【短編】眼鏡の魔王と天空の城

石和¥「ブラックマーケットでした」

眼鏡の魔王と天空の城

 ――空、きれい。


「じゃねーよ!」


 なにこれ。目が覚めたら山のなかなんだけど! 着てんの、よりによって上下ダルダルのスウェットなんだけど!

 しかも、これ崖っぷちから見下ろしてみた限り空飛ぶ島っぽいし! ふもとに降りられないんだけど!

 天空の城かと思ったら、城は完全に廃墟ってかギリシャ神殿の遺跡くらいしか残ってないんだけど!


「さみ。ひもじい」


 これ雨降ったら詰むな。標高というか飛行高度が判明しだい対処を考えようかと思ってたら眼下の雲海が晴れ、わずかに地上が見えた。


「あかん」


 最低でも五百メートルはある。しかも、超険しい山の天辺ぽい地点でそれ。民家があるような下界はさらに下、たぶん三千メートル以上は下だ。

 どこかにコントロールルームでもないかと島内をうろつく。いや、この際マジで屋内退避できれば何でも良いわ。


 何かフタみたいなの見付けて開けたらハッチがあった。潜水艦の入り口をイメージしたら良いか。明らかに人工物で、近現代のディテール。賭けるとしたら、ここしかない。


 ハシゴを降りること十メートルほどで、古い病院のような廊下に出た。よしよし。電源生きてる。とはいえ、灯りは紅い非常灯だけ。しんと静まり返っていて正直、気味が悪い。


 廊下の突き当たりにある重厚そうな木製のドアには“Erlking”と書かれたドアプレートがある。なんて読むんだ?

 ノックをしてみるが、返答はない。ドアを開けると、フワッとオゾン臭がした。コピー機をフル稼働したときのような匂いといえばいいか。


「……んぁ、なんか来た?」


 リアクション軽いな。寝起きっぽい声だ。部屋の住人は、俺のノックかドアを開ける音で目を覚ましたようだ。


「失礼、エールキングさん?」


 古びたデスクの向こうで俺を出迎えたのは、シワクチャのスーツの上にこれまたシワクチャの白衣を羽織った、“わたくしマッドサイエンティストでございます”といわんばかりの人物だ。

 年の頃は三十前後か、もう少し若いか。銀縁眼鏡にひっつめ髪の、白人女性だった。

 顔立ちは整っているのだけれども、化粧気もなければ愛想もなく、いかにも寝起きという眠そうな目をしている。ちょっと太めの眉毛が意志の強さを表している。あるいは、お手入れの怠りようを。まあいい。


「俺は、タキっていうんですが……」

「へえ、美味そうな名前だ」

七面鳥ターキーじゃないすよ。失礼ですが、あなたは?」

「あー、我が名は魔王」

「は」

「魔王城へようこそ」

「すげえ棒読みすね。あとムッチャ面倒臭そう」

「様式美だ。とはいえ七回もやれば飽きもする」


 部屋の主人であるエールキン女史は、そういって醒めた笑みを浮かべる。目の前の椅子を勧められ、座ると紅茶を入れてくれた。ぬるい出涸らしだけど。お茶を飲めるくらいの環境は整備されてるのね。


「俺で七回目って……ちなみに、前の六人は」

「ファイアだ」

「焼き殺した?」

「いや、馘首クビだ。使えんので、元いたところに送り返した」

「送り返せるのね。そこだけは、ちょい新しいかも」

「飛ばされてきた状況しだいだな。事故にあって魂だけ引っこ抜いてきたような場合だと……」


 彼女は言葉を切って、肩をすくめた。


「まあ、あるべき場所に戻るわけだ」


 ひでぇ。

 つうか、このひと笑ったときの方が遥かにムスッとしてるように見える。そして急に心ここに在らずという感じで考え事を始める。その後なにかを思いついて、あるいは興味を失ってなにやらメモを書き殴り始める。

 彼女のデスク上に小さなノートPCっぽいものがあるのに気付いた。PDAの類かも知れんが、少なくともタイプライターとかではない。接続台クレイドルのようなものに接続され、そこからは複数のケーブルが部屋の隅にあるジャックに伸びている。端末の画面は見えないのでどういう機能のものかまでは不明。電源は通ってるし、何がしかのネットワークも繋がってるようだ。

 だったら、なんとかなる、気がする。願望込みで。


「サイオンだ」

「え?」


 俺の視線に気付いたのか、端末を指した彼女は掛け値無しで心底ウンザリした顔を見せた。それでわかったが、常にムスッとした彼女の表情にもグラデーションはあるようだ。犯罪にも濃いグレーから淡いグレーまでグラデーションがあるみたいに。


「知らんか。ネットブックというゴミを生産していた時期があってな。この島の制御と機能拡張、そして情報収拾は、その骨董品のゴミクズガーベッジが唯一の入出力端末になっている。絵に描いたような悪夢だぞ? いってみれば、だな」


 ひどく嬉しそうにいうけど、なにが面白いのか理解できん。そもそも笑いどころなのかもわからん。これで日本人はジョークがわからん、みたいな評価を受けるのも納得いかん。かといって愛想笑いするのも違う気がする。

 今後は雇用関係になるというなら、ここはビジネスライクに行こう。


「ああ……失礼、ミス・エールキン」

「そうか、君はジャパニーズだな。もしかして、英語は苦手か」


 今度は何の話かと思ったが、とりあえず頷く。実際かなり苦手だし使う機会もなかった。特に会話は壊滅的だ。業務上に必要な英語文書は最低限の資料を読むことくらいだったから、テキスト翻訳で乗り切った。


「ドアに掛けられた名札あれは、わたしの苗字ではない。魔王……正確には、神話に出てくる、子供を取って喰らう魔物の王だが。ほら、シューベルトの曲にあるんだが、知らないか?」

「“魔王”ですね。聞いた覚えはありますが……それが、あなた?」

役割ロールとしてはな。子供は喰わんし、好きこのんでこんな珍妙な場所に来たわけでもないが」

「え? それじゃ、なんでまたこんなところに?」

「ああ……何だろうな。あえていえば……呪い、かな」


 “かな”て。一体なにがどうなってるの? そして、俺の未来はどうなるの。


「さて」


 また様式美モードになったミス魔王女史エールキンは古風な巻物を取り出して広げた。魔法陣のようなJISマークのような素っ気ない文様がわずかに光る。


「我と契約を結ぶか。なんにせよ、ここから先に進むとしたら他に建設的な方法はない」

「……えーと、はい。……内容次第ですが」

「時給でも良いが、日給なら勤務形態と勤務時間により百八十から二百三十ドル。週休二日で月四千……四、五百ドルかな。金塊払いも出来る」


 ……普通に雇用契約だったよ。つうか、ドル。魔王が。


「ちょ、待って。契約って、そういう? てっきり、こう……魔界に召喚されて、血をなんかして、魂がどうとかするんだと」

「ハードカレンシーオンリーな魔界」

「シュールすな。ちなみに日本円は?」

「手数料が高いし手間も掛かるから勘弁して。魔王ってばバークレイズの口座維持費払うの忘れて凍結されちったし。為替レート調べんの面倒だし。てか金融市場で“ハードカレンシー”だからって個人まで同列に扱えるわけないじゃん阿呆なの?」

「誰に怒ってるんですか」


 いや、何その世知辛い魔界。そもそも、ここ魔界か? どこぞの魔法学園っぽい風情がある。


「あれ、バークレイズ? 魔王陛下イギリス人?」

「ああ。生まれはジブラルタル」

「……うぉう、ロマン地名」

「契約書そこね。サインだけしといて。記入したらあちこち光るから驚かないように」

「ああ、はい。ところで、魔王陛下?」

「なにかね」

「ビジネス上の契約を結ぶのであれば、あなたの最終目的ゴールを教えてもらえますか。人類の殲滅とか、世界征服とか」

「いや、そんな趣味はない。大それた野望も持っていない。さほどの目的意識もなかったんだがな。必要なら考えておこう」


 モラトリアム魔王。まあ、いっか。記入したところで巻物が光り始めた。魔王女史のなんとなく満足そうな顔を見る限り、契約条件を承認した感じの反応なのだろう。


「くはははは! これで貴様は我が下僕しもべとなる!」


 怪訝そうに見ていると急に恥ずかしそうな顔で背を向ける。


「ごめん、様式美」


 いってみただけのようだ。いちいち照れるくらいなら、やんなくていいのに。


◇ ◇


 雇用契約が済んだところで、仕事の話になる。魔王様は呪いによりこの天空の島から動けないそうなので、パートタイムの眷属である俺が彼女に代わって雑務を行うわけだ。


「具体的にいえば、買い物とか」

「買い物?」

「ああ。我らが魔王陛下は、こちらの世界の物資と、元いた世界の物資を交換、換金して利鞘で暮らしている」


 なんだろう、この微妙なこじんまり感。


「メイドとかいないんですか」

「ううむ。やはりイギリス人を名乗るなら雇うべきかな」

「そういう話ではなく、掃除や洗濯や炊事は? 見た感じ魔王、身の回りのことダメなタイプでしょう」

「ダメ……ではないが、あまり気にしないたちだな」

「ちなみに、最近の食事は」


 少し考えて彼女が指差した先には、ポテチらしき袋の残骸。あとバナナの皮。なんでそのままなんだよ。捨てなさいよ。


「た、たまたまだ。昨日は、少し忙しくてな」


 うわ、すごいダメ感。このひと、ずっと独身のままでいる研究職タイプの女性だ。


「そしてな、もうひとつは呪いを解くための協力だ」

「話逸らされ……って、え? それは、あなたを解放するため、ということですか」

「いや、わたしがここに縛られているのはまあ、自業自得だから構わんがな。魔王には魔王の、役割というものがあるようなのだ。具体的にいえば、世界を滅ぼすとかだな。そういうオーダーが定期的に、このクソ端末に届く」

「……それに、協力しろと」

「正直あまり気が進まん。そもそも外の世界がどんなものか知らん。滅ぼされるべき存在なのかも、どうやったらそれができるのかもだ」


 だから、と自称魔王陛下は語る。


「わたしの調査依頼に応えてくれたら報酬を出そう。技術や物資の支援もしよう。答えを手に入れた暁にはボーナス付きで解放する。どうだ?」

「……まあ、それなら、構いませんが」

「決まりだな。これを持っているといい」

「これ……って、スマートフォン?」


「ヴァーチュのコンステレーション。すごいぞ、英国製の地獄に相応しい嫌がらせサーヴィスだ。その大きさ重さで通話以外ほぼ使い物にならん」

「え」

「プリインストールのGPSナビが入ってるから、星座コンステレーションを見る程度の役には立つ。異世界に衛星があるとは思えんので、正解にはGPSではないだろうがな」


 さて、かくして魔王のパートタイム眷属となった俺は最初のお使いに出ることになった。その行き先は。


「十九世紀末の、ロンドン⁉︎」


 魔王の眷属として東奔西走を繰り返した俺は、後に“死を贖う魔王配”として二つの世界にその名を轟かせ、巨万の富と無敵の大帝国を築き上げることになるのだが……


 それはまた、別の話だ。

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