生まれてきてはみたものの

@KYshinobu

寅吉の場合

 ふと目を覚ますと、やっぱり箱のなかであった。暗い。怖い。みんな、いない。淋しい。少し、寒い。一度、眠ってしまえば、あの暖かい家でぬくもりに包まれている頃に戻ってるかもと夢想して目をとじたけれど、甘かった。

「さよなら~。じゃね~。」外に出るのが怖いけれど、苦手な小学生児童のはしゃぐ声がするので危ないと思いつつ、とりあえず箱から顔を出してみた。無論、一気に出るのは危険なので鼻から上にかけて出す格好となる。不安でまん丸になった目できょろきょろと辺りを見回してみる。どうやら小学校の裏門にある暗がりの隅の段ボール箱に自分は入っており、登下校児達とその距離は50メートルに満たない。これは、危ない。本来なら子猫らしく「ニャーニャー」言って人の気でも引こうというものだが、こんな見も知らぬ土地で自ら敵に居場所を知らせるなど、言語道断である。かといってここに居続けてはいずれ奴らに見つかりおもちゃにされるのは時間の問題だ。一組、二組、三組…。下校中の集団を見送り、箱から飛び出した。全力疾走であえて隠れる場所の多そうな小学校の中へ入っていった。本能的に考え付いた灯台下暗しである。この小学校は昨今、都会化が進む流れにある街中でもまだ緑が多く残っており、アスファルトをてくてく子猫一匹歩いているよりはよっぽど危険が少ない。と、仔猫なりに今まで生きてきた中で(まだ二ヶ月そこらだが)小さな頭をフル回転させ、瞬時に判断した。…であるはずだったが、何か視線を感じる。すぐにその対象の位置は分からない。奥の方をよく見ると同じ敷地内の壁際に綺麗でまっ白な雄猫がでっぷりとした体を優雅に横たえてこちらを眺めている。向こうは敵だとも認識していないのだろう。それでも、そのじっと見て離さない鋭い視線からは強烈な強制力が発生しており、やむなくこちらはゆく当てもなくその場を去らなければならなかった。と、こちらから去ったにも関わらず、ものすごい剣幕と勢いで白猫が追ってくるではないか!こちらも全力で逃げるがあっという間に追いつかれる。しゃーと威嚇する声と同時に鋭くて大きな爪が飛んでくる。一撃目は間一髪避けたものの、もう一方の前足できた二発目は左後ろ足にくらってしまった。思わず、にゃっと声が漏れる。でももう一撃くらってしまえば、走行能力を奪われて捕まってしまうかも知れない。さらにあの大きな口で噛みつかれたら致命傷になりかねない。そんなことを考えて突っ走ていると、先ほど入り口とした裏門が眼前に見えた。しめた!あの隙間なら自分はすり抜けられるが、この憎きでぶねこは無理だろう。生命がかかると仔猫でもこれまでにやったことのない力と知恵が瞬発的に出てくるらしい。ものすごい早さと跳躍で命からがら裏門をすり抜けた。門の向こうの白猫は例の鋭い目でもってもう顔は覚えたからなと言わんばかりだ。油断させておいてのあの猛撃は恐怖心というトラウマを体に覚え込ませるためだったのだ。それには素直に従い、この界隈にはもう近づくまいと心に決めた。

 また当て処も無く歩かなければならない。これと言った行き場は無いが逆に言えば、この小さな体を生かして世に多くある障害物を用いて、天敵から身を隠し隠ししてしていけば、いずれ親兄弟のいるところへ戻れるかも知れない。いや、戻らなければならない。無理な考えであることは承知だが他に手は無い。きっと、飼い主も何か間違えて自分を箱に入れて置き忘れてしまったのかもしれないし、何より心配する母の顔が一番に浮かんでくる。少しでも早く安心させ、あの暖かい体に包まれて甘えなくては。暇そうな見廻りおじさんがずっとこちらを見ている。

 この世に生まれ落ちてからまだ二ヶ月あまり、家の外の世界に出たことが無く、時々窓から、眺めながらどんなものかと考えていた。この度、出たくて出たわけでは無いが、実際出てみるととにかく、人間は多いし、大きな箱のようなものもごうごうと沢山走っている。歩いても歩いてもどこまでも続いていてきりがない。そんな不安の中を残暑の厳しさと空腹が襲う。よく分からないけれど目から何か沢山出てくるねばねばしたものが渇いたりして開けづらくなってきた。家にいた頃から出始めたくしゃみや鼻づまりもひどくなり気分が悪い。ふと、自分は何故こんな目に遭っているのかと思う。つい十日程前まで母に甘えてゴロゴロと言い、兄弟とは何とは無くじゃれつきまくって楽しい幸せな日々だったはずだ。多少のいたずらはしたものの、他の兄弟と比べて度が過ぎる何かをしたという記憶も無い。騒がしいので前を見ると残って遊んでいた小学生達が帰ろうとしているのが見えた。危ない。一度どこか茂みを探そう。(そういえば、幾日か前のことだったが、ご主人が私と兄猫を持ち上げじっと目を見つめ、可哀想とかなんとか言っているのを聞いた覚えがある。可哀想な場合は外に旅に出してくれるものなのか。)

 又、別の気配を感じる。見上げてみると電信柱から真っ黒で大きなカラスが二羽こちらを見つめている。嫌な予感を感じつつ素知らぬふりで歩を進めると隣の電信柱へと移りまたこちらを見つめてアーアー言って付いてくる。やかましい。ただでさえ憔悴しているのにお前らの相手をする余裕などない。奴らからすれば今まで仕留めてきた捕り物の定石なのだろう。この世に生まれて二ヶ月、奴らの出現は何とは無く、死を覚悟させる緊張感をもたらした。思っていたよりも事は重大らしい。妙な諦めか覚悟か、もう、恐怖や驚きもさほど感じられない。そうしてとぼとぼと歩いていたら先ほどの居残り小学生の集団が走って駆け寄ってきた!残された力を振り絞り逃走を試みるが四方を先回りされ、囲まれた状態となる。高い声でシャーシャー言っても後ろに回った俊敏なのにあっさり捕獲されてしまい、前足で顎をひっかき、後ろ足をばたつかせたが押さえ込まれ万事休す。そのまま、暇な見廻りおじさんのところへ運ばれ、手渡された。カラスは相変わらず頭上でアーアー言っている。

 人から人へ。まるでものの様に手渡される中で、ああ、自分は誰にも必要とされていないのだと感ずる。そうして、巡回おじさんからさっき小学校をぐるぐる回っているときにこちらを見ていたさらに年取ったおじさんに手渡された。そのおじさんはなんだか甘ったるいしゃべり方で「よし、よし。ちょっと待っててね~。」などと言いながら。また、段ボール箱へと入れ込まれた。少し、胸にもの悲しいようなさみしさと冷たいものがひやりとくる。愚かにもその時、初めて自分は前の飼い主が置き忘れたのでも何でも無く捨てられたのだと新しい段ボール箱で独り理解した。じゃあ、仮にここから逃げ出したとしてもどこへ行ったらいいのか。あの昼間の白猫のように生き抜くには自分はまだ小さすぎる。

 疲れてうとうとしていると、いきなり箱が開けられた。さっきのおじさんに加えて若い男が目を輝かせてこちらを見ている。こちらは目を開けるのも厳しい病状なのでとりあえずの威嚇で、「にゃあ。」と言ってみた。

若い男「おお、可愛いじゃん。でもなんか、目やにとかあるし、痩せ細ってんじゃん。」

おじさん「いや、とりあえずチャコのドッグフード探しといたよ。ほい。」

 なんだか、少しこちらの趣向とは異なる香りの例のカリカリした食べ物を出され少し食べてみる。やはり、趣向が合わないとはいえ久しぶりの食事は美味しく感じる。が、しかしである。こんなことでまた信用する訳にはいかない。なにしろこちらは家族(猫の方の)がきっと自分の帰りを待ちに待っているのだ。一応威嚇のシャーシャーを言ってみる。おじさんはおうおうとか言って抱き上げるので、顎下に猫爪パンチ(爪の引っかき付き)を喰らわしてやった。「あ、いて。」と言って離されたのでしばらく様子を見ながらてくてく歩いて距離をとってみる。すぐに捕まえる様子でもないのでこのままにゃあにゃ言いながら言い頃合いで逃げよう。「なんか病気とかあるんじゃ無いの?大丈夫?」若い方は怪訝な感じでまだ距離を保っている。そうやっかいな目をするなら初めからほっておいてほしい。

「あれ、逃げてるよ。」

「え、あぁ!ちっちっち!おいで~。こっちこっち。ちっちっ!」

 誰が全く知らぬ者に捕らわれて一度逃げたものを素直に戻るというのか。

 その後もその二人の追手の追撃をなんとかやり過ごしているうちに車の丁度いいスペースですっかり寝込んでしまった。月も煌々と照らす真夜中になり、辺りは静まりかえっている。例の人間達が新たに置いていったとみられる甘いお菓子とミルクを混ぜたような魅力的なものが置いてある。そんなのでは騙されないからな。…まだ信用ならないけれど、ここならまだ他に移動するよりましかもしれない。今日はなんだか疲れ切ってしまった。この数日というもの初めての出来事や恐怖に身体の異常、何より家族と離れた寂しさや不安が日増しに大きくなる。

「にゃー!(おい!)」

 思わず耳をぴんとたて、目をまん丸にする寅吉。

「こっちだ!こっち!」

 家の裏、畑側の柵の方から声がする懐かしさで嬉しくすぐに「にゃっ!(うん!)」と言いながら、そちらへ飛んでいく。柵へ飛びついて顔をなんとか出す。

 柵の向こうには同じように前足を掛けて月明かりに照らされた懐かしい顔があった。兄猫の三毛太郎だ。寅吉と同じく顔に病の兆候である。特にめやにが強く出ているようだ。

「三毛兄!」

「くしゅっ!久しぶりだな。寅吉。生きてたか。」

「くしゅっ!あたりまえじゃん。何ともなかったよ。」

 甘えた様な泣きそうな声で応える。そんな寅吉の顔をよく見ながら、

「おまえ、この家に住み着いたわけではないのか?」

「うん。さっきまで追いかけられてやばかったけど、なんとか逃げ切ったよ。」

 三毛太郎が奥に目をやると、ドッグフードや水、追加されたお菓子のミルクがけがほとんど手つかずで置いたままになっている。

「お前、出されたもの食べてないのか。」

「うん、我慢できなくてちょっと食べたけどなんとか耐えた。何入ってるか分からないし。」

「…食べてからしばらく経ってるんだろ。それで何にも無いんだから大丈夫だよ。あれ、食べれるだけ食べとけ。」

 痩せ細った弟の体をじっと見て言う。

「オレ、大丈夫だよ!」

「うるさい。いいから、食べろ。」

「兄ちゃんもこっち回ってきて一緒に食べようよ。それで、明け方に一緒に出ればここの人間にも見つからないだろうし。」

「よし。寅、オレはちょっと、この辺に来たばかりだから、周りに危険が無いか見てくる。それまでにお前はそれ食べて体力つけとけ。おれは少し残ってるの食べればいいから。それでしっかり寝とけよ。明日は大移動になるからな。」

「うん、わかった。」

「いいな。絶対ここ離れるなよ。オレが起こしにきたら出発だ。」

「うん。」そう言って去る兄猫の背中も同じように痩せ細り、視覚的には頼りがいのあるものではなかった。

 それでも、その夜は何日かぶりの寅次郎にとっての心からの安眠となった。久しぶりにまともな食事にありつけたこともあるだろう。しかし、何より、肉親と再会し、忘れかけていた幸福の実感と安心感を思い出したことが大きかったのだろう。その夜、夢を見た。母猫に兄弟で群がり眠る少し前の甘い記憶から創られたものである。「にやあ、にゃ…。」夢の中で母猫の乳に吸い付き、ふかふかした腹に包まれる。暖かくて柔らかい記憶。しかし、翌日、いつまで待っても、兄猫が戻ってくることはなかった。

 代わりにその家の若いのとおじさんに抱きかかえられ、目を覚ました寅吉は寝ぼけ眼でとっさににゃっにゃっと抵抗するが、力ないもので泣いているような声だった。ここで捕まってしまっては兄との約束を守れない。…しかし、暴れながらも日が昇っているのに兄は戻ってこなかったことを悟る。又、胸がつんとする。足手まといと見てまた見捨てられたらしい。抵抗してはみたものの、「はい、はい。大丈夫よ。」と信用できない言葉を吐かれながら、家に連れ込まれる。

 ところがである。寝床に食べ物に全く、至れり尽くせりの生活が始まった。前の主人のように急に怒って叩いたり、びっくりするような大声を出すこともなくて、何だか心を許してしまう。この数日の辛い日々から救われ、ここに住まわせてもらえるのかも知れない。そうすれば、助かる。

 その後、若い主人は毎朝毎晩苦い粉を水に煎じて飲ませてくるようになった。耳の中や目元をゴシゴシ、爪切りなどこちらが望んでいないことをうさんくさい甘い声と共に無理やり行使してくる。特に目に雫を垂らすという拷問のような行為をされるのにはさすがに参った。

 時には家を出る前に忙しそうにしたり、寝る前は凄く眠そうにしているが、絶対に日々欠かさない。頼んでもいないのだから、そんなことしなければいいのにと思っているが、こちらは日が経つごとにさらに体の調子がよくなってくる。じゃれる兄弟もいないので、主人達に向かっていくとまともに相手してきて中々面白い。膝元に乗って、顎や顔を撫でられていると、幸せで、落ち着く。外の世界を一匹で歩いていたひりついた気持ちとは真逆の安堵感が持てる。朝、主人が出かける。つい甘えたような声でにゃーにゃー足やら腕やらにからんでしまう。行ってしまったあとには用意してもらったベッドへ戻るがふくふくで気持ちがいい。でも、今日は飼い主と一緒に布団で寝るらしい。主人の少し出っ張った腹の上へ移動する。なんだか嬉しくて、主人の鼻に自分の鼻をちょんとする。向こうは驚いた様子で笑顔になる。そして、はなをかぷっとする、とイタッと言いつつ抱きしめ頬ずりしてくる。こちらも苦しい。

お互いにこんな時がいつまでも続けばいいと思っている気さえする。

 そういえば、この家には、犬の写真が何枚か飾ってあり、主人は何故か時折愛おしそうにそれを撫でたり、話しかけたりしているが当の本犬はおらぬ。私が走り回ってそれを倒すと、ごめんごめんなどとすぐに立て直し詫びている。何の趣味か理解に困るが、とりあえず、大事そうにしているので最近は倒さないようにしてあげている。

 窓から外を眺める。初めて見るもので何故かは知らないが、木の葉の色が変わっている。空気はひんやりとして吸い込むと鼻の奥がちょっとだけつんとした。その黄赤の葉の奥の突き抜けるような青空には自由を感じ得ないが今となってはもう、その自由の厳しさも知っている。時々、もう会えないであろう母や兄弟を想う。そして、同じ病気で捨てられて、自らの境遇の厳しさを理解した上で自分にこの幸福が一心に注がれるように私を騙して去って行った兄猫の行く先の幸せを切に願う。

どこかの煙突から煙が上がる。

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