完全恋愛にはほど遠い

@thispen

不完全恋愛への接近

 体育館裏。ここに呼ばれたのなら、告げられる言葉は限られる。


「付き合ってください」


 案の定、彼女はそう言った。できれば、もうちょっと顔を赤らめたり、口ごもったりしてもらいたかったけれど。まあ、しかし、そんな願望なんて抱いている場合じゃないし、別に君の告白を無下に扱うわけじゃないんだけど、そんなことよりもまず解決すべき問題があると思うんだ。

 僕は、ダンクシュートでも決められたみたいに、ちょうどバスケットゴールのかごの下に横たわる死体を指差してこう言う。


「死体だね」

「うん、そうだね」


 ここで、「あなたは何を持って『死』を定義し、これを死体と呼ぶの」なんて野暮なことは訊かれなかった。やっぱり、世間一般的な意味でこれは死体だし、刑事ドラマにならって眼光反射がないのと、脈拍がないことも彼女とともに確認したのだから。


「どうする?」


 彼女の言葉に、僕は腕を組んで考える。


「やっぱり、隠すべきだと思う?」

「僕はそう思う」

「……そうよね」


 別に僕たちが殺したわけじゃないんだけど、警察のご厄介になるのは避けたいところだった。

 結果は目に見えていたけど、念のため僕は訊く。


「死体を隠すのに賛成の人は挙手を願います」


 僕と彼女がピンと右手を挙げた。残念ながら、死体さんは手を挙げなかったけれども、民主主義的に二対一でこの案は可決された。もちろん、少数派の意見を聞くことも大事だけど、残念ながら死体さんは死体さんなので、霊媒師でもイタコでもない僕らは彼の意見を聞けない。


「さて、どう隠すかな」


 すると、さっそく彼女が発言をした。


「第八十六次元宇宙へアクセスして、電動粒子誘導法因果偽造装置を使用し、世界を45956番目の多次元世界に置き換えてはどう?」


 僕は首をふる。


「すぐばれちゃうよ」

「……そうよね」


 比喩ではなく、全次元全時空間一の秀才の彼女がこんな誰にだって考え付くような提案をしてくるとは驚きだった。体調でも悪いのかなと心配したけれど、すぐに素晴らしい提案をしてくれた。


「高尾山に埋めてあげるのはどう?」

「名案だね」


 ここでロッキー山脈とかエベレスト、富士山とかを挙げない所に彼女の知性の輝きが垣間見える。

 彼女の案に従い、僕らはよいしょよいしょと死体さんを僕のミニバンに乗せた。後部座席では景色がよくなかろうと考え、彼女が後部座席でいいと進言したのもあって、助手席に乗せる。もちろんシートベルトをつけるのを忘れない。警察に目立つのは避けたいところだし、なにより危ないからね。



〇〇〇



 彼女が乗り込んだのを確認して、僕はアクセルを踏んだ。

 閑静な住宅街を抜けて、首都高に乗り出す。真夜中だというのに、車の往来は激しく、ペーパードライバーの僕には辛い。まあ、もう86憶歳なんだし、免許返納もそろそろ考えなきゃいけないかな。


「ねえ、音楽でも聞くかい?」

「私はどっちでもいいわ」

「君は?」


 死体さんは頷いた。車の揺れで首が動いただけかもしれないけど、僕自身音楽が聞きたかったのもあって、再生ボタンを押した。車のCDプレイヤーに入れっぱなしだった、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのアルバムから『セプテンバー』が流れ出す。

 宝石を散らしたように輝く東京の街。ダンス会場のスポットライトのように街を照らす車のヘッドライト。そしてこのアップテンポ調の音楽。その陽気さに踊りだしたくなったのか、死体さんは体を揺すっている。車の揺れで動いただけかもしれないけど。

 彼女はというと、また世界でも創造しようと構想を練っているのか、「まずはお空と地面を創っておいて——あ、光もないといけないわね。それから……」と一人なにやらぶつぶつと呟いている。

 少し暑いかなと思って窓を開く。都会からも遠ざかって、涼やかな風が流れ込む。『セプテンバー』に混ざってかすかに蝉の音も聞こえてきて、もう夏かと時間の矢の如き速さを感じる。


「喉が渇いたな」


 彼女がポツリとそうこぼした。彼女の要望とあれば仕方ない。慎重に高速からサービスエリアに入った。無事うまくいって、つい嘆息がもれる。サービスエリアはそこそこ人が入っていて、さびれても繁盛もしていない感じで——悪いけど、これ以上の感想はちょっと思い浮かばない。まあ、要はそんな感じの場所だ。

 だだっ広い駐車場に止めて、僕たちは降りる。もちろん一人ぼっちにしては可哀想なので、死体さんも連れていく。彼の腕を僕の肩にまわして、まるで酔っ払いでも運ぶかのように連れていく。

 喫茶店に入り、きょろきょろと辺りを見回していると、一人のウェイトレスがやって来た。


「いらっしゃいませ。お客様は何名様でしょうか?」

「三名です」

「かしこまりました。お席へご案内しますね」


 案内された席は店内の隅で、彼女は通路側の椅子に、僕らは壁側のソファー席に座り、死体さんは壁にもたれかかるようにして座らせてあげる。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 お冷とおしぼりを運んできたウェイトレスは訊いた。彼女はもう決まっていたようで、


「期間限定夏のパッションクリームフラペチーノ。コーンフレーク抜きの、ミルクは低脂肪乳で。チョコレートソースを少し、キャラメルソースは多めに追加で。あ、チョコチップとホイップクリームも。氷は少なめで、はちみつも入れてください。ミルクシロップはシトラスシロップに変更。フルーツゼリーもコーヒーゼリーに変更してください。あ、これも忘れてはいけなかったわ、アーモンドパウダーも少し追加。ミルクは温めてください——で、お願いします」


 もうカスタマイズしまくられて、悲しきキメラみたいになったフラペチーノが頭に浮かぶ。そもそも、氷が入っているのに温めるとはどういう了見なのか。

 マシンガンのようにまくしたてられた注文を、眉をしかめながら聞いていたウェイトレスさんは、


「あの、憶えきれないので、別の商品注文してもらえます?」


 と彼女に注文したので、それもそうかと彼女は「じゃあ、アイスコーヒーで」と注文を変更した。


「僕はミネラルウォーターでお願いします」

「はい。そちらの方は?」


 死体さんはまだ何にするか決まっていないのか、黙ったままだ。優柔不断だなぁと僕は笑った。いや、それとも飲みたいものが高いから言い出すのに躊躇しているのかも。彼女の奢りなんだから、気にすることなんてないのに。


「…………」

「カプチーノですね。ご注文を確認させていただきます。アイスコーヒーにミネラルウォーター、それからカプチーノですね。少々お待ちください」


 透明な筒に伝票を突っ込んで、彼女は厨房へ颯爽と去っていった。

 店内のラジオから、『神は死んだ』と主張する哲学者と、神はベニクラゲと同じ生活環を持つため個体としての死はありえないという量子生物学者と、いや神は大阪大学付属病院で延命治療中なのだと主張する神学者の議論が聞こえてきて、何とはなしに耳を傾けていると、彼女が咳払いを一つして話始めた。


「それで、私が君を体育館裏に呼んだ理由なんだけど」

「ああ、そういえばそうだったね。死体さんがいたせいですっかり忘れてたけど、付き合うって、やっぱり、その……そういうことなの?」

「うん。あのね」


 お冷を一口飲んで、彼女は言う。


「私、あなたのことが好きみたいなの」

「へえ、全知全能な君が推測の形で言うなんて、珍しいね」

「それほど、私の恋心は不確定要素に満ちているのよ」


 ああ、だから今日は死体遺棄のアイデアが陳腐だったり、世界創造の構想の際に光を忘れていたりしていたのか。彼女の演算をここまで狂わすことができるなんて、恋心とは恐ろしいものだ。


「でも、なんで僕を好きに? 僕が君に釣り合えるとは思えないんだけど」

「別に、小中高成績万年オール3なあなたの頭脳にも、アスパラガスと屋久島とルシファーを足して、エッセンスに里芋を混ぜ合わせたようなあなたの容姿にも興味はないわ」


 頭脳の方はわかりやすいが、容姿の方はもうちょっとわかりやすい比喩表現はなかったのだろうか。でも、全次元全時空一の頭脳を持つ彼女のことだ。僕のような凡人には到底理解不能な計算がはじき出した最適解なのだろう。まあ、ルシファーが入っている辺り、肯定的な評価なのかもしれない。

 注文した品が届き、アイスコーヒーにガムシロップを混ぜ合わせながら彼女は言う。


「『命短し恋せよ乙女』。まったくもってこの論理構造は理解することができなかったけど、もしかしたら今の私はそんな気持ちなのかもしれないわ。まあ、私の場合、『永劫不滅恋せよ超越者』みたいになっちゃうかもしれないけど」


 何だか強そうだね、と僕は水を一口飲んだ。コップも中身も同じだから、果たして自分が飲んだのがミネラルウォーターなのか、お冷なのかは判別できなかったけど、少なくとも彼女が僕に好意を抱いてくれていることはわかった。


「で、僕が選ばれた理由っていうのは?」

「別に理由なんてないわ。そうね、サイコロをふって決めたようなもんよ」

「おや、君はサイコロをふらないんじゃなかったのかい?」

「そんなの、私と知り合いでもない物理学者が勝手に言い出したことよ」


 不確定性原理万歳と、彼女は両手を挙げた。

 彼女の腕が机を押してがたりと揺らした。その拍子に死体さんの態勢が崩れ、僕にもたれかかる形になった。右腕が僕の肩にまわされて、「よかったな、兄弟」とでも言っているかのようだ。僕らはまだ会って一日と経っていないのに、馴れ馴れしいやつだと思う。直すのも面倒なので、そのままにしたまま僕は言う。


「嬉しいけど、でもさ、僕と君じゃ格が違いすぎるよ。僕は君みたいに宇宙を生み出すなんてことできない。せいぜいが無から有を生み出すことができるぐらいだよ。それになにより、8、90億年生きてきて、恋人も一人だってできたことなんてないんだし」

「私なんか、全ての始まりから存在し続けてきたけど、そんな想いすら今まで抱いたことはないわ」

「お互い、恋愛初心者ってわけね。それなら、まあ……。ねえ、死体さん。君は恋愛っていうの、経験ある?」


 彼の方を見ようと体をひねる。するりと死体さんはずり落ちて、口元が見事カプチーノに突っ込んだ。その動揺ぶり、よほど思い出したくない恋愛関係のいざこざがあったのだろう。触らぬ神に祟りなしかもしれない。僕は何も訊かず、水を飲んだ。どっちなのかは、知らない。



〇〇〇



 僕らはせっせと地面を掘る。地面にスコップを突き刺し、土を放り、また地面に突き刺す。初めてのデートが死体遺棄とは洒落ている。死体さんと別れることは辛いけど、彼女との共同作業は、それなりに楽しいものだった。それは彼女も同じ気持ちのようで、


「Freude, schöer Götterfunken, Tochter aus Elysium Wir betreten feuertunken.」


 なんて、歌を口ずさんでいる。

 ご機嫌な僕は、一緒になって歌う。


「「Deine Zauber binden wider, Was die Mode streng geteilt. Alle Menschen werden Brüder……」」


 歌詞で言えば、智天使ケルビムが降り立ったころに、僕らの穴掘りは終わった。

 山の斜面にぽっかり空いた穴を見下ろす。我ながらずいぶん深く掘ったなと思う。深すぎて、地底世界に通じているようにも見える。まあ、彼女も掘った以上、そうなってる可能性はゼロではないけれど。


「やっぱり、埋めちゃうの?」


 彼女は悲しげな声で僕に訊いた。死体さんを一人こんな闇に埋めてしまうのが可哀想なのだろう。


「でも、掘っちゃったしなぁ……」


 僕は頭を掻く。

 試しに、落ちていた枝を放り込む。真っ暗な穴に吸い込まれて、すぐに枝の姿は見えなくなってしまった。やはり、こんな所に死体さんを放り込むなんて、僕たちにはできそうもなかった。

 ここで、頭のいい彼女は素敵なアイデアを提案してくれる。


「この現実の一階層上の論理基盤を持つ時空間領域を創世して、私たちがそこに行き、死体さんをここにおいておけば、それは埋めたってことにならない?」

「それだ」


 僕は思わず指パッチンを一つする。土の中じゃなくて、論理の中に死体さんを埋めてあげるとは脱帽だ。


「じゃあ、行こっか」


 彼女は僕の手を握った。時空間の創世のためには場所が悪いのか、どこかへと僕の手を引いていく。振り返って見ると、樹にもたれかかった死体さんの肩に小鳥がとまっていた。彼が一人ではないことがわかると、僕らは安心して、バイバイと手を振って別れを告げた。



〇〇〇



 頂上。夜闇に薄っすらと朝陽が射して、日の出が近づいてきたようだ。僕らはぎゅっと互いの手を強く握りながら、世界の始まりを待った。


「ねえ」

「何だい?」

「あなた、私のこと好き?」

「全知全能な君にはわかっていることじゃないのかい?」

「それはそうだけど……でも、ちゃんと聞いておきたいの。今の世界の論理構造で、あなたが私の恋人であってくれるのかどうかということを」


 それはもちろん、と僕は頷いた。

 すると、彼女は頬に涙を伝わらせながら、ありがとうと言った。

 彼女がいくつ論理階梯を登ってきたのは定かではないけど、「ありがとう」というその言葉に僕の頬は喜びで紅潮してしまった。どぎまぎとした気持ちに、つい頬を掻く。


「あっ、朝陽よ」


 彼女が指さす方に目を向けると、大儀そうに水平線の向こうから太陽が浮かび上がってくるのが見えた。

 ——ふと、君はこの景色をどう眺めているのだろうと考える。

 例え君の眼球を、網膜を、視覚野を移植したところで、決して理解できない。僕は僕の論理に閉じ込められてしまって、君の完全な論理に触れることすら能わない。死体さんのような、『論理が存在しない』という、君とは真逆の完璧さを備えた論理にも近づけない。君にも死体さんにもなれないただの人として、僕はただこの景色を美しいと認識する。


「どうしたの?」


 君は僕の顔を覗き込む。全てを知っているはずなのに、そうやって疑問文を僕に投げかける。君は、肯定文だけで世界が事足りてしまうというのに。

 でもそのおかげで、僕はその言葉の端々から、君の心の欠片を拾い集められる。パズルのワンピースから、全体像を読み取ろうとするかのように、完全無欠な君の心を推測する。理解するのに、あと何階梯論理を駆け上がらないといけないかはわからないけど。


「なんでもないよ。それよりもさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「なに?」


 ぼやけていく世界の中、はっきりとした輪郭を保つ彼女を見つめながら僕は訊く。


「何で死体さんは、バスケのゴールの下にいたんだろうね」


 そんなの決まってるじゃない、と彼女は答える。


「誰かが死体さんをゴールにシュートしたのよ」

「ああ、なるほど」


 それくらいの論理なら、僕にだって理解できる。

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