【その男、自称「嘘つき」】⑧

 レイジは顔を真っ青にさせ、目を見開いてあたりをきょろきょろと見回している。姿の見えない何かにおびえていた。

 この、時が止まった空間は“神”がその場に現れたことだと二人は知っている。まるで箱庭はこにわの中の虫の一匹に焦点を当てるように、“神”はじっと自分たちを観察しているのだ。声を聞かせるも姿を見せるも、観察する虫の二匹をどうしようと、すべては“神”の気まぐれなのである。

 レイジは何をされるのかとおびえ、がたがたと体を震わせている。

「あのさあ」

 と要が言った。

「そろそろこの手、離してくんない? 苦しいんだけど」

 と言って、自分の服を掴んでいるレイジの手を指さす。

 レイジは素直に手を離し、呟くようにもう一度言った。

「お前、なんなんだよ……」

 服を整えながら、要も同じようなことを答える。

「だからさ、ずっと言ってるじゃん。僕はただの嘘つきだよ。それ以上も、それ以下もない」

「……」

 レイジはもうわけが分からないと言わんばかりにひたいに手を当て、頭を横に振る。

「僕は嘘つきで、『嘘を信じ込ませる』ことと『相手に自分の情報を与えない』能力を持ってるよ。それで、対価の一つは『相手の思考が分かる』こと。まあ、そのままの意味じゃないんだけど」

「そ、そんなウソが……」

「あれ? まだ分かんない? 僕、ここに来てから嘘なんか言ってないのになあ」

 要はにやける。

 その言葉は、果たして本当なのだろうか。

『ここに来てから嘘は言っていない』という要の言葉に、レイジは要を睨むしかできなくなる。この男が言ったその内容が『ただの嘘』なのか『信じ込まされている嘘』なのか、レイジには分からないのだ。

「だからさあ、そうやって変に疑うから負けるんだよ。

 僕は嘘つきだけどあんまり嘘はつかないし、約束だったらどんなことでもちゃんと守るよ。

 それをあのおじいさんにも言ったのに、君は頭が悪いみたいだね。あの人はすぐに気づいたよ。さすがは、『確率』なんてものを持ってるよねえ」

「確率……?」

 レイジの脳裏に、一年前から連絡が無い能力者エドワード・ウィルソンの顔が浮かぶ。

「そうだよ。エドワード・ウィルソンさん……だっけ?」

 と要は言った。レイジの顔から、さらにさあっと血の気が引いていく。

「お、お前があのジジイを殺したのか……!」

 レイジは再び要に銃口を向ける。

「ああ、うん。そうだよ。あ、その前に」

 要は、レイジが構えている銃を指さす。

「それ、僕のだから返してね」

 と要はにこりと微笑んだ。

「……ああ。そうだな」

 とレイジは銃を下ろし、持ち手の方を向けて要に差し出す。

「ん、ありがとね」

 要はそれを受け取ると、慣れた手つきで弾倉だんそうを出して中の弾薬を確認し、再び慣れた手つきで元に戻す。

 撃鉄を起こす音で、レイジの意識は現実に追い付いた。レイジは自分の両手を見つめる。からになった自分の両手を見て、レイジは何が起きたか分からない表情を浮かばせる。

「なんなんだよ……。お前、なんなんだよ……!」

 恐怖をあらわにした顔で、彼は叫んだ。心の底からレイジは恐怖していた。自分の意思とは関係なく自分の体が動くことと、この男について何も理解できないことに。

「だからずっと言ってるじゃん。まだ分かんないなら次は殴り合いでもする? いいよそれでも。僕さあ、こう見えても猟銃りょうじゅう持って走り回ってたから、素手すででも君の顔を潰す自信はあるよ。それでもいいなら、次は殴り合いで勝負しよっか」

 要の顔に浮かんでいるのは、明らかに格下相手に向ける笑みだ。

「あのねえ、僕は勝つために嘘はつくけど、人を騙すための嘘は言わないよ。これは本当。

 僕は最初から嘘つきで、最初からほんとのことしか言ってない。ああ、分かりやすい嘘は一つだけ言ったけど」

「最初から……。最初から……分かりやすい、嘘……」

 と、レイジはその言葉をおうむ返しにつぶやく。

「最初から……ウソツキ……最初、から……」

 レイジの目が、ゆっくりと見開かれる。

「お、お前……‼」

 レイジは、ようやく全てに気がついた。

「お、お前、とんでもねえウソツキじゃねえか‼ 最初から、最初から……‼」

 ようやくレイジは「嘘」の砂の山に隠された、ちっぽけな「真実」の宝石ほうせきに気がついた。

「だから、僕は嘘つきだよ。ずっとそう言ってるじゃん」

 とみずからを「嘘つきだ」という男は微笑む。しかしレイジは、その真実に気づくのが遅すぎた。

「僕は嘘つきだよ。これは……『ただの嘘』かな? それとも『本当のこと』かな?」

 レイジには分からない。

 その言葉が嘘か真実なのかも、ようやく気がついた“真実”が『信じ込まされた』“嘘”なのかも。

 何も分からないが、今のレイジにはそんなことを考える余裕などは微塵みじんもない。

 レイジは大きく呼吸しながら、両手を上に上げて降参の素振りをする。

「……か、金が欲しいなら好きなだけやる! 親父の金庫に三千万ある……金庫の番号は……」

 レイジは言う。要は無言のまま、撃鉄を起こした拳銃を様々な角度から眺めている。

「……こ、この事務所に出入りしてる能力者の情報もやる。も、もちろんオレの能力だって、対価だって教えてやる!」

 レイジは必死に口からつばを飛ばしながら言葉をつらねる。

「お、親父のボディーガードをしてる奴の能力だって教えてやる! だから……」

「あのさ」

 と要が言った。レイジは命乞いのちごいが交渉こうしょうの可能性をつかんだとほっとする。

 しかし要はどこか困ったような顔で頬をぽりぽり掻きながら、銃の照準をレイジの眉間に合わせる。レイジは一気に絶望ぜつぼうへ叩き落とされた気持ちになった。

「興味ないし、ちょっとうるさい」

 そう言うと、要はあっさりと引き金を引いた。


 止まった時間が動き始める。少し遅れて、少女の悲鳴が部屋に響いた。

 小夜の隣に腰を下ろしていた要は、うっすらと目を開ける。頭痛と吐き気がひどい。二人の男の怒声どせいが追い打ちのようにズキズキと頭に響く。

「お前がやったのか⁉ ああ⁉」

 頭に何かを押し当てられる感触がした。同時に背後から聞こえる怒りの混じった声。要はのろのろと両手を上に上げた。まだ撃たないな、と要は思った。

 向かいの席には、眉間に穴をけたレイジの死体が天井を見上げていた。テーブルの上に転がっているのは、銃口から煙を上げている拳銃が一つ。要はぼんやりと先程の出来事できごとを思い起こす。だがすぐにズキリと頭の奥が痛み、これ以上は無理だなと要は思い出そうとするのをやめた。

 要は細い息を吐き、隣の小夜に目を向けながら言う。

「小夜ちゃん、ごめんね。悪いけど一人で……」

 要の言葉が不自然に途切れる。隣からじわりと液体が染み出し、自分の太ももが濡れていくのを要は感じた。直後、つんとしたアンモニア臭がはなをつく。

 小夜は両手の拳をぎゅっと固め、耳まで真っ赤にさせて下を向いている。要は頭をぽりぽり掻いた。そしてその姿がまたジジジ、と一瞬乱れる。

「あ、あいつどこ行きやがった!」

「くそ! 近くにいるはずだ!」

 なぜか、残った男二人は叫びながら要を探し回っている。

「小夜ちゃん」

 と要は小夜の右手にそっと左手を乗せる。

「ひいっ⁉」

 小夜は声を上げ、バッと右手を引っ込めた。

「あ……す、すみません……」

 小さな声でそう言い、れられた右手をもう片方の手で包みながら要の顔を見つめ返す。小夜の心臓はどうようはやがねを打っていた。右手は氷の中に突っ込んだようにしんから冷え、小刻みに震えていた。

 彼の手は、ぞっとするほどの冷たさをしていた。

 明らかに、自然しぜんの中にある温度や体温の低下などとははるかに違う。例えるならば、ひつぎに入った死人にれてしまったような。そんな……恐ろしい冷たさ。

「ごめんね。びっくりしちゃったね。大丈夫?」

「だ、大丈夫……です……」

 小夜は必死に喉から言葉を絞り出す。それを聞きながら要は立ち上がり、着ている服をなぜか脱ぎ始めた。

「ごめんね。嫌だろうけど、僕の手か腕か、つかんでもらってもいいかなあ?」

 と上半身があらわになった要は、小夜に手を差し伸べる。その姿の輪郭りんかくに、ジジとノイズがはしっている。

「……」

 小夜は少し迷うような顔をしたが、差し出された要の手をそっと掴む。「よいしょ」と言って要は小夜を引っ張り上げ、立ち上がらせた。

「あ、あの女もいねえ!」

「あの女もかよ、くそ!」

 すると不思議なことに、男たちは小夜のことも探し回っている。

「ちょっとごめんね」

 と要は少しかがみ、脱いだ服の面積が多い方を小夜の尻に当てる。

「あ、あなたが何かしたんですか……?」

「そうかもねえ」

 要はそれだけしか言わなかった。

「ほら、できたよ。きつくない?」

 と言って要は小夜の腰に当てがった服のそでを結び終える。小夜はスーツの上に男物の服を腰に巻き付けた状態になった。

「一人で帰れるよね?」

 要はエレベーターのボタンを押して呼び出す。

「あ……は、はい……」

「それじゃ、気をつけてね」

 そう言うと、到着したエレベーターの中に小夜を押し込む。

「ちょ、ちょっと! あなたはどうするんですか、一人にするわけには……」

 そのときに小夜は見た。

 やや引き締まった要の上半身には痛々いたいたしい傷がきざまれていた。左肩のあたりから右脇腹にかけての深い裂傷れっしょうと、それに蓋をしているかのようなひどい火傷やけどあと。小夜は昔に見た、ナイフで重傷を負った捜査官の傷を思い出した。要の傷はそれに似ていた。

「……ああ、これ?」

 と、小夜の視線に気がついた要は言った。

「これはね、いじめの延長えんちょうってだけ。出血多量で死にかけただけだよ」

「そ、それは、どういう……」

「それはまた後でね。じゃ」

 要は階下へのボタンを押し、扉が閉まっていく。

「あ、ちょっと! 待ってくださいよ!」

 手を振る要が閉まっていく扉に消されていき、すぐにエレベーターは動き始めた。

「……さてと」

 と要は振り向く。その姿がジジジ、ジジとさらに激しく乱れる。

『……まあ、このまま逃げてもいいんだけどさ』

 と呟く。その声は、二人を探し回る男たちには聞こえていない。

 要はソファの方へと歩き出した。その姿がジ、ジジジと乱れ続けている。要の足音も、男たちに聞こえていない。

 要はテーブルの上の銃を手に取る。男たちは何も気づいていない。まだこの部屋に二人が隠れているはずだと、必死に探し回っている。

 要は一人の男へと近づき、その男のこめかみに銃口を向ける。その男は何も気づいていない。要がすぐそばにいることも、一秒後に自分が死ぬことにも。

 そして要はすぐに一発撃った。突然聞こえた轟音にもう一人が顔を向け、人間が床に倒れる音にびくっと身体を跳ねさせる。だがそこには誰もいない。さっきまで立っていた人間が死体になっているだけだった。

「う、うわあああ!」

 恐怖に駆られたもう一人はむちゃくちゃに発砲する。デスクの上のたくじょうライトがはじけ、壁に穴が開き、跳弾ちょうだんがレイジの死体に突き刺さって止まる。

『うわ、あぶな』

 と要は言った。もちろん、その声は男には聞こえていない。

 カチ、カチと弾切れの音が鳴っているのに何度も引き金を引いている男の眉間に、要は銃口を向ける。男は何も気づいてすらいない。要の姿がジジ、と乱れる。

「あ……」

 急に目の前に現れた銃口と、それを向けて微笑ほほえむ男。それが、彼の見た最後の光景だった。


 要は持っていた銃を放り投げ、ソファに座る。賭けが始まる前と同じように。

 しかしその向かいに、生きている対戦者はいない。部屋にいるのは五つの死体と生きている男が一人だけである。

「君にとっては二度目の死だねえ。列車にかれて死ぬよりは、今度は綺麗な死に方なんじゃない?」

 と唯一生きている男が、目の前の死体に話しかける。当然ながら返事などは返って来ない。

「君は勝負事しょうぶごとに向いてなかったんだよ。ツイてなかったってやつだねえ」

 それにこたえる者も、尋ねる者もいない。死体たちがいるこの部屋の中で生きているのは、自分を『嘘つきだ』と言った男、ただ一人。

 しばし、要は背もたれに頭をあずけて目をつむる。ほんの三十秒ほど休んだ要は、

「……帰って寝よ。疲れた」

 と言って立ち上がり、片手で頭を押さえながらエレベーターを呼んだ。


 ビルの入り口に出たとき、近くで車のクラクションが聞こえた。要は音が聞こえた方へ顔を向ける。小夜の車がゆっくりこちらに近づいて来た。

「一人で帰ったのかと思ったのに」

 と言いながら、要は当たり前に助手席へ乗り込む。

「……あなたを置いて帰るわけには、いきませんので……」

 そう言う小夜の腰に巻いていた要の服はなく、明らかに新品のスカートを履いている。急いで調達してきたのだろう。

「その、頭の方は……」

「ん? 大丈夫だよ。僕はいつもあんな感じだから」

「……違います。頭の傷です」

「あはは。たいしたことはないよ。もう血は止まったしね。すごく痛かったけど」

 要は腕で額をぬぐいながら答える。彼の言う通り、頬から流れ落ちる血は乾き切ってあとになっていた。

「そうですか……」

 二人の会話はそれで終わり、しばし車内は沈黙に包まれる。

 すでに、捜査室には連絡済みだ。もうすぐ現場担当の誰かがやってくるだろう。あの部屋で起こったことをどう整理すればいいのか、小夜の頭の中は混乱していて車を動かす気にもなれなかった。ちらりと隣に座る要の方を見るが、彼は窓の外に目をやっていてこちらに顔を向ける様子はない。

「……」

 そんな沈黙のまま一分が過ぎ、二分が過ぎていく。そのあいだ、けっして居心地がいいとは言えない空気が車内に充満じゅうまんしていく。

 すると突然。

「えくしゅっ」

 要が小さなくしゃみをした。

「……とりあえずさ、僕のふく返してくんないかな?」

 と鼻をこすりながら言う。

「あ……そうですね……。あれはその……今度返します」

 と言いながら、小夜は後部座席に手を伸ばして何かを取る。

「急いで買ったので、気に入らなければ裸で帰ってください」

 そう言って要に渡したのは、七分しちぶそでの白い服だ。

「わざわざ新しいやつ買って来てくれたの? ありが……うわ……」

 礼を言う要の言葉が不自然に途切れた。要はプリントされたがらを見つめ、なんとも言えない顔をしている。

「……なんですか?」

 じろ、と横目で見ながら小夜は聞く。

「いやあの、これさあ……」

 と要は服の表側おもてがわにプリントされた柄を見つめている。

 かれているのはおそらくネコかウサギなのだと思う。耳が長く、全身もうっすらとピンクがかっていることからウサギの特徴だと分かる。だが、三毛みけねこのようなまだらの色をした尻尾しっぽが生えているのはどういうことだろうか。ウサギとネコをわせたあらたなせいぶつかもしれない。それか想像上にしかいない生き物か。

 適当に買ったにしてはひどいがらだ、と要は思った。こんな変な……もとい、個性的な柄の服を買う人間がいることにも驚いたし、こんなものが売り物として店に出ていることにも驚いた。全部の服を洗濯してしまって着るものがないという時でもこれは買わないだろうなと、要は思った。

「あのさ……」

 要は少しばかり迷う。「これ、何の生き物だと思う?」と小夜に聞くのを。

「あー……いや、えっと、やっぱりなんでもないよ。服、ありがとね……」

 複雑な表情を浮かべて、要はその服を着た。

「……それよりも、あの、」

 死体は、と言おうとした時、小夜の腹が思い切り鳴った。可愛いとは程遠い犬のいびきのような音だった。

「……」

 小夜は顔を真っ赤にさせて腹を押さえる。人間とは不思議なもので、あんな目に遭っても腹の虫は正直らしい。

「もうお昼も過ぎたし、どっかで食べる? そのあとなら、どんな質問でも答えてあげるよ」

「……あなた、ウソツキじゃないですか」

「はは。そうだよ。僕は嘘つきだ」

 と要は笑いながら答える。小夜はため息をついた。

「とにかくさ、腹が減ってはナントカって言うじゃん。あーお腹減ったなあ。お腹減ったままじゃなんにも喋る気になれないなー」

 要は、ちらりと小夜の顔を見る。小夜はしばし間を空けると、ため息のように言った。

「……分かりましたよ。言っておきますけど、自分の分は出してくださいね」

「いいよ。お金はあるからね。お金は」

 と要は言った。捜査室に通報した安堵感あんどかんからか小夜は、これは経費で落ちるのだろうかなどと全然関係のないことを考えていた。

 とりあえずの目的地が決まり、道路に出ようとウィンカーを右に出した時、ふと要が言った。

「そういえば、よくあそこまで付き合ってくれたよね。『早く終わらせて』とか言ってくれたら、最初の一回で終わらせたのに」

「は?」

 サイドブレーキに伸びた小夜の手が止まる。

「ま……まさか、わざと負けていたなんて……言いませんよね?」

「わざとに決まってんじゃん。この僕が、あんな弱い人にわざとじゃなきゃ負けないよ。小夜ちゃん面白いこと言うねえ」

 そう言って要はけらけら笑う。

「私がいなくてもよかったんじゃ……」

 ハンドルを両手で掴んで、小夜はうなだれる。

 わざと負けているんじゃないか、というあの予感は的中していたのだ。知らずのうちに利用され、この男の手の上で転がされていたということか。小夜はもう何度目か分からないため息を吐きだす。

「……なんで言ってくれなかったんですか」

「言ったけどついて来たじゃん」

「私をけのしなにするとは言ってなかったじゃないですか!」

 小夜は勢いよく顔を上げて抗議こうぎする。

「だって途中で思いついたんだもん。ドキドキしたでしょ?」

 要はへらへらする。小夜は額に手を当て、怒りで沸騰ふっとうしかける脳内をしずめる。ここで感情的になってしまっては確実に倍になって返ってくる。ここは冷静に対処しなければ。

「……分かりました。ひとまずこの話は終わりにしましょう。あなたと話していると寿命が削れていく気がします」

「大丈夫? 楽しいこと考えなよ。さっきの勝負のこととかさ」

「もう本当に、頼むから黙ってくださいよ」

 要を睨みながら小夜は言う。冷静に対処すると考えて一分と経たずその仮面が剥がれていることに、小夜は気づかない。

「え? なに? 僕に言ったの? 小夜ちゃんの声が虫みたいに小さくて聞こえなかったからさあ、もう一回言ってくれるう?」

 小夜のこめかみに、びき、と力が入った。なるほど、こいつは人を怒らせる天才か。

「……あなたについて分かったことが一つあります。あなた、人を怒らせる天才ですね」

「あー、それはよく言われるねえ」

「……そうですか。じゃあ好きなだけしゃべってていいので、その前に一発殴っていいですか?」

「うわ、何言ってんの? おらしして僕のズボン汚したくせに」

「そ、それは……言っていいことと悪いことがありますよ!」

「あ、ごめん。じゃあ聞かなかったことに……というかそれ言ったら認めちゃうことになると思うんだけど……いいのかな?」

 小夜はそこでようやくハッとする。

「……小夜ちゃん、本当に捜査官なの? コネとか賄賂わいろで入ったんじゃ……」

 と要が疑いの視線を向ける。

 そんな要の右肩に、小夜は流れるように固めた拳を叩きこむ。ぎし、と肩の骨がきしんだ音がした。痛みにもだえながら右肩を押さえた要は、しばらく助手席で身を丸めていた。

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