【その男、「ウソツキ」】⑥

 そのころ小夜は、再び組合の受付に立っていた。

「急にすみません。隔離棟の京谷要に面会をしたいのですが……」

「要君ですか。ちょっと待ってくださいね」

 といつぞやと同じ男がパソコンを操作する。珍しく、待合室には小夜以外誰もいない。

「うーん……要君ですが、まだ帰ってないみたいですね」

「……外出したんですか? 許可証もなしに?」

「ああ、えっと……室長さんから許可を貰っていれば許可証なしでも外に出られるんですよ。室長さんとの同伴どうはん外出ですが」

 知らないんですか? とでも言うように受付の男は懐疑かいぎ的な視線を向ける。小夜は思わず目線を男から床へと下げた。男に対し、知らないとも知っているとも返せないのがつらい。

 所詮しょせん自分は事件の資料さえろくに見せられない名ばかりの捜査官なのだ。小夜はこれ以上惨みじめな気持ちにならないよう、話の焦点しょうてんを要に戻す。

「ど、どこに行くとか……聞いていますか?」

「うーん……何も聞いてないですねえ。同伴許可も電話で言われただけなので」

「そうですか……」

 しかし、上司は捜査室にいたはずだ。室長と同伴ならば二人は一緒にいるはずなのだが。

 小夜は少し考える。そして最悪の結果にたどり着いた。その場面が容易よういに想像できたことに深いため息をつく。

 小夜は確認の意味も込めて、上司に電話をかけてみることにした。

『お疲れー。どうした?』

「お疲れ様です室長。組合で要君に同伴外出の許可を出したと聞いたのですが……なぜ一緒にいないのですか?」

 ぶつ、と一方的に通話が切られた。その、かけ直しても上司に繋がることはなかった。

 やはりそうだったかと小夜はもう一度ため息をつく。上司は想像した通りのことをやっていた。あの部署に真面目な人間はいないのだろうか。

 心の中で不満を浮かばせ、無意識にため息が口から出たとき、

「……今、カナメとか言ったか?」

 と横から声をかけられた。小夜は顔を向ける。そこには一人の少年が立っていた。銀色と灰色の相中あいなかのような、見たことのない髪の毛をしている。

 その少年はカウンターに置いてある外出許可証の紙を一枚取りながら、小夜に言う。

「……面倒めんどうごとが嫌なら、ここでその名前はあんまり出さないことだな」

 少年は背を向け、隔離棟に続く通路へと歩いて行った。

「今のはアカリ君ですね。要君の隣に住んでる子です」

 去って行った少年の背中を見ていると、受付の男がそう説明した。

「お菓子を差し入れしてくれたり、いい子なんですけどね……。ちょっとその……要君と同じであまりいい評判がないというか……」

 受付の男は言いづらそうにぽりぽりと頬を掻く。あの男にあまりいい評判がないと聞き、小夜はすぐに心の中で同意する。あんな人を馬鹿にするような態度をしていたら、いつ後ろから刺されてもおかしくないだろうな、と小夜は思った。

「それにしても、要君はどこに……」

 と小夜が言いかけた時、右側で大きな音がした。二人が顔を向けると、居住棟の通路から出てきた男がひっくり返ってごみ箱を倒していた。

 男の顔は真っ青になっており、何か恐ろしい言葉を聞いたような恐怖が浮かんでいる。

「だ、大丈夫ですか?」

 小夜は急いでその男に手を差し伸べる。だが男は身をちぢませ、悪夢を見た子供のようにブルブルと震えている。

「あ、あいつが外にいるなんてもう終わりだ……! さ、三か月ぶりの外出だったのにこれじゃあ一歩も外に出られない……。も、もう終わりだ! もう終わりだああああ!」

 男は立ち上がり、居住棟の通路へ走り去っていく。小夜は状況が飲み込めず目をぱちくりさせる。

 小夜は受付に顔を戻し、こう聞いてみた。

「あの、要君って普段どんなことを……」

 すると今度は待合室で派手な音がした。屈強な体つきの男が持っていたスマートフォンを床に落とした音だった。

「い、今あのウソツキの名前を言ったか……?」

「は、はい。要君について、何か……」

「あああ、その名前を聞きたくない聞きたくない。相手の何もかもをこそぎ持っていきやがるあの悪魔。隔離棟の京谷要、とんでもないウソツキだ。あああ」

 頭を抱えながら、男は居住棟へと走り去っていった。

「……」

「あ、スマホは落とし物の箱に入れておかないと。拾得物しゅうとくぶつの紙はどこだったかな……」

 小夜が去って行った男の背中を見つめていると、受付の男がのんきにそんな声を出した。どうやら慣れているらしい。

 と、次に出入り口の方から品のいい格好をした貴婦人きふじんがやってきた。何やらハンカチを握りしめ、すすり泣いている。

 その女性は受付で足を止めると、判子が押されている許可証をカウンターに置いた。それを手に取りながら、受付の男は不思議そうな顔をする。

「あれ? もういいんですか? 外出は三日間ですけど」

「忘れ物があって取りに来ただけなのですが……あのかたが今、外に出ているという話が聞こえてきまして……。もういいですわ」

「次の申請まで最低でも一か月はかかりますよ。旦那さんとの約束があったんじゃ……」

「夫にはもう言っておりますわ。しっかりと戸締とじまりをし、必要最低限の物を持って地下室に閉じこもるようにと。要求されたら金庫のお金も全部渡してよいと言ってあります。それでひとまずは大丈夫でしょう」

「そうですか……」

 受付の男は女性の言葉を否定しなかった。あの男、普段どんな生活をしてるんだと小夜は思った。普通に生活していればそのような言い方などされるはずもない。

「……あのウソツキが野放のばなしにされているなどこの世の終わりですわ。夫に手紙は届くのかしら……」

 女性は鼻をすすりながら、居住棟へと歩いて行った。

 その次に、また自動扉がいて二人組がやってきた。片方は黒い帽子とサングラス、マスクとロングコートで全身を隠した人物だ。格好かっこうからどうやら男性のようである。その隣にいるのは、まるで海賊かいぞくのような格好をした女性だ。

 その二人組はカウンターの前で足を止める。と、小夜は女性と目が合った。

「おや。初めて見る顔だな。新しい捜査官かい?」

 言いながら女性は小夜の方に近づく。カウンターではコートの男がペンを手に紙に何かを書き込んでいる。

「は、はい。ここには少し用があって……」

「そうかそうか。私とそこの彼は隔離棟に住む者だ。分からないことがあったら何でも聞いてくれたまえ」

 と言って女性は魅力的な笑みを浮かべる。よかった、話の分かりそうな人だと小夜は心の中でほっとする。その女性の言葉に甘え、『京谷要』について聞いてみることにした。

「あの……さっそくですが一つ聞いてもよろしいでしょうか」

「ああ。なんだい?」

「隔離棟の京谷要のことはごぞんじでしょうか」

「あー……」

 さっきまで笑顔だった女性の顔が分かりやすくくもった。

「何でも聞いてくれ、と言った手前てまえ答えないわけにもいかんな……。カナメか……。あの男のことは知っているのだが……。どう言うべきか……」

 明らかに言葉を選んでいる様子だ。すると女性の後ろから、コートの男が文字を打ち込んだスマートフォンの画面を見せてきた。

『あの人のことはここにいる全員が知っています。あの人にトラウマを植え付けられた人間は多くいますので、あまり名前は出さないほうがいいでしょう』

 その文章を読んでいると、女性がこう言ってきた。

「あいつは嘘つきだよ。悪魔と呼ぶのはどうかと思うが、人を馬鹿にする才能があるのは間違いないだろう」

 女性の横では、コートの男が腕を組んでうんうんと頷いている。

「嘘か真実か分からない言葉をいてはまどわせる。そして相手がその言葉に翻弄ほんろうされるさまを、奴は笑いをこらえながら見ているんだ。

 間違いなく奴の性格はひねくれているな。きっと暗い青春を送ってきたのだろう。可哀想かわいそうに」

 コートの男はうんうんと頷き、またスマートフォンに文字を打ち込んで画面を小夜に見せる。

『あの人のことはここにいる全員が知っています。あの人にトラウマを植え付けられた人間は多くいますので、あまり名前は出さないほうがいいでしょう。

 同意です。本人はそれに乗っかっているだけでしょうが、現代のエピメニデス、あるいは箱の中の猫、矛盾に足が生えたような人ですね』

「あるいは『張り紙をするな』という張り紙か。……いや、これは違うか。とにかくあいつは嘘つきだ。あいつの言葉は話半分はなしはんぶんで聞いたほうがいいぞ」

 女性がそう言うと、二人は隔離棟へと歩いて行った。

 二人が去った方向を見つめながら、やっぱり、要君は嘘つきなんだと小夜は思った。


 組合を後にした小夜は、パーキングに停めた車内で考え込んでいた。その場所は御門興行事務所の近くである。かつて要とともに来た場所だ。

 時刻はすでに正午を十分ほど過ぎている。外では昼休憩に出てきた会社員や学生たちが話しながら店を探している。

 その声を聞きながら、小夜は考えていた。

 偽名の『京谷要』。自分のことを「嘘つきだ」という男。

 彼を知る人物は全員、彼のことを「嘘つきだ」と言っていた。ということは、彼は本当に『嘘つき』なのだろうか。そうすると彼が言っていた『嘘を信じ込ませる』能力も『約束ならどんなことでも守る』という言葉も全てが嘘だったのだろうか。

 小夜は一人で考え続ける。

 誰が嘘を言っていて、誰が本当の『嘘つき』なのか。

『京谷要』は最初から本当のことを言っている正直者で、彼を知る人たちが全員嘘をついているのだろうか。

 小夜の頭に東條の顔が浮かぶ。彼も嘘を言っていたのではないかと小夜は思う。

『京谷要』の名前を聞くだけで怯えていた人たち。あの二人組。そして『情報屋』

 その全員が、京谷要のことを『嘘つき』という。

 それが答えなのだろうか。

『自称嘘つきは、全ての言葉が嘘の嘘つきである』

 頭ではそう思っていても、その答えに小夜はどこか納得がいかなかった。何かが違うような気もするが、どこが違うのかは分からない。

 ふとスマートフォンの画面を見ると、さらに十分ほど経過していた。引っかかるものを心にかかえながら、小夜は運転席のドアを開けて外に出る。

 とスマートフォンが着信に震えた。画面を操作し、耳に当てる。

「はい……」

『おはよう小夜ちゃん。もうお昼だから、こんにちは、かな?』

 聞こえてきたのは東條の声だった。

「こんにちは東條さん。このあいだはお世話になりました」

 歩きながら小夜は通話を続ける。

『いやいや。たいしたことはしてないよ。それよりどうかな? 彼に対する答えは見つかった?』

 東條の声はどこか楽しそうだった。

「……答え、というか……分からないんです。それが本当に合っているのか」

 そう返す小夜の声は、明らかに自信がない。

「組合に行ってみましたが、要君のことを知る人たちは全員、彼のことを『嘘つきだ』と言っていました。でも、それにどこか納得がいかなくて……」

『自称嘘つきは、嘘しか言わない嘘つきだと?』

「……はい」

『小夜ちゃん、君は少し考えすぎなのかもしれないね』

「え?」

 声を出すと同時、小夜は『御門興行事務所』と書かれた建物の前で足を止める。出入り口には黄色いテープが張られ、警官二人がその脇に立っていた。急に立ち止まった小夜を見て、その二人はあやしむような視線を向ける。

『まんまとパラドックスにはまっているね。答えが必ずしも二つとは限らないよ。そういう決まりも、ルールもないんだから』

 と東條は言う。何か重大なことを言われているような気もするが、どういう意味なのか小夜には分からない。

 小夜は不安げな声で、自称嘘つきの正体を知っているという人物にこう尋ねる。

「……東條さん。あなたは要君が『嘘つき』か『正直者』か、どっちだと思いますか?」

 東條はすぐに答えた。

『僕が答えたとして、小夜ちゃんはその答えに納得ができるのかな?』

 思いもよらぬ返答だった。

『彼が出した勝負はそういうものだよ。見えるものだけが答えじゃない。

 コインやトランプと同じさ。裏も表も、両方合わせて一枚なんだ。人間も同じだね』

「……すみません。おっしゃっている意味がよく……」

 言いながら、どうして要君との勝負の内容を知っているんだろう、と小夜は思った。

『いいんだよ。この意味が分かっていたら、君はすぐに答えを見つけているだろう』

 と東條は言った。小夜はそこで東條の持つ能力と対価を思い出した。もしかしたら、能力を発動させてずっと見ていたのかもしれない。

『もう一度言うよ。答えは一つだけじゃない。そうだな……録音でもしておけば、あとでゆっくり考えられるかもしれないね』

 と、東條は言った。

『それじゃあそろそろ切るよ。頑張ってね。僕も楽しみだから』

 東條はそう言うと、ぷつりと通話を切った。

「……」

 東條の言葉を聞いても、小夜の心は晴れなかった。言われた言葉がどういう意味なのか少し考えていると、

「どうかしましたか?」

 と脇を固める警官の一人が聞いてきた。そう言われ、小夜は慌てて懐から警察手帳を開いて見せる。

 手帳に書かれているのは『異能力事件専門捜査室』ではなく、誰も知らないような部署ぶしょである。小夜以外の他の捜査官も、全員がそのでたらめの部署に所属していることになっている。照良はそこの室長ということだ。

「ちょっと確認したいことがありまして……すぐに終わります。一人で見たいので同行はいりません」

「何も聞いていませんが……」

 警官は明らかに疑っている。少し強引な理由だったかもしれない。

「上司からの命令なので、失礼します」

 小夜はテープを持ち上げ、そこをくぐって中に入る。一応嘘は言っていない。まんいち、上司に連絡がいってもそれはなんとかしてくれるだろう。普段ふざけているんだ。それぐらいはしてもらわなければ。

 後ろをちらりと見やる。今のところ止められる様子はない。警官は納得しているような顔でもないが、あからさまに怪しんでいる表情でもない。止められる前に急ごう、と小夜はエレベーターに向かう。

 ボタンに手を伸ばした時、本当にいるのだろうかという一言が頭をよぎった。ボタンを押そうとした直前で指が止まる。

 彼が本当に『嘘つき』ならば、この場所にはいないのかもしれない。言っていた勝負も嘘で、本当は『京谷要』という人間も最初から存在していないのかもしれない。

「……」

 小夜は、伸ばしかけた腕を静かに引っ込める。

 自分は最初からあの男に騙されていて、全てあの男の思い通りに動いてしまっているのではないか。そしてそれを、あの男は腹をかかえながら見ていたのではないか。もしかしたら、ここでこう悩んでいる今も。姿を消し、どこかで見ているのかもしれない。

 心に浮かんだ不安が大きくなるのを小夜は感じる。頭の中で、様々な人たちが言っていた言葉が思い出されては消えていく。

『彼』を知る人たちは言った。

「あいつは嘘つきだ」

『彼』の正体を知るという人はこう言った。

「彼が何者かは、彼自身が最初から言っている」

 思考が暗いトンネルに入っていくような錯覚を小夜は感じる。どこまで先があるのかも見えず、出口があるのかも分からない。何も見えない闇の中、顔の数センチ横であの男はこうささやくのだ。

『ねえ、まだ分からないの?』

 やっぱり帰るのが正解なのだろうか、と小夜は思う。『あの男は嘘つきだ』という答えを出した今、あの男との賭けは意味のないものに思える。

 でも、どこか納得がいかない。

『見えるものだけが答えじゃない』

 東條にさっき言われたことを思い返す。

『答えは一つだけじゃない』

 これは、どういう意味だったのだろう。

 小夜はエレベーターの前で立ち尽くしている。それを、警官二人が怪訝けげんな顔で見つめている。

 小夜はスマートフォンの画面で時刻を確認する。先程確認した時より十分ほどが経過していた。あの男が待っていると言った時間まで残り三十分。帰るならここだろう。

 行くのか行かないのか。どうするべきか。

 足はなまりのように重く、頭の中では同じことがぐるぐると回っていて、心にかかる暗雲あんうんは一つもなくならない。

 だが、なぜかこの選択がこの先を決める大きな分岐点ぶんきてんになる気がした。

 小夜はスマートフォンをぎゅっと握り、ゆっくりと息を吐き出す。

 待っているのかもしれないし、待っていないのかもしれない。それは、あの部屋に行ってみないと分からないことだ。

 小夜はボタンを押し、エレベーターの扉を開ける。

 と、小夜はもう一つ思い出した。

『答えが必ずしも二つとは限らないよ。そういう決まりも、ルールもないんだから』

 ついさっき東條に言われたことである。あの男が本当に嘘つきなのかと考えるのに集中し、すっかり聞き流してしまっていた。

 そういえばそのあとに、東條さんはこう言っていた気がする。

『そうだな……録音でもしておけば、あとでゆっくり考えられるかもしれないね』

 考え込む仕草しぐさをする小夜の目が、新たな考えがひらめいたようにほんのわずか見開かれる。

 急いでスマートフォンを操作し、さらにそこに立ち尽くすこと一分。

 怪訝な顔をしていた警官の片方があまりにも不審ふしんな動きをする小夜に対して無線機を取り、もう片方はテープを持ち上げ、小夜にもう一度声をかけようと近づいてくる。小夜はスマートフォンの画面を操作するのに集中していてそれに気づかない。

 あの男が『相手の思考がつねに分かる』と言っていたことを小夜は思い返していた。それが嘘かどうかは分からないが、この方法を試してみる価値はあるかもしれない。

 ふと思う。

 どんな勝負もこばめない彼らからすると、これも一つの“賭け”なのだろうか。

「……よし」

 スマートフォンを上着のポケットに入れると、小夜はようやくエレベーターの中に乗り込んだ。

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