【その男、自称「嘘つき」】⑤

「あ、いたよ。ここ」

 と要はとある建物の前で足を止める。

 そこは普通のビルに見えた。そなけの看板と入っている会社名のらんが、全て『御門興業事務所』で埋められていることをのぞけば。

「あの……」

「うん? なに?」

 小夜は聞いた。

「ここって、普通のビルですよね……?」

「うーん、どうだろうねえ」

 と言いながら要はすたすたと中へ入っていく。

「え、あの、ちょっと待ってくださいよ!」

 小夜は慌てて後ろを付いて行き、一緒にエレベーターに乗り込む。要は上階へ向かうボタンを押す前、思い出したようにこう言った。

「あー、そうだ小夜ちゃん。帰りたいなら遠慮えんりょなく言ってね。別にめないから」

「……なぜ今このタイミングで言うんですか?」

 言葉に明らかな不機嫌さを乗せ、小夜はそう返す。

「今ならまだ帰れるよって意味だよ。ここに来るまでに、そう言ってたら帰ってた?」

「そんなことはしません。言ったでしょう? あなたを一人にするわけにはいきませんから」

「たとえそれが、明らかに普通じゃなさそうな事務所でも?」

 要は楽しんでいるような笑みを小夜に向ける。

「……そうです」

「じゃ、まだ付き合ってくれるってことね」

 要はそう言うと、最上階である「6」のボタンを押す。エレベーターの扉が閉まり、上階へと動き始めた。

「……あの、」

「『なんでこんな場所に来たか』かな?」

「……そうです」

 言いたいことをまるまま言われ、小夜は少し嫌な顔をする。

「んー……そうだなあ……。大雑把おおざっぱに言うと、生きるためかな」

 要は顎に手を当て、そう答えた。

「僕は初めて神サマと会った時、面白おもしろいことをするから、あなたの気まぐれで殺さないでっていう約束をしたんだよね。だからその約束を更新し続けて寿命を伸ばさないと、僕は一年で死体に逆戻ぎゃくもどりってわけ。あ、ウソじゃないよ?」

「ああはいはい……まさにそれはいのちけの“賭け”ってことですね……。ギャンブルがお好きなようで……」

 聞くんじゃなかったなと思いながら、小夜は言葉にため息をじらせる。その言葉もどうせ嘘だ。

「だから、嘘じゃないって。僕は、どんなことをしてでも死にたくない。たとえ死にかけても、死ぬようなことになったとしてもね」

矛盾むじゅんしてますね、あなた」

「あはは。それはよく言われるよ。

 でもさ、こうなったみんなはすくなからずそうだよ。みんな『死にたくない』……その中でも僕は、特にそれが強いってことになるかな。逆を言うと、どんな形であれ生きたいってこと。あ、これもホントだよ」

 と言って、要は笑いかける。

「……それで、ここにはどんな能力者が?」

 ひとまずその話の追求ついきゅうはさておき、小夜は聞く。

「んーっとねー……詳しくは知らないんだけど、この事務所にいるって話を聞いてさ」

「私としては初耳ですが……。それで、相手はどんな能力を持っているんですか?」

「うーん、知らないなあ」

「はあ、なるほど。『知らない』という能力を持って…………えっ⁉ 知らない⁉」

 小夜は思わず目を見開いてとんきょうな声を上げた。

「え、し、知らないって言いました⁉」

「うん言った」

「相手がどんな能力を持っているか知らないのに、ここに来たんですか⁉」

「うんそうだね」

「の、能力者がいるというだけで……?」

「うん、そうだね」

「……理解できません。ひかえめに言って無謀むぼうです」

「本音は?」

「……『こいつ、頭いかれてやがる』、です」

「うわお、すごい正直だねえ」

 要はおおげさに驚いてけらけら笑う。

 小夜には、要がなぜそんなに笑えるのかが理解できない。こめかみを押さえて細い息を吐いた後、小夜はねんため聞いてみた。

「……一応聞いておきます……勝算は?」

「んー分かんない。勝てたらいいなって感じかなー」

「……頭おかしいんですか?」

「あはは、そうかもねえ。それもよく言われる」

 要はまた笑う。小夜には、この男がなぜ笑えるのかが本当に理解できない。

「大丈夫だよ。僕らには『賭けに惹かれ、拒めない』っていうのがあるからさ、相手が同じ能力者である限り、それさえ言っとけばとりあえずはなんとかなる。どんなに弱い能力を持ってても勝てる可能性は十分じゅうぶんにあるし、それこそ普通の人間だって簡単に勝てちゃうからねえ。

 まあまあ、そこんとこは安心してよ。作戦は無いこともない……っていうかただの嘘なんだけど」

「また嘘ですか……。嘘をつくことだけじゃ勝てるわけないじゃないですか……」

 そう言った後、小夜は深いため息を吐き出した。そして隣の男の横顔を見て思う。

 自称「嘘つき」の京谷要……一言で言い表すならば、『よく分からない』としか言えない人物。その態度と口調は軽く、まるでいたくものようにつかみどころがない。さらに、そのくちから出る言葉は嘘ばかり。真実など欠片かけらも言っていないように思える。

 自分でも『嘘つきだ』と言っているのだから、当然彼は嘘つきなのだろう。それは嘘ではない気がした。

 けれど、と小夜は彼の黒い眼を見つめる。

 本当に嘘つきならば、彼はいったいどっちなんだろう。ただのくだらない嘘を言っているだけなのか、それとも全て本当のことを言っているのか。

 自称「嘘つき」は本当にただの嘘つきか、それとも本当に……。

 そう思ったところでエレベーターが指定の階に到着し、扉が開く。要が一歩踏み出し、小夜も少し後ろに並ぶ。

 到着してすぐあったのは、広い事務所のような部屋だった。めれば二十人は入りそうだ。部屋の中央に置かれたガラステーブルと、それを挟んで向かい合わせに置かれたソファが二つ。ガラステーブルの向こうには大きなデスクが置かれている。

「ああ?」

 ソファに座っている一人の視線が突然の来訪者を睨みつける。上着の胸元を大きく開けた、見るからにがらの悪い男だ。

 小夜は、ごくり、と唾を飲み込んだ。

「小夜ちゃん」

 要は小夜の方を向く。その顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。

「本当にいいんだね? 今ならまだ、帰れるよ」

 要は後ろのエレベーターのボタンに手を伸ばしかける。

「小夜ちゃんがいなくても、僕は一人でやるよ。慣れてるからね」

 そう言って黒い目を細める。

「……この状況でそれ聞きますか?」

 この男は、この状況からまだ逃げられると思っているらしい。相変あいかわらず頭のおかしい男だと小夜は思う。そして続けて後悔した。

 ああ、なんでこんな奴の付き添いなんかしたんだろう……本当に。

「……いいんだね、帰らなくて。ならすっごい助かるよ、本当に」

 そう言うと、要は階数のボタンへ伸ばしかけた手を引っ込めた。

「……おいおい、どこのくみのもんだ?」

 ソファに座るもう一人が立ち上がり、二人に近づく。

 小夜は要の背中に隠れながら、部屋の中にいる人間を目で数える。目の前に一人とソファに一人。立って煙草たばこを吸っているのが一人、デスクの椅子に座っているのが一人だ。そのほとんどが、ヤクザやチンピラを絵にいたような格好をしている。

「おい、聞いてんのかよ!」

 目の前の男が要の胸ぐらを掴み上げる。同時、小夜の口から小さく、ひ、という音が漏れた。

「うるさいなあ。君にようはないからどいてくれる?」

 要の視線の先は、デスクにいる男に向けられている。

 何かを感じたのか、デスクにいる男が無言で離してやれと言うように手を動かす。要を掴んでいた男は素直に手を離し、要は服をつまんでしわを伸ばす。だが、服のサイズが体より大きいためあまり意味がない。

「……オレにようか?」

 デスクにいる男がソファに移動しながら要に尋ねる。

「言わなくても分かるでしょ?」

 要もそう言いながらソファに向かう。その後ろを、できるだけ体をちぢこませて小夜も続く。刺してくるような四人分の視線に、胃がキリキリと痛んだ。

 男と要はソファに座って向かい合う。二人のあいだにあるガラステーブルの上には、分厚ぶあつまれた一万円いちまんえんがいくつも並べられている。

 要はそれらを見るなり、

「これ邪魔」

 と言って腕ではらとした。何枚かは舞い上がって空を踊り、花びらのようにゆっくりと床へ落ちていく。

「てめえ!」

 一人の怒声どせいが部屋に響く。それを皮切かわぎりに、他の二人が木刀ぼくとうたたみナイフを手に構える。目の前の男だけが一切動かず、じっと要を観察しているようだった。

 要は薄ら笑みを浮かべたまま正面に座る男と目を合わせ、ただ一言ひとこと、こう言った。

「賭けをしようよ」

 向かいの男はすぐに答える。

「ああ、いいぞ」

 と男は迷うことなく要の勝負を受けた。つまりはこの男こそが、要が勝負を挑みに来た能力者であると小夜はすぐに気づいた。

 勝負を受けた男は、他の男たちに武器を下ろすよう無言で指示を出す。そしてそれぞれが舌打ちしたりつばを吐き捨てたりしてぞろぞろと他の場所へ散っていく。一人は小夜と要の後ろへ行き、もう一人は出入り口のエレベーター前へ、残った一人は勝負を受けた男の後ろへとじんる。

「……そっちのお嬢ちゃんはなんだ?」

 とソファに座る男はじろりと小夜を見る。

「小夜ちゃんはただのいだよ。気にしないでね。普通の人だから」

「付き添い?」

 男は馬鹿にしたように言うと、ふん、と鼻で笑った。それからするど三白眼さんぱくがんで小夜の足先から頭の先をめるように目でなぞる。

「一人じゃれねえ臆病者か? おんなれてここに来た奴は初めてだぜ」

 男がそう言うと、部屋いっぱいにはやし立てるような笑い声が上がった。

「デートかよ、お嬢ちゃん」

「ガキじゃねえか。いろいろ教えてやろうか?」

「変態共には売れるかもな」

 そのあとにうのは、口笛やわいせつな言葉だ。小夜は耳まで真っ赤にさせ、拳を強くにぎりこんでうつむいていた。

「で、いくら欲しいんだ?」

 男が要に聞く。

「は? 何言ってんの? もしかして耳が悪い?」

 要はすぐにそう言った。男の目がぴくりと動いたのが小夜にもはっきり分かった。

「あ、耳じゃなくって悪いのは頭の方かな? 僕は勝負をしに来たんだ。お金なんかいらないよ。そこの床に散らばってるやつより、比べ物にならないぐらいのがく持ってるし。

 というかほら、小夜ちゃんも座りなよ。ずっと立ってるつもりなの?」

 要が自分の隣の席を叩く。素直に小夜はそこへ腰をろした。

「金じゃねえってか……まあいい、まずは名乗ってやるよ。挑戦者」

 男は要と目を合わせると、簡潔に自己紹介をした。

夜喰よるばみレイジだ。一応ここの幹部かんぶの一人ってことになっ……」

「あ、もういいよ。興味ない」

 要はとてもいい笑顔で、向かいに座る男……夜喰レイジの言葉を途中で切った。びきりとレイジのこめかみに血管が浮き上がる。内側の怒りが表面に出た瞬間だった。

 そこで改めて、小夜は勝負を受けた男……レイジの姿を見る。年のころは三十に届くか届かないかというあたりに見えた。派手な金色の髪を後ろに流し、耳にはたくさんのピアスをぶら下げている。着ているのは黒いタンクトップの肌着にかわのジャケット。腰には太いベルトを巻き、履いているのは高そうな黒いズボンだ。

 初めて見る顔だった。組合に住む能力者のリストの中でも見たことない顔だ。

 と、レイジの目がぎろりとこちらを向き、小夜は慌てて視線をらす。それからそっと下腹部かふくぶに手を当て、中の液体がれないように筋肉をめた。

「僕は京谷要。みんなからは『嘘つき』って言われて有名だよ。よろしくね」

 と要は右手を差し出した。握手である。だがそれをレイジは無視する。

「あれ、握手は嫌いなのか。仲良くできると思ったのになあ」

 と言って要は出した手を引っ込めた。

「それじゃあさっそくだけど、なんの勝負にする? 僕もいきなり来たからさ、内容はそっちが決めていいよ。できれば簡単で、すぐ終わるものがいいなあ。痛いのとか怖いのとかもやめてね」

「……そうかよ。そりゃ残念だ。なら、ローカルルールのブラックジャックなんてどうだ?」

 と言って、レイジはポケットからトランプの箱を取り出してテーブルの上に置いた。

「ルールは分かるだろう?」

「まあね。『21に近ければ勝ち。超えたら負け』……だっけ?」

「ああ。分かってんじゃねえか。加えるなら、『Aは1と11、都合つごうのいい方で数える』、『カードを引くのも変えるのも二回まで』、『21を超えたら自動的に負け』だ。簡単だろ?

 あと言っておくが、つまんねえイカサマなんかしてもオレにはお見通みとおしだぞ」

 レイジは箱からカードを出してシャッフルする。「ははっ」と要が軽く笑った。

「つまんないイカサマねえ……。そこは大丈夫だよ。そんなことしなくても勝てるから」

 は、とレイジはあざけるように口から空気を漏らした。

「……よくしゃべる野郎だな。口を閉じると死んじまうのか?」

「沈黙が怖いだけだよ。静かな空気が駄目だめなんだ。吐き気がする。気にさわるなら黙るけど?」

かまわねえよ。すぐ終わるからな。

 ここに来てべらべら喋る奴でも、負けがかさなると顔を青くさせて黙るんだ。お前もすぐにそうなる」

「はあん……。すぐ、ねえ……」

 要はそう漏らして、シャッフルするレイジの手つきを見つめる。

「まさか、自分が負けるわけないって思ってるの? ずいぶんな自信だねえ」

「だったらなんだ?」

 レイジは真面目に取り合わない。

「勝負はやってみないと分からないよ。特に僕らはね」

「ほお。演説か? ゴルフに行ってる親父おやじにも聞かせてやりたかったぜ」

 レイジは適当に返答する。要は続けた。

「僕らの勝負は、単純な能力だけじゃ決まらない。運もあるし確率もあるし、嘘もイカサマもだましもある。それに、ルールだって自分の有利なように変えられる。そう考えると、今までの経験や実力なんてちっぽけなものだと思わない?」

「ああそうだな。で、何を賭けるんだ?」

 レイジはシャッフルする手を止め、要に聞く。

「うーん、そうだねえ……」

 と要はあごに手を当て、悩む仕草をする。

「やっぱりさあ、僕らの勝負って、お金とか普通の物を賭けたんじゃつまんないよねえ。

 前やった勝負の時は一緒に来てくれた可愛かわいいメイドさんも賭けたんだけど、事前じぜんに言ってなかったからさ、僕が死にかけながらも相手に勝ったっていうのに、そのメイドからボコボコになぐられちゃったんだよねえ。おかげで顔が三倍になってしばらく外歩けなかったよ。

 さて、今回はどうしよっかなあ」

 言いながら要は部屋を見渡す。そのさい隣に座る小夜と目が合い、軽く微笑んだ。

「あー、僕思うんだけどさあ。賭けってのは、目に見えるものを賭けてこそ盛り上がるんじゃないかって。普通の勝負にしても、僕らの勝負にしてもね。特に、お金以外の負けたら絶対に終わりっていうものとかさ」

「もったいぶるなよ。何を賭けるかさっさと言え」

「まあまあ。そんなにあせんなくてもいいじゃん。時間はあるんだし」

ひまなのはお前だけだろうが。一緒にするな」

「そんなに冷たくしないでよ。同じ死人でしょ?」

「よく喋る死人だぜ。ご機嫌きげんか?」

「まあね。君に会えたから気分はいいよ」

気色きしょくのわりい野郎だぜ」

 二人の会話を聞いている途中で、小夜はふと思った。

 あれ、私、なんでここにいるんだろう……。

 小夜は口元に手を当てて考え込む仕草をする。一度思うと目の前の事より優先して考え込んでしまうのは、生真面目きまじめすぎる小夜の悪いくせである。

 とうに、小夜の耳には二人の会話は聞こえていない。小夜は一人で悩み、考えている。

 よくよく考えれば、ここまでついて来ずに車で待っていてもよかったんじゃないか? 

 その一言を浮かべるが、すぐに小夜は頭の中で否定する。

 いいや、この男が大人しく目的地に行くとは思えない。逃げられたら、きっと、今よりも状況がひどくなっていたことだろう。それだけは分かる。小夜は上司と先輩と同期の捜査官に囲まれ、泣きながら頭を下げている自分の姿を想像した。

 組合で他の捜査官に任せるにしても、連絡を取っているあいだ、この男が大人しくその場にとどまっているなんてことも絶対ないだろう。目を離したすきに逃げられ、大慌てをする自分の姿がありありと想像できる。そのあとはさっきと同じ流れだ。「めます」と言うまでねちねちと責められ、笑顔を浮かべた上司が目の前でデスクを叩き壊すかもしれない。しかも素手すでで。

 小夜は背筋が寒くなった。あの人ならやりかねない。いや、ほぼ間違いなくやる。その時に何を言われるかすら容易よういに想像できた。

 結局私は、この男にいいように使われただけなんじゃ……。

 小夜はその結論にため息を吐く。すると、また要と目が合った。

「よく分かってるじゃん。僕のこと」

 と要は笑った。小夜はなんだかとても嫌な予感がした。

 そして要は、レイジにこう言う。

「よし決めた。せっかくここまで来てくれたからさ、僕は小夜ちゃんも賭けるよ」

 部屋の中の空気が一瞬固まる。

 数秒の沈黙が流れた後、

「…………はああ⁉」

 小夜が声を上げた。

「ちょ、ちょっと! なんで私なんですか! 私、関係ないじゃないですか‼」

「あ、じゃあ帰る? おつかれー。ばいばーい」 

 要はにこやかに手を振る。そんな要の態度に、一瞬にして怒りが頂点近くまで跳ね上がった小夜は思わずぎり、とおくめる。

「まあまあ、落ち着きなって。そのさ、殴ろうとしてる手も引っ込めて。ね? せっかく来たんだから楽しもうよ。今から楽しいパーティーが始まるかもしれないよ?」

 要はにこやかにそう言う。明らかに今いる場所と言っている言葉が合っていないが、小夜はとりあえずにぎりこんでいた右手を下ろす。

 ちなみにここで言っておくが、小夜が要と出会ってからまだ一時間もっていない。組合からこの事務所まで、車で三十分も離れていないのだ。

「あー、じゃあ話を戻すけど」

 と要はレイジに言う。

「僕が負けたら、僕の持ってるものを全部あげるよ。僕は小夜ちゃんと、自分自身の全てを賭ける」

 要はあっさりと、そう言ってのけた。

「……え? は……?」

 小夜は一瞬、言葉の意味が理解できなかった。自分自身の全てを賭けるということは、負けたとき、何をされても文句は言わないということだ。

 小夜がそれを理解するまでに、約二秒。

「これでも僕さ、結構すごい立場にいてねえ。誰もが欲しがるような重要な情報もたくさん持ってる。疑うんなら今すぐここに持って来てもいいよ。二十分ぐらいで来ると思うから」

 要はレイジを見つめたままさらに続ける。

「それとさっきの『自分自身を賭ける』っていうのは、そのままの意味と取ってもらって構わない。僕が負けたら君の好きなようにしてよ。殺そうが生きたまま拷問ごうもんしようがぶたえさにしようが、それは僕が負けたってことだからね。何も言うつもりはないよ。あ、小夜ちゃんも同じね」

「えっ⁉ ちょ、ちょっと……なにを勝手に……!」

「あと追加するならそうだなあ……。僕が負けたら、僕の友達全員の能力と対価……本名も教えてあげようかな。それらの情報を持てば、少なくとも君に敵はいなくなる。どうかな?」

「……ほう。面白いことを言うな、お前。それが全部本当なら、な」

 レイジは明らかに本気で聞いていない。要の言葉を嘘だと思っている顔だ。

「……ふうん。ま、疑うよねえ。いいよ、疑われるのは慣れてるし。じゃあもう一個、追加してあげようかな」

 と、さらに言う。

「僕が一ターン負けるごとに、僕の持ってる能力のヒントをあげるよ。もしそれで君が、僕の持つ能力もしくは対価どっちかでも当てられたら、その瞬間に僕の負けでいい」

 今度こそ、部屋の中の空気が凍り付いた。

「あ、あなた……何を言ってるんですか……?」

 小夜は喉から言葉を絞り出す。頭がどうにかしているとしか言えないような提案だ。この男は他人と自分の命を賭けることに加え、さらに自分をがけぎわへ追いつめた。

「……お前、いかれてるな」

 とレイジが言う。今までのような上からの態度ではなく、改めて対戦者として認めた声だった。

「よく言われるよ。というかいつも言われてる」

 と要は肩をすくめる。

「ああそうそう。君は無理してこんなに賭けなくていいよ。君が賭けられるものってさあ、ここまでないでしょ? 分かってるって。いいんだよ、無理しなくってさ。君が同じようなものを賭けても、僕には勝てないんだからさ」

 そう言って要は笑いかける。

 レイジの顔が一気に殺気さっきったのが小夜でも分かった。隣をちらりと見て思う。この男、人をあおるのが趣味なのだろうか。

「まあ早い話、僕が負けたら小夜ちゃんと僕自身と、僕の持ってるものは全部君のものだ。それで君は向かうところてきし。わーお! 信じらんない。こんな人が最強になっちゃうなんてびっくりだー」

 要はおどける。目の前の人間と周囲から睨みつけられ、隣に座っている小夜は気が気じゃない。

「で、僕が勝ったら君は永遠におやすみってわけだ。やったね! もう夜中に呼び出されることも、気に入らない人に頭を下げることもない。嬉しいでしょ?

 結局勝負っていうのは、分かりやすいのが一番だよね。殺すか殺されるか、それだけだ」

「はっ」

 レイジは軽く笑った。

「おもしれえ。オレを殺すだと? いいぜ、やってみろよ」

 そして懐から何かを取り出し、ごとりとそれをテーブルの上に置いた。置かれたのは黒光りする拳銃だった。小夜の体が一気に緊張する。目の前で起こっていることがとても現実とは思えなかった。

 小夜は額に手を当て、考える。

 そもそも彼ら能力者たちにとって、自分の持つ能力というのは最大の切り札に等しいもののはずだ。推測すいそくされて先手せんてを打たれてしまえば負ける。つまり能力でも対価でも、隠しておくのが一番だ。そんなことは誰でも分かる。

 それを、それを……勝てるかどうかも分からない勝負に? 相手がどんな能力を持っているかも分からないのに? 負けるごとに、自分の持つ能力のヒントを教える……?

 小夜は頭が痛くなった。何一つ理解できない。この男はいったい何を考えているのだろう。少なくとも、説明されても理解できない内容だけなのは確かだ。

「今さら逃げるとか言うなよ?」

 と、レイジが言う。

「はは、逃げないよ。ていうか、もう逃げられないの分かってるくせに。君こそさ、負けた時にわめくのとかはやめてねえ。僕、静かな空気も嫌いだけど、うるさい人はもっと嫌いだからさあ」

 そこで小夜はハッとする。

「ま、待ってくださいよ……!」

 負けた相手を撃ち殺すなど、そんな勝負を認めるわけにはいかない。捜査官が目の前で殺人を許すなど論外ろんがいだ。

「そ、そんな勝負……認めるわけにはいきません」

「あ、そう」

 要は言い終わると同時、かちりと何かを作動さどうさせた。部屋の中に轟音ごうおんが響き、少し遅れてどしゃりと大きなものが床に倒れ込んだ音がした。

「あー、間違えて撃っちゃった。わざとじゃないよ。ほんとだよ?」

 小夜はおそるおそる要の右手に目をやる。いつの間に手にしていたのか、彼の持つ銃の口から煙が上がっていた。

 部屋の中いっぱいに、嫌な鉄のにおいと硝煙しょうえんのにおいが立ち込める。死んだのはレイジの後ろに立っていた男だった。小夜は、全身から血の気が引いていくのを感じた。

「お前!」

「何やってやがる!」

 男たちの怒声が部屋の空気を震わせた。要は持っていた拳銃をテーブルの上に放り投げ、ひらひらと両手を頭の上に上げる。

「わざとじゃないって言ってるじゃん」

 ごり、と要の後頭部に何かが押さえつけられる。続けて聞こえる、かち、と拳銃のハンマーを起こす音。小夜はぎこちなく首を横に向ける。

「だからさあ、間違えただけなんだって。そんなに銃口押しつけないでくれる?」

 自分の隣では、二人の男から拳銃を後頭部に突き付けられた男が……笑いながらそう言っていた。

 小夜は目を動かして向かいの席を見る。睨むような視線を要に向けたレイジが軽く右手を上げ、撃とうとする男らを止めているようにも見える。

「……あ、あなた……」

 真っ白になった小夜の頭の中に、ただこの一文だけがはっきりと浮かび上がる。

 これで本当に、負けたらおしまいだ。

「あはは。これで本当に、負けたらおしまいだね。ま、負ける気なんてないんだけどさ。

 どうする小夜ちゃん。本当に逃げたいなら逃がしてあげるけど」

 と要は黒い瞳を向けて問いかける。

「……この状況で、嘘はやめてくださいよ……」

「僕、勝負の時は嘘つくけど、できないことはできるって嘘つかないよ」

「じゃあなぜ……いいえ、もういいです……」

 小夜は両手で顔を覆い、細い息を吐く。

 この男のことが何一つ理解できない。「死ぬのは怖い」と言いながら自分の全てをいとも簡単に賭け、さらに殺人までして自分をさらに追い詰めた。これじゃあ崖下に体の半分を投げているようなものだ。

 手の隙間から彼の横顔を見つめ、小夜は思う。付き添いに来た時点でこの男の手の平の上だったような気がする。本当についてくるんじゃなかったと激しく後悔した。

 つまり最初から、選択肢はなかったのだ。

「……勝ちますか? 必ず」

 小夜は手で覆っていた顔を上げ、横目を向けて要に尋ねる。作り物のような黒い眼を持つ、自称「嘘つき」に向けて。

「さあねえ。それはどうだろう。けど、約束だったら絶対勝つよ」

「それは、本当なんですか?」

「さあねえ。どっちだと思う?」

 小夜のブラウンの瞳に、要の顔が反射する。彼が浮かべている笑みは、諦めて笑うしかない笑みなのか、本当に勝つ自信がある笑みなのか、どちらなのかは小夜には分からない。「約束は守る」という言葉が本当なのか嘘なのかも。

 それでも自分は、彼に賭けてみるしか選択肢はないのだ。この自称「嘘つき」と……彼の嘘か本当か分からない言葉に。

 小夜は、息を吐く。

「……なら約束です。『絶対に勝って』ください。負けたら殺します」

「わあお。怖いねえ。じゃ、ちょっと頑張がんばっちゃおうかなあ。約束だからね。

 誰も信じられないような、嘘みたいな勝ち方するからさ」

 そう言うと、要はにこりと笑った。

「……話は終わったか?」

 とトランプの山札で遊んでいたレイジが聞く。目の前で部下が殺されたというのに、レイジの表情は一ミリも変わっていなかった。

「ああ、ごめんごめんお待たせ。で、何回戦かな?」

「勝負は三回戦だ。オレに一回でも勝てたらそっちの勝ちでいいぜ」

「オッケー。三回も付き合ってくれるんだ。じゃあ、もう一個教えてあげようかな」

 と要が言い、レイジは静かにカードを配り始める。

「僕さあ、こんなんだけど、きとかだまいとかしんせんは全然できないんだよね。ホントだよ? だからさあ、僕の言葉は素直に聞いた方がいいかもね。嘘か本当かは別として」

 要はそう言うと、配られたカードをめくる。

「……」

 レイジはなぜか、要の最後の言葉に引っかかりを感じた。

『嘘か本当かは別として』……では、この男はいったい『何』を言っているのだろうか。

 レイジは自分の手札をめくってそれに目を落とすことで……引っかかった言葉をなるべく考えないようにした。

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