偽称の虚言者

【偽称の虚言者】①

 真実を語るという証人が、静かに言う。

「このかたは『嘘吐うそつき』でございます。間違いありません」

「そんなこと……」

 と、小夜は言いかける。

「何を、今さら……」

 小夜はそう呟き、何を今さら、と心の中でもう一度思う。この男は何を言っているんだろうか。散々さんざん言っていたじゃないか。自分は嘘つきだと。

「そんな、嘘……」

「“ウソじゃないよ。僕は嘘吐うそつきだ”」

 と、彼は言った。出会った時から度々たびたび言っていた同じ言葉を。

「……」

 その言葉に小夜は思わず黙ってしまう。この男の告白が真実なのか、それともまた嘘を言っているのか。小夜には分からない。

 彼が連れて来た証人も本物なのか偽物なのかも、小夜には何一つ分からないのだ。

「……あなたが言ったことが、全て本当だとして……」

 と小夜は少しうつむいたままで言う。自称『嘘吐き』と真実を語るという証人は、静かに小夜の言葉を待っている。

 顔を上げると、小夜は言った。

「だとしても……あなたは嘘つきということじゃないですか。『嘘を信じ込ませる』能力があるというのも本当だとしたら、それは……」

 小夜はそこで言葉を止め、ひざに置いてある両手の拳をぎゅっと握る。

「“うん、まあ……言いたいことは分かるよ”」

 と、自称『嘘吐き』……京谷要は困った顔で言った。まるで別人のようになったその声で。

「“真実しか言わないっていう嘘を信じ込ませているんじゃないかってことだよね。でもね、小夜ちゃん。そうやって疑ってる時点で、僕はその能力を使ってないんだなあ”」

「……それの、何を信じろと?」

 と、小夜は聞き返す。要は言った。

「“僕が『嘘を信じ込ませる』能力を使ってたら、自分で気がつくまではそれが『嘘』だって分からないんだ。だから今は、小夜ちゃんには何も使ってない。ホントだよ”」

 そう言って軽く微笑みかける。誰もが安心感を覚えるような優しい笑みだ。きっと「この男は嘘つきだ」と言っても誰も信じないだろう。要はそんな表情を小夜に見せていた。

「“今の僕は『知りすぎてしまう』対価が使えない状態だから、小夜ちゃんが何を考えているのかも、どんな作戦を考えてここに来たのかも分からない。普通の人にとってはそれが当たり前なんだろうけど、僕にとっては何も分からない状態っていうのが一番怖いんだ。

 だからね、なにか僕に言いたいことがあるなら、それを言葉にしてもらえると助かるかなあ”」

 と、要は言った。「怖い」と言った表情と声は演技には見えなかった。

「……それも、嘘なんじゃないんですか?」

「“うん。そう思うよね。だったら試しにさ、昨日の晩御飯でも思い浮かべてみてよ”」

「……」

 言葉に従うわけではないが、そう言われると勝手に脳内に昨日の晩飯が思い起こされた。小夜は憮然とした表情を浮かべて記憶を引き出すことに集中する。しかし、思い出そうとしても昨日の夜に何を食べたのかの記憶が何も浮かんでこない。

 そこで小夜はあることに気がついた。そういえば、昨日の夜は食事という食事をしていない。缶ビールを何本か飲んで、酒のつまみを少々食べただけだ。そしてその倍、朝食を腹に入れた。われながら壊滅的かいめつてきな食生活だと小夜は思った。

「“ちなみに、僕の昨日の晩御飯はお刺身さしみかな。久しぶりに自分で釣って自分でさばいたよ。昨日は天気も良かったからいっぱい釣れたね”」

 心底どうでもいい。小夜はため息をつき、脱線しかける話を本題へと戻す。

「……負けたら、ここの屋上から飛び降りると言いましたね?」

「“うん。言ったね”」

 雑談の延長のような声で、要は頷く。

「死ぬんですよ? それで本当に、いいんですか?」

「“いいよ。勝負に負けたんだ。それぐらいはしなきゃ”」

 と、さも当然というような顔で要は言った。

「……矛盾してます。死ぬのは怖いと言ったのも嘘だったんですか?」

「“ウソじゃないよ。僕は死ぬのが本当に怖い。死にたくないし、死にかけるものいやだよ。痛いことも怖いことも嫌だ。ナイフを振り回す人となんか戦いたくなかったし、弾が増えていく銃を交互に撃っていく、なんて勝負はもっと嫌だったね。自分に向けて撃つなんて二度とやりたくないよ”」

「……」

「“でもね、それに勝つと生きていけるんだ。脳みそをぶちまけた死体に戻されないんだよ。

 ただの気まぐれでいつ死体に戻されるんだっておびえる毎日を過ごすより、指を根元ねもとから切り落とされても、目にナイフを刺されて顔がぐちゃぐちゃになっても、その勝負で死ななかったらなににも怯えずに堂々どうどうと生きていられるんだ。

 たったの、一年間だけどね”」

 そう、要は言った。表情は笑っていたが、その声はほんのわずかに暗かった。あいあきらめが混ざったような声だった。

「“僕は死にたくないよ。はらあなこうが出血多量で死ぬ寸前になろうが、死なない方法があるのなら僕は喜んでそっちを選ぶよ”」

「たとえそれが、死ぬようなことだとしても……ですか?」

「“うん、そうだよ。死にたくないからね”」

 と言って、にこりと微笑んだ。

「……矛盾してます。理解できません……」

「“分からなくていいよ。それが僕であって、『京谷要』っていう人間なんだ。

 死にたくないのに命を賭ける。死にたくないっていうだけで、簡単に自分のことを追い詰める。それでボロボロになっても、死にかけても『またこれで、一年間生きられる』って喜ぶんだ。

 おかしいよね。人なんて、いつか絶対に死ぬのにね”」

 と要はまゆを下げ、さびしく笑った。泣き出してしまいそうになるのを笑顔で隠しているような、そんな顔だった。

「“僕はね、本当は小夜ちゃんが思っているような人間じゃないんだよ。

 猟銃りょうじゅうが使えるだけでそこまで強いほうじゃないし、予想外のことが起きると簡単にこころくずれちゃう。居住棟きょじゅうとうの人に一戦目で負けたことだってあるよ。初対面の人に一発で正体を当てられた時もあったかな。あれにはびっくりしたね。

 本当はそんなふうに弱い人間なんだよ。『京谷要』っていうのはね”」

 すでに要の顔からはいつもの飄々ひょうひょうとした感情は消えている。小夜をレイジ以上の「対戦相手」だと認めていた。

「“聞きたいことは、もうないのかな?”」

 と、今度は要が尋ねた。

「“今の僕は、嘘は言わないよ。本名はさすがに言えないけど……聞きたいことがあるなら答えてあげる”」

「……それも、嘘なんじゃないんですか? あなたは最初から、本当のことなんて……」

 そこで要が、一つ息を吐いた。小夜の体に緊張が走る。

「“だとしたら、どうするの?”」

 彼の黒い目が、射抜いぬくようにこちらを見た。彼のまとう雰囲気が切り替わった瞬間を小夜は感じる。

「“たとえば、僕がずっと嘘を言っていたとしよう。ここに来る前も、ここに来た時も、ずっと本当のことなんか言ってないとして。でもそれを、どうやって『嘘だ』って証明するのかなあ? ねえ小夜ちゃん”」

 要の口調が、がらりと変わった。静かにさとすような言い方から、相手を見下し追い詰める『自称嘘つき』の口調になっていた。

「“言いたいことは分かるよ。僕のことを疑う人はたくさん見てきたからね。でもさ、君は自分で選んでここまで来たんでしょ? それなのにずっと疑うのは、もしかして勝負をする気がないのかな?”」

「それは……」

 小夜は、何も反論はんろんできない。口から反論する言葉も出なければ、頭にも浮かばない。

「“あのさあ、何度も言ってるよ。ここに来てから僕は嘘なんか言わない。それを信じるも信じないもそっちの勝手だけど、そろそろいい加減かげんにしてほしいかなあ”」

 要の対応は、まるでレイジと会話している時のようだった。

 小夜ははっきりと感じる。目の前に座る男の冷たい目。あの事務所で夜喰よるばみレイジに向けていたものが、今はっきりと自分に向けられている。

 きゅ、と喉が締まり、向けられる冷たい眼差まなざしに上手く声が出せなくなる。床につけた足の感覚が遠くなり、ただよっている部屋の空気に押し潰されるような錯覚を小夜は感じる。

 小夜は、この空気を照良の前で何度も経験している。

「“これ以上同じことを言うようなら、この勝負はなしにしよう。僕も時間を無駄にはしたくないからね。さありんちゃん、帰る準備をしよう”」

 と、要がソファから腰を浮かせる。佇む少女……風見りんがテーブルの上に乗る銃やらに手を伸ばしかける。

「ま、待ってください。まだ終わっていません」

 小夜の声に、要の体がぴたりと止まった。

「……“なに?”」

 じろりと見るようにそう返す。ほんの少し、うんざりしたような表情を浮かべている。

「あともう一つ……聞きたいことがあります」

 上司に叱責しっせきされた場面を頭に浮かばせながら、小夜は震える声を喉からしぼした。にこやかだが笑っていない目を向け、ごき、と拳を鳴らす父親の姿を思い起こす。大丈夫。あれに比べればこの男なんかちっとも怖くない。

「……“分かったよ。続けるんだね”」

 要はそう言うと、浮かせていた腰をソファに戻した。りんはとっくに伸ばしていた手を引っ込め、元の位置に戻って置物になっている。

 小夜は、改めて聞く。

「本当に、嘘は言わないんですね?」

 またそれか、とでも言うようなため息を吐き出し、要は答えた。

「“うん。この勝負のあいだは、嘘は言わないよ”」


 この時、遠く離れた場所で二人の勝負を見ていた東條がかすかに口角を上げた。

 小夜の一言が勝負の行方ゆくえを決める瞬間だったことに、本人の要ですら気がついていない。まさか小夜も、恐怖に潰されまいと絞り出した質問が、ああいうふうに転がるとは思っていなかっただろう。

 風見萃かざみかなめともに世界中の能力者と対峙たいじしたりんですらも、ここが決着を決める瞬間であるとは思っていなかっただろう。

 気がついているのは、遠くからこの勝負を観察している東條のみである。

「そういうところが君の弱点だよ。だから君は、普通の人間相手でも負けるんだ」

 遠くにいる彼に向けて、東條が楽しそうに呟く。

 そうして、現場にいる誰も気がついていないまま、矛盾の答えを決める時がおとずれる。


「“もういいの?”」

 と要がもう一度言った。威圧をき、いつもの軽い口調と明るい雰囲気に戻っていた。

 小夜は、黙ったままで強く頷く。

「“そっか。じゃあ、もういいんだね”」

 要は小夜の顔を見つめ、問いかける。

「“僕は嘘吐うそつきだ。この僕が本当に嘘つきか正直者か、どっちだと思う?”」

「私は、あなたが……」

 と、小夜はすぐに答えようとする。

『この男は、嘘しか言わない嘘つきだ』

 頭の中では分かっているのだ。その言葉も喉まで上がってきている。けれど、声に出そうとすると引っかかって出てこない。なぜだろうか、と小夜は思う。

 あれだけ考えて辿たどいたはずだ。『この男は嘘つきだ』と。でも、何かが違う気がする。

 胸に渦巻うずまいているこの感情は、なんだろうか。

 答えが合っていないかもしれないという不安か。

 それとも、まだこの男を『ただの嘘つき』だと思っている疑いか。

「私は……」

「“うん”」

 自称『嘘吐き』は、ただ静かに小夜の答えを待っている。

 嘘つきか、正直者か。

 全てが嘘なのか、それとも全てが真実か。

 嘘しか言わないのか、嘘など一つも言っていないのか。

 小夜には何一つ分からない。

 いつから嘘で、この男はいつから嘘つきだったのか。

 いくら考えても分からず、答えがあるのかすらも、答えのかけも掴めなかった。

 小夜は改めて、自称、うそく『嘘吐うそつき』の目をまっすぐ見つめる。

 そして、こう言った。

「私には、あなたがどちらか分かりません」

 それは、迷いのない一言だった。りんがぴくりと反応し、

「……ほう」

 と小さく声を漏らした。

「……“それで?”」

 要は、小夜の次の言葉を待っている。

 小夜は言う。迷いのない目を向け、『何も分からない男』に向けて。

「いくら考えても分かりませんでした。だからあなたに聞きます。嘘は言わないというのが本当ならば答えてください。

 あなたは自分が『嘘つき』か『正直者』か、どちらだと思いますか?」

 小夜の目は、自称『嘘吐き』をしっかりと見つめている。

「……“へえ”」

 と、要は言った。意外な答えを聞いた時のような反応だった。

「“そうくるのか。いいよ。聞きたいことがあるなら答えるって言っちゃったから、ちゃんと答えてあげるよ”」

 彼にしては珍しく真面目な返答だった。そんなことも言えるのかと小夜は心の中で素直に驚く。もしかしたらそれが本来の彼の性格なのかもしれない、と小夜はふと思った。

 しかし同時に、今までの彼の言動を思い返してみた。小夜はすぐに、無意味なことを考えたと頭を横に振り、さっき思ったことを記憶から消した。

「かなめさま」

 と、そこで置物になっていたりんが要に声をかけた。

「先程の問いですが、よく考えてから答えたほうがよろしいかと」

 それだけ言うと、また置物に戻る。

「……“ふうん”」

 とだけ言い、要は人差し指で眼鏡の位置を直した。顔には薄い笑みが浮かんでいるが、ほんのわずか張り詰めているようにも見える。最初の事務所の勝負では一切見せなかった顔だ。

 夜喰よるばみレイジとの勝負は、わざと負けていたと言っていた。それを小夜は思い出す。

 少なくとも今しているこの勝負の最中さいちゅうは、多少口調は軽いもののふざけている様子は見られない。となると、どうやらこの勝負には本気で取り組んでいるということなのだろうか。彼の顔を見ながら小夜はそんなことを考える。

「“自分が嘘つきか正直者か……。そういう質問をされたのは初めてだな”」

 と言って、彼はソファの背もたれに背中を深く預ける。

「“僕のことが『分からない』……か。それが、小夜ちゃんが僕を見てきて考えた答えなんだね?”」

 と、彼はこちらを見つめて聞いてきた。小夜は頷く。

「はい。私はいくら考えても、あなたのことが分かりませんでした。あなたがどういう人間なのか、今でも分かりません」

「“そっか”」

「……組合に行きましたが、あなたのことを『嘘つきだ』と言う人をたくさん見ました。悪魔と言う人もいます。それに、組合ではあまりあなたの名前を出さないようにと言われました」

「“あはは。まあそうだね。ちょっとやりすぎちゃって、僕、みんなにあまりかれてないからさ”」

 出会った時から変わらない顔で彼は笑う。とても「嘘つき」を自称する人間とは思えない自然な笑みだ。悪魔などと言われてもどうでもいいのだろう。

「……あなたは、本当に嘘つきなんですか?」

 と、小夜は問いかける。彼は答えた。

「“どうだろうね。うそく『うそき』……僕をそう呼ぶ人はたくさんいるよ”」

「だったらあなたは……嘘など言わない正直者なんですか?」

「“それもどうだろうね。少なくとも僕が記憶してる限りじゃ、僕は他人との約束を破ったことはないよ。だから、正直者かと言われたらそうなんじゃないかな”」

「じゃああなたは……どっちなんですか?」

 小夜はもう一度問いかけた。彼は答える。

「“それは、僕にも分からないね”」

 と、要が言った瞬間。

 静かに佇むりんが、失望しつぼうしたようにため息をついた。そして同時に、遠く離れた場所でこの部屋を見ている東條が、ふふ、と肩を揺らして小さく吹き出した。

 勝負をしている二人は、当然ながらそれに気がついてすらいない。

 小夜が要に言う。

「ではあなたは、自分がどちらでもないと、そう言うんですね?」

「“うん、そうだね。僕は確かに『嘘吐うそつき』だけど、どっちですかって言われたら答えられない”」

「……そうですか」

 と言って小夜がテーブルの上に置いたのは、『録音中』と表示されたスマートフォンだった。

「ここにいる間は嘘は言わない、とあなたは確かに言いましたね。それが本当に嘘ではないのなら……もう一度答えてください」

 小夜は、もう一度彼に問う。自称『うそき』……最初から名前すらもいつわっていた男に。

「あなたは自分が嘘つきか正直者か、どっちだと思いますか?」

 要は小夜の顔から視線を外し、テーブルの上に置かれたスマートフォンに目を向ける。加算されている時間はすでに十五分以上が経っている。どうやら、この部屋に入った最初の会話から録音していたらしい。

「……“なるほど”」

 と要は言った。ようやく小夜が持って来た作戦を理解した声だった。

 つまりはこうである。

 自分は嘘つきだ。自分には嘘を信じ込ませる力がある。自分は嘘つきだが約束は守る、と言っている偽名の男に「あなたは自分が嘘つきか正直者か、どっちですか」と問いかける。

 その問いに対して「そうだ。自分は嘘つきである」と答えると、先程さきほど言った言葉の全てが嘘となり、さらには「ここにいる間は嘘は言わない」ことと「偽りではない本当の名前がある」と言ったことも嘘になってしまうのだ。

 逆に「いいや、自分は正直者だ」と答えると『自分は嘘吐うそつきだ』が真実となるので、最初から自分は嘘をついていた、明かしたことも全てが嘘だと告白してしまうことになるのだ。

「……“そうきたか”」

 問いの真意しんいを理解した要は考える仕草しぐさをした。口を閉じ、集中して思考をめぐらせる。

 今まで無駄に喋っていた人物が急に黙ったことは、小夜からすると少し不気味ぶきみであった。

 それから三十秒ほどが経過しても、要はまだ考え込んでいた。「ここにいる間は嘘は言わない」と言っている以上、相手に嘘もつけない。あろうことか、「嘘」で勝利をもぎ取ってきた『虚言者』が、同じ死人でもないただの人間相手に手も足も出せないでいた。

 さらに三十秒が経過しても、要は一向に口を開こうとしない。そのあいだ、小夜も黙って要の言葉を待っている。いつの間にか二人の立場が逆転していた。

 さらに十秒ほどが経った時、静寂せいじゃくを切るようにりんが一つため息をついた。そして要に言う。

「いくら考えても無駄ですよ。ここからの逆転はありません」

「……“そうだね”」

 と言って、要は後ろに流している髪をぐしゃぐしゃと掻く。整えていた前髪が落ち、あらわになっていたひたいを隠した。

 要は細い息を吐くと、小夜に言った。

「“やられたよ。負けちゃった。まさか、こういう方法で追い詰められるなんてね”」

 そして、ソファから立ち上がる。

「“おめでとう。小夜ちゃんの勝ちだ。約束したから、その遺書も銃も好きにしていい”」

 そして要は、テーブルの上にある銃と手紙を指さす。

「“その遺書は……僕がいない時に見てほしいかな。自分でもあんまり読み返したくないからね”」

 と言って、要は背を向ける。

「“それじゃ。楽しかったよ”」

 顔だけを向けて言うと、裏口に続いているであろう扉へと向かっていく。その後ろにりんも続く。

「ちょっと待ってくださいよ」

「……“なに?”」

 ドアノブを掴んだままの体勢で、要が振り返る。

「あなた、本当に死にたくないんですよね?」

 そんな要に歩み寄りながら、小夜は言った。

「……“うん。そうだよ”」

「死なないためならば死にかけることでもすると、それは本当なんですか?」

 小夜は要の前で立ち止まる。その瞬間、彼がわずかにびくと驚き、半歩後ろに下がったのを確かに小夜は見た。

「……“そうだよ。僕は、何をしてでも死にたくない”」

「ではもう一度聞きます。あなた、本当に死にたくないんですよね?」

 彼をまっすぐ見つめ、小夜はもう一度そう問いかける。

「……“そうだよ。僕は、死ぬのが本当に怖い”」

 小夜の視線から顔をそむけるようにして、彼は答えた。どこか不安そうな顔で時折ときおりちらちらとこちらの様子をうかがっている。

 それを見て小夜は、まるで別人だ、と思う。とてもあの事務所で夜喰よるばみレイジを必要以上に追い詰めた人間と同一人物どういつじんぶつとは信じられなかった。今、目の前にいる男はそれほどまでの変貌へんぼうぶりだった。

 この顔はどっちなんだろう。『京谷要』として見せている演技の顔なのか、それとも本心からの恐怖を出した『元の人物』としての顔なのか。「嘘つきより役者に向いてますよ。あなた」と言おうと思ったが、やっぱりやめた。

「それが嘘かどうかは、ひとまず置いておきます」

 小夜は上着の内ポケットに手を入れる。

「死にたくないというのが本当に嘘じゃないのなら、この提案、喜んで受けてくれますよね?」

 と言って小夜が取り出して見せたのは一枚の紙だった。要はげんそうな顔をしてその紙を覗き込む。紙には大きく『特別捜査官推薦状』と書かれている。

 要はさらに視線を下へと動かしていく。推薦者の名前は泉小路小夜。推薦する人物の欄には……すでに『京谷要』と書かれている。字は間違いなく小夜のものだろう。

「“えっと……どういうこと?”」

 紙から視線を上げた要が、小夜の顔を見ながら聞き返した。本当になんのことか分かっていない顔だった。

 小夜はもう一度その紙を見せつけながら説明する。

「あなたを特別捜査官として推薦すいせんしてあげます。本当に死にたくないのであれば、もちろん喜んで働きますよね?」

 と言って小夜は、してやったりと言わんばかりの笑みを向けた。小夜の思わぬ提案に要は面食めんくらったような表情を浮かべ、目をぱちくりさせる。

 珍しい光景だ。この男が対戦相手を追い詰める以外で、ここまで分かりやすく感情を顔に出すことなどめったにない。

「 ……“あー、なるほどね。そういうことか。困ったなあ”」

 ドアノブから手を離した要は、言いながらぽりぽりと頬を掻いた。

「“一応さ、聞いておきたいんだけど”」

「なんですか?」

「“その提案、断ったら僕はどうなるの?”」

「その時はすぐに室長に連絡します。ひまそうだったので五分ぐらいで来るでしょう。あなたの処遇しょぐうは室長に任せることにします」

「“うーん……それは困ったね。あの人にはもう会いたくないしなあ”……」

 頬を掻きながら困った顔で言う。りんはまだ終わらないのか、とでもいうような表情でつまらなさそうに部屋を見回している。

かなめくん。あなたは、ここにいる間は嘘は言わないと言いましたよね?」

「“そうだね。言った”」

「ではそれを証明してください。それも嘘だったのであれば、私はもうあなたのことを何一つ信じられません。

 さあ、どうするんですか?」

 小夜は問いかける。要は黙った。迷っているのではない。彼はすでにどう答えるのか決めている。

 ふ、と彼はかすかに口角を上げて笑った。死にたくない自分はどちらを選ぶのか、結果は分かりきっていることだ。それも嘘だったのならば、今ここにいる『京谷要』は存在すらもしていない。

 おそらく彼女もそのことを分かっていたのだろう。だからこそ、事前じぜんにあの紙に『京谷要』と書き込んでいたのかもしれない。

 彼は思う。

 死にたくない、ということが本当に自分の本心ならば、見せられた紙を受け取って「これからよろしく」とでも言えばいい。それでひと段落だ。今までと何も変わらない日々を送ればいいだけ。これまでも、「死にたくない」と言い続けて無様ぶざませいにしがみついてきたのだから。

 痛みも苦しみもこれ以上味わいたくないと本当にそう思っているのなら、この提案を断って建物たてものの屋上に行き、さくを乗り越えて下に落ちればいいだけだ。それだけで何もかもが終わる。目をつむれば地面へ落下する恐怖が少しは軽減けいげんされるかもしれない。

 死を選んでしまえば、これ以上ボロボロになって死にかけることもない。『京谷要』などという嘘つきになる前の、大切な自分と積み重ねてきた記憶が消えていくこともない。

 そこでもう、何もかもが終わる。

 死ねば、もうそこで終わる。それから先、死にかける痛みも死への恐怖におびえることもない。

嘘吐うそつき』や『虚言者』とも呼ばれている男は、自虐じぎゃくするようにふふ、と小さく笑った。

 死にたくないとぼろ雑巾ぞうきんのように生きてきて、こんなところであきらめるのか。今までやってきたことは何だったのかと、要は心の中で苦笑する。

 この三年間は。殺してきた人間たちは。いったい何のために死にかけるほどの賭けをしてきたのだろう。

 あの“神”の気まぐれで死体に戻りたくないがために、かせのような約束を取り付けてまで生み出した『京谷要』とは、いったい……。

 そこまで考えた彼は、すぐにその考えを頭から消した。これ以上考えても意味のないことだと、その思考を完全に消し去る。

 ここにいる自分は、どちらも本物だ。考えていることに嘘が混じっていても、それはまぎれもない「自分」なのだろう。

 嘘と本心。作り出した偽物にせものと最初からいた本物。それも合わせて今の『京谷要』だ。

 嘘か真実かをいくら考えても答えなど出るはずもない。その境界線は、とうの本人ですら曖昧あいまいになっているのだから。

「……“そうだね。僕はうそつきだ”」

 と、彼は呟いた。

「え?」

「“ううん、なんでもないよ”」

 要はそう言って小夜に笑いかけると、小夜の手にある紙を掴む。

「“特別捜査官……ね。分かったよ。死にたくないから喜んでやらせていただくよ”」

 そう言うと、そのまま小夜の横を通ってテーブルまで戻っていく。

「“でも、勝負は勝負だ。小夜ちゃんは僕を追い詰めた”」

 と、テーブルの上に置いてある銃と遺書を指さす。

「“この銃と遺書は、小夜ちゃんの好きにして”」

「……分かりました」

 と、要の横に並んだ小夜は置いてある遺書を手に取る。

「“あ、そうだ。前にお昼ごはんおごってもらったから、その時のお金も多めに入れて”……」

 言いかけた途中で、ビリ、という音がした。要は自分の左側……小夜の手元に目を向ける。聞こえた音は、小夜が遺書にやぶを入れた音だった。

 要がまばたきするもなく、小夜は手に取ったその手紙をびりびりに破り捨てた。遺書の役目をうしなったかみ欠片かけらが床に落ちていく。

 ひとごとえたようにほこりを払いながら、小夜が言う。

「さ、帰りますよ。この銃は持ち帰って上司に相談します。弾は入ってないですよね?」

「“えっと、あのさ……小夜ちゃん”」

 要は落ちた紙片しへんを指さした。小夜がとった行動に軽く顔をしかめている。

「“好きにしろとは言ったけど、やぶいちゃってよかったの? 室長さんに渡したほうがよかったんじゃないの?”」

「何を言っているんですか。こんな偽物まで用意するなんてんでますね。幼稚ようちないたずらはやめてくださいよ」

「“ちゃんとした本物なんだけど……。入れたお金も”」

「しつこいですよ。嘘はやめてください」

「“僕、ここにいる間は嘘は言わないって言ったよ”」

 要は、よく見ろと言わんばかりにもう一度落ちた欠片かけらを指さす。仕方しかたないというふうにため息をつきながら、小夜は要の指先ゆびさきに目を向ける。

 文字が書かれた便箋びんせんのような欠片かけらと、風景と人物を写した写真らしきものの一部、まんさつらしきものがバラバラになって混ざり合っている。どれも偽物には見えない。

「……嘘ですよね?」

 と、小夜は小さな紙の山から目を上げる。

「これが本物だって、嘘ですよね?」

「……“僕は、ここにいる間は嘘は言わないよ”」

 要はまたもや同じことを返してきた。小夜の顔が分かりやすく引きつる。

「“それは残しておいた最後の遺書だよ。僕の本名と、本当の僕の姿が写った写真と……この前のお昼ご飯代が入ってた。一万円も”」

「……本当に?」

「“だから、そう言ってるじゃん”」

 と要は言った。小夜の顔がさあっと青ざめる。

「も、もっと早く言ってくださいよ!」

 その場にしゃがみ込み、急いで山となった欠片を回収する。のりり合わせばなんとかなるかもしれないと無駄な希望を考えながら。

 このことを上司に報告したら、とてもいい笑顔で拳の骨を鳴らすことだろう。そしてこう言うのだ。

「全治六か月と一生病室から出られないの、どっちがいい?」

 想像するだけで背中に氷を当てられたかのような寒気さむけがした。あの人ならほぼ間違いなく言うだろう。実の父相手に小夜は死を覚悟する。

 と、小夜はある二つの欠片に目を向ける。『風』という字と『恭』という字がそれぞれ書かれた小さな欠片だ。それを拾おうと手を伸ばした時、磨かれた黒い靴がその二つの欠片を踏み潰した。

 視線を上げると、いつの間にか目の前にりんが立っていた。りんは小夜を見下ろしたままで言う。

「集めてくださりありがとうございます。それはこちらで処分しておくので渡してください」

「……どうぞ」

 と、小夜は素直に集めた紙の欠片を全てりんに渡した。そして立ち上がり、テーブルの上にある自分のスマートフォンの録音を切ってポケットにう。りんを見ると、その場にしゃがんで踏み潰した二つの欠片も回収していた。

「“それでさ、捜査室に戻ったらいいのかな?”」

 声が聞こえた方に小夜は顔を向ける。銃の紐を肩に引っ掛けた要が裏口の扉を開けていた。

「“他に寄る所があるなら、そこに行ってからでもいいよ”」

「大丈夫です。まっすぐ捜査室に戻ります」

 小夜は言いながら要の後ろに並ぶ。

 時刻はとっくに正午を過ぎている。人は少なくなったものの、飲食店はまだかせどきだろう。捜査室に戻る前に小腹を満たしたいところだが、今はまだ仕事中だと小夜は空腹を気合で抑え込む。昼食はこの男を捜査室に連れて行き、上司に昼休憩を伝えたあとだ。それまでは寄り道などできない。

 小夜の長所は真面目まじめなところだが、それは同時に真面目すぎるという短所にもなっている。ゆうずうかず、がんぶんが小夜の欠点だ。

「……どうして正面からりないんですか?」

 非常階段を下りている途中で、小夜は彼の背中に問いかけた。

「“それはね、不法ふほう侵入しんにゅうだからだよ”」

 と、要はさらりと答えた。

「“正面に警察官が二人いたじゃん。見つかるとさ、いろいろと面倒くさいし”」

「裏口でも鍵がかかっていたはずですが……」

「“あー、それは鍵穴に道具をしていじったらいちゃった”」

「開いちゃったって……。それも犯罪じゃないですか……」

 小夜はため息のように言った。小夜の後ろにはりんもついて来ている。

「あなた、もしかして死ぬ前は逃亡中の犯罪者とかじゃないんですか? 詐欺師さぎしとか泥棒どろぼうとかの」

「“あはは。違うよ。確かに僕は音を立てずに窓を割ったり、鍵穴をいじくってドアを開けたりできるけど、死ぬ前は大人おとなしい学生だったよ。成績せいせきもそこそこかったしね”」

「まだあなたが……高校生だった時ですか?」

「“うん。そうだよ。三年前の僕は十七歳だった。いじめられてたけどね”」

 と、要は言った。

「……」

 小夜には、前を歩く要の背中しか見えない。

 いつもの薄い笑みを浮かべながら言っているのか。笑顔を消した、どこか悲しそうな顔を浮かべているのだろうか。小夜には分からない。

 階段を下りる三人分の足音が路地に響き、通りからは道を歩く人間たちの話し声が聞こえてくる。

「……どこからどう見ても高校生には見えませんが」

「“そうかなあ。あ、そうだ。今度、制服でも着てあげようか? それならちゃんと高校生に見えるかな”」

 そう言うと、一番下まで降りた要が急に足を止めた。要が急に立ち止まったことで、小夜は要の背中に顔をぶつける。

「“あ、ごめん。大丈夫?”」

 と、振り返りながら要は言った。非常に珍しい場面である。あの『嘘吐き』が謝罪した。

「……あなたって、人にあやまるとかできるんですね」

「“あのさ、僕のことどんな人間だと思ってるの?”」

 要は困った顔で言った。

「それで、なんですか?」

「“今の僕はしばらく外を歩けるからさ。お店でお昼ご飯でもどうかなって”」

「今度こそあなたがお金を出すならいいですよ」

「“そりゃあもちろん。ピンク色の可愛いお財布をばっちり持ってきてるからね。そこは任せてよ”」 

「そのお財布は私のです。少しでも期待した私が馬鹿でした。捜査室に行きますよ」

 小夜はぴしゃりと言い、要の横を通って先を急ぐ。

「“真面目だなあ。冗談なのに”」

 そう言いながら、要は小走りになって小夜の隣へと並ぶ。事務所を後にした三人は、小夜の車を止めているパーキングへと向かう。

「“そんなに真面目で疲れない? 僕もある程度は真面目に生きてきたけど、死んだ時になんだか馬鹿らしくなったからやめちゃった”」

 どこか真面目だと小夜は思う。

「あなたが真面目な人間だとしたら、この国はもう救いようがないですね」

 と、小夜は真顔で言った。要が困った顔をする。

「もしかして、生前せいぜん真面目に生きてきた反動で人を馬鹿にする性格になったんですか?」

「“うーん、否定はできないかなあ。そういう風に作ってる部分もあるし、元の僕の性格が出ている部分もあるからね”」

「そうですか」

 と小夜は適当に返す。無視してもよかったなと小夜は思った。

 数メートル先にパーキングが見えてきた時、ふと小夜が要に聞いた。

「そういえば、その銃ってあなたの物ですか? 未成年の銃所持も確か犯罪ですが」

 と、小夜は要の持っている散弾銃に目をやる。

「“ああ、これ? これはね、僕のおじいちゃんの物だよ”」

「そうですか。ねんのためそのかたの名前を聞いてもいいですか?」

「“うん、いいよ。僕のおじいちゃんはね、かざかなめっていうんだ。三年前に死んじゃったけど”」

「そうですか。どこかで聞いたようなお名前ですね」

 小夜は明らかに要の言葉を真面目に聞いていない。また嘘を言っているなと思っている。

「“僕の名前はね、かなめおじいちゃんからとったんだ。世界で一番尊敬する人がおじいちゃんだよ。僕はおじいちゃんみたいな人になりたかったんだ。優しくて格好よくて、すごくいい人だったんだよ”」

 と、要は楽しそうに話す。なんのかざもないじゃな笑顔だ。その人物に対する感情が心の底からあふれているようだった。

「“りんちゃんからいろいろ話は聞くけど、全部すごいんだよ。この銃も自分で改造してたんだって。どんな相手でも容赦ようしゃなく叩き潰してたっていう話だよ。いいなあ、当時のおじいちゃん見たかったなあ”」

 彼はまるで祖父そふにあこがれる孫のようにはしゃぐ。その話を、どうせ嘘だと小夜は適当に聞き流していた。

「そうですか。ではもう一つの、世界で一番殺したい人間の名前というのは?」

 小夜が聞くと、先程の態度と一転いってんして、要の声が少しばかり暗くなった。

「……“それはそのままの意味だよ。ずっと『僕ばっかり』ってわけをしてて、あまったれのむしだった人間の名前だ。顔を見るだけでイライラする”」

「……ではなぜ、そんな方の名前を偽名に使っているんですか?」

「“一つは、そいつはもう死んでるからだよ。もう一つの理由はね”」

 と、要は小夜を見つめてこう言った。

「“忘れないためだよ。どんなことがあったのか、それを忘れないためだ”」

「……そうですか」

 と、小夜はそれだけ返した。『記憶が消える』という対価が嘘ではないのならば、忘れないためという理由は無駄なことだろうに。小夜は心の中でそう思う。言葉にはしなかった。

 駐車料金を精算するために機械の前に立ち、小夜は小銭こぜにを用意する。止めている車に向かっていく要を見て、小夜はリモコンキーのボタンを押して鍵を開ける。背中越しにドアがいた音がした。

 小夜は小銭を投入口に入れながら、頭の中でこのあとの予定を組んでいく。

 捜査室に戻ったら、まずはこの男を取調室にでも押し込んでおいて、上司に推薦状すいせんじょうを提出し判子はんこ署名しょめいをもらう。上司がこの男に面談めんだん適性てきせい検査けんさをしているあいだに組合へ行き、会長と受付からこの男が特別捜査官に相応ふさわしいかどうかの評判を聞く。

 膨大ぼうだいな書類を用意しなければいけないことを考えるだけで頭痛がした。小夜は心の中で、早く現場の捜査官になりたいと思う。現場に出ている捜査官ならば、「緊急のため」と理由をつけて行動ができる。用意する書類も一枚程度で済み、時には上司に電話で確認を取るだけでいいらしい。

 額を押さえながら小夜はため息をつく。この調子だと現場の捜査官になれるのは遠い未来になるかもしれない。

 清算を終えて車に行くと、当たり前のように後部座席にはりんが乗っていた。要は助手席側に立っている。どうやら清算が終わるまで待っていたらしい。

 小夜が運転席を開けると、同じタイミングで要も助手席に乗り込んだ。

「“さて、どこに連れて行ってくれるのかなあ。遊園地はもうこりごりだけど”」

 と、シートベルトを締めながら要がふざける。当然ながら小夜はそれを無視した。

 車を発進させて路地から道路に出た時、ふと小夜は要に聞いた。

「……今のあなた、本当に相手の考えていることが分からないんですよね?」

「“うん。そうだよ。

『遮断』っていう能力を持つ友達に頼んでさ、対価をおさえてもらってる。えーっと、そうだなあ”……」

 要は上着の内ポケットから黒いケースに入ったスマートフォンを取り出し、時間を見る。

「“あと四十分ぐらいはこの状態かな。小夜ちゃんが僕を殺そうとしても僕はそれをふせげない”」

 と言って、要はスマートフォンを仕舞う。

「“ま、小夜ちゃんはそんなことしないと思うけど。一応その可能性も考えて、りんちゃんを連れて来たんだ”」

 そう言うと要は首を動かして後部座席に顔を向けた。小夜もバックミラーでその少女を確認する。

 確か『向かってくる物の軌道きどうらす』能力の持ち主だと言っていた。見た目は十二歳ぐらいの子供にしか見えないが、なんでも最強の能力者の一人だという。とても信じられない。

 小夜はバックミラーから視線を外し、前を向く。

 と、要が言った。

「“あー。そうだ。約束だから、僕は今後小夜ちゃんに嘘は言わないよ”」

「……それは本当なんですか?」

「“まだそんなこと言ってるの? もう勝負は終わったよ”」

 両手を頭の後ろに回しながら言う。それを言われると、小夜は何も言葉を返せなくなる。

「“僕のことが信じられない、っていうのは分かる。でも、その勝負はもう終わったじゃん。少なくとも小夜ちゃんは、僕があの事務所で待ってること、僕があの部屋では嘘は言わないこと、僕の『死にたくない』っていう言葉を信じたからこそ、僕の名前を書いたあの紙を見せてきたんじゃないの? 僕が絶対に、死ぬことを選ばないのが分かっててさ。違う?”」

「……」

 まったくもってその通りだ。図星ずぼしをつかれ、小夜は憮然ぶぜんとした表情を浮かべる。

「……本当に、嘘は言わないんですね?」

 運転しながら、改めるように小夜はそう聞いた。

「“僕は約束を守る『嘘吐うそつき』だよ。これはウソじゃない。そう言ったら信じてくれる?”」

 と彼は言った。それは信じてもいいのだろうか、と小夜は思う。しかしこの男の言う通り、勝負が終わっても同じことを考え続けるのは余計よけいに頭を混乱させるだけだろう。

「……」

 少し考えた小夜は、

「……では聞きますけれど」

 と言った。ひとまず信じておく素振りをすれば、この男から何か情報が引き出せるかもしれないと考えたからだ。

「あなた、三年前に死んだと……言いましたよね」

「“うん。言ったね”」

「その時に東條さんと一緒に『京谷要』を作ったとか……」

「“そうだね。この名前を一緒に考えてもらったよ”」

「それとあなたは、一年に一人同じ能力者と賭けをして、寿命を延ばしているとも言いましたよね?」

「“うん。言った”」

 小夜の聞き方は少しばかり回りくどい。それでも要はあせらせることもなく、小夜のペースに合わせていた。

「あなたが死んだとし……あの『かざみかなめ』も、三年前に亡くなったとか」

「……“そうだね。みんな知ってる”」

 と、要は言った。声にわずかな悲しみが乗っていた。

「この前はあの事務所。去年は『確率』の能力者。二年前は『道化師』。一年に一人殺しているのなら、あなたはあと一人、誰を殺したんですか?」

「“それは”……」

 要はそう言いかけて口を閉じた。目を伏せて黙っている。何かを考えているのだろうか。言葉を探しているのだろうか。小夜には分からない。

 小夜の頭の中にいやな想像が浮かぶ。

「あなたもしかして、『かざみかなめ』を殺したんじゃ……」

「“違う。それは違うよ。僕は殺してなんかない”」

 と、要はすぐに否定した。珍しく、感情を声と顔に出していた。そして寂しそうな顔で言う。

「……“がんだったんだよ。気づいたときには、もうどうやっても治らなかったんだ。それから一週間もしないうちに、七十七歳の誕生日の日に死んだんだ”」

 要はそれから一つ息を吐くと、窓の外に顔を向けて言った。

「……“三年前。僕がこうなった一年目。

 屋敷にいた使用人の女の子を殺したんだ。自分がたった一年、生きるためにね”」

 その声は今までのけいはくさをふういんしたかのような、悲しさを含んだ声だった。

 小夜には彼の後頭部しか見えない。今も演技で悲しげな表情を作っているのか。それとも過ぎてしまった過去を思い出しているのか。彼はどういう表情を浮かべているのだろう。

 うそくという『うそき』の男、京谷要。自分が今見ているものは、本当にそのままの彼の姿なのだろうか。

 それも嘘だとしたら。

 それも演技だとしたら。

「……そうですか」

 足元にいたこうぬまからそむけるようにして、小夜はそう言葉を返した。

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