嘘つきのパラドックス

【嘘つきのパラドックス】①

 正午を十五分ほど過ぎた時間。

 とあるハンバーガーショップの駐車場に停められた車の中では、実に対照的な二人が昼食をとっていた。

「外食なんて久しぶりだから、嬉しいなあ。小夜ちゃん食べないの?」

 と要は横目で小夜を見ながら、大きな口を開けてバーガーを頬張ほおばる。要のひざの上には、まだ開けられていない包みが三つ置かれている。どれも違う種類のバーガーだ。

「……お願いなのでこっちを見ないでくれませんか? かなり頭にきてます」

 小夜は片手で額を押さえ、低い声で言う。

「あ、そう。何怒ってるのか知らないけど、ご飯食べる時ぐらい機嫌きげん治したら?」

「誰がそれを言ってるんですか、まったく……」

 小夜はため息のように言い、しなびたポテトをつまむ。

 小夜が不機嫌になっている理由は、一分前に起きたとある出来事のせいだ。

 店の駐車場に入ってすぐ、

「人が多い所は苦手だから、車の中がいいなあ」

 と要は言った。これはまだ分かる。そういう人もいるのだし、無理をさせても悪いと小夜はドライブスルーの方向へ車を動かした。

 しかし続けて言った「僕が払うよ」との言葉になぜ疑いもなく「お願いします」と返してしまったのだろうか。

 商品を選び終わって会計の窓口に来たとき、要は当たり前のようにピンク色の長財布を取り出し、店員にこう言ったのだ。

「あ、カード払いで」

「それ私のお財布じゃないですか!」

 と気がついた時にはもう遅かった。クレジットカードとレシート、袋に詰められた商品が窓口から渡される。

「お金あるって、言いましたよね?」

 小夜は、ぎろりと要を睨みつける。

「『ある』とは言ったけど『僕の』とは言ってないじゃん。僕、今お財布持ってないし」

「もしや最初から、お金出す気なかったんですか……⁉」

「いやー、小夜ちゃんって優しいよねえ。ほんとありがと。おいしいなあ」

 要はとてもいい顔をしてバーガーにかぶりつく。見ているだけで腹が減りそうな顔だ。小夜は額を押さえてため息を吐き、しなびたポテトをもそもそとつまむ。

 頭が痛い。ただでさえ新しいスカートと下着、それに男物おとこものの服を買って財布の中身があやういというのに、さらに無駄な出費だ。来月に来る請求書が怖い。

「まあまあ、心配しなくてもお金はあとでちゃんと返すよ。そういうところはちゃんとするし」

「そう言うなら、買う前に言ってくださいよ……」

「だってさ、小夜ちゃん何も言わなかったから、いいのかなって思ってさ」

 小夜は返事の代わりに、見せつけるように大きなため息を吐き出した。

「……お金はもういいです。どうせその言葉も嘘なんでしょう? もう騙されませんからね」

「あー、そう。じゃあいいんだね、返さなくて」

 と要は適当に返事をすると、二つ目の包みを開けてすぐに頬張る。はみ出たソースが口の横にべったりと付着した。

「……ん、そういえば」

 口の中の物をごくりと飲み込んで、何かを探しながら思い出したように要は言った。

「信じてくれてありがとね、さっき」

「……なんですか急に。最初から勝てたのなら、あんな約束する意味なかったじゃないですか」

 紙ナプキンを何枚か渡しながら、憮然ぶぜんとした顔で小夜は言う。

「うん、まあ、そうなんだけどさ」

 それを受け取り、口の周りを拭きながら要は続ける。

「信じてくれるとは、思わなかったから」

 と言って注文したジュースの蓋を開け、氷ごと喉に流し込む。

「……『信じてくれるとは思わなかった』って……。そう言うのなら、少しは相応そうおうの努力をしたらどうですか?」

「あー、それもそうだね。僕は嘘つきだよ」

「……話、聞いてましたか?」

「うん、耳はいい方だよ」

 要はそう言って一口頬張る。小夜はまたため息を吐き出した。

 もういい加減にしてほしい。ここまで話の通じない人間は初めてだ。小夜は、さらにどっと疲れが重くのしかかるのを感じた。

「僕は嘘つきだよ、小夜ちゃん。これは嘘じゃない。本当だよ」

 そう言って要はまた大きく頬張る。

 果たしてその言葉は、嘘なのか本当なのだろうか。本心なのか、本心を隠す嘘なのか。

 小夜はもはや、それすら考えるのが億劫おっくうになっていた。

「そんなに考え込むなら、違う人に聞いてみたらいいじゃん。僕じゃない誰かにさ」

「……」

 また考えていたことを読まれ、小夜は不快感をあらわにしながら横目で要を睨む。そんな視線を向けられても要は、

「んー、おいしいなあ」

 と笑顔を浮かべてバーガーを食べている。どうでもいいが、よく食べるなと小夜は思った。

「違う人に聞くと言っても、誰に……」

 言っている途中ではっと気がつく。そうか、それがあった。小夜はすぐさまスマートフォンを取り出し、組合の受付へ電話をかける。隔離棟に住んでいるのなら、少なくとも入居時に個人情報が登録してあるはずだ。

 そんなことを考えていると、呼び出し音が切れて相手の声が聞こえてきた。

『はいこんにちは。こちら異能力者登録組合です』

 聞こえた声は朝に会った受付の男だ。

新規しんきですか? 面会ですか? 新規の方はおそりますが、ここの会長と異能力事件専門捜査室の室長、二人からの推薦状すいせんじょうか、入居している人物の紹介がなければ入れません。

 面会でしたら今は……待ち時間は三十分ぐらいですかねー』

 男は定型通ていけいどおりの対応をする。

「お疲れ様です。今朝けさそちらにおうかがいしたいずみ小路こうじです。少しお聞きしたいことがありまして。お時間よろしいでしょうか」

『今朝……いずみこうじ……』

 男はいまいちピンときていないようだった。

「名刺を渡した……」

 と小夜が言うと、

『……ああ! あのちっちゃい捜査官の!』

 と男はひらめいたような声を出した。小夜は複雑な表情を浮かべる。「ぷっ」と隣の要が小さく吹き出した。小夜がスマートフォンを持っていない手で軽く拳を作ると、要は慌てて顔を逸らした。

『それで……何かあったんですか?』

 と受付の男は探るような声で聞いてきた。おそらくだいたいのさっしはついているのだろう。

「えっと、その……」

 小夜はちらりと視線を隣に向ける。片手にバーガーを持った男が苦しそうに胸を叩いている。小夜は相手に聞こえないようにため息をつくと、自分用のオレンジジュースを彼に渡した。

「要君……京谷要の登録情報を教えていただきたいんですが……」

『要君の? ちょっと待ってね』

 そう言われ、保留音ほりゅうおんが流れる。

 十五秒ほど待っていると、相手の声が戻ってきた。

『すいませんお待たせして。えーっと……要君のは、名前しかないんですよね』

「……は?」

 小夜は思わず単語で聞き返す。

「……能力も、対価も?」

『うん、そうですねえ。登録されているのは『京谷要』っていう名前と、三年前にここに来たっていうことだけですね。あとは……うーん、パソコン壊れたかなあ………。文字もじけして見えないや。さっきまでは普通に動いてたのに』

 と男は独り言のように言っている。

「で、では二年前と去年の外出記録はどうですか? タグが付いているのなら、監視カメラの記録に残っているはずですよね……?」

『二年前と去年ねぇ……』

 声とともに、カチカチとマウスをクリックする音が聞こえる。

『うーん……ひととおり見たけど、要君の姿はカメラの映像には残ってないよ。外出記録もないし許可証を受領じゅりょうしたっていう記録もないから、施設の外には出てないんじゃないかな』

「そ、そんなこと……」

『ええと……他に何かありますか?』

 男は少し困惑こんわくしているような声で問い返す。

「いえ……ありがとうございました……」

 小夜はそう言うしかできず、男との通話を切った。

「……」

 小夜は耳からスマートフォンを離し、隣の男に言った。

「……あなた、何者なんですか?」

 胸の内に渦巻く疑問、全てをまとめた一言だった。

「だからさあ、最初からずっと言ってるじゃん」

 指についたソースを舐めて、要は言った。

「僕の名前は京谷きょうやかなめ。名前みたいな名字だけど、『かなめ』って呼んでくれると嬉しいな。

 それで、こうなったのは三年前。親友だと思ってた奴に……屋上から突き落とされて死んだんだ。三年前といえば、前の組合の会長『かざかなめ』が死んだって言われてる年だねえ。『かなめ』っていう珍しい名前が一緒なのは、偶然にしてもすごいよね。はははっ」

 と要は最後の一つのバーガーを開けながら言う。小夜は、要の言葉を黙って聞いている。

「持つ能力は『嘘を信じ込ませる』ことと、『相手に自分の情報を与えない』ことかな。対価の一つは、簡単に言うと『相手の思考が分かる』こと。もちろんもう一つあるよ。

 あとは……ああ、そうだなあ。ここ二年間で、能力者を二人殺したよ。一年につき一人かな。賭けをして相手を殺したんだ。それが、神サマとした約束だから」

「約束って……」

 小夜は、要が言っていたことを思い出す。

「あなたが言っていた、『面白いことをするから、気まぐれで殺さないで』……ということと関係がありますか?」

「うん。その面白いことっていうのが『能力者を“賭け”で一人殺すごとに、寿命を一年延ばす』ってやつだよ」

 と、要は食事を続けながらさらりと言った。

「な……」

 小夜は目と口を開け、絶句ぜっくした。

「……矛盾してます……」

 小夜はその一言を喉から絞り出すので必死だった。

「あはは。よく言われる。でもさ、僕は本当に死にたくないんだ。死ぬのは怖いよ。本当に。死にかけても、死ぬようなことになっても、死ぬ方がましだって思っても、僕は死にたくない。嘘じゃないよ」

 要は変わらぬ態度で食事を続けている。

「僕は嘘つきで有名だし悪評あくひょうの方が多いけど、約束だったらどんなことでも守るよ。さっきだって、小夜ちゃんとの『勝って』っていう約束守ったし。

 約束も守らない嘘つきだったら、とっくに神サマの気まぐれで死体に戻ってるよ。小夜ちゃんもそう思わない?」

 と、食事を終えた要は紙ナプキンで口を拭きながら小夜に目を向ける。

 話した内容は嘘なのだろうか、本当のことなのだろうか。要の顔を見つめ返す小夜のブラウンの瞳に不信感が浮かぶ。

「よかったねえ小夜ちゃん。犯人の自白じはくだよ。僕はこのまま一緒に、捜査室に行けばいいのかな?」

「……」

 小夜は何も答えない。静かに拳をぎゅっと握っているだけだ。

「ああでも、証拠が何もないんだよねえ。だったら僕ってまだ、逮捕されないのかなあ?」

 小夜はただ、何かを言いたそうな顔で要の横顔を見つめているだけだ。

「もう一回現場の写真でも見てみたらいいのに。何か、写ってるかもよ」

「……何を言っているんですか。現場の写真には何も写っていませんでしたよ」

「あ、そう。ふうん」

「……なんですか? 何か、言いたいことでもあるんですか?」

「いやあ、何もないよ。小夜ちゃんって騙されやすい人間だなあって思っただけ」

 要はそう言うと、食べ終わったバーガーの包みをくしゃくしゃに丸める。

「どういう、意味ですか……?」

「そのままだよ。一回見たところには、もう何もないと思ってる」

「……なんですかそれ」

 変わらぬ口調でそう言った要に対し、小夜はうんざりするように細い息を吐いた。どうやら、聞くだけ無駄だったようだ。この男は真面目に答える気はないらしい。

 小夜は改めて、隣に座るこの男についての思考をめぐらせる。

 隔離棟に住む能力者……京谷きょうやかなめ。本人いわく『死んだのは三年前』で、持つ能力は『嘘を信じ込ませる』ことと『相手に自分の情報を与えない』ことらしく、その対価の一つに『相手の思考が常に分かる』ということがあるらしい。これらの情報はあくまで彼が自称しているだけで、そうだという証拠は何もない。となると嘘の可能性が高いだろう。

 そして彼は……自分のことを『嘘つきだ』と言い、周りにもそれで有名らしい。

 けれど、約束ならばどんなことでも守るという。

 さっきの事務所でやった賭け……勝負を挑んだ理由は「生きるため」と言った。彼曰く、『能力者を賭けで一人殺すごとに、寿命を一年延ばす』という約束を“神”としているらしい。そのため、生きるためにはどんなことでもするという。それこそ相手がどんな能力を持つか分からないのに挑み、殴られて頭から血を流そうとも勝負をやめなかった。

 それは彼が言った通り、「約束だったらどんなことでも守る」という言葉が嘘ではなかったからなのか、それとも、ただの偶然だろうか。……いや、偶然にしてはできすぎている。

「……」

 それから気になることはまだある。組合には三年前に来たとのことだが、『京谷要』という名前しか登録されていなかったらしい。となるとこの男は……本当に何者なのだろうか。

 小夜は悩み続ける。考えれば考えるほど思考がこんがらがり、どれが嘘なのか、どれが本当なのか、それとも知らぬ間に『嘘』を信じ込まされているのか何も分からない。

 この男は、本当に嘘つきなのだろうか。

「あはは。悩んでるねえ」

 と、隣に座る要は他人事たにんごとのような声で言う。

「僕は嘘なんかつかないよ。さっきの勝負でも嘘は言ってない。あ、一つ大きな嘘はついたけど」

「……いい加減にしてくださいよ。そんな嘘はもういいです」

「だから僕、嘘なんか言ってないよ」

「それが、嘘なんでしょう?」

「あはは。それはどうだろうねえ」

 と要は笑い、二人の視線が重なる。小夜のブラウンの瞳の中には、自称「嘘つき」が『どっちだと思う?』とでも言いたげな表情で映っている。

「僕、最初からほとんど嘘なんかついてないよ」

 と、自称「嘘つき」は言う。その言葉は真実か嘘か、小夜には分からない。

「僕は『嘘なんかついてない』って言ってるのに、小夜ちゃんは『僕の言葉は全部が嘘』だと思ってるんだよね?」

「……まあ、そうですね。自分のことを『嘘つきだ』と言っている人間を信用しろというのは無理な話だと思いますけど……」

「じゃあさ、ちょっとした賭けでもしない?」

「賭け?」

「うん。そうだなあ。えーっと……」

 と要は少し考える仕草をすると、言った。

「この僕……『自称嘘つきは、嘘つきか正直者かどっちなのか』っていうのはどう?」

「はい?」

 と、小夜はさらに聞き返す。

「分かりやすく言うと、僕が『嘘つき』か『正直者』かを当てるだけ。それなら簡単でしょ? ちょっとでも僕のこと追い詰めたら、小夜ちゃんの勝ちでいいよ」

「……」

「疑ってるねえ。僕はさ、勝負が始まる前だったらだまさないよ。嘘もつかない。ホントだよ」

 要はそう言って目を細める。

「小夜ちゃんが僕を追い詰めて……僕に勝ったら、他に隠してることを全部教えるよ。小夜ちゃんが知りたいことでも、僕の……本当の正体でもね。それと……」

 と、要は窓の外を見ながら加える。

「……三年前、僕がどうやって死んだのか……僕が本当はどんな人間だったのか……それも教えてあげる」

 その声はいつもの飄々ひょうひょうとしているものではなく、静かな波のような声色だった。

「……私が、何の答えも出せずにあなたに負けたら?」

 少し間を空けて、小夜は聞いた。

 外の景色から視線を戻し、

「その時は、同じ死に方しようかな。今度は自分から、建物の屋上から飛び降りるよ」

 要はそう言って、かすかに笑った。

「……矛盾してます。『死ぬのは怖い』と言っていたのも嘘だったんですか?」

「それはウソじゃないよ。高い所は見上げるだけでも怖くて震えちゃう」

「じゃあ、なぜ……」

「小夜ちゃんが負けて僕が死んだら、小夜ちゃんは僕が『嘘つき』か『正直者』か、僕の言葉が『嘘』なのか『本当』なのかも永遠に分かんないままだ。

 僕も自分の弱点を賭けるんだ。これぐらいはしなきゃねえ。

 僕から言える条件はこんなもんかな。どうする? 小夜ちゃん」

「……」

 小夜は顎に手を当て、少し悩む。確かに、その勝負は受けない理由がないように思える。しかし、この男が『本当のことを言う』という根拠こんきょもない。どうすればいいのだろうか。

「ああそうだ。参考までに言っておくけど、ある条件下ではただの人間でも……それこそ小夜ちゃんでも僕に勝てるよ」

 と要は言った。また適当なことを言っているなと小夜はそれを無視した。

 小夜は要の横顔をちらりと見る。

「勝てば知りたいこと全部分かるんだよ? それは魅力的みりょくてきだと思うけどなあ」

 と、要は言う。とても勝負を提案した張本人とは思えない。

 小夜は口から息を吐き、頭の中を埋め尽くす思考を消し飛ばす。

「……分かりました。その賭け、受けますよ」

 そして、提案された勝負を受けた。

「ですが、一ついいですか?」

「うん。なに?」

「もしも私が勝ったら、今後私には一つも嘘をつかないでください。いちいち疑うのはキリがないので」

「それは、条件かな? それとも約束?」

「両方です。私が勝ったら、あなたは他に隠していることを全て話す。それと、今後私には一つも嘘をつかない。嘘つきだけど約束は守るんでしょう?」

「いいよ。約束なら守らなきゃね。でもいいの? 僕、嘘つきだよ?」

「ひとまず、その『約束は守る』ということだけは信じてあげますよ。なんなら指切りでもします?」

「え? それなんて冗談? 冗談なら、いい歳してお漏らししたってことだけにしてくれるかなあ」

 と要は笑いながら言う。小夜の顔がひく、と引きつった。と同時に、やっぱり勝負を受けたことを取り消そうかと思ったが、一度勝負を受けた以上引き下がるのはよくないと思い、取り消すのはやめた。

 それからしばらく、会話が途切れた。小夜はその間にすっかり冷えたポテトを食べ終え、紙コップに入ったコーヒーの半分を飲み干した。

「……あの死体、あなたがやったんですか?」

 ふと小夜が聞いた。その声は先程までの雑談とは違い、わずかに緊張が乗っている。仕事の話に切り替えた声だった。

「どれのこと?」

 窓の外に目を向けている要は、そう聞き返してきた。予想外の返答に、小夜は一瞬憮然ぶぜんとした表情を浮かべる。

「向かいのソファに座っていた……」

「ああ、あれね。うん、僕だよ」

 要はなおも窓の外を見ている。

「というかさ、僕以外ありえないでしょ。分かってるくせに」

 と、要は顔を動かして小夜の方を見る。

「……そうですね。あの事務所から、あなたの指紋が出るはずですから」

 小夜はそう返すと、目的地を捜査室へ決めて車のエンジンをかける。

「そうだねえ。出るといいよねえ、僕の指紋」

 まるで抽選の結果待ちのように、要はにこにこと笑う。

「勝てるといいね、小夜ちゃん。この僕に。この、嘘つきの僕に。

『嘘つき』か『正直者』か、僕はどっちだろうねえ」

 そう言って彼は微笑みを向ける。

「僕は嘘つきだよ。これは嘘じゃない。でも僕は、約束だったらどんなことでも守るよ」

 と自称「嘘つき」はまりもんのようになった言葉を言う。

『約束は守る』ということも嘘ではないのならば、『嘘つきだ』という言葉も真実なのだろうか。だとしたら、いったいいつからこの男におどらされていたのだろう。

 らぬに『嘘』を『真実』だと錯覚さっかくさせられ、ずっとそれを信じていたのだろうか。

 だとしたらこの男は、いったいいつから『嘘つき』をかたっていたのだろう。

 小夜は次々と頭に浮かぶ疑問を無理やり消し、車を発進させた。

 

 その数分後。

「ど、どういうことですか!」

 小夜は思わず机を両手で叩き、前のめりになっていた。

 小夜がいる部屋は、片方の壁がマジックミラーになっている取り調べ室だ。入り口側の席には、頭の後ろで手を組んだ要が椅子を揺らしている。

「確かに私は、彼と一緒に……」

「そう言われてもよおう。何も出てきてねえんだし、おげだろ。そういうわけで、帰っていいぞー。要くん……だっけえ?」

 と、部屋の奥側……要の向かいに座る男がクリップボードに挟まれた報告書をめくりながら言った。

 この男の名をいずみこうてるよしという。小夜が所属する異能力事件専門捜査室の室長であり、小夜の父親である。

 年のころは四十後半あたりか。まばらに生えたあごひげが年齢を感じさせる。濃い茶色の髪を軽くワックスで後ろに流し、ぴっしりときめたスーツに黒いネクタイと黒いズボン。どこかの重役じゅうやくに間違われてもおかしくない格好だ。

 三人がいるのは警視庁の地下六階である。そこに異能力事件専門捜査室の日本支部があるのだ。この組織があることは、もちろん警視庁の案内板あんないばんにも明記めいきされていない。捜査室の存在を知っているのは、ほんのひとにぎりの上層部のみとなっている。

 ちなみに現在の警視けいし総監そうかんは、異能力者登録組合のぜん会長かいちょう風見萃かざみかなめの長男である。彼のほかの肩書きは『風見家当主代理』となっている。

「帰っていいなら帰りますけどね。あ、そういえば小夜ちゃん。組合の閉館時間過ぎてるんだけど……」

「ちょ……ちょっと待ってくださいよ!」

「うわ、びっくりしたあ。いきなり服を掴まないでくれるかなあ?」

 小夜は、立ち上がって部屋を出ようとする要の服を掴んでめる。

「……おーい小夜ちゃん。聞こえなかったのかあ? 帰らせていいって言ったんだよ」

 報告書から目だけを向けて、照良が言う。みょう語尾ごびを伸ばした、だらしない口調である。

「で、でも室長! 私は確かに、彼と一緒にいたんですよ。それなのに、指紋も靴の跡も出てきてないなんて……そんなのおかしいじゃないですか!」

「そうは言ってもなあ、実際何も出てきてねえんだし。はなしてやれよお」

「で、でも……」

「『でも』も何もねえだろお? 上司の命令には黙ってうなずくもんだぜえ?」

「ですが……」

 なおも要の服から手を離さない小夜を見て、照良は一つ息を吐く。

「……まあよう。あんまり終わったことは言いたくねえんだが、本来の仕事をほうったらかして変なことにくびんだあげくへんやつを連れてきたことは、もういい。俺もなあ、終わったことは言いたくねえ。連絡もせずに事後報告なんて教えてもねえことをやらかしたのも、もういいわ」

 上司の口調は軽いが、言葉ことば端々はしばしに静かな苛立ちが込められていることは小夜にも分かった。

「実はさっき東條さんから電話があってなあ、『もしかして捜査官の人が来るのは明日だった?』って言われてよおう。『本当にすみません。明日改めて行かせます』って言っといたからよおう、明日行ったら一番に謝っとけよ。俺、同じ人に二回も謝るなんて嫌だぜえ」

 と照良はわざわざ相手の真似まねをしながら言った。東條とうじょうなる人物が、小夜が本来会うはずだった『情報屋』である。

「す、すみませんでした……」

「謝る相手が違うんじゃねえのお?」

「……明日、改めて謝罪に行ってきます……」

「おう。んじゃおつかれー」

 照良は渡された報告者から目も上げずに小夜に言う。小夜はようやく掴んでいた要の服から手を離した。

「それにしても……よく分かんねえ事件だよなあ。こうも同じような事件が続くと、頭がどうにかなりそう……」

 と、不意ふいに照良の言葉が止まった。その視線は小夜が渡した報告書ではなく、二年前の現場写真に向いている。

「おい小夜ちゃん」

 名前を呼ばれ、小夜はびくっと小さく体を跳ねさせた。

「……な、なんですか? 室長……」

 嫌な予感を胸にかかえながら聞き返す。上司が真面目まじめな声で言う時は大抵たいていろくなことじゃない。そのことを、小夜は経験をかさねて知っている。大量の雑用を押しつけられる時か、「これやっといて」と提出期限が一時間後の書類を渡される時だ。

 しかし照良が言ったのは意外な言葉だった。

「すまん。今から東條さんの所に行ってこい。まだ起きてるはずだ」

「……今からですか?」

「おう。上司命令な。連絡は……しなくてもいいか。じゃ、よろしくー。

 あー、そっちのきみはちょっと残ってもらおうかなあ。俺と楽しいおしゃべりでもしようぜえ」

「そ、そう言われましても……もう組合は閉館時間を過ぎているんですけど……。どうすれば……」

「小夜ちゃん、裏口が開いてるよ。見回り当番で誰かはいるからさ、そこで話してみたらいいんじゃない?」

 と椅子に座り直しながら要が言う。組合内では、一部の住んでいる能力者が夜勤を担当していると聞いたことがある。それを小夜は思い出した。

「分かりましたよ……。行ってきます」

 そう言うと、小夜は取り調べ室から出た。

 扉が閉まると同時、先に口を開いたのは照良だ。

「……君よお、さっきの素晴すばらしい自己紹介、もう一回お願いしてもいいかねえ」

「ああ、はい。もちろんですよ」

 要は微笑ほほえんで話し始める。

「僕の名前は京谷きょうやかなめ。普段は隔離棟の206号室に住んでます。組合のみんなからは『嘘つき』って言われてますね。まあそれなりのことをやっているので、悪評あくひょうの方が多いと思いますねえ。あはは。

 組合に登録したのは……いや、僕が死んだのは三年前です。親友だと思ってた奴に屋上から突き落とされました。

 それで、僕の持っている能力は二つ。『相手に自分の情報を与えない』ことと『嘘を信じ込ませる』ことです。二つの対価を簡単に言うと……『相手の考えていることが常に分かる』ということと、『使うたびに記憶が消えていく』ということです。だから、こっちの方はあんまり使いませんね。あ、今はもちろん使ってませんよ。

 それと……僕はこうなる時に神サマとある約束をしました。だからこの二年で一人ずつ、能力者を賭けで殺しました。聞きたいのなら、二人をどうやって殺したかも言いましょうか?」

 と口角こうかくを上げ、要が話し終える。

「いやいや、すげえなあ。感動しちまったぜえ。ありがとなあ」

 ゆっくりと拍手をしながら照良が言う。明らかに発した言葉に感情が乗っていない。

「ところでよお、これ」

 と照良はクリップボードから紙を一枚抜き出し、ばさりと投げ捨てるようにして机の上にすべらせる。

 要の目が動き、投げられた紙に向く。それは拡大された一枚の写真だった。巨大な観覧車ともよおものをする広場のような所が写っている。要の姿がほんの一瞬……ジジと乱れる。

「……これが何か?」

 と写真から視線を上げ、要は聞く。

「これな、さっき見て気づいたんだが……なかったもんが写ってる。どういうことかなあ?」

 照良は、広場の真ん中を指さす。要も照良の指の先を見つめるが、そこには何も写っていない。

「君が言った通りの『情報を与えない』っていう能力かなあ? だとしたら、なんでこのタイミングなのかって思わねえ?」

「さあ? 僕かもしれないし、僕じゃないかもしれませんね。そんな能力を持った友達……いたような……いなかったような。ちょっとこころたりはないですねえ」

「ああそうかよ」

 軽く笑いながら言うと、ふと照良は言った。

「そういえばよお、君の『かなめ』って名前、『風見萃かざみかなめ』と同じだよなあ。もしかして……本人とか言うんじゃねえだろなあ」

「あはは。それは面白い推理すいりですね。風見萃は三年前に死んだじゃないですか」

「はははは。そうだよなあ。ベッドの上でみてえになっちまってよおう。ありゃ大爆笑したぜえ」

「そうですか……」

 要の姿がジジ、とほんの一秒にも満たない時間、乱れる。

「君はもしかして、あいつの親戚とかなのかなあ?」

「……やめてくださいよ。僕はただの『嘘つき』ですから」

「息子……孫……かくとかかあ?」

 照良は独り言のように言っている。要の目の周りの筋肉が、一瞬ぴくりと動いた。

「……名前が同じだからそういうのはよく言われますけど、僕はただの……『嘘つき』ですから」

 と要は言う。その表情は薄く微笑んでいるようにも見えるし、どこかかななようにも見える。

「ふぅん。嘘つき……ねぇ」

 ぎし、と照良は椅子に座り直すと、上着のポケットから何かを取り出して机の上に転がす。すぐにそれを見て、要の表情がわずかに固くなった。

 照良が出したのは、なん変哲へんてつもない二つのサイコロ。だがこんなものでも「勝負」にはなる。

 その内の一つを指でつまみながら、照良は言う。

「いいねぇ。本当に嘘つきなのか勝負しようぜ。どこまでそんなくだらねえ嘘をけるのか、見ものだなあ」

 部屋の出入り口をちらりと見て、無駄と分かりながらも要は言ってみる。

「……用事を思い出したので、帰ってもいいですか?」

「ああいいぜえ。その前に、ちょっと賭けでもしねえ?」

 と照良はにっこり笑う。要の表情は固いままだ。

 能力者はなぜか“賭け”にかれ、こばめない。

 それが最大の弱点でもあり、何よりも優先される本能。そして……ただの人間でも勝てる唯一の方法だ。

 それはもちろん。この、自分のことを「嘘つきだ」という男も例外ではない。

 要はすぐに、

「いいですよ。どんな勝負をしますか?」

 迷う様子もなく、その提案を受けた。

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