物語5

 狂乱とも言えるハロウィーンコスプレイヤーでごった返しになった渋谷駅前の通りを歩きながら、恭子は憂鬱になって溜息をついた。後2ヶ月したらお正月だ。結婚して2回目のお正月、今年もお盆は恭子の実家で過ごしたので、お正月は夫である温希の実家に行くことになっている。

 格式のある無垢のダイニングテーブルに並べられている華やかなおせち料理が目に浮かび恭子は億劫になった。

 温希とは同じ大学のサークルで知り合い付き合うようになった。就職活動が始まる頃にお互い結婚を意識するようになり一緒に大学のある東京で就職活動をし、温希は区役所に恭子は中堅の不動産会社に就職が決まった。

 就職してから結婚するまでの間、義両親が用事などで静岡から上京するときには一緒に食事をしたり、買い物をしたりと良好な関係を築いた。

 義父は地元の県庁勤めで威圧感がなく穏やかで物腰の柔らかい人だ。現役で割烹料理店で働いている義母はさばさばした人で嫌みな性格とはほど遠く、良く笑い話題も豊富なので食事の時の会話も弾むし身構える必要もなく、恭子は自分は結婚しても世間で言う嫁姑問題とは無縁かもと心底安心して喜んだ。

 無事に結婚式も終わり、二人は恭子の会社が管理している新婚さん向けの新築賃貸マンションへと引っ越した。結婚10年目にはマイホームを手に入れる目標を掲げていたし、恭子も今やっている仕事にやりがいを感じているので結婚後も恭子は仕事を続ける事にした。

 不動産会社勤務の恭子はお客さんの都合で動く時が多く、夜遅くなったり週末に出勤するのは日常茶飯事だ。温希は恭子の仕事への理解もあり、掃除、洗濯は手が空いた時や週末休みの日など率先してやってくれた。食事は大学時代とあんまり変わらず、豆腐だけあれば麻婆豆腐が作れたりする××の素という便利なおかずの素に助けられたり、二人とも遅くなるときは近くのスーパーでお刺身やお総菜を買ってきたり、後はレンジで温めるだけで食べれるレトルト食品や冷凍食品など、何の不自由なく、恭子に言わせれば現代社会における働く人の満足のいく且つ合理的な食生活だった。

 恭子は心のどこかで自分は仕事と家庭のバランスを取りながら器用にいろんな事をこなせていると優越感を感じた。去年のお正月までは。

 去年、結婚して初めてのお正月だし温希から義母は毎年大晦日にはおせち料理を作ると聞いたので少し手伝った方が喜ばれると思い温希と恭子は大晦日のお昼過ぎくらいには温希の実家に着いた。

 みんなで温かいお茶を飲みながら一息つくと義母が台所の方に入っていくので恭子も後ろに続いて台所に入った。8人は座れる位の大きなテーブルの上には色んな食材が所狭しと置いてあった。

 「温希さんから義母さん毎年おせち料理を作ってらっしゃると聞きました。実家の母は毎年ではないですがたまにデパートで買ってきたり、後は大晦日にスーパーで色々既製品を買ってきて重箱に詰めるだけでした。義母さんはご自分で作ると聞いてびっくりしました。私料理あんまりできないので、手伝いながら色々勉強させてもらって良いですか?」

 「昨日まで仕事だっただろうに、ありがとうね。嬉しいし、助かる。私も今働いているお店で色々習ってできるようになったの。作っているうちにコツもつかめるし慣れると案外簡単に作れるのよ。」

 人生初のおせち料理作りの手伝い、それは緻密で丁寧な作業の連続で恭子にとっては至難の技だった。なます用に切った大根とにんじんは太さが揃わず千切りと言えるか短冊切りと言うべきか適切な名称が見つからない形になったり昆布巻きの昆布はなぜかかんぴょうがほどけたり皮を剥いたレンコンを花の形に飾りきる作業は簡単そうにすいすい進んでいる義母と同じ動作をするつもりだったが包丁が思う方向に行かず、レンコンが割れたりした。義母が半月切りも良いねと言ってくれたけど恭子は自分がこんなにも不器用な人間だったと気づき情けなさと恥ずかしさでできれば台所から離れたかったが手伝うと言うより足手纏いになっていることが悔しくて何か挽回できないかと台所の中でうろうろした。

 義母に頼まれちゃんとできたのははんぺんを手でちぎりミキサーにかけたことと皮を剥き柔らかく茹でてあるサツマイモをつぶす作業だった。恭子の気持ちを察した義母の計らいだったかもしれない。

 恭子が悪戦苦闘している間に、テーブルの上にあったたくさんの食材は次々と色鮮やかな見るからにおいしそうな作品と姿を変えて行った。そしてそれらの作品は義母の手によってまるで宝石箱に宝石を収めるように重箱に丁寧に美しく詰められ、最後に真ん中に大きくて立派な伊勢エビが陣取った時恭子はその華やかさに溜息が出るほどだった。芸術作品とも言える義母手作りのおせち料理に目を奪われているといつの間にか温希が隣に立っていて「初めてだから大変だったでしょう?お疲れ様。毎年食べるけど毎年おいしい。」と誇らしげな表情で言った。その無邪気な笑顔で恭子は言葉に言い表せない劣等感を感じた。

 温希の言うとおり義母のおせち料理は見た目だけじゃなくどれも感動的な美味しさだった。今まで食べたおせち料理はどれも大体同じくらいの甘ったるいおかずの詰め合わせのようなものだった。しかし義母のは違った。主役の伊勢海老はもちろん、脇役であろう栗きんとんはつややかで上品な甘さとなめらかな口当たりで少し弾力もあった。真っ白な酢れんこんはしゃきしゃきでさっぱりしていてほんの少しの辛みも効いていた。どれを食べても絶品だった。

 義母の手作りおせち料理は恭子に大きな衝撃と共に一抹の不安も残した。義母は慣れると簡単に作れると言ったが自分の不器用さを思い知った恭子は何年たっても慣れることはないと確信した。多分自分は一生義母と同じおせち料理は作れないだろうと敗北感も襲ってきた。

 お正月が終わって、東京に戻り目まぐるしい日々が続く中、おせち料理の記憶も薄れつつあったが、朝晩肌寒くなり、街の色んな所にカボチャの飾りが増えるに連れその不安はどんどん大きくなり、そしてカボチャがキラキラの星やクリスマスツリーに変わったごろには心に重くのしかかった。これから毎年一度義母のおせち料理と向き合わなければならない、新年早々おせち料理と共に劣等感も味わう事になる.そしてその日が少しずつ近づいている。一日過ぎることに気が重くなり、最近は仕事しながらもふっと思い出しては溜息をついたりした。

 「お正月家を見に行きたいお客さんはいないですかね?いたら私喜んで対応しますよ。」

 「恭子ちゃん、最近何かあったでしょう?どうしたの?」

 パソコンを打ちながら溜息混じりにつぶやく恭子に隣席の2年先輩の真理が柔らかい表情で微笑みながら話しかけた。恭子はお正月の義母のおせち料理の話をした。そしてお正月義両親の家に行かなくて済む自他共に納得できる正当な理由はないだろうかと嘆いた。

 「お姑さんすごいね、私もおせち料理全部手作りする人見たことないよ、それはプレッシャーだね、でも恭子ちゃん結婚する前から義両親の事は好きだったよね、仲良くしたいんだよね。」

 「はい、二人とも本当に優しくて色々良くしてくれるんですよ。去年も別に義両親が私が作れないからと言って笑ったりいやがったりすることはなかったですが、なんて言うんでしょうか?私が勝手に何か劣等感って言うか気が重いというか。」

 「分かる、私もそう、よく分からないけど、何故か姑にはライバル心って言うか、対抗心って言うか、旦那が何気なく実家の母の作った卵焼きおいしいんだよなと懐かしげに言うだけでいらっとするときあるもん」

 「それです。」

 「あ、恭子ちゃん、私最近動画配信で韓国料理と中国料理を習っているんだけどね、20分くらいの動画を見たいときにいつでも見れるからすごく便利。先生が面白いんだよ、手間をかけずに気合いを入れずに作れる簡単おいしいメニューだって。色々食材の正しい組み合わせ方や下ごしらえ方も教えてくれんだよ。1回やってみない?私も料理苦手だけど動画を見ながら作るし、簡単なので本当に失敗しないでおいしく作れるの。お姑さんに和食では多分適わないだろうから韓国料理とか中国料理で攻めるのはどう?ははは、別に姑さんは戦うつもり一切ないだろうけど、ははは」真理はチャーミングな眼差しで恭子を見つめながら笑った。

  ・・・・

 「何かすごくさわやかな良いにおいするけど何作っているの?」

 「この前習ったプルコギ、明日遅くなりそうだから、今仕込んで冷蔵庫に入れておくの。明日帰って来たらフライパンで炒めるだけで食べれる。」

 「疲れているのに仕込み大変じゃない?」

 「それが10分も掛からないの、すごいんだよ、本当にすぐできるけど味は自信ある。この前真理さんのお宅で一緒に動画見ながら作ってみた。逆にお総菜買うためにスーパー寄ったりする方が時間掛かる。」

 「へ~仕込みだけでこんなに良いにおいするんだからきっとおいしいよ。明日楽しみだね、プルコギか?韓国料理だよね、一度食べてみたかった」

      ・・・・・

 「本当だ、めちゃ早いね、レトルト温めるより早くない?めちゃおいしそう~」

 「やっぱり?私もそう思った。すぐできちゃう。」

 「うまいね、恭子すごいね、いや~家で韓国料理食べれるって贅沢だね、嬉しい。うまいよ、本当にうまいよ、肉こんなに柔らかくなるんだね、野菜は火が通ってるのにしゃきしゃきだね。この味二人だけで楽しむのもったいないくらい。これさ、お正月みんなに作ったら?きっと喜ぶよ、父さんも母さんも多分韓国料理食べたことないから。それに俺自慢したいし。」

 「フフフ自慢だなんて。本当に?お正月作っても大丈夫そう?お口に合うかな?」

 「韓国料理だけどすごく日本人になじみのある味だからきっと喜ぶよ。あ、ちょうど母さんからミカン届いたから後で電話入れる時に言おう。」

 夕食後温希は義母に電話を掛けた。ミカンのお礼を伝えてからプルコギの話をし始めた。義母に恭子のプルコギの味を自慢げに話す温希の表情は誇らしげで温かく恭子は少し照れたが嬉しかった。そして途中で電話を代わった。

「恭子ちゃん、すごいね、最近ね、休みの日にお父さんと二人で韓国のドラマ見ていてね、韓国料理おいしそうだねと話していた所だったの、恭子ちゃんに韓国料理作ってもらえるなんて夢見たい、嬉しい。今年のお正月は恭子ちゃんのおかげで少し楽させてもらっても良い?おせち料理やめておでんにしようかな?恭子ちゃん静岡おでん知っている?実は毎年おせち料理作るのそろそろ飽きてきちゃってね。今年は恭子ちゃんのプルコギと静岡おでんにしようか?多国籍料理でお正月過ごすのはどう?ふふふ。あ、でもせっかくのお正月なのにあんまり疲れないように無理のないようにね。」電話の向こうでは義母がはしゃぎながら喜んでいた。「大丈夫です。本当に簡単ですぐできるメニューですが、召し上がって頂けたら嬉しいです、静岡おでんテレビで見たことありますがまだ食べたことはないです。義母さんのおでん食べたいです。静岡おでんすごく楽しみ。」

 恭子はいつの間にか胸のつかえが取れ、気持ちが晴れ晴れしてきた。あんなに嫌だったお正月が待ち遠しくなった。多国籍料理か?そしたら中国料理も一つ付けよう。明日真理さんに報告してお礼を言わなくちゃ。


 作者より

 小説に登場する料理の実際の写真をTwitterやインスタグラムにて公開しています。



 

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