第16話 儚い夢
「ジーク、お帰り」
「………………母さん……なのか?」
ジークは、母親の顔を知らない。彼の記憶にあるのは、ジークが四つの時に自分を捨てた父親の顔だけである。
しかしジークは、本能的に目の前の女性が自分の母親なのだと気づいた。彼女が今、自分に向ける笑顔は……自分の命よりも大切な、愛する人にしか向けられない笑顔だったから。
「何を言っているのよ。……もう、泥んこじゃない。こんな時間までエマちゃんと遊んでたのはいいけど、あんまり遅いと心配しちゃうわよ?」
「ご、ごめん……エマといると、楽しいからさ」
「……フフッ、そう。じゃあ仕方ないか。ほら、今日は父さんも帰ってきてるから、久しぶりに家族三人でご飯食べましょ」
「……父さんが?」
母親に手を引かれ、ジークは恐る恐るダイニングへと歩を進める。夕飯が用意されたテーブルの前で、新聞を読みながら自分を待っていたのは……紛れもなく、記憶の中の父親だった。
「……お帰り、ジーク。今日は父さんの方が早く帰ってきたな」
しかし、今の父親の顔はあまりにも優しかった。ジークの記憶の中にある父親とは、同じだけど全く違う顔であり……ジークは違和感を抱くとともに、それ以上の喜びを感じた。自分のことを捨てたという記憶しかなかった父親が、自分のことを子供だと認識して笑いかけてくれることが嬉しかったのだ。
「……ごめん。俺……俺は……」
「……いいのよ、ジーク。私達が悪いんだから」
「さあ、一緒にご飯を食べよう。そして話をしよう。今まで出来なかった分まで、たくさんな」
「……うん……!」
しかし、これは全てまやかしである。現実とは、どこまでも非情なものなのだ。
ザシュッ!
「……え……?」
ジークの視界は、一瞬で紅く染まった。両親の首は体から切り離され、用意されたご飯は床にぶちまけられ……幸せに暮らしていた家は、それらを飲み込んで倒壊する。
「……あ……あ……」
何もなくなった。一瞬で。
……いや、残酷なものだけは、そこらじゅうに転がり落ちている。
「……父さん……母さん……エマ……ダニー……」
無惨にも殺されたジークの家族が、友が、惨い姿になってあちこちに倒れている。
いったい誰だ。誰が、こんな酷いことをしたんだ。エマの首を大事そうに抱えながら犯人を探して瓦礫の山をさ迷うジークの前に、『魔王』は現れた。
「……お前は……魔王……」
「……魔王じゃないよ。……私の名前は……」
はじめは大きく見えた魔王の体は、段々と少女のように小さくなっていった。
はじめは野太い男の声だった魔王の声は、段々と聞きなれた少女の声へと変わっていった。
そして魔王はローブを脱ぎ、その顔をジークの前へと晒すのだ。
「……アテネだよ」
「……見事な時間稼ぎでした。ミス・バッカス」
眠りについたジーク達三人を見つめるドーラに、背後から片目だけを出した奇妙なデザインのマスクをつけた若い男が話しかけてくる。
彼の名はエンニー。ユルゲンと同様に、魔族の根絶を目指している魔術師である。
「私の魔力を部屋に充満させるまでの間、彼らを油断させつつ気を引ける者はそうそういない……流石は勇者様を熟知しているだけはありますね」
「………………」
「……まあ、あなたがこちらについてくれたのは素直に頼もしいですね。ミスター・ユルゲンから聞いていた話では、あなたは何をしでかすか分からないお方だから本当に不安……」
「ちょっと黙ってろ。今アタシは考え事をしている」
その時ドーラがエンニーに放った威圧は、彼にドーラへの恐れを抱かせるに充分なものだった。エンニーは威圧を受けてもたじろいで一歩後退するくらいで済んだものの、彼の後ろに控えていた魔術師達は何人か腰を抜かしたり、一瞬意識を失ってしまった者もいた。
「……おお、こわ。それじゃあ触らぬ神に祟りなし。我々はさっさとそこの魔族を殺してお役目を執行するとしましょうか……」
「……っし、結論出たわ。アタシは考えを変える」
「……は?」
突然耳に届いたドーラの言葉を疑問に思い、その意味を問うべくエンニーがドーラに振り向いたその時……ドーラの拳は、エンニーの鳩尾に入っていた。
「ウブォアァッ!!??」
エンニーは思い切り殴り飛ばされたものの、壁に叩きつけられる直前で布のようなものに受け止められ、その衝撃をモロに受けずに済んだ。
「……困るなぁ~、ドーラさん。こういう土壇場で裏切るとか、アンタどんな思考回路してるわけ?」
エンニーを床に雑に落としながら、布を巧みに操る青年の名はロイ。エンニーと共にアテネ抹殺をユルゲンから指示された魔術師だ。
「単純なモンだよ。忘れかけていた親としての感情を思い出しただけさ。……ま、自分のガキを育てる苦しみも、無事に育った時の喜びも知らんようなガキには理解出来ないだろうがね」
ドーラは不敵に笑いながらそう言い放つと、眠っているジークの顔面に拳を叩き込むが……
「……起きねぇな」
「ククッ……無駄ですよ、ミス・バッカス! 私の『
「へぇ、助言をどーも。おかげで、アタシ一人で暴れる覚悟が出来たってモンよ」
ドーラは、昏睡するアテネを守るようにして仁王立ちする。彼女がこれから一人で相手をするのは、ユルゲンからの刺客である七人の魔術師である。
「……ビビるなよ、エンニー。いくら全盛期は凄くても今はもうバーさんだ。数でゴリ押せば勝てる」
「ビ、ビビってなどいませんよ! さあ、魔族に与する邪悪なる術師を滅するのです!」
「……さーて。久しぶりの本気、だな」
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