物語4

 もう二日目だ。

 いつもなら夕食が終わると娘の千香はお風呂の支度をしたり、課題が残っているからと嘆きながら自分の部屋に戻ったりしたがこの二日間は食事が終わってすぐ後ろポケットからスマホを取り出して操作を始め、おとといは春が自分の部屋に戻るまで千香は動かなった。昨日も食事が終わって春の片づけが終わるごろになっても千香は指先以外はまったく動く気配がなかった。洗い物をしながら注意したい気持ちを抑えて様子を見ることにした。途中で腰あたりを左右に動かしているのでやっと起き上がると思ったらお尻を椅子の背もたれの方へとぐいぐい押し込み、両足までも椅子に乗せて体育座りになってしまった。千香はその窮屈そうな姿勢で居座り、無言でスマホをいじり続けていた。とうとうしびれを切らした春は拭いていたお皿をテーブルの上に置き布巾を持ったまま「ね、明日ごみの日だから自分の部屋のゴミをベランダの大きいごみ箱に入れておいて。」と頼んだ。ゴミを出してほしいというよりスマホをいじり続けることをやめさせる口実だった。千香は視線を上げることなく目線はスマホのままで「後で、今忙しい」とぶっきらぼうに答えた。

 「スマホをいじってるのに、忙しいわけないでしょう?早くしなさい。」

 「明日の朝出すから。」

 「嘘おっしゃい、いつも時間ギリギリに起きるくせに。朝出せっこないでしょ?!今やりなさい。」

 「もう~ママうるさい」

 「は?!」

 「面倒くさい!」

 春はついに堪忍袋の緒が切れた。

 「面倒くさい?!あなた生きるのは面倒くさくないの?!大体ね、人が話しているのに、頭も上げずずっとスマホばかりで、そんなんだから成績もどんどん下がるんだよ!」

 「なんでここで成績の話になるわけ?意味わかんない!」

 「当たり前でしょ?全部繋がってるんだから、生活態度最悪、だらしない、毎日だらだらとスマホばかり、学習意欲ゼロ、何か言えば素直に聞くときはない、いつも口答えばかり!この先真っ暗よ!」

 「ママだってだらだらするときあるじゃん、だらしない時だってあるじゃん、この前だって飲んでべろんべろんに酔っぱらって次の日だって、ごはん作るの面倒くさいとか言ってたじゃん。」

 「面倒くさいと言いながらもあなたのために頑張って起きてごはん作ったでしょ?千香は面倒くさいというだけでそのあとやらないでしょ?」

 「だから明日やるって言ったじゃん」

 「明日やると言ってやったためしがない、いつも屁理屈ばかりで本当に見ているとイライラする」

 「じゃ、見なければいいじゃん!」

 「だったら、見えないところ行って一人で勝手に生きていきなさい。」

 「もういい!ママと話すとこっちもイライラする!」千香は捨て台詞を吐いて自分の部屋に逃げ込んだ。

 凄まじい喧嘩のあとは必ず自己嫌悪に陥る。押し寄せる後悔で胸が押しつぶされそうになる。離婚を後悔したことはないけど、父親がいればこんなに激しくぶつかり合わなくて済むだろうか?と思う時はある。シングルマザーだけど愛情いっぱい注ぎながら育てているつもりだ。しかしどこがいけなかったか?どういけなかったか?どうしてこうなったのか?自問自答しながら春は布巾を手に握りしめシンク台の前に立ったまましばらく一人でぼうっとした。

 ラインの通知音で春は我に返った。慌てて手を拭いて確認したら画面に「きみちゃん」と表示が出ている。千香と同じクラスで同じ弓道の部活をやっている桃ちゃんの母親だ。中学も一緒でずっと仲良しだった子供たちを通じて付き合いが始まり、今じゃお互いの家を行き来したり、一緒に料理教室にも通う気心の知れた間柄だ。

 「土曜日試合見に行く?」

 「試合?何の?」

 「うん?千香ちゃんから聞いてない?今週土曜日藤枝の市民体育館で県大会だよ。二人とも個人戦もあるけど団体戦メンバーにも入れたって。」

 「本当に?でもまだ聞いてない、さっきまで喧嘩してたよ。」

 「喧嘩?フフフ・・・うちもしょっちゅうだよ。」

 「きみちゃんとももちゃん?喧嘩するの?」

 「するする。当たり前じゃん。この前なんてお弁当箱出す出さないで激しくやり合ったもん。喧嘩終わってからその日暑かったので夕方まで窓開けていたこと思い出して慌てて確認したのよ、幸い閉まっていた。近所迷惑にならなくてよかった。フフフ・・・」

 肩まで伸ばしたきれいなミディアムヘアと可愛らしいポニーテールが違うだけで大きくて澄んだ目元がそっくりで一目で親子だと分かる朝の情報番組に出るお天気キャスターを連想させるさわやかな雰囲気の仲良し親子があのすっきり片付いているけど温かみのあるリビングで(春は桃ちゃんのうちのリビングとお手洗いしか知らないのでリビングしか頭に浮かばない)激しい母娘バトルをを広げる姿が想像できず、春は「へ」の形で口を大きく開けたまま指先を動かした。

 「ごめん、桃ちゃん家も喧嘩すると聞いて少しほっとした。」

 「それはするさ、親子だからお互い遠慮ないもん。きっと明日になったらけろっとするよ、うちもそう。大丈夫だよ。千香ちゃんはとてもいい子だよ。」

 「一回怒り出すと自分がコントロールできなくて。」

 「分かる、私も頭では分かっているけど、口が止まらないの、またよりによって子供は一番痛いところついてくるのよ、そうすると引くにひけない。」

 「そうなの、一番言われたくないことを言ってくるよね。」

 「そういえばこの前先生が反抗期の子供とは丸い食べ物や明るい色の食べ物を一緒に食べると親子で心が和らぐと言ってたね。明日お弁当に丸い形の食べ物何か入れてみる?」

 「丸い食べ物?あ、この前習った肉団子たくさん作って冷凍してある。」

 「肉団子冷凍できるから便利だね、私も今冷凍庫に入っている。私も明日のお弁当肉団子にする。」

 「お弁当お揃いだね、嬉しい。ありがとう。土曜日の試合私も応援しに行く。」

 前回の料理教室では食事は栄養だけじゃなく、食材の色や形も大事だという話を聞いた。人は本能的に丸いものを見ると癒されたり、明るい色で気分が晴れやかになったりはしゃぎたくなると。赤ちゃんが丸いものや明るいものを見るとキャッキャッと喜びながら触ろうとするのもその本能の故だと。だからどこの国も子供に人気なキャラクターはほとんど丸い形の顔や体で更に明るい色鮮やかな服やマントを身につけているとの話だった。聞きながらなるほど~と納得したことを思い出した。

 明日一度実践してみる事にした。春は冷凍庫から肉団子を出し冷蔵庫に入れた。ちょうど同じ料理教室で習った作り置きの煮卵もまだある。後はホウレンソウのナムルを作って隙間にミニトマトを入れたら完璧だ。春はいつの間にか気分が晴れた。

 朝、千香は予想通り両頬を膨らませ唇を尖らせ自分の部屋から出てきた。大股で歩く右手には透明な小さなビニール袋を提げていた。お菓子袋やガムの箱のようなものが見えたので自分の部屋のごみを入れてきたと分かった。無言で春の前を通ってベランダに出てごみを入れるとまた大股で戻っては春とは目を合わせないままお弁当袋を持って部屋を出た。全身を使って春に対する不満と怒りをぶつけながらも春が用意したお弁当は持っていく千香が何だか愛ぐるしくて春は千香が家を出る音が聞こえてから声を出して笑ってしまった。今日一日お弁当の効果が気になり春はソワソワした。

 夕食の支度をしてたら「ただいま」といつもより幾分小さな声で千香が入ってきた。「お帰り」春も小さいけど極力優しい声で答えた。

 「お弁当おいしかった。桃と肉団子お揃いだった…昨日はごめんなさい。」

 「お揃いで嬉しかった?ママも昨日言いすぎた、ごめんなさい。」

 「ううん~これから言われたことはできるだけちゃんとやる。」

 「ふふふ、必ずじゃなくて、できるだけなのね、いいよ、できるだけで。土曜日の試合応援しに行くね。」

 「うそ!ママ来てくれるの?試合の事知ってたの?」千香は目をキラキラさせながら弾んだ声で嬉しそうに聞いてきた。

 「昨日喧嘩した後、桃ちゃんママにラインもらったの。団体戦メンバーってすごいじゃん、嬉しい!頑張って!」春も思い切りの笑顔で自分の喜びを千香に伝えた。

 「うん、ママが来てくれるからもっと頑張れる。スマホね、実は団体戦メンバーでグループライン作って出る順番や作戦を話し合ってたの。」

 「そうだったの?ごめんね、確認もしないで怒ってばかりして。ママ先に千香に聞くべきだったね、ごめんね」

 春は思わず千香をぎゅっと抱きしめた。「もう大丈夫、平気。私の普段の行いも悪かったから。」春の背中を優しく摩る千香の手が柔らかく温かかった。


 作者より:小説に登場する料理の実際の写真をTwitterやインスタグラムにて公開しています。

 

 

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