物語6

 近所のスーパーの入り口にあったカボチャの飾りがいつの間か赤やゴールドできらびやかに飾られた華麗なクリスマスツリーに変わっているのに気づき、道子はカートを引きながら山盛りに積まれている三ヶ日みかんの方に向って歩いている夫に声をかけた。「今年ももうすぐ終わるね。」夫は三ヶ日みかんを眺めながら少し切ない横顔で「年取ることに一年が早く感じるね」と答えた。

 「今度のお正月恭子ちゃんち来てくれるかな?」

 「それは来るさ。でも来るときには三ケ日の早生ミカンはもう終わるから、みかん送ってあげないと。」「みかん送るけどさ~そうじゃなくて・・・」不満そうな顔で言葉を濁す道子に「どうしたんだよ?恭子ちゃんと何かあったの?」と夫は驚いたように目を大きく開いて道子の顔をのぞき込んだ。

 夫がびっくりするのも無理はない。

 去年長男温希と結婚した恭子は、大学時代から温希と付き合っていた。若い二人は就職してから夫と道子が用事などで上京するとき、いつも二人一緒に会いに来てくれた。四人で食事をしたり、温希と夫は近くのカフェで待ってもらって女二人で買い物したりと楽しんだ。道子と恭子は色々と好みが似ていて意気投合するまでそんなに時間が掛からなかった。いろんなお店で店員さんにお母さま、娘さんと呼ばれるくらいたぶん人から見ても仲睦まじい母娘にしか見えないほどだったと思う。母娘に思われることが道子は嬉しかったし、そして恭子もチャーミングな笑顔で受け入れる様子だったので道子はそれにも喜んだ。

 温希の下に大学生の次男と三男の続く娘のいない道子は昔から来てくれる嫁は絶対にかわいがると心に決めていたが、恭子は想像したよりも遙かに満足の行く嫁だった。しっかり者で、明るくて、愛嬌のある可愛い娘さんが温希の嫁に来てくれ、自分たち夫婦とも下の弟たちとも仲良くしてくれることで道子は自分は幸運な姑だと自負した。去年も30日まで出勤だと温希から聞いたのに、大晦日におせち料理作りを手伝いたいと言って朝早く出発してお昼過ぎくらいにはもう来てくれた。

 今時おせち料理を作れる若者はいない。若者ところか、道子と同世代の主婦達もおせち料理は作るより買う方が圧倒的に多いことを道子も知っている。実際道子の働いている小さな割烹料理屋も13年前から御贔屓のお客さんたちに頼まれおせち料理の注文販売を始めた。大手の百貨店ほどではないが口コミやお客さんの紹介でこじんまりした店構えにも関わらず年々注文が増えていて今じゃ毎年20個限定で作っている。夫と二人で京都旅行に行った時の二人分の往復の新幹線料金とほぼ同じ値段のおせち料理は道子と同年代のマダムたちに大人気で毎年注文するお客さんもかなりいる。値の張るおせち料理を喜んで買ってくれるということはもちろんお店の味に対する信頼と高い評価もあるけど、三段重のおせち料理を作るための手間と時間への見返りも含まれているはずだ。

 おせち料理だけじゃなく、普段の営業の中でもつき出しから焼き物、煮物、最後の水菓子まで一つ一つの料理を丁寧に仕込み作り上げ、更に心の籠ったきれいな形でお客様に出す。長い間割烹料理屋で働いてきた道子は手際よくテキパキと同時進行でいろんなメニューを仕上げるコツも身についた。そして当たり前のようにお店でもうちでもそれをやってきた。

 丹精込めて作ったおせち料理を家族にも食べさせたくて、お店が注文販売を始めた同じ年に道子は初めて家でおせち料理を作った。前の年までは毎年同居していた義両親が大みそかに餅をつき、道子が色々小料理を作ってお正月を過ごしたがその年には義父が夏に腕を骨折し、重い杵で餅つきをすることは大変だろうと諦め代わりに道子がおせち料理を作ることにした。道子の作った華やかで豪華なおせち料理を家族みんなは喜び感動し絶賛した。それからおせち料理作りは餅つきに変わり毎年の恒例行事となった。義両親が亡くなっても道子は毎年欠かさず作ってきた。しかしどんなに手の込んだおいしいおせちでも毎年食べれるとなると当たり前になりすぎ、家族の感動も少しずつ薄れ道子はどこかで寂しく思った。更に歳のせいかこの何年間は年末お店でおせち料理の仕込みで目まぐるしく動き、大晦日には家のおせち料理の準備で何だか体が少ししんどくなって来た。しかし去年は恭子に食べさせられると思うと久しぶりにワクワクしてきた、更にお手伝いもしてくれるということで楽しみも増え自然に笑みがこぼれた。「そんなに嬉しいのか?うきうきしているね」「嬉しいよ、いつも一人で黙々と厨房で作業してたけど、今年からは気の合う女二人で賑やかに作ると思うと...恭子ちゃんにも食べさせたいし。」「あんまり張り切りすぎるなよ、疲れるよ」「大丈夫、いつもやっていることだから・・・」道子は夫の言葉を気にも留めなかった。

 しかし夫の微かな心配は的中した。初めてのおせち料理作りは恭子を窮地に陥らせた。恭子の困惑した表情で道子は遥か昔の自分を思い出した。割烹料理屋で働き始めたごろ手も足も出ずただただ女将さんの周りをおろおろするしかなかった時代を道子は忘れていたことに気づいた。そしてその時に味わった何とも言えない敗北感を恭子に味わわせていると思うと今すぐにでも作ることをやめたかったが、途中で放り投げると余計に恭子を困らせることになると思い、早く恭子を解放してあげたい気持ちでいつもよりスピードを上げ仕上げた。

 お正月の間、恭子はずっといつもとおり明るく振舞っていたけど、たまにフッと見せる不安そうな顔で道子は切なくなり申し訳ない気持ちになった。更におせち料理を作り終えてへとへとになっている恭子の横で「毎年食べるけど毎年おいしい」と無邪気に言っていた息子の温希が自分の息子ながら情けなくて恨めしかった。何度も来年からおせち料理作りはなしにしようねと言いたかったけど話をどう切り出すべきかわからず、タイミングもつかめずそのまま三が日が過ぎ温希と恭子は東京に戻った。それから道子はしばらくもやもやと悩んだが道子夫婦の事を気にかけてたまに電話をして来る恭子の声は相変わらず愛嬌たっぷりだったので道子の心配も少しずつ薄れていった。

 静岡の温暖な気候で道子は時々季節を忘れて暮らしているが、町やスーパーの飾りはいつも正しく師走の近づきを告げ知らせてくれる。そして忘れかけていた心配事も蘇った。恭子には気持ちよく来てもらい居心地よくお正月を過ごしてほしい、でもいきなり今年からおせち料理作りはやめると伝えたら気の優しい恭子はきっと自分を責めるだろう、正直道子も年の暮れまでお店で忙しく働くので、お正月休みは自宅の厨房で忙しなく過ごすより久しぶりに会う息子たちや恭子と話に花を咲かせながらのんびり過ごしたい。最近は休みの日に夫と韓国ドラマを見る事が多く大学の友達と最近韓国旅行に行ったという次男に韓国についていろいろ聞いてみたいこともあった。自分の気持ちを正しく伝えたいが伝え方が見つからず道子はこの何日間悶々としていた。

 

 夜温希から電話があった。父親に似ていてよく言えば穏やかな性格で悪く言えばそっけないというべきかどうか?いつもなら例えお礼の電話でも淡々と用件だけを伝えて来るが今日は初めから少しはしゃいだ口調のようなそしていつもよりかなり早口になってみかんの礼を伝える温希の声が気になったが何も言わず電話の声に耳を傾けた。

 「母さん、プルコギって知ってる?」

 「プルコギ?知っている。なに?温希と恭子ちゃんも韓国ドラマ見ている?最近お父さんと見ていてねドラマでプルコギ出てたのよ、どんな味だろうとお父さんと言っててね、そうそう、コストコで売ってるって。今度買いに行きたいねとお父さんと話してたところ。」

 「今日、恭子が作ってくれた。めちゃうまかった。肉も柔らかいしさっぱりしてるけどなんて言うかとにかく箸がとまらなくてさ、ほんで今度お正月帰ったらみんなにも食べてもらいたいけどどう?」

 「本当に?良いの?ま、嬉しい。恭子ちゃんすごいね!是非お願いしたい。」

そのあと恭子に電話を替わってもらい、道子は素直に自分の気持ちを伝えられた。

お正月道子はいわゆる静岡おでんを作り、恭子はプルコギを作ることになった。料理も楽しみだが道子はしばらく気を揉んでた大げさに言うと嫁姑の危機から無事に脱出できたことに安堵し、そのきっかけを作ってくれた若い二人がありがたかった。


 お正月道子の作ったおでんを恭子はおいしいおいしいと頬張りながら、東京に帰っても食べたくなりそうだからレシピを教えてほしいとかわいくおねだりしてきた。恭子の作ったプルコギは温希から聞いた以上においしかった。大きなボウルにいろいろ材料を入れて混ぜて炒めるだけだったのに味はコクがあり肉も柔らかく道子は少しびっくりした。今まで料理の味は手間に比例すると思っていたが新しい料理の価値観に触れた気持ちになった。

 「今年のお正月は多国籍メニューということで最近習った中国料理も作ってきちゃいました。日本ではあんまり使われない八角が入ってましてお口に合うかどうかわかりませんが、先生がおっしゃるには中国や韓国では昔から八角を疫病の治療薬として使ってたんですって、今も場所によってはインフルエンザの治療薬に使われるんだそうです。このメニューは免疫力アップや肌の乾燥予防にも良いんだそうです。」恭子は東京で作って来たという手羽元の料理を鍋で温めながら恥ずかしそうにしかし嬉しそうに道子に伝えてきた。

 「すごくいい香りだね。恭子ちゃんすごいね、料理だけじゃなくいろんな知識も学ぶなんて本当にえらい。ただ食べるだけじゃなく、何に良いかとか分かるとよりおいしく食べれそう。」

 「先生が料理は科学ですよ~ですって」語尾を伸ばしながら道子は会ったことはないけどきっと料理の先生の真似をしているだろうと見当のつく恭子の愛嬌たっぷりのしぐさに目を細めながら「科学ね、なるほど~」と感心した。



 

  

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幸せを運ぶ料理物語 長谷川 海燕 @kaien0726

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