第15話 不毛
「……二人とも、ようやく落ち着いた?」
「おう、俺はな」
「おう、アタシはな」
しばらくの間殴り合ってようやく気が済んだのか、落ち着きを取り戻したジークと師匠は家の中に入ってお茶を飲んでいた。
「なあエマ、茶菓子はいいから酒を……」
「昼間っからお酒ばかり飲んでちゃいけませんよ、師匠。体に悪いし……そういうのを見せちゃ、ウチの子にも悪影響なので」
そう言ってエマがアテネに視線を向けたことで、ようやく師匠もアテネの存在を認識したようだ。
だが他の人間とは違い、師匠はアテネの紅い目と尖った耳を見ても特に動揺することはなく、じっと見極めるような視線をアテネへと向ける。
「……ふぅん」
「……え、えっと……私、アテネと言います……その、わけあって、今はジークとエマのもとでお世話になっています……」
「……どうも。私はドーラ・バッカス、アンタが世話になっているそこの二人を昔世話した奴さ。……で、その『わけ』ってのはなんなんだい?」
そのドーラの追及に対し、アテネは言葉を返すことが出来ない。自分がジークとエマに助けを求めてここに来るまでの経緯をドーラに話してもいいものかを確かめるべく、アテネは心配そうな顔をしてジークの方を振り向いた。
「……それは、俺が話すよ」
アテネの顔を見ただけで、ジークはアテネの心が既に摩耗した状態にあることに気づいた。元々気が強い方ではない上に、まだ人間への恐怖心も払拭出来ていないアテネが相手にするには、ドーラが無意識に放つ威圧感はあまりにも強すぎる。故にこのままアテネにドーラの相手をさせるのではなく、自分がアテネを守る盾としてドーラの前に出ることを選んだのだ。
「この子……アテネは、俺達が殺した魔王の娘だ。今はいろんな奴らから命を狙われているらしく、魔界にもいられなくなってこっちまで逃げてきたらしい」
「魔族がこっちに……そりゃよっぽどだねぇ」
「そうだ。今のアテネには、もう俺達以外に頼れる存在が……守ってくれる奴がいないんだ。だから俺達は、この子を守ることに決めた。……この子を、俺達の娘にすることで」
「……娘……なんだそりゃ? アタシの真似事のつもりか?」
ドーラの顔が、僅かに歪む。視線は鋭く、眉間の皺は深くなり、意図的に発する威圧感はアテネを避け、ジークとエマのみにぶつかっていく。
「……ああ、そうだよ。アンタが俺達にしてくれたように、俺達もこの子に生きる場所を与える。それの何が悪いんだ? 人間の手をとってもいいのに、魔族の手をとっちゃいけないのか?」
ジークのその問いかけは、目の前のドーラだけではなくこの世界そのものへの問いかけだった。どうして、人間と魔族は相容れないのか。どうして、人間は魔族を恐れ憎むのか。その答えは、ジークもエマもとうに知っている。知っていてもなお素直にそれを受け入れられない二人に、ドーラは現実を叩きつける。
「……魔族が人間と敵対する理由は、分かるよな?」
「……全ての魔族には、魔王の血が流れている。魔王はその血に働きかけることで魔族の思考を支配し、意のままに操ることが出来る」
「諸悪の根源は、人間への強い敵意を持つ魔王。魔王さえ殺せば、その思想に魔族が影響を受けることはなくなり……人間と魔族が、争う必要もなくなる」
ジークとエマは、アテネの目を見ないままにドーラにそう答えた。故に二人は、父を諸悪の根源と呼ばれた時のアテネの顔を見ていない。
……そのアテネは少し視線を落としながら、自分の記憶の片隅にある父親の薄い影を探していた。
「そうだ。だからアタシは、普通の魔族をアンタらが子供にするんなら、何も文句は言わないつもりだったよ。……でも、その子は別だ。あまりにもリスクが大きすぎる」
アテネを師匠に認めてもらえるよう必死に訴えかけていた二人の気持ちは、ドーラの心までは届いていた。彼女はその気持ちを受け取った上で、人類のためにそれを切り捨てる判断をしたのだ。
「……なんで!? 別にアテネが魔王の娘だからって、アテネが同じようなことをするわけじゃ……」
「人間と魔族が戦って五百年。その間に、人間と同じように魔族も寿命を迎え、魔王は何度も代替わりした。……にも関わらず、歴代の魔王は例外なく人間への強い敵意を持って戦争を続けてきた。これはつまり……『魔王の意志』は、魔王から次の魔王へと引き継がれるものだと考えざるをえないだろ?」
「……アテネは例外だ。これまでの五百年で、人間に殺された魔王はアテネの父親がはじめての存在……それに、アテネはまだ魔王になっていないし、人間への敵意も持っていない!」
「だからその子は大丈夫だとどう証明する? 『魔王の意志』は本当に絶えたのか? その子がこれからも人間への敵意を持たないという根拠は?」
「それを言うなら、アテネがその意志を継いでいる根拠も、敵意を持つという根拠もない!」
「ある。五百年の歴史だ。魔王の意志を確実に絶やすには、魔王の血族を皆殺しにするしかない」
「これまでの五百年がそうだったからって、これからもそうだとは限らないだろ! 前例にばかり囚われるのも大概にしろ、クソババア!」
「ジーク!」
師匠に裏切られたショックで冷静さを失いかけていたジークは、エマの声かけによって燃え上がる心に冷や水をかけられた。
冷静になってジークが彼女の方を振り向くと、エマの手は怯えるアテネの肩に置かれていた。
「……アテネちゃんが怯えてる。熱くなりすぎないで」
「……分かってる。でも……」
「いいよ、もう話し合いはやめだ。頑固者同士が喧嘩しても、不毛な争いが続くだけだろ?」
先に相手を説得することを諦めたのは、ドーラの方だった。幼少の頃からジークを知っている彼女は、ジークとこれ以上話したところで彼が持論を曲げることはないだろうと察したのである。
「……待てよ。俺はまだ、言いたいことが山ほどある」
「私としては聞いてやりたいところなんだが、他の連中はそうでもないらしい。……だから、この話は強制終了だ」
ジークとエマが自らと部屋の異変に気づいたのは、ドーラがその威圧感を内にしまった直後のことだった。
(……なんだ……急に眠く……これは……俺達のものでない、他人の魔力が部屋に充満している……!?)
(師匠の威圧に気をとられて、まったく気づけなかった……まずい、ここで私達が寝たら、アテネちゃんは誰が守るの……)
既に大量の魔力を吸い込んでいたアテネは、意識を失い倒れている。ジークとエマは必死に襲いくる眠気に耐えようと力を尽くすが、いかんせん気づくのが遅すぎた。
(……指に、傷を……ダメ、その前に、意識が……)
(エマ……! ……畜生、ここで、倒れて……たまるかよ……)
「……なあ師匠……アンタは、どうして親に捨てられた俺達を拾ってくれたんだ……? 俺達はアンタに拾われたおかげで……親の有り難みと、それがいないことの悲しさを知れたんだ……!」
「………………」
「……それを知る俺達が……この子を見捨てちゃダメ……だ……ろ……」
その言葉を最後に、ジークの意識は途切れた。彼の瞳に最後に映ったのは無表情に徹するドーラであり……閉じた
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