うん?」
何故か、紅花は俺の隣に置いてあった鞄をどかし、自分がそこに座る。
「何してんの? 俺これから」
「これからいっしょにゲームっしょ、おにィさん」
「……は?」
「いやいや、フツーに考えよーよ。おにィさんのゲーム機で、おにィさんのソフトで、ワタシだけプレイすんの違うでしょ?」
肩が寄せられる。
朝の布団より温かい温度が伝わる。
その笑顔は太陽のように眩しくて、俺の眠気に侵食し、手前勝手な青写真を焼き付くす。
「ねねね、島の名前どーしよっか? いっしょに遊ぶデータなんだし、二人の同棲先みたいなもんじゃん。ステキな名前決めよーね、おにィさん♪」
かくして、本日の朝も平穏な緩やかさとは無縁な、騒がして賑やかな寝てもいられないイベントで貴重な時間がとろとろ溶ける。
俺より一駅早い到着での降り際、紅花は「楽しいヒマつぶしだったよー! おにィさん、またあそぼーねー!」と、充電完了みたいな元気さで手を振った。
「あー……今日も、通勤中に眠れなかった……」
認めがたいのは、そんな独り言が、少しずつあいつのテンションに押されて、まんざらな感じでもなくなっていること。
「んー、やっぱ青島君、元気いいねえ! 朝弱いほうだって聞いてたからエンジンかかるの遅いかなって思ってたけど、全然そんなことないじゃん! 通勤の時とかに、あらかじめ調子出せる工夫でもしてんのかな? 今度教えてよ、社内報に載せるから!」
しかも、そんなふうに新しい上司からの評価が悪くないこと。
……くそう。
あいつ、絶対そのうちわからせる。通勤電車の三十分で。
次はそうだな……押して駄目なら引いてみよ、急に優しくなってみるのも、効果的かもしれない。
……あくまで、その、作戦として、な。
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