14

 国王の執務室に呼び出されたリザベルは、部屋の中を見渡して怪訝そうな表情を浮かべた。呼び出された意図がわからない。

 執務室にいる誰もが険しい表情を浮かべていたが、そんなことよりも、マギルスがセティを守るように抱きしめているのが気になった。

 妃の自分の前でほかの女を抱きしめるなんて、いったいどういうつもりだろう。

 リザベルが眉を跳ね上げて抗議しようとして、そのとき。


「リザベル、そなたが侍女を殺害したようだな。残念だよ」


 国王が静かな口調で言って、すっと白い粉の入った袋を持ち上げる。

 リザベルは瞠目して、茫然と立ち尽くした。






「いったい何の話でしょうか?」


 リザベルが表情を凍り付かせたのは一瞬だけだった。

 一瞬後、彼女は嫣然とした笑みを浮かべて見せた。

 ユーリがすっとエレナを背中にかばい、ジュリアが国王から白い粉の入った袋を受け取ると、ひらひらと目の前で揺らした。


「これがあんたの部屋から出てきたのよ。王都の裏路地にある店に、あんたの侍女が買いに来たのも確認ずみよ。言い逃れはできないんだから、観念することね」

「なんのことだか」

「とぼけたって無駄よ。今回も、そしてセティが高熱を出す原因を作った毒も、すべてあんたの侍女が買いに来たって店の親父が白状したわ」


 なんならその親父をここに連れてきてもいいのよ――、ジュリアがそう告げると、リザベルの表情が一転する。

 眉を吊り上げて、真っ赤な口紅を塗った口をわなわなと震わせ、鋭くジュリアを睨みつけた。

 エレナは怖くなって、ユーリの袖をきゅっとつかんだ。


「なんなの、あなた!」

「あたし? あたしはセティのちょっとした知り合いよ」

「たかだか侍女の知り合い風情が、このわたくしに偉そうな口をきかないで!」


 リザベルが怒鳴ると、国王が「そこの女性はノーシュタルト一族の女性だ」と告げた。ノーシュタルト一族はどこの国にも属さないが、異能という力によって、それぞれの国で畏敬の念をもって接されることが多い。リザベルの出身国タルマーンでも例にもれずノーシュタルト一族の名は有名なようで、彼女はさっと表情を変えた。ノーシュタルト一族は怒らすな。彼女の国ではそう言われている。どんな報復をされるかわからないからだ。

 リザベルはノーシュタルト一族と聞いてぎくりとしたが、ジュリアたちを睨みつけることはやめなかった。


「わたくしの侍女が買いに行ったというのなら、侍女がやったことかもしれないわね。だから自ら命を絶ったのかもしれないわ。それについては申し訳なく思うけれど、わたくしは感知していないことだわ」

「なるほど、そうきたか。つまり、この粉もあなたは知らないって言いたいのね?」

「当然だわ。わたくしにはそんな毒は必要ないもの」

「そう。ところで、どうしてこの白い粉が毒だと思ったの? あたしはこれが毒だなんて一言も言っていないけど」


 ジュリアはにやりと笑った。

 リザベルの表情がさっと強張ったのを見て、エレナはそっと目を伏せる。確かにジュリアは手に持っている白い粉はリザベルの部屋から出てきたと言ったが、毒だとは告げていなかった。もっと言えば、ジュリアがその粉を見せた時、一瞬のことだったが、彼女の表情が変わったのをエレナは見ていた。砂糖にも塩にも見えるその粉を、正しく何なのか認識していたからリザベルは表情を変えたのだ。


「あなたさっき、わたくしの侍女が毒を買ったと言ったじゃない!」

「でも別に、これが毒だとは言ってないわよ」

「屁理屈よ!」

「そうかしら? まあいいわ。喋り通しで疲れたからお茶しない? おいしそうなお菓子をいただいたのよ」


 ジュリアが唐突にそんなことを言い出して、リザベルも、そしてエレナたちもぽかんとした。この状況でお茶に誘うなんて何を考えているのだろう。

 案の定、リザベルは顔を真っ赤に染めてわなわなと震え出した。


「あなた、わたくしをからかっているの!?」

「違うわよ。ただ喉が渇いただけよ」


 ジュリアはそう言って、ぱちりと指を鳴らす。

 執務室のテーブルの上に二組のティーセットが出現し、中央にエレナも見覚えのあるチョコレートの箱があらわれた。

 リザベルの表情が明らかに変わったが、ジュリアは飄々とした態度で、チョコレートの箱を立ったままの彼女に差し出した。


「このチョコとてもおいしいのよ」


 リザベルは箱の中に入ったチョコレートを怯えたような瞳で見下ろした。一口サイズのチョコレートは貝殻の形に象られていて可愛らしい。


「い、いらないわ」

「あらどうして? あなた、このチョコ好きなんでしょう?」

「好きじゃないわ!」

「変ね。あなたの侍女が、あなたが自分の好きなチョコレートだからってエレナに届けてくれたらしいけど」

「そんなはずないわ!」

「おかしいわね。このチョコを打っている店の店主が、あんたの侍女が買いに来たって言っていたけど。だからこれ、エレナに届けてくれたんでしょ? エレナは優しいから、あなたと一緒に食べようと取っていてくれたのよ。せっかくだから、あたしも一ついただくわね」


 ジュリアは箱の中から巻貝の形をしたチョコレートを一つつまんだ。ジュリアがそれを口に近づけるのを見て、エレナは思わず声を上げそうになったが、ユーリがエレナが声をあげるより早くエレナの口をてのひらでふさいだ。


(だ、だめ……!)


 あのチョコレートには毒が入っている。

 エレナはユーリに口をふさがれてなお声を上げようとしたが、エレナがくぐもった声を上げるより前に、リザベルがジュリアの手からチョコレートを叩き落した。

 ころころと毛足の短い絨毯の上を転がっていったチョコレートを目で追って、ジュリアは細い首を傾げる。


「あら、ひどいことをするのね。あなたの贈り物のチョコレートをあたしが食べると、不都合でもあるのかしら?」

「わたくしはそんなもの贈ってないわ!」

「そんなはずはないわ。だってあなたの侍女がそう言ってエレナに届けたらしいもの」

「贈ってないって言ってるでしょ! どうしてわたくしがエレナ様に毒の入ったチョコレートを贈るのよ!」

「あら、このチョコ毒が入っていたの? 知らなかったわぁ」

「ふざけないで!」

「ふざけてなんてないわよ。だってわたし、知らないもの」


 ねえ、とジュリアはマギルスを振り返った。

 マギルスは半ば唖然としたようにジュリアとリザベルのやり取りを見ていたが、ハッとすると、ジュリアの意図に気がついて頷いて見せた。


「エレナ妃に毒入りのチョコレートが届いたことは、緘口令が敷かれて誰も知らないはずだ。もちろん君にもいっていないはずだが、リザ」

「な――」


 リザベルはキッとジュリアを睨みつけた。

 ジュリアはふと真顔になると、転がったチョコレートを拾い上げて言った。


「あんたが贈ったチョコだって言って食べたあたしが毒で死んだら、真っ先にあんたが疑われるものねぇ。そりゃはたき落とすわよ。でもそこの王子が言ったように、エレナに贈ったチョコに毒が入っているって知ってるのは、一部の人間だけ。当然よね。他国の王子妃に毒が盛られたなんて、周囲に漏らすわけにはいかないもの。もちろん誰もあんたの耳には入れていない。なのにエレナに贈ったチョコに毒が入っているって知ってるってことは、どういうことかしら? さあて、まだ言い訳できる? 満足するまで聞いてあげるわよ」


 リザベルはきゅっと唇をかみ――、そして次の瞬間、声を上げて笑い出した。

 ジュリアが拾ったチョコレートを箱に戻しながら、怪訝そうに眉を寄せる。

 リザベルはひとしきり笑うと、開き直ったように笑った。


「ああ、もういいわ。そうよ、わたくしよ。エレナ様に毒入りチョコを届けさせたのも、失敗した侍女を殺したのもね」

「リザ、君はどうして……」

「どうしてですって? それもこれも、全部あんたが悪いのよ! わたくしの計画は完璧だった。単純なあんたをだまして妃になって、わたくしをないがしろにした父や兄弟たちを見返すことだってできた。それなのに、今度は夫になったあんたがわたくしをないがしろにしたのよ! いつもいつもそこの侍女風情ばかりを気にして! だからその侍女を城から追い出してやろうとしたのよ! 悪い? でももういいわ。わたくしはこれでおしまい。侍女を殺したのはまだしも、ロデニウムの王子妃に手を出したのはまずかったわね」


 リザベルは肩をすくめると、ゆっくりとした動作でドレスのポケットに手を差し入れた。

 王妃が両手で顔を覆い、国王がその肩をそっと引き寄せる。

 エレナもユーリも何も言えず、ジュリアは疲れたようにソファに腰を下ろした。

 マギルスが、セティの肩を抱いたまま、大きく息を吐いてリザベルから視線をそらした――、その時だった。


『―――!』


 エレナの視界にキラキラと光る何かがよぎったような気がした瞬間、セティが声にならない悲鳴を上げて、勢いよくマギルスを突き飛ばした。


「セティさん!」


 エレナが叫んで飛び出そうとするが、それよりも早く、小脇に何かをつかんだような姿勢でマギルスに向かって突進してきたリザベルが、マギルスをかばって前に出たセティに体当たりをして――


「セティ!」


 マギルスが絶叫したその直後、体当たりをされてその場に倒れたセティではなく、リザベルの口から悲鳴があがった。

 それはほんの一瞬のことで。


「……リザベル……?」


 マギルスたちの目の前で、リザベルの姿が、泡になって消えていく。

 泡となって消えたリザベルのいた場所に残されたのは、きらきらと輝く宝石で装飾された、一本の短剣だけだった。

 しんと静まり返った室内で、ジュリアの声がぽつんと響いた。


「……憎い相手を刺すと、刺した自分を滅ぼす、か」


 皮肉なものね――

 ジュリアは短剣を拾い上げると、まだその場に倒れこんだままのセティに手渡す。

 それは、人魚たちがセティに渡した短剣だった。

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