【その男、自称「嘘つき」】②

 カウンターの前に立つ小夜の顔は、少し不機嫌になっていた。

 その内側では、太った男が手にある名刺と小夜の顔を何度も見比べている。

「ええっと……捜査官の……ごめんね、もう一回お名前言ってくれるかな?」

「ですから……」

 小夜はため息のように言うと、三度目の言葉を口にした。

「異能力事件専門捜査室から来ました。捜査官の泉小路です。ここへ来たら、まず受付に行くようにと上司に言われました」

「捜査官……ねえ……」

 受付の男は、じろりと小夜の足先から頭の先を見上げる。あからさまに疑っているような顔だ。まさかここまで疑われるとは思っていなかったので、不機嫌を通り越して小夜は内心かなり苛立いらだっていた。

「お嬢ちゃん、一応確認取ってもいいかな?」

 受話器を手に、受付の男が聞いてくる。

「……どうぞ」

 うんざりしたような声で、小夜はそううながした。

 一分ほどで、受話器を置いた男がこちらに向き直る。

「いやー、すいませんね。まさか本物とは思わなくって。申し訳ない」

 受付の男は後頭部をさすりながら簡単な謝罪をする。それを見て、小夜は一つため息をつく。

 疑いを向けられるのは仕方のないことではある。他の捜査官の付き添いといっても、いつもは駐車場の車の中で待っているだけだ。初めて見る『捜査官』を名乗る人物にまず疑いを向けるというのは、彼が自分の仕事をまっとうしている証拠だ。それは彼女自身にも分からないわけではない。

 しかし、謝罪ならばもう少し身を入れて謝ってほしいものだと小夜は思った。感情にともなって眉間にしわが寄って行くのをはっきりと感じ、慌ててその上に作り笑顔をかぶせた。

「それで、今日はどうしたんですか?」

「ええと……その……」

 しまった、と小夜は思った。上司から『情報屋』の名前を聞いていない。

『情報屋』と言って通じるのだろうか、と小夜は少し考える。もしそれで通じなかったら、なんと言えばいいのだろう。

 急に難しい顔をして黙った小夜に、受付の男は少し戸惑う。

 短い沈黙のあと、小夜は受付の男に向けてこう言った。

「居住棟の奥に住むという方に、会いに来ました」

「ああ、東條とうじょうさんか。ちょっと待ってね。地図コピーするから」

 どうやら分かってくれたらしい。小夜はひとまずほっと胸をろした。

 小夜がいるのは、郊外こうがいにぽつんと立っている市役所のような建物の受付である。この施設の名を、異能力者いのうりょくしゃ登録とうろく組合くみあいという。

 入り口の自動扉をくぐると、まず正面に見えるのが受付である。訪れた能力者や面会に来た人たちの待合室まちあいしつねているので、いつ見ても最低一人か二人はソファに座っている。小夜が来た今日も、他に三人が自分の番号を呼ばれるのを待っていた。

 受付を基準きじゅんとして、奥に続く通路が左右さゆうに分かれている。右側にある面会室と喫煙所、トイレなどを通り過ぎるとあつい自動扉があり、それをくぐると比較的安全な能力を持った能力者たちが住む居住棟きょじゅうとうが出現する。

 そしてその逆側には、危険な能力者たちが住む隔離棟かくりとうっている。

 両方の境目さかいめとなる場所には、希望した能力者が働くレストラン『風見亭かざみてい』がある。とはいっても、来るのは施設の職員や捜査官または住んでいる能力者たちなので、どちらかというともうけより社会性を学ばせる場所である。

 隔離棟の一番奥には、ったつちに十字を立てただけの簡素かんそ墓標ぼひょうが立ち並んでいる。それは、現時点での組合に登録されている能力者全員の墓標なのだが、詳細を語るのはまたの機会きかいにおいておこう。

「ところで泉小路さん。東條さんに会いに来たってことは、何か事件ですか?」

 さてどう答えるべきか。小夜は少し悩む。

 いくら能力者の施設とはいえ、職員の大半は一般人だ。事件の事を言うべきか言わないべきか考えていると。

 隔離棟の方から一人の男が出てきた。

 男は小夜に気づくと、

「あ、どうもこんちは」

 と言って手を上げ、軽くほほんだ。

「……こんにちは」

 小夜は一応挨拶を返す。

 男はそのまま小夜の横を通り過ぎ、施設の出入り口へと向かっている。

 身長は百八十センチというところだろうか。見たところ、歳は二十代のあたりに見える。整った顔をした人物だった。

 寝癖ねぐせだかくせだか分からない黒髪に、変ながらがプリントされた白い長袖ながそでのTシャツ。下は黒いズボンを履いている。服はサイズが合っていないのか、なだらかなこつかたまわりが見えている。そしてさらによく見ると、靴下も履いていないのか裸足はだしでそのまま靴をいている。まさにニートや引きこもりと呼ばれてもおかしくない風貌ふうぼうだ。

「……あー、またか。事前に言ってくれなきゃ脱走扱いになるって言ってるのに……」

 受付の男はそうぼやきながら、どこかへ電話をかけている。

「……え⁉ だ、脱走ですか⁉」

 小夜はその単語に思わず声を上げ、慌てて後ろを振り向く。さっき横を通り過ぎた男は、何かを考えるように出入り口の前で立ち止まり、もしゃもしゃと頭を掻いている。

 そして男は大きなあくびをすると、一歩踏み出した。あんじょう出入り口の扉からけたたましい警報が鳴り響く。他に待っていた人たちも驚いて、一気にその男に注目が向けられる。

 男は一歩踏み出したまま数秒固まっていたが、何を思ったか出していた足を引っ込めた。だが警報は鳴り止まない。男は困ったなあとでも言うようにぽりぽりとほおを掻いている。

「ちょ、ちょっとあなた! 何やってるんですか!」

 小夜はようやく声を上げて男を止める。

「ん? ああ、さっきの。こんにちは」

 振り向いた男はもう一度軽く微笑みかけてきた。

 その笑みを無視し、小夜は言う。

「……外出許可がないと出られないのは知っているでしょう?」

「うんもちろん。ここに住んでるからね」

「では、それがないと脱走扱いになることは?」

「もちろん知ってるよ。居住棟の強くて怖い人たちに追いかけ回されるんだってね。

 じゃ、捜査官の仕事お疲れ様」

「ま、待ってくださいよ!」

「うん? まだなんかある?」

 と男は二つのを向けてくる。まるで井戸の底のような、暗く、黒い瞳だった。

 その時にはいつの間にか警報は鳴り止んでおり、人々の注目の視線も消えていた。警報は受付の男が止めたのだろう。

「……あなた、タグはどうしたんですか?」

 小夜は男のつま先から頭の先を見上げながらそう聞く。

 組合に住んでいる能力者は、全員が例外なく腕や手首などに「タグ」と呼ばれる入院患者が付けるようなリストバンドを装着そうちゃくしている。これにはGPSを含めた様々さまざまな機能がついており、有事ゆうじの際には電流を流して感電死かんでんしさせることもできるのである。

「ああそれ? ちゃんと付けてるよ。ほら」

 そう言って男は左の手首を見せる。その一瞬、男の姿が、ジジ、と乱れたように見えたのは気のせいか。

「……?」

 一瞬見えたような錯覚に小夜は首を傾げ、もう一度男の左手首を見る。

「そんなに見なくてもちゃんと付けてるじゃん」

 と男は言う。確かに男の言う通り、手首にはタグが付けられている。さっき見えたのは錯覚だったのかと小夜はとりあえず納得した。

 小夜は男の手首から視線を上げ、問いかける。

「……ではなぜ、脱走なんていう真似まねを?」

「だってさほら、あれ書くの面倒めんどうくさいじゃん」

 男はさらりと言った。小夜は見せつけるようにため息をついた。

 ここに住む能力者は原則として、外出の際は必ず『外出許可証』という書類を書いて事前に提出しなければいけないのだ。特に隔離棟の能力者は『なぜ』、『なんのために』、『どこへ』を細かく書かなければいけない。

 そんな決まりを面倒くさいの一言で切り捨てるとは。しかも受付と捜査官の前で。変な男だと小夜は心の中でさらにため息をつく。

「……許可証を提出していないのならばここから出ないでください。決まりですから」

「許可証は書いたよ?」

「だったらなぜ持ってないんですか?」

「それはね、部屋に忘れてきたからだねえ」

「そうですか……」

 小夜は言葉にため息を混じらせる。

「というかほら、出したよ。一週間ぐらい前に」

「……」

 小夜はちらりと受付の方へ顔を向ける。目が合った受付の男はすぐさま首を横に振った。

「嘘じゃないですか……」

 小夜はまた言葉にため息を混じらせる。

「あ、さすがにだまされなかったか」

 と男は他人事たにんごとのように笑っている。

「……馬鹿にしてるんですか?」

「いいや? 馬鹿にはしてないよ。僕がそんな人間に見える?」

「見えるから言ってるんですよ」

「あはは。僕、嘘はつくけどそんなことはしないよ? 弱い人はくだすけどね」

「最低な嘘つきじゃないですか」

「そうだよ。僕は嘘つきだ。でもそこまではひどくない」

「どっちでも同じじゃないですか……」

 と言って小夜はため息を吐き出した。

「……一応聞きますが、どこへ行く気ですか?」

 男は答えた。

「ちょっとした散歩かなあ。僕、一日一時間は外に出ないと死んじゃうの」

「ああはいはい……。それはらしい嘘ですね。騙されるかと思いましたよ」

「何言ってんの? こんなので騙されるとか、ちょっと頭大丈夫?」

 小夜は、ぴきりとこめかみに力が入るのを必死に抑え込む。

「まあ、半分は嘘じゃない。僕、嘘はつくけどさ。あ、これはホントだよ?」

「そうですか……」

 小夜はひたいを押さえながら言った。さっさと言われた仕事を終わらせておけばよかったと少し後悔の気持ちがえる。

「……とにかく、許可証を出していないのなら、ここから外には出ないでください」

「何回も言われなくても分かってるって。ここに住んでるんだから」

 と男は平然へいぜんと笑う。

 その顔を見てなんだこいつはと思うと同時、分かってるなら脱走するなよ、と小夜は思う。

 するとその男は笑いながら、

「分かってるなら脱走するなよって、そりゃそうなんだけどさあ」

 と言った。

「今日行かなきゃやばいんだよねえ。ま、ちゃんと帰ってくるからさ、これはウソじゃない。感電死とか嫌だしね。そんじゃ」

 そう言うと男は一歩踏み出した。再びけたたましい警報が鳴り響く中、男はそれを気にもせずに施設の外へ出て行こうとする。

「あ、ちょ、ちょっと!」

 小夜は声を上げるが、男が足を止める気配はない。

 小夜は受付の方に目をやる。受付の男は慣れた様子でどこかに電話をかけている。おそらく、さっきの男が脱走まがいのことをしているのは日常にちじょう茶飯事さはんじなのだろう。

 しかし、そのまま放っておくと捜査官が目の前で能力者を脱走させたことになる。そうなってしまうと上司や他の同僚になんて言われるか。

「……す、すみません! また後で来ます!」

 小夜は叫ぶように受付にそう伝え、慌てて出て行った男のあとを追う。

「……あれ? ああ、なんか捜査官の人が付き添いに行ってくれたみたいです。はい、それじゃ。お疲れ様でした」

 残された受付の男はそう言って受話器を置き、通常業務に戻った。

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