第3話 「アタシのオトンっす」

 翌日、俺がカミハラの研究室へ向かうと、ドア先で二人の人影が口論していた。

 一人がカミハラなのは遠目にもわかったが、もう一人はちゃんと研究者然とした出で立ちで、俺より二回りほど高い年齢を感じさせる。

 どうやら一触の即発する前触れに俺がやって来てしまったようで、明らかに冷静さを欠いて見える男はかつかつと靴を鳴らせてこちらへ足早に、挨拶も無しにいきなり両肩を掴んで来て、皺の目立ち始めた顔が俺をしかと見据えた。


「君がカエデのお遊戯に付き合ってる被験者かね?」


 俺に対しても友好的でないのは一目瞭然だ。

 いきなりの事に気圧されて、俺は肩をゆすられるままの勢いでうなずく。


「そうですけど、ずいません、あなたは?」


 抵抗しようとするが、意外とガッチリと掴まれていて拘束が解けない。


 次いで、困り顔で男を諫めるのはカミハラ。

 俺が掴みかかられるのを見て慌てて駆けてきて、ちょっとやり過ぎっスよぉ!と腕を離させた。


「すいませんおニーサン。 大丈夫っスかね」


「う、うん。 それより状況が良く分からないんだけど」


 そこで男ははっとなって、自分が何をしているのかやっと自覚したようで、俺から手を離すとすごすごと二三歩退いた。

 凄い剣幕だったが、こうしてみると元は気弱そうな男に見える。


「いや、申し訳なかった。 少しヒートアップしすぎたかな、ハハハ」


 両掌を頭の横へひらひらとさせ、それから項垂うなだれる。

 急にしょげられると、こちらが悪いことをしたみたいで調子が狂うじゃないか。


何方どなたさん?」


 俺が手で男の方を示すと、カミハラは珍しく恥ずかしそうに、白衣の袖口に手先を引っ込めると萌え袖の形にして額に当て、顔を半分隠した。


「アタシのオトンっす」


 オトン?

 ――お父さん?


 二人をちらちらと見比べるが、全く似ていない。

 母親の血が濃く出たのかな、よかったねカミハラ。


 すまなそうに頭を低くしたまま、カミハラの父親は手を差し伸べて来た。

 流されるままにその手を取ってしまったが、後悔することになる。


「カミハラです。 カエデがお世話になっております。 しかしね――」


 と言葉を続ける頃にはすっかり最初の勢いを取り戻したのだ。

 このおっさん情緒不安定過ぎるだろ、と流石の俺も辟易へきえきする。


「君が手伝っている探求はね、非常にまずい。 危険と言ってもいい。 君が生命的な危機に直ちに晒されるという訳ではないんだが。 倫理的側面から言えば、君は既に一線を越えているのではないかね?」


 取った手を伝い、ぐぐっと身体を引き寄せられる。

 血走った目がこちらの目を覗き込んだ。


「カエデのアップしていたデータを見る限り、君は二回ほど、他人の記憶を覗いているね?」


 それ自体を直接カミハラに報告したことは無かったから、俺は背に冷やりとした物を感じて、にわかに汗ばむ。

 俺の様子を言葉への肯定と受け取ったのか、カミハラ父は俺を突き放すように繋いだ手を解いた。


「オトン! ちょっとやめてくださいよ。 おニーサンはアタシのこと手伝ってるだけで、全くそんな、関知してないんスから」


「それがダメだと言っているんだ、お前は! 当人に加害の意識も覚悟もないまま、しかも昨日の一件は不特定の無関係な一般人を巻き込んでいたな? それがどれだけ重大な事か、とにかく、お前を監督する立場としても、いち研究者としても看過して置けない」


 カミハラはその父親の言葉に、口先を尖がらせて抗議する。


「もう研究室は分けたからオトンにそんな権限無いっスよ~」


「親としてはある」


 そう言ってカミハラ父は胸から小型端末を取り出した。


「はぁっ? ママに言いつけるのは無しっスよ! 一般人の巻き込み反対反対!」


 言って、カミハラ父の端末を持つ腕にぶら下がってしがみ付く。

 父親がオトンで、おそらく母親がママというのは、知りたくもなかったカミハラ家の家族間の関係性が嫌でも垣間見えてくるな。


 と、その端末が操作なしに呼び出し音を鳴らして受信を告げた。

 カミハラ父はそれを即座に耳元へ、二言ほど簡単な対応すると通信状態を切る。


「呼び出しがかかってしまったが――今夜は家族会議な?」


「いやっスよー。 生憎今日も泊まり込みなんでプップー」


 研究にかこつけて、こいつは家出少女みたいな事をしていたのか。

 呆れていると、そうやって俺が他人事のように傍観し始めていることに気付いたのかして、カミハラ父は再びこちらに矛先を向けた。


「君も自分のやっている事の意味をよく考えてみなさい。 カエデとの契約を切るなら、違約金やスケジュールの金銭面の補填はこちらで面倒を見よう。 ここへ連絡してきなさい」


 そう言って名刺を一枚差し出し、俺が受け取るや否や急いで去って行ってしまった。

 言いたい事だけ言って帰っていったな、としばらく二人でその去った先をポカンと眺めてしまう。

 それから俺たちは、お互いの意志を測りかねて顔を見合わせた。

 カミハラは、続ける、と顔に書いてある。

 俺は――どうなんだ?


「オトンがご迷惑をおかけしたっス。 ささ、余計な邪魔が入ったっスけど、気を取り直して今日も張り切って頑張るっスよ」


 扉を開いて、カミハラが俺を招く仕草をした。

 促されるままにここを通れば、俺も晴れて共犯者か。

 確かに、二度目に特定できない誰かの記憶を垣間見てしまったことを振り返れば、システムの及ぼす規模が俺たちの手に余ることは確実だと思う。

 カミハラ父がそれだけを言っていた訳ではもちろん無いのだろうが、一つとってもそれだけの不確定要素を孕んでいるわけだ。

 カミハラがすぐにそれを完璧に制御できるようになるのかもわからないし、そうなるまで一度時間を置くのも一つの選択かもしれない。


 ――だが。

 俺も自分が長年抱えてきたことへ、やっと決着をつける糸口を見つけたのだ。

 ここで引き下がる訳にはいかないし、出来ればもう一ヶ月を切った催しの期限に間に合わせたい気持ちも大きい。

 昨日本人から聞かされた通りにシンドウとの再戦が適えば、それは俺にプロとしてどれだけ先があるのかを確かめる試金石にもなる筈だ。


「そうだな。 今日はまずやり損ねたチュートリアルクエストの消化するかなー」


 俺は何でもなかったように装うと、悪魔の誘いに乗った。

 そう、一か月未満、少し手を染めるだけならば。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メスガキ・メタル・サイキック イビキ @ibiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ