【その男、自称「嘘つき」】⑦

 過去から意識を戻したレイジは目の前に座る男を改めて見つめ、じっと観察する。

「ねえ小夜ちゃん、これ、カード追加した方がいいと思う?」

 当の本人は隣の女にそう聞いている。なんだこいつ、素人しろうとかとレイジは思った。

 そこに少し違和感を覚えるところもあるが、この男が素人かどうかはそこまで考える程のことでもない。

 引っかかるのは、落ち着きすぎていることだ。少なくとも一回以上は能力者と勝負をしたことがあるだろう。だとしても、とレイジは手札を持っていない手で顎をでる。

「自分の全て」と「付き添いの女」を賭けた意図いとが分からない。勝つ自信があるのか、それとも何かさくがあるのか。それにくわえて、勝負の前に言った「嘘か本当かは別として」という言葉。

 こいつ、いったい何を考えている。

 レイジは要の顔を見つめ、そう思う。

直感ちょっかんでいいからさ、どう思う?」

「な、なんで私に聞くんですか……自分でなんとかしてくださいよ。だ、だいたいこんな手札で増やすも何も……」

 そこで小夜がハッとした顔で口をふさぎ、ちらりとレイジのほうに目をやる。レイジは、馬鹿かこいつ、と思いにやりと口角を上げて見せつける。どうやら男より女の方が素人だったらしい。

「変えなくていいのか? 二回までなら手札を増やせるぞ?」

 レイジはわざとらしく要にそう言う。小夜が気まずそうにレイジから視線をらした。

「いいよ、僕はこれでいこう」

 とカードの追加も変更もせず、要は手札をテーブルの上にほうる。レイジも続いて自分の手札をに出す。

 要が持っていたのは、スペードの9とクラブの7。合計は16。

 たいしてレイジは、クラブのKとスペードのJ。合計は20。

 一回戦目はレイジの勝ちである。

「あーあ、負けちゃった。まあ、まだ二回あるからさ、次で頑張がんばろっかなあ」

 それから表情を一切変えることなく、要はこう言った。

「それじゃあ一個目のヒントを教えてあげよう。僕の持つ能力の一つはね、『嘘を信じ込ませる』ことだよ」と。

「……はあ?」

 使ったカードを箱に仕舞っているレイジは、眉間にしわを寄せて聞き返した。

「何言ってやがる。嘘を言うんじゃねえ」

「嘘じゃないよ。僕は、本当のことしか言わないよ」

「……ああそうかよ」

 とレイジは適当に返す。面倒めんどうくせえ奴だとその表情が言っていた。要の横では、あきてたような顔で小夜がひたいを押さえている。

「一回目のヒントはそれね。じゃ、次やろっか」

 まったく馬鹿な奴と勝負をすることになったなと思いながら、レイジは山札から二枚を要に配り、自身にも二枚配って山札をテーブルに戻した。

 レイジは自身に配ったカードを見る。ハートのKとハートのA。運が味方しているようだ。レイジは小さく鼻を鳴らして笑った。

「あー、僕は一枚チェンジしようかな。取っていい?」

 と要が言うと、レイジは無言でどうぞとうながした。その顔には、もはや絶対に負けることはない手札を持つゆえの余裕が浮かんでいる。

 要は手札から一枚場に捨て、山札から一枚取る。

「うーん……これはどうしよっかな。ねえ小夜ちゃん、どう思う?」

 と要はまた、隣の小夜に聞いている。

「だ、だからなんで私に聞くんですか……」

 言いながら要の手札に目をやった小夜の表情が、一瞬くもった。

 レイジは口角を吊り上げ、女の方はずぶの素人かよと小夜の顔を見つめる。カードゲームの時に表情を出すなど、相手に自分の手札を教えているのと同じである。

「僕はこれで出すよ。そっちは?」

 レイジは答えることなく、無言で手札を放った。

 レイジが出したのは、ハートのKとハートのA。合計は21。

 対する要の手札は、スペードの8とダイヤのA。合計は19。

 またもや要の敗北だった。

「うわ、また負けちゃった。運がいいんだねえ。それとも……それ自体じたいが能力なのかな?」

 もう後がないというのに要は呑気のんきなことを言い、隣では小夜が頭を抱えている。

「大丈夫だって。まだあと一回あるからさ」

 と言って要は、そんな小夜の肩を軽く叩く。小夜は横目で要をにらんだ。

「じゃあ二つ目のヒントだけど……何を言ったら分かるかなあ」

 ここまで負けておいてもう後がないというのに、この男は何を言っているのだろうか。小夜は隣に顔を向け、要の横顔を凝視する。

「ん?」

 と、視線に気づいた要が小夜と目を合わせる。もしかして、と小夜の頭の中にある言葉がふと浮かんだ。

 もしかして、わざと負けているんじゃないか……?

「だとしたら、どうする?」

 要が、にやりとした。

「……なんてね。いくら僕が強いからって、そんな弱い者いじめみたいなことはしないよ」

 そう言うと、要はレイジの方へと顔を戻した。

「二つ目のヒントを言う前に、言い忘れたことがあったよ」

 要はレイジの目を見つめ、こう言った。

「『相手に自分の情報を与えない』こと。それが、僕の持つもう一つの能力だ」

 誰も何も言っていないのに、要は話し始める。

「『与えない』能力っていうのはそのままの意味で、僕が『与えてもいい』って思ったことしか相手は認識できなくなるんだ。

 例えば服とかの見た目とか、どんな声をしているのか何を持っているのかとか、それらを僕の見せたいように見せることができるって言ったら分かりやすいかなあ。だからこれ、使いようによっては誰にでもなれちゃうんだよ。

 自分より小さいものとか動物とか、こまかいかいにはなれないんだけど」

 要は二回戦目の自分の手札で遊びながら話を続ける。レイジはそれを黙って聞いている。

「それでその対価として、僕の頭にはつねにいろんな情報が流れ込んでくる。信号があと何秒で青に変わるのかっていう小さなことから、相手が何を考えているかっていうことまでね。

 でも、弱点はすごく多い。不意打ふいうちとかには対応できないし、物や人間が多いほど僕は動けなくなる。

 言うより見せた方が早いかな。じゃ、よく見ててね」

 と要は持っている二枚のカードをレイジに見せる。スペードの8とダイヤのAだ。

「んー……上手うまくできるかなあ。ちょっと待ってね」

 要は右手の指を何回か鳴らし、綺麗な音が出るか確認をする。

「……よし、じゃあ行くよ。ワン・ツー・スリー」

 パチンという音とともに、二枚のカードに一瞬、ジジ、と砂嵐すなあらしのようなものがよぎる。その一秒後にはスペードの8とダイヤのAは絵柄えがらも数字も消え、白紙はくしのカードになっていた。

「……ほお」

 とレイジは声を漏らした。驚きでも呆れでもなかった。つまらない余興よきょうを見せられた時のような表情を浮かべていた。

「お前、『前』は手品師てじなしだったのか? てっきり詐欺師さぎしかと思ったが」

 レイジが言うと、部屋にさざ波のような嘲笑ちょうしょうが起こった。

「前の僕は手品師でも詐欺師でもないよ。ただの……人間だよ。ただのね」

 と要は言った。今度は指を鳴らさずとも、勝手に白紙のカードがジジと乱れスペードの8とダイヤのAへと戻った。

「知ってるか? 嘘つきほど聞いてもねえことをべらべら喋るんだぜ。お前のそれも、結局はただのハッタリとイカサマだろう?」

「そうかもしれないね。でも僕は、そこまで器用きようじゃないよ」

 要は、元に戻った二枚のカードを後ろに投げ捨てる。

「僕は嘘つきだけど、嘘をつくのは得意じゃない。イカサマをするのも、他人を騙すのもね。それに、嘘は嫌いだよ」

「っは」

 要の言葉に、レイジはすかさず鼻で笑う。もはやレイジは、要に対しての警戒を半分以上いていた。二人の間に流れる空気は、命を賭ける勝負の場ではなく酒を飲みながらくだらない談笑だんしょうをする席になりかけている。

「僕は嘘つきだよ。これは間違いじゃないし、自分でもそう思ってる。

 でもね、僕は自分で『嘘つきだ』なんて言ってるけど、僕自身、本当はどっちなのか分かんないんだよねえ」

「おいおい、ウソツキならもっとマシな嘘を言ってみろよ」

「もっとマシな嘘ねえ……。僕は最初から、嘘なんかついてないんだけどなあ」

 と要は鼻の頭をぽりぽり掻く。とても、もうあとがない人間の態度とは思えない。

 それを目にしたレイジの胸の中に、じわりとしみのようなものが浮き上がる。

 こいつはもう、本当に後がないはずだ。次負けたら全てが終わり。そのはずだ。なのにどうして、とレイジは思う。

 なぜこいつは、まだ笑っていられる。

 そう、思ってしまったのがいけなかった。一度にじんだその言葉は、まるで水面すいめんに広がる波紋はもんのようにじわじわと心をむしばんでいく。

 こいつはまだ何かを隠しているかもしれない。こいつの言葉は全てが嘘かもしれない。もしかしたら、何か別の能力を持っているかもしれない……ふっと浮かんだだけの「かもしれない」という可能性が、次々つぎつぎとレイジの頭の中を埋め尽くしていく。

「あ、そうだ。次が最後だよね。だったらさ、最後は小夜ちゃんに配ってもらおうよ。それで泣いても叫んでも終わり。どう?」

「……ああ、いいぜ」

 レイジはあふれてくる可能性から視線を外し、気のせいだと自分に言い聞かせた。

「……次が最後だ。後悔すんなよ?」

「後悔なんていっぱいしてるよ。こうなる前からも、こうなった後もね」

 変わらない口調と声で要は言う。だがその横顔を見ていた小夜には、その微笑みがわずかに悲しげに見えたのは、気のせいだろうか。

「それじゃ、小夜ちゃんよろしくね。そのままの山札から配るんだよ。あ、シャッフルできる?」

「……あ、あまりその、期待しないでくださいよ……?」

 と言って小夜は、テーブルの上にある山札に手を伸ばす。

 深海しんかいのような重苦おもくるしい空気がただよう部屋の中に、ぎこちなく山札をまぜる音だけが静かに響く。

 その中で、レイジが要に聞いた。

「……お前、本当に自分がウソツキだと思ってんのか?」

 要はすぐに答える。

「まあ間違っちゃいないからね。僕は嘘つきだよ」

「さっきは、自分がどっちか分かんねえとか言ってなかったか?」

「そうだよ。僕は本当に嘘つきかもしれないし、嘘なんか一つもついてないかもしれない。どっちだと思う?」

 要の黒い眼が、レイジを見つめる。全ての闇をまぜ込んだような、黒の瞳。

「……できました。配りますよ」

 そこで、山札をまぜ終わった小夜が口をはさむ。

 そのまま二人に二枚ずつ配るが、どちらも自分の手札を見ようとしない。膠着こうちゃく状態のように相手の目を見つめ合っている。

 要が言った。

「僕は人を騙す気なんかないよ。僕は自分のことを『嘘つきだ』って言ってるだけ。人を騙す気もないし、手先も器用じゃないからイカサマもできない。これはホントだよ。それで、どっちかと言うと嘘も嫌いかなあ。

 ねえ、僕が君を本気で騙そうとしてたのって、いつからだと思う?」

「……」

 レイジは答えない。

「僕はね、簡単で分かりやすいのが好きだよ。なんでもね。

 だから僕は最初からずっと言ってるよ。僕は最初から――」

 次の瞬間、要の頭に重い何かが振り下ろされた。鉄のような物が固い何かにぶつかった音がして、「ひっ!」と小夜が小さく悲鳴を上げる。

 レイジも想定外だったのだろう。三白眼を見開かせて要を……正確には、その後ろの部下を見つめている。

 聞こえた重い音は、要の後ろに立っていた男が銃の持ち手で要の後頭部を殴った音だった。

 要の後頭部からどろりと赤い液体がし、ほほつたって床に落ちる。要は下を向いたまま微動びどうだにしない。癖毛の前髪が顔の上半分をおおってその表情を隠している。

「へへ、もういいじゃないですか。こいつら、もう負けが確定してるもんでしょ。あと一戦いっせんなんてしなくてもいいじゃないっすか」

 要を殴った男がへらへらする。

「……それはお前らの都合つごうだろうが。オレらの勝負は邪魔すんじゃねえ」

 レイジはその部下を睨みながら言った。

「……はは、そうだね。勝負の途中に邪魔はしちゃ、いけないよねえ」

 と、ぼそりと聞こえる要の声。

 そのときどこからか、チキ、カチという小さな音が聞こえた。小夜の脳裏になぜか射撃訓練場の場面が浮かぶ。さっき聞こえた小さな音は、銃の発射前におこな動作音どうさおんに似て――。

 そう思った一秒後、大きな花火が爆発したような音が部屋の空気を切り裂いた。

 麻痺まひする鼓膜こまくで確かに聞く、からんと薬莢やっきょうが床に落ちる音。射撃訓練の時にしか嗅いだことのない硝煙しょうえんの匂い。立っていた人間が床にたおす音。

 小夜はゆっくりと隣を見る。要の手には、銃口から煙を上げている拳銃が握られていた。そこで小夜はようやく、隣に座る男が自分を殴った人間に向けて発砲したのだと理解した。

「あ、ごめん。当たっちゃった。意外と適当に狙っても当たるもんなんだねえ。はは」

 血の匂いと硝煙と静寂せいじゃくが支配する部屋の中で、そんな軽い笑いだけが響く。

「あ、小夜ちゃんカード配ってくれたんだね。ありがと。じゃ、最後の勝負をやろっか」

 と言って、要は手にある銃を放り捨てる。頭からとめどなく血を流していても、その顔からは薄い笑みが消えていない。

 なぜ、と困惑する小夜の脳内が恐怖へと切り替わる。なぜこの男はこんなに追い詰められていてもまだ笑っていられるのだろうか。

 怖いと思うのは、この部屋の重苦しい空気が、か。それとも隣のこの男が、だろうか。

「て、てめえ!」

 誰かが叫んだと同時、要の後頭部に強く銃口が当てがわれる。その勢いに押され、要の頭がわずかに前へ動いた。

「待て、まだ勝負の途中だ。撃つんじゃねえ」

 軽く左手を上げ、レイジが引き金に指をかける男を止める。

「そ、そんなもん関係ねえ! もう二人やられたんだぞ!」

「……それでも、待て」

 止めるレイジの声は低く、今までのような軽い感情は一切混じっていない。

「あはは。いい判断だねえ。なんだ、馬鹿だと思ったけどちゃんと考えてるんだね」

 と要が言う。黙れと言わんばかりに銃口に押され、要の頭が大きく揺れる。それでも要は喋るのをやめない。

「だってほら、僕が『相手が撃った瞬間に』発動する能力を持っているかもしれないもんねえ」

「……」

 レイジは何も返さず、要を睨みつけているだけだ。

「僕を撃ってもいいけどさあ、そうしたらこの勝負は途中でナシになったってことだよねえ。うわ、最高の勝利だね。ここまで引っ張ってあっけない勝利。まさかの相手を撃ち殺して全部おしまい。

 うわーおめでとう! すごーい最高! なん面白おもしろみもない勝利おめでとうー!」

 要はにやけながら、ぱちぱちと適当に拍手はくしゅをする。

 レイジは拳を握りこんで要を睨んでいる。そのこめかみにくっきりと浮かぶ血管。

 小夜から見ても分かった。あれは、抑えこんだ怒りが頂点を超える寸前の顔だ。

「こんなちょっとしたアクシデントじゃあ、僕はやめないよ。まだうでとかおなかにも穴はいてないし、目も見える。それに、脳みそをぐちゃぐちゃかき回されてもない。こうやっておしゃべりする声が残ってるうちは、僕は勝負を続けるよ」

 要はさらりと、殴られたことを「ちょっとしたアクシデント」と言い放った。

 要は配られた二枚のカードを取り、レイジに向けて微笑みかける。

「ほら、取りなよ。最後の勝負だ。それとも……ビビっちゃった?」

「……」

 レイジは動こうとしない。

 少なくとも彼には、「賭け」で勝敗を決める『能力者』としてのプライドがある。だからこそ、勝負の途中で割り込んできた部下を止めてきた。勝負の途中で相手を撃ち殺して勝つなど、そんな勝利は『能力者』のプライドが許さなかった。

 どんな小さな“賭け”でも逃げられない彼らだが、もちろんその勝敗のけっし方には、当然勝負が決まる前に相手を殺して勝利を得るという人間もいる。レイジのように「勝負」に固執する方が珍しい。レイジは、自分が能力者たちの中で異端いたん的存在であることを自覚している。

 レイジは少し間を置いて息を吐くと、視線だけを向けて銃を下ろせと命令する。そして配られたカードを取って見る。最後の手札はクラブの9とダイヤのK。合計は19だ。最後にしてはいいカードだとレイジは思った。

「あ、小夜ちゃん一枚チェンジ」

 と要は手札から一枚カードを捨て、小夜が山札から一枚取って要に配る。

「うん、いいね。いい手札だ。もう一枚追加したいけど、21をえそうだからやめておこうかな。僕はこれでホールドするよ」

 どうやら、今の手札で勝負するらしい。レイジはさとられないように要の目を見つめ、ここで初めて自身の能力を発動させる。

 テレビのチャンネルが切り替わるように、自分が見ている景色が一変いっぺんした。

 レイジの目に映るのは、二枚のカードを持っている自分のものではない両手と、正面に座る自分の姿。レイジは今、要の視点で物を見ていた。

 レイジの持つ能力は《目を合わせた生物せいぶつの視界を見る》こと。対価として能力を使った時間だけ自分の視界が暗転あんてんするのだが、相手の手札を見るだけに一分もかからないだろう。それに、たかが一分程度目が見えなくなることなど大した問題ではない。

 能力を発動させたレイジは、要の持っている手札を探る。

 その手にあったのは……ハートの3とクラブの2。

「……ふ、」

 レイジは口を押さえ、笑いだしそうになるのを必死にこらえる。驚愕きょうがくだった。どんな強い手札で勝負をするのかと思いきや、運がないとしか言いようのないカードだった。

 もういいだろうと、レイジは能力を解除する。それに、この男はすでに手札を決めたと言ったのだ。一度ホールドをかけた以上、もうカードの追加も変更もできない。

「本当に、それでいいのか?」

 笑いを含ませて、レイジは聞いた。

「うん、いいよ。僕はこれで勝負する」

 と要は言った。合計がたった5の手札で。

墓石はかいしにはなんて書きゃいいんだ? 『間抜まぬけなウソツキ』か? それとも『馬鹿な正直者』か?」

 とレイジが聞く。合計が19の手札を持って。

「そうだねえ。こう書いてよ。『正直者の嘘つき、ここに眠る』ってさ」

 と要は返す。その手には、どう考えても負ける手札しかない。

「僕はさあ、嘘つきだけど約束は守るよ。この勝負を始める前、小夜ちゃんから『絶対に勝って』って言われて、僕は『分かった』って勝つ約束をした。だからこの勝負、勝たせてもらうよ」

 ふん、とレイジはすぐさま鼻で笑う。

「そんな手札で何を言ってやがる。かずかぞえられなくなったのか?」

 もはや手札を見たということを隠す必要もない。レイジは勝利を確信した声で言う。

「勝負は最後まで分かんないよ。それとさあ」

 と、要は言った。

「ちょっと、僕のことめすぎじゃない?」

 その瞬間、レイジの身体からだをぞわりと悪寒おかんめぐった。今までと同じく軽い口調だが、わずかに暗さをびたその声にレイジは思わず、う、と気圧けおされる。刃物を喉元のどもとに当てられたかと錯覚さっかくするほどの冷たい眼差まなざしと声だった。

 レイジのこめかみから、一筋ひとすじの汗が流れる。

「……お前、いかれてるな。今まで勝負したどいつよりも、お前が一番、頭がどうかしてやがる」

「あはは。そりゃどうも。じゃあ最後に、もう一度言ってあげようかな」

 要はレイジの目を見つめ返し、

「宣言しよう。僕は本当に嘘つきで、ここに来てから今まで一つも嘘は言ってない。さあこれは、嘘か嘘じゃないのか、どっちかな?」

 そう言って、軽く微笑みかけた。

「そしてもう一つ。レイジ君。僕が負けるたびに言ってきたヒントを君がそのまま全部言うと、君の勝ちだよ」

「馬鹿言うんじゃねえ。くだらねえウソはやめろ」

 と、すかさずレイジは返す。

「ああそう。そう思うんだね。じゃあそれでいいよ。僕の言葉は全部がウソで、僕は嘘つきじゃない。……それでいいんだね?」

「……」

 レイジは何も言わなかった。うなずきすらも、否定ひていすらも。

「最後は同時に出そうよ。それで終わりだ。じゃあいくよ。せーの」

 要の言葉で、二人同時にテーブルの上へ手札を放る。

 表になったカードが四枚。

 ハートの3とクラブの2。

 クラブの9とダイヤのK。

「……お前の負けだ。ウソツキめ。あの世で自分が勝ったとでも言いふらしておくんだな」

 再び要の後頭部に銃口が突き付けられる。すぐに聞こえる撃鉄を起こすカチリという音。小夜は顔面を蒼白そうはくにさせて固まっていた。まるで、逃げるということを忘れてしまったかのようだった。

 銃口に押され、要の頭が下を向いて表情が見えなくなる。

「……ふ、ふふ、ふふふっ……」

 聞こえた笑いに、小夜は隣を見る。要が肩を揺らして笑っていた。

「……あのさあ、出した四枚のカード、もう一回よく見てごらんよ」

「あ?」

「いいからさ、殺される前にこれだけは聞いてほしいなあ」

 と要はテーブルの上を指さす。面倒くさそうに舌打ちをして、レイジは言われた通り四枚のカードに視線を向ける。

 クラブの9とダイヤのK。

 ハートの3とクラブの2。

 何も変わったところはない。

 下を向いたまま、要は言った。

「僕を本気で潰したかったら、最低でも自分の両耳を切り落とすか僕の声が聞こえない距離まで離れないと、僕には勝てないよ。まあ、それができてたらこんな簡単な勝負はしなかっただろうね。つまり君は、最初から僕をめすぎてたんだよ」

 そして顔を上げ、魅力的みりょくてきな笑顔を向けてレイジにこう言った。

「弱い方が君の手札でしょ? だから君の負けだ。お疲れ様」

「ああ、そうだな。弱い方がオレの手札だ。だから、オレの負けだな」

 レイジは自然にそう返した後、

「…………あ?」

 何が起こったか分からない顔をして固まる。まさかの言葉に、レイジの部下たちも彫像ちょうぞうのように動きを停止させている。

「い、いや、オレは確かに……」

 レイジはもう一度四枚のカードを見る。確かに、自分の手札はクラブの9とダイヤのKだった。能力で奴の手札も見た。

 それなのに、なぜとレイジは思う。自分の口から出た言葉が信じられなかった。

「あれあれ、言わなきゃ分かんないかなあ? え? なになに? なんだって?」

 要は自分の左耳に手を当て、レイジに顔を近づける。

「『このクソ野郎、いったい何をしやがった』だって? あはは。うっわ、まだ分かんないの?

 信じられないならもう一回やる? 君が床に頭をこすりつけて、『もう一回お願いします。ぼくを勝たせてください』って言えたら考えてあげてもいいかなあ」

「こ、この野郎……!」

 レイジは勢いよく立ち上がり、要の胸ぐらを掴み上げる。その拍子ひょうしに、テーブルの上の四枚のカードは床に落ちた。

「あんなに分かりやすい宣言もしてあげたのに、なんで分かんないのかなあ。あのさ、なに怒ってんの?」

 と要はへらへら笑う。その態度が、レイジの怒りをさらに増長させる。

「今までに二人と勝負したけど、ここまで綺麗に自滅じめつした人はいなかったねえ。あ、君、勝負に負ける才能さいのうあるよ」

 と、要が笑う。レイジは頭の中で確かに、ぶちりという何かが切れた音を聞いた。腰に差してあった拳銃を抜き、ぐり、と要のひたいに押しつける。

「……やだなあ、やめてよ。さすがの僕でも、銃には勝てないよ」

 要はゆっくりと両手を上げ、手の平を見せる。

「い、言え! 言いやがれ! お前はなんなんだ! お、お前はなんの能力持ちだ⁉」

 レイジは叫んだ。その表情は、理解できないものに対しての恐怖がうっすらと浮かんでいる。

「……なに? 言ってほしいの? しょうがないなあ」

 と言った要の姿が、テレビの砂嵐すなあらしのようにジ、ジジジ、と乱れる。

「……?」

 気のせいかと、小夜は目をこする。だがその後に要の姿を見ても、ジジ、ジ、と姿の輪郭が乱れているままだ。

「僕はずっと言ってたのにさあ。僕は――だって。最初から言っ――てたのに、君は――」

 ザザ、と要の言葉にもノイズがはしり始め、聞き取りづらくなる。

「僕はここに来た最初から、ホントのことしか言ってないよ。僕は――」

 要の姿がジジと大きく乱れる。はげしいノイズにまみれ、その声がまともに聞き取れなくなる。

「――だって。最初からそう言っ――のにさ。これはほんとうに――じゃないのに」

 要がレイジに言う。

「僕は最初から、答えを全部言ってたよ。ここに来た最初からね」

 その声にノイズはかかっておらず、ジジ……と一瞬乱れたあと、要の姿が元に戻る。

 要の言葉を全て聞き取れたのは、おそらくレイジだけだろう。噴火ふんか寸前の火山のような表情が、それをものがたっていた。

「残念だけどそろそろお別れの時間にしようか。面白おもしろい勝負だったよ。わらいをこらえながら勝負を続けるっていうのは、ちょっと苦労したかなあ。ああもちろん、この勝負が面白いっていう意味でねえ」

 と要は言う。その言葉が嘘か真実かは、レイジにも小夜にも他の人間にも分からない。それを知っているのは、言った本人の自称「嘘つき」だけである。

 荒い息をつくレイジは拳銃の撃鉄を起こし、人差し指に力を入れようとした瞬間。

 要とレイジ……一度死んだ二人以外の時間が、ぴたりと静止した。

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