エピローグ
「セティさん、どうですか? 声、出そうですか?」
エレナが心配そうに訊ねると、セティは喉を撫でながらゆっくりと口を開いた。
「あ……、大丈夫、声、出る」
十年も声が出せなかったせいか、まだかすれていてたどたどしい発音だが、セティの口から出た声を聞いて、エレナはほっと息を吐き出した。
ジュリアが作った人魚から人になる薬は、異能の呪いの力を応用したものだから、エレナの絶対解呪の力で、もしかしたらセティの声を取り戻せるかもしれない。ジュリアがそう言ったので、エレナが試した結果のことだった。
いまだに力の使い方がはっきりしないエレナであるが、どうやら触れることで効果があるかもしれないと気がついたのは、レヴィローズで茨の種に触れた時のことだ。ジュリアが触れても何ともなかったのに、エレナが触れたら茨の種は粉々に砕け散った。ユーリにかかっている呪いのように強すぎる呪いを完全に解呪することはまだできないが、呪いの力の大きさによってはエレナでも対処できるようなのだ。セティの失われた声は、ジュリアの作った薬の副作用的なもので、それほど強い呪いの類ではないそうだから、ユーリのように一時的な解呪ではなく、きちんと解くことができたはずである。
「エレナ、ありがとう」
セティが微笑んで礼を言う声を隣で聞いていたマギルスは、驚いたような顔をしてセティを見つめた。
「君の声、はじめて聴いたはずなのに……、どうしてだろう、どこかで聞いたことがあるような気がするよ」
セティはそれには微笑んだだけで答えなかったが、マギルスが聞いたことがあると思ったのならば、それはセティが溺れたマギルスを助けた時のことだろう。彼を岸まで連れて行ったセティは、水をたくさん飲んで一時的に呼吸を止めてしまったマギルスに人工呼吸をしながら何度も呼びかけた。その時の声をぼんやりと記憶しているのだろう。
セティの毒の後遺症についても、ジュリアが毒の成分を解析して解毒薬を作っている。もうじき完成するそうだから、そちらのほうも無事に治りそうだ。
リザベル妃の罪については、裁かれるリザベルが泡になって消えてしまったため、話し合った結果、リザベルは侍女を殺害したあとで自ら海に身を投げたとすることにしたらしい。
エレナは語りあるセティとマギルスの邪魔をしてはいけないと、立ち上がるとそっと部屋から出て行った。
部屋を出ると、廊下にはユーリが壁に寄り掛かるようにして立っていた。
「二人の結婚式は、少し落ち着いてから来年あたりにするらしい」
「そうですか。よかった……って言ったら、リザベル妃に失礼かもしれないですが、よかったって、思います」
「まあ、多少後味は悪いが、これでよかったんだろう。お前に毒を盛ろうとした女に同情するつもりもないしな」
「リザベル妃の祖国は、何も言ってこないでしょうか……」
「タルマーンが何か言ってくることはないだろう。俺の妃に毒を盛ろうとした責任をどうとるつもりだと言ったら、嫁いだ娘のことは知らんからカドリアに責任を取らせろと言ってきた。もしこれで何か言ってくるものなら、必然的にお前に毒を盛った責任も取ることになる」
それはつまり、リザベルは完全にタルマーン国王に切り捨てられたということだった。自身の娘の死にそこまで冷淡でいられる国王は、どこかエレナの父の姿を思い出させて、悲しくなる。
リザベルのしたことは決して許されることではないが、ただ彼女は自分を見てほしかっただけではないのかと思うと、エレナはやるせない気持ちになった。
エレナとユーリが並んで歩いていると、反対側から歩いてきたライザックが大きく手を振った。
「ちょうどよかった。バルトル国に向かう船だけど、四日後に出立だってさ」
「そうか。カドリア国王に礼を言わないとな」
バルトル国へ向かう船であるが、一般人も利用できる客船ももちろん出航しているが、カドリア国王の好意で王家専用の船を出してもらえることになったのである。帰りの船も用意してくれるらしい。
「水上ヴィラの宿泊の手配もしてくれたよ。王妃様の知り合いがやってる宿があるんだってさ」
「ああ、そういえば王妃はバルトル国出身だったな」
すると、わざわざ知り合いに連絡してくれたのだろう。何から何まで至れり尽くせりである。
ユーリがカドリア国王に礼を言いに行くというから、エレナは待っている間、庭に下りることにした。
かわいらしい形に剪定された灌木の眺めながら歩いていると、四阿に人影を見つけて立ち止まる。四阿に一人で座っていたのは、カドリア王妃だった。
王妃はエレナを見つけるとにこりと微笑んで、ちょいちょいと手招きした。
「お一人でどうされたんですか?」
王妃が侍女も伴わず一人でいるのは珍しい。
エレナが手招かれるままに隣に腰を下ろすと、王妃は近くに見える噴水の方を見やりながら言った。
「ここはね、リザベルが好きでよく座っていたわねぇと思ったら、なんだか少し考えさせられることがあってね」
「リザベル妃が……」
思い出して見ると、最初にリザベル妃と会ったのもこの四阿だった。四阿からは噴水や、海の生き物の形に剪定された灌木が見渡せる。さらさらと噴水の水が流れる音を聞きながら、王妃はポツンと言った。
「こうなったのは、わたくしや陛下のせいかもしれないわ」
その声には、多分に後悔がにじんでいた。
「マギルスが、リザベルと結婚する前のことよ。わたくしたちのもとに、あの子が来て言ったの。結婚したい女性がいるって。その女性は出自も当然身分もわからなくて、口のきけない女性だったわ。そう、セティのことよ。あの子、はじめて女の子を好きになったんですって。どこの誰ともわからない女性。でも彼女のことを本当に愛してしまったからって。わたくしは母として応援してあげたかったけど、王妃として応援してあげるわけにはいかなかった。その時はすでに、タルマーンからリザベルとの婚約の話が来ていて、断れる状況ではなかったから。あきらめなさいと、わたくしは言ったわ」
タルマーンからの、リザベルとの婚約の打診。これはほとんど脅しのようなものだった。マギルスの命を救ってもらった恩もあり、断るわけにはいかない。断るにしても、出自の知れないセティとの結婚という理由は、あまりに弱すぎた。国王と王妃としても、身分のわからない、しかも口のきけない女性を未来の王妃にするわけにはいかない。結果、マギルスはセティとの結婚を許されず、リザベルと結婚することになった。
「もしあの時、セティとの結婚を許していれば、こんなことにはならなかったでしょう。あの子にもセティにも、そしてリザベルにも……、悪いことを、してしまったわ」
カドリア王妃は四阿のつるりとしたテーブルを指先でなでた。
だから今度は間違えないつもりだと、どこか愛おしそうに四阿のテーブルの上を何度も撫でる。
「今度こそ、あの子にもセティにも幸せになってほしいわ。でもね、わたくしは、リザベルのことも、一生覚えておこうと思うの。わたくしは確かに間違えた。でも、こんな形で終わってしまったけれど、リザベルはわたくしの義理の娘になった子ですもの。悲しくても、ずっと覚えていたいわ」
王妃はそう締めくくって、つまらないことを聞かせてしまったわねと笑った。
エレナは首を横に振った。
泡になったリザベルに、今の王妃の言葉が届くだろうか。
(聞こえてると、いいな)
リザベルが欲しかったものはもしかしたら、彼女が思っていたよりもずっと身近にあったのかもしれない。
エレナは祈るような思いで、そっと目を閉じた。
【Web版】絶滅危惧種 花嫁 ~無能だと蔑まれていましたが王子様の呪いを解いて幸せになります~ 狭山ひびき @mimi0604
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます