【その男、「ウソツキ」】⑤

 雲一つない空を飛ぶプロペラ機。その運転席に座るのはメイド服を着た少女である。その後部座席には一人の男が座っている。

 ぴっしりと濃紺のうこんのスーツを着こなし、黒い髪を軽く後ろに流したその男は、うつらうつらと眠りの世界に落ちかけていた。


「こんないぼれにいどんたところでなにるわけでもない。ものきなやつよ」

 老人の声がした。一年前の記憶だ。

「勝負が終わったらおろかな挑戦者の写真を送ろう。額縁がくぶちに飾ってながめるとい。ではな」

 と言って目の前に座るその老人は耳から携帯電話を離し、折り畳んでポケットに仕舞った。

「友達に最後の挨拶は終わったかな?」

 と、老人の向かいに座る男……京谷要は言う。値が張りそうな濃紺のスーツを着込み、癖毛の髪もワックスで軽く後ろに流されている。別人のような風貌ふうぼうだった。上着の襟元えりもとにつけられた風車ふうしゃのエンブレムが、部屋の電気を反射して輝いている。

「貴様はしなくていいのか? 必要ならば葬儀屋そうぎや神父しんぷも呼んでやるぞ」

 老人……『確率を操る』能力者エドワードはにやりと笑いながらそう返す。彼の後ろには三人の男たちが並んでいる。

「……それで、この私と勝負がしたいなどと部下から聞いたが。念のため確認したい。聞いてもよいかね?」

「いいよ。なに?」

「薬物をやっているとか、死にたいだけの自殺志願者ではないかね? あいにくここはそういう施設ではないのだよ。欲望を持った人間が金を賭け、その倍の金と快楽かいらくを得る場所だ。

 もう一度聞く。本気かね?」

「どう思う? 遊びでこんな所に来ると思う? ケースいっぱいのお金も持ってきてさ」

 と要は言った。その言葉には軽薄けいはくさが乗っている。ふらっと立ち寄った程度のような、そんな声だった。

「ふ」

 と、エドワードは笑いを漏らす。

「あの金は貴様のか? ざっと見て三億はあったぞ。小遣こづかいにしては多すぎるんじゃないかね?」

 エドワードはニヤニヤしながらそう尋ねる。

「あれは僕の……僕のじゃないけど、ちゃんとした僕のお金だよ」

「おや、なぞかけか? こんな状況でのなぞかけは初めてだ。此度こたびの挑戦者はユーモアがあるようだ」

 エドワードが言うと、部下たちから嘲笑ちょうしょうが上がった。

「私に会いたい奴がいると聞いたときは『またか』と思ったが、三億を持って来たのは貴様が初めてだよ。安く見られたようで少々しょうしょう不愉快ふゆかいだが」

 とエドワードは言う。その表情には強者である余裕がはっきりと浮かんでいる。新たなる挑戦者に思いをせ、この会話も楽しんでいた。

「しかし、貴様はこの世界の常識を知らないようだ。死人となったばかりの者はみなこの老いぼれを殺しに来るが、今は全員つちしたよ。虫どもに食われ、肥料ひりょうになっているやもしれん。若さゆえの無知むちとはおそろしいものよ」

 ふふふ、とエドワードは肩を揺らして笑う。

「貴様も、もしやなりたてか? それならばこのパフォーマンスも納得がいくが」

「……残念だけど」

 要はかすかに口を持ち上げて言った。

「こうやって僕と同じ人たちに勝負を挑むのは、初めてじゃない。あなたで二人目……かな」

「ほう」

 とエドワードは声を漏らした。驚きではなく、さらに楽しみが増えたという感情だった。

「これは期待できそうだ。ながきはするものだな。ふふふ。

 名を聞こう。挑戦者よ」

 そう言われ、要はこう返した。

「……ただの嘘つきって言っておこうかな。今は」

「ほう。面白おもしろい。嘘つき……虚言者きょげんしゃか。たいそうなじゃないか。『確率』などかすんでしまう。ふふふ、ふふふふふ」

 エドワードは肩を大きく揺らし、低い声で笑う。

「そこのメイドは君のかね?」

 笑うのをやめたエドワードは、ステッキの先で扉の前にたたずむ少女をさす。

「ああ、僕のだよ。ここまで連れて来てくれたんだ」

「まさか、それも賭けるのか?」

 エドワードは口角を上げて要に聞く。暗い感情を含んだ、期待しているような眼差まなざしだ。

「あー……そうだねえ」

 要は、立っているメイドの少女を見やると、

「そうしようかな。あの子も賭けるよ。そっちが勝ったら、あの子もあげる。好きなようにしていいよ」

 と言い放った。メイドの少女がぎろりと要を睨みつける。目が合った要は、いたずらがバレた子供のようにさっと視線を外した。

「ふふふ。魅力的な話じゃないか。これは、久しぶりに本気を出さねばならんかもしれん。

 貴様が何者かは知らんが、勝つだけでそこのメイドと島が一つ。それに奴が集めたという情報も手に入り、ついでに目の前の若造わかぞうも死体と成り果てる。余生よせい謳歌おうかするにしてはおつりがくるぞ。ふふふふ」

「あなたが僕に勝ったら、ね」

「ふ。その結果はかみのみぞ知る。『確率』が『気まぐれ』に負けるよう祈るがよい。

 私が負けたらここのカジノをやろう。この部屋も好きにして構わんぞ」

 エドワードは披露ひろうするように両手を広げる。この部屋にあるのは博物館に置いてありそうな壺や絵画かいが。どれも値が張りそうなものばかりだ。エドワードの顔には負けるわけがないという自信が浮かび上がっている。

「さて挑戦者よ。いきなり来たんだ、勝負はこちらに従ってもらおう」

 そう言うとエドワードは、テーブルの上に黒光りするリボルバー銃をごとりと置いた。

「六連式のこの銃に弾を一発ずつ入れていき、交互に引き金を引く。弾が出たら『アタリ』だ。空砲くうほうは『ハズレ』。簡単だろう?」

「いいね。簡単で分かりやすい。

『交互に撃つ』ってのは、相手に向かって? それとも自分に向かって?」

無論むろん、自分に向かってだ。相手を狙うのは子供でもできる。そんなのはつまらん。

 こっちは私を入れて四人。そこのメイドも入れるならば、そっちは二人だ。どうする?」

「……あなた、ルールにしたがう気がないね」

「何を言う。賭けとはいつだって盛り上げてこそだ。ふふふ」

 と、エドワードは低い声で笑った。

「……」

 要は少し黙った。考えているような顔だ。この勝負に乗るか、乗らないか。あるいはルールの穴をついた勝つ方法を頭の中で組んでいるのかもしれない。

 少し考え込んだ要は、

「……いいよ、それでやろう」

 と、そのルールで頷いた。

「僕は一人でやるよ。いきなり頭は怖いから、右足から順番に撃っていくね」

 要は自分の右足の太ももを指さす。

「その次は左足、次ははら、次は左腕。右腕はそこのメイドに撃ってもらうよ。それで……最後は頭。自分の体を撃つなんてすごく怖いけど、それが勝負なら仕方がないね」

「おかしな奴だ。その戯言ざれごとが何発目でくつがえされるかものだな」

 エドワードが銃を手に取り、弾を一発込める。

「最初は私からやってやろう」

 とシリンダーをはじいて回し、横に立っている部下の男に向ける。

 思わぬボスの行動に、銃を向けられた男の顔が一瞬にして真っ青になった。絶望に叩き落とされたような表情で、男はその場から一歩後ずさる。

「さあ賭けだ。賭けをしようじゃないか」

 エドワードが銃のげきてつをゆっくりと起こす。

 要は薄く笑みを浮かべながら、すぐにこう返した。

「ああ。いいよ」

 直後、エドワードはカチリと銃の引き金を引く。部屋に乾いた銃声が響き渡り、こめかみを撃ち抜かれた男が、どさりと床に倒れた。


「かなめさま」

 と運転席に座る少女の声で要は目を開け、まどろみから意識を起こした。

「あと三十分ほどで組合に到着いたします」

 その声に要は窓から下へ目を向ける。眼下には大きな交差点が広がっていた。小さな点のようにうごめくのは、少し早い昼食ちゅうしょくをどこでとろうかと歩いている人間たちだろう。あと三十分もすればちょうど正午だ。そうしたら、下に見える交差点はもっと人であふれかえるかもしれない。その上を飛行機で通り過ぎながら、要はそんなことを考える。

 交差点を通り過ぎ、飛行機は飛び続ける。段々だんだん街から離れ、人気ひとけのないはしの方へと向かっていく。

 要は手を伸ばし、そなけられているラジオのつまみを回す。

「ニュースでも聞くのですか? 珍しいですね」

 運転席からメイドの少女が言う。

「まあね。ちょっとだけ」

 要はいつもの、少し高くやわらかい声でそう返した。

 ラジオのつまみを回していると、ザザ、という雑音の後に女性アナウンサーの声が聞こえてきた。

 とりとめのないニュースがいくつか続き、ようやく天気予報が流れる。

 昼からも快晴かいせいが続くという。今日一日は過ごしやすい天気になるらしい。

 それだけ聞くと、要はラジオから聞こえる他のニュースは聞き流す。

 飛行機のエンジン音とラジオから流れる音楽が混じるなか、ふと要が言った。

「僕って、どっちなのかな」

 その疑問に、飛行機を操縦しながら少女は言う。

「答えが欲しいのですか? あなたがねつを出したパラドックスの議論ぎろんをしたいならば、今からでもやりますが」

「……ごめん。聞く相手を間違えたよ。なんでもない」

 要は息を吐くように言った。

「そうですか。私もこの手の議論は好きなのですが。残念です。明確めいかくな答えが欲しいのならば『魔女』や『情報屋』に聞いてみてはどうでしょうか。簡単には教えてくれないでしょうが」

「そうだね。あの二人はちょっといじわるだから……ニコニコしながら『え? もしかして分からないの?』とでも言いそうだよね」

 話に出た二人の顔を浮かべ、はは、と要は軽く笑った。

「パラドックスに答えを求める方がおかしいのです。どちらもそこに存在し、どちらも真実なのですから」

 と少女は前方を見ながらそう言う。

「毎日胃の中のものを吐くぐらいいじめられ、体育教師に襲われ、胸をナイフで切られて傷を焼かれた人間が嘘つきか正直者かなんて、考えるだけ無駄むだなことなのです」

「……」

 要は何も返さない。

「パラドックスと言えば、エピメニデスの他に『ほこたて』や『シュレーディンガーのねこ』などがありますね。到着するまでまだ時間はありますのでおはなししましょうか。

 まずはシュレーディンガーの猫ですが、これは有名な物理学者が発表した猫を使った思考実験でして……」

 要は両手を頭の後ろに回して目を閉じ、ふて寝を決め込んで聞こえないふりをした。

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