【その男、「ウソツキ」】⑧

「“あ、来たんだ”」

 エレベーターから降りると同時、右からそんな声が聞こえた。

 黒縁くろぶちの眼鏡をかけた京谷要はすぐ真横まよこに立っていた。髪は軽く後ろに流され、ほこり一つないスーツと磨かれた革靴できめている。別人かと間違えそうになるほどの格好だった。

「“来ないと思ったのに。その賭けは僕の負けだね”」

 と言いながら、要はソファの方へと歩いて行き腰を下ろす。ガラステーブルを挟んだ向こう側……かつて夜喰よるばみレイジが座っていた場所へ。

「“座りなよ。それとも、立ったままの方が好きなのかな?”」

 そう促され、小夜は素直に向かいのソファに腰を下ろす。しみが広がっている箇所かしょけ、その隣のかつて要が座っていたところへと。

 小夜は事務所をひととおり見回す。死体たちはとっくに運ばれ、床の血もき取られている。要が床に落としたかねの山もきれいさっぱり消え去っていた。

 机とソファ、ガラステーブルしか残っていないこの部屋は、あんな勝負があった場所と同じとは思えなかった。

「……“さて”」

 と、要は言った。

「“来たってことは、答えを見つけられたってことだよね?”」

 と要は言う。その声に、小夜は一瞬みょうな違和感を覚える。この部屋に来た最初にも聞いた声だが、改めて何かが妙に感じた。それを考える前に、

「“んん……あー……えっと、その前にまず声だよね。えっと”……」

 要はわざとらしく喉を鳴らして声を整える。

「“こっちが、僕の本来の声だよ。ちょっと恥ずかしいけど……まあ、こんな感じかな”」

 と恥ずかしそうに頬をぽりぽり掻きながら言った。確かにその声はいつもよりワントーン高いように聞こえる。近い例えで言うと高校生になったばかりの少年ぐらいだろうか。

「“気になるようならなんとかするけど……”」

「大丈夫です。変な感じはしますが、気になるほどではありません」

「“そっか。それならよかった”」

 要はいつもの笑みを浮かべる。

 とそこで小夜は、部屋にいるもう一人に目を向ける。座っている要の横に一人の少女が立っていた。金糸きんしのような髪とメイド服という目立つ格好なのに、部屋の景色に溶け込んでいて今まで気がつかなかった。

「“ああ……えっと、この子は連れていくって言ってた証人しょうにんだよ。この場限かぎりではあるけど、嘘は言わないように言ってある。それを信じるかは、小夜ちゃんに任せるけどね”」

 と要は少女について簡潔に説明した。

「“いろいろ聞きたいだろうけど……まずは順番に説明しようか”」

 要はソファの後ろに手を回して、何かをテーブルの上に置いた。

 それは、狩猟しゅりょうなどにも使われるポンプアクション式の散弾さんだんじゅうだった。肩に当てるストックとコッキングする先台さきだい木製もくせいでできている。

「“この銃を使ったのは二年前。『道化師』って呼ばれてた人と勝負をした時だね。

 その時の勝負は……簡単だよ。ルールもなくて、最後に立っていた方が勝ち”」

 と要は言った。ルールも時間制限もない殺し合いをしたのだと、言われなくても小夜は分かった。

 勝負の結果がどうなったかは考えなくてもいいだろう。目の前にいる『京谷要』がその証拠だ。

「“それで、この服だけど”」

 と、要は自分の服をつまむ。

「“これは去年……一年前の勝負の時に着ていたものだよ。クリーニングから戻ってきたばかりだったからね、ちょうどよかったよ。去年の勝負に使った物は、これぐらいしかなかったからさ”」

 要は人差し指で眼鏡の位置を直す。

 そして小夜の顔を見つめると、軽く微笑みながらこう言った。

「“先に言っておくけど、ここにいる間、僕は一切いっさい嘘は言わないよ。信じるか信じないかは……そっちに任せるけどね”」

 そう言うと小夜から視線を外し、立っている少女に目をうつす。

「“じゃああらためて紹介しようか。

 僕の本名と正体、僕の過去まで知っている一人だよ。この子の名前を聞いたら、さすがの小夜ちゃんでもびっくりしちゃうかな?”」

 少女と視線をまじわらせた要がうなずく。すると少女は静かに名乗った。

風見かざみ本家ほんけのメイドが一人、風見かざみりんと申します。わたしのことは『りんちゃん』もしくは『りん』とお呼びくださいませ」

 そう言って少女……風見りんはぺこりと頭を下げた。

 少女が名乗ったその名字に、小夜は目を見開いて驚愕きょうがくしていた。その珍しい名字は、そうそう出会えるものではない。

「“りんちゃんはすごいんだよ。車から船からプロペラ機まで運転できるし、一人で戦争だってできる。唯一の欠点が料理かな。キッチンとは相性が悪いみたい”」

 要は指折り数えながら言う。それどころではない小夜の耳には、要の言葉はまともに届いていない。

「か、風見って言いました……?」

 ようやく思考能力を取り戻した小夜がそう聞く。

「ええ。言いました。風見りんと申します」

 と、りんはもう一度名乗る。

 小夜はその単語しか言えなくなったように、二人に聞き返す。

「か、風見って、あの風見ですか? 三年前に死んだと言われている、あの『かざみかなめ』ですか?」

「“そうだよ。りんちゃんはあの『かざかなめ』のメイドだったんだ”」

 と、今度は要が答えた。それを疑問に思った小夜は、顔に「?」を浮かばせて首をかしげる。

「“りんちゃんはあの人と一緒に世界中を回って情報を集めてた。『最強の能力者』って呼ばれてて、あの人が死んだ後は『かざかなめわすがた』なんて呼ぶ人もいるよ。風見萃があの世に連れて行くのを忘れた……そういう皮肉ひにくだね”」

 と要は言う。りんは眉一つ動かさず、静かにたたずんでいるままだ。

「……それが本当だとして。どうしてそんな人物が、要君と一緒にいるんですか?」

 要は答えた。

「“僕が、りんちゃんの今の主人だからだよ”」

「え?」

 要は自分の胸に手を当てて、

「“僕が今の風見の当主とうしゅだ。三年前、風見萃が死んだ後に僕がいだ。

 彼が隣の国から奪い取った島も、彼が世界で一番大きな国を半壊はんかいさせてたくわえた軍事力ぐんじりょくも、オークションに乗り込んでめた飛行機のコレクションも、彼が世界中を回って集めた能力者の情報も、全部僕が持ってる。ウソじゃないよ”」

 そう、言った。

「“このことを知ってるのは、ここにいるりんちゃんと警視総監の人と東條さん……あとはアカリ君かな。面倒くさいのは嫌いだから、当主の仕事はりんちゃんか警視総監のおじさんに代理してもらってるんだよね。

 お金があり過ぎるってのもこまりもんだよ。いくら使ってもなくならないんだもん。あはは”」

 冗談とも本気ともとれるような声で要は笑う。浮かべているのは、嘘と真実をぜたような表情だった。

「“そのあたりの詳しいことは、勝負が終わったら全部教えてあげるよ。もちろん僕の本名もね”」

 言いながら要は懐に手を入れる。

「“小夜ちゃんが勝ったら……これをあげるよ”」

 要が取り出してテーブルに置いたのは、『遺書』と書かれた封筒ふうとうだった。ところどころに、雨にれたかのようなしみがついている。

「……“これは、僕が本当に死のうと思って書いたものだ。

 これ以外にもたくさん書いたけど……これは一番最初に書いたやつだよ。あいつらに何をされてきたか、なんで死にたいのかってことが全部書いてある。結局、リストカットも自殺もできなかったんだけど”」

 そう言った要の表情には、いつもの飄々とした感情は微塵も浮かんでいなかった。『京谷要』の奥にいる人物が確かにそこに垣間かいま見えていた。

「“この中には写真も一枚入ってる。それには隠していた僕の秘密が全部写ってるよ。

 この遺書とその写真。両方を見れば、小夜ちゃんは僕の言葉が嘘か本当か判別はんべつできるようになるよ”」

「……それが、嘘ではないという証拠は?」

 こめかみから汗を垂らしながら、小夜は尋ねる。

「“それは無理だよ小夜ちゃん。『嘘ではない』は証明できない”」

「だったらその証人とやらも……嘘なんじゃないんですか?」

 小夜は立っているりんに目を向けて言った。

 要は、どうして分からないんだという風に息を吐く。

「“さっきも言ったけど、僕は、ここにいる間は嘘は言わない。もちろんそれは、そこにいるりんちゃんにも言ってある。それを信じるか信じないかは、小夜ちゃんに任せるって言ったよね。

 ここに来たってことは、小夜ちゃんは少なくとも『僕がここにいる』って信じて来たんでしょ? それなのにここに来てから全部を疑ってかかるのは、ちょっと違うんじゃないかなあ”」

「……」

 要の言う通りなことに、小夜は返す言葉がなくなる。

「“僕もリスクを負ってここに来たんだ。それなのにずっと疑われちゃ、勝負どころか話もできないよ。僕の言葉が全部嘘だと思うのならそれでいい。それが小夜ちゃんの答えなんだなって思うだけ”」

 リスクというのはどういう意味だろうか。要の話を聞きながら、小夜はそう思った。

「“あと一時間ぐらいは完全な無防備むぼうび状態ってことだよ。本心も隠せないし、誰が何を考えているのかも分からない。唯一できるのは……嘘をつくことぐらいかな。だからりんちゃんを連れて来たんだよ”」

 思っていたことが顔に出ていたようで、要がそう説明した。

「“それじゃあそろそろ本題に入ろうか。勝負はこの僕……自称嘘つきが『嘘つき』か『正直者』なのかを当てること。本当にそれでいいんだね?”」

 小夜は強く頷く。ここまで来て、今さら引く気はなかった。

「“ちょっとでも僕のことを追い詰めたら小夜ちゃんの勝ち。この遺書と、他に隠してることを全部教えるよ。ウソじゃない。

 小夜ちゃんが答えも出せずに黙ってしまったら僕の勝ち。この建物の屋上から飛び降りるよ。これも、ウソじゃない”」

 勝っても命を落とすという条件にも関わらず、要はレイジとの勝負の時と同じように、かすかに笑っていた。

「“小夜ちゃんが勝ったら、今後一切小夜ちゃんには嘘はつかない。これは間違いなく約束するよ”」

 と要は言い、言葉を続ける。

「“じゃあまずは、二年前と去年の話をしようかな。室長さんにもバレちゃったから、もう隠す必要もなくなったしね。僕の話を聞いて、小夜ちゃんの答えが変わるかもしれないし。

 ちゃんと聞いてね。今の僕、嘘は一切言わないよ”」

 そう言って眼鏡の奥の黒い目を向ける。

「それも……」

 言いかけた途中で小夜は口を閉じる。それも嘘なのでは? という一言がどうしても心の中に浮かんでしまう。

「“二年前の賭けは本当に死ぬかと思ったね。ああいう戦いは初めてだったよ”」

 そう言って、要は話し始める。

 犯人の証拠も痕跡こんせきも一切見つからなかった、実に不可解な二つの事件のことを。

 語り始めた彼の顔を見て、小夜はこう思ってしまう。

『一切嘘を言わない』というのが嘘ではないのならば、今、自分の目の前にいるのは。

 小夜は慌てて、その続きの思考を強制的に終わらせた。

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