【嘘を吐く正直者】②

 警視庁に戻った要と小夜は、エレベーターに乗っていた。二人が向かう先は地下六階の捜査室である。

「“浮かない顔だね。小夜ちゃん”」

 と、隣に立つ要が話しかけてきた。

「“りんちゃんに言われたこと?”」

 まだ『与えない』能力は戻っていないらしく、声はそのままだ。

「それもありますが……」

 そう返しながら、小夜は頭の中に数分前の出来事を思い浮かべた。


「では、私はこれで失礼いたします」

 警視庁の地上一階。エレベーター前で足を止めた二人に、りんはそう言って丁寧ていねいに腰を折った。どうやらこのあと予定があるらしい。

 りんが要に言う。

「何かあればすぐにご連絡を。お帰りのさいも私の携帯にお願いいたします」

「“うん。分かってる。気をつけてね”」

「そちらもお気をつけて。ではまた後程のちほど

 要に一礼いちれいし、りんは背を向けようとする。

「あ、あの……」

 そこを小夜が引き止める。りんは足を止め、振り返った。

「なんでしょうか」

「一つだけ、聞きたいことが……」

「このかたが本当に嘘つきかどうか、でしょうか」

「……そうです」

 小夜は周囲に人がいないことを確認すると、改めてりんに尋ねた。

「要君は……本当に嘘つきなんですか?」

 りんはすぐにこう返す。

「それは私でも何とも言えませんね。

 ただ分かっていることは、この方はうそく『嘘吐うそつき』や『虚言者』とも呼ばれている人間です。これでいいでしょうか」

「……」

 小夜の顔が、違う、とでも言いたげになる。聞きたい答えはそれじゃない。小夜は言い直すべきか迷う。

「そういうことではなくて……」

「私が答えを言ったところで、あなたは満足するのでしょうか」

 と、いつぞやの東條と同じことをりんは言った。

「先程の勝負であなたなりの答えを出したのでなかったのですか? それでも答えを聞くということは、あの勝負はなんだったのでしょうかね」

 りんは淡々たんたんと言う。その通りなことに小夜は言葉が出なくなる。

「その頭の中がからっぽでないのならば、納得できる答えを自分で探すことも必要かと。では失礼いたします」

 そう言うと、りんは背を向けて歩き去って行った。


「“そんなに考えてもさ、どうにもならないよ。だいたい小夜ちゃんは考えすぎなんだよ”」

 と、隣の要が言う。頭を悩ませる元凶げんきょうの男からそう言われ、小夜の顔が少し不機嫌に歪んだ。

 この男の明かしたことは本当に全てが真実なのか、それ以外にもまだ分かっていないことはたくさんある。この男の本名。死亡時の記録。一番気になるのは「かざみかなめ」との関係だ。それに押収おうしゅうした散弾銃のこともある。「かざみかなめ」の私物しぶつだと言っていたが、それも本当かどうかうたがわしい。

 この男が特別捜査官になるための書類を準備することに加え、通常業務も山のようにまっている。今日は家に帰れそうにないな……と小夜は額を押さえてため息をついた。

 地下五階の射撃訓練場を過ぎ、地下六階に到着する。エレベーターの扉が開いて二人は中から出た。その時小夜はふと、なんなしに右側にいる男に顔を向けた。

「“ん? なに?”」

 要も小夜の顔を見る。

「“格好いいからって見惚みとれちゃった? やだなあ小夜ちゃん、そんなに見つめられると恥ずかしいんだけどなあ”」

 そう言う要を見ながら、小夜は小さな違和感を覚える。顎に手を当てて、隣の男をじっと見つめる。

「……」

 廊下を歩きながら、小夜は胸に浮かぶ引っ掛かりを言葉にしてみた。

「なんか、ちっちゃくなりました?」

「“えっ? あ、う、わっ!”」

 要は自分の右足にもう片方の足を引っ掛け、危うく前のめりに転びそうになる。その寸前すんぜんで慌てて体勢を立て直した。明らかに動揺どうようしている。

「……もしかして、まだ何か嘘をついているんですか?」

 足を止めた小夜が疑いの目で要を見つめる。

「“いや、それは、その”……」

 要は視線をさまよわせながら眼鏡の位置を直している。かなり怪しいその行動に、小夜の顔にさらなる疑いの感情が浮かび上がる。

「最初に会った時から明らかにちぢんでいますよね。どういうことですか」

「“それはほら、小夜ちゃんが一気いっきに成長したとか”……」

「それ、真面目に言ってます?」

「……“ごめん”」

 と、要は素直に謝った。この男が二度も素直に謝るなど非常に珍しい光景である。

「もしかして、最初から身長もいつわっていた、なんて言いませんよね?」

「“まぁその、それもあるっていうか”……」

 要は気まずそうに頬をぽりぽり掻きながら顔をらした。小夜は額を押さえて深いため息をつく。怒りを通り越して、もはや呆れのため息しか出なかった。

「京谷要としての身長は?」

 顔を逸らしたままで、要は答える。

「“だいたい百八十センチぐらいの設定、かな”……」

「で、あなたの本当の身長は?」

「“百六十七センチぐらい”……」

「全然違うじゃないですか……。もしや、タグもつけてないって言うんじゃないですよね」

 小夜は要をぎろりと睨みつける。

「“それはちゃんとつけてるよ。本当の場所は左足だけどね”」

 その場にしゃがんだ要はスラックスの片方をめくり、いている黒い靴下を少し下げる。確かに、左の足首のところには組合に住む能力者であるあかしかれていた。

「最初は左手につけてましたよね?」

「“あー。それはね”……」

「それも、『そう見せていた』からですか?」

「“そう。そういうこと”」

 要は笑顔でそう答えた。小夜はこめかみを押さえてそんな要にため息を見せつける。この男の新たな嘘にもう言葉が出なかった。

「どうしてそんなことするんですか……。なんでまた、見た目を偽るなんてことを……」

「“最初から自分の姿を見せるって怖いじゃん。特に僕は、隠さないとすぐに正体がバレちゃうし”」

 下げた靴下を直し、めくったスラックスを元に戻した要は立ち上がる。

「嘘を信じ込ませる……でしたっけ? 本当にそういう力を持っているなら、外見がいけんいつわって見せるなんてことせずに最初からそれを使えばいいじゃないですか」

「“あのねえ小夜ちゃん。僕の話聞いてなかったでしょ”」

 再び歩き出した二人は、廊下をさらにまっすぐ進んで行く。

「“僕の対価は一回で失うものが大きすぎるんだ。だからね、いくら強い能力でもそんな簡単には使えない。それに、おくっていうのは最後の最後に出すから奥の手なんだよ”」

「よく分かりませんが、そういうものなんですか?」

「“そういうものだよ。勝負っていうのはね”」

 口調はいつもと同じで軽かったが、要の声には多少なりとも真面目さが込められていた。それを聞いた小夜はこの男がレイジと戦った時のことを思い出す。そしてなんとなくだが、伊達だてに同じ人間たちと勝負をしてきてはないんだな、と思った。

 少なくとも、彼の言葉は突発的とっぱつてきに言ったデタラメやしには聞こえなかった。

 不思議と話をする小夜の声にも真面目さが乗る。

「……どうして記憶が消えると分かっていて、その力を使い続けるんですか?」

「“そうしないと勝てないからだよ”」

 と、彼は言った。廊下を歩きながら、要は続ける。

「“僕より強い人なんかいっぱいいるよ。あ、レイジ君はすごく弱かったけど。

『嘘』の能力を使うとね、虫に食べられてる葉っぱみたいに、記憶に穴がいていくのが分かるんだ。今、僕に残ってる一番古い記憶は……中学生の時かな。それより前のことは、もう穴だらけでよく分かんなくなっちゃった”」

「どうして、そこまで……」

「“死にたくないからね。たった一つの嘘で相手に勝てるんだ。それで一年間、何にも怯えずに生きていける。そう考えたら安い対価だよ”」

 と、彼は笑った。果たしてそれは彼の本心なのだろうか。小夜には分からない。

「“自分がどんな人間だったのか、本当はどんな名前だったのか。それすら分からなくなってもね、神サマとの約束は消えないんだ。周りからどんなに『お前は嘘つきだ』って言われても、その記憶がないまま僕は勝ち続けなくちゃいけない”」

「……それでまた自分を忘れてしまうんでしょう? 矛盾してますね」

「“仕方ないよ。それが『京谷要』っていう人間だから”」

 と要は言った。仕方ない、という言葉で割り切れることではないだろうに。この男は本当に、何もかもが矛盾している。

 なぜこの男は、そうまでして生きようとするのだろう。なぜ、そんな矛盾した行動を取るのだろうか。

 死にたくない。死ぬのが怖い。本当に、それだけの理由で?

 小夜の頭の中に東條の顔が浮かぶ。彼もまた、間際まぎわに何かを願って……または何かをのろって二度目の人生を生きる死人しにんだ。情報を知る能力と動けなくなる対価……彼は自分の命が終わる寸前すんぜん、何を思ったのだろう。

 次に浮かぶのは、組合の中で見た他の人たちだ。

 珍しい髪色をした少年。ハンカチを持っていた貴婦人。黒ずくめの男性。海賊のような格好の女性。その全員は例外なく一度死んでいる。彼らは最期さいごに何を願ったのだろうか。どういうふうにその人生をえたのだろう。

 一度死を経験したのに、彼らはもう一度生きることを選んだ。

 いくら強い能力を持っていても死なないわけではない。二度目の死を味わうかもしれないのに、どうして生きることを選んだのだろう。「死にたくない」という理由だけでは、おもりのような対価を背負う理由にはならないような気がする。

 そこまで考えて、小夜は小さくかぶりを振る。そしてこう思う。

 やめよう。彼らのことを考えても、私には関係のないことだ。私は捜査官としての仕事をする。それだけだ。

 それを最後に、小夜は彼らへの思考を終わらせた。

「……“言っても分かんないだろうね。今の小夜ちゃんにはさ”」

 と要がぽつりと言った。どうやら考えていたことが顔に出ていたらしい。

「……そうですか」

 小夜は聞き流すように返事をした。この時の要が言った言葉の意味を、小夜は一か月後に知ることとなる。

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