使命と継続のイデオローグ
カーカーという烏の飛び立つ姿を眺める、六月上旬の暖かい夕方。
壁に掛けられた時計を確認すると、まるで時間が止まっているかの如く秒針が硬直していたが、決してそんなことはないらしく正常に動いている。この最初の1秒間がその次の1秒間より長く見えるという現象は、クロノスタシスという名称があるらしい。
「そない怒らんでもええやないか。ワイも充分に反省してるさかい、堪忍してや」
放課後の教室で、ボク達のクラスの副担任であるアラシ先生が両手を重ねる。
謝っている相手は、不機嫌そうな表情を浮かべている天王寺さんだった。
「別に怒ってはいないわ。単に幻滅しているだけ……いいえ、それだと期待していたみたいに聞こえるから、呆れていると言うべきかしら」
運営が消滅した上にアラシ先生が加わったことで、校内のアニミストは三人と更に盤石な体制になり、何事もなく過ごしていたボク達の日常。
しかしそんな平和な日々の中で、こんな事件が起こるとは思いもしなかった。
「そうね、私は呆れているだけ。教師という立場にも拘らず、その不甲斐なさにこれ以上ないくらい呆れているだけよ」
「て、天王寺さん。気持ちは分かるけど、それくらいに――――」
「霊崎君は黙っていてくれるかしら?」
「…………はい」
「アニミストかつ教師という聖職者である以上、少しくらいまともかと思っていたけれど、やっぱり轟君に悪影響を与えた人間だけあるわね。一体何をどうしたら公衆の面前であんな芸当ができるのか教えてほしいわ」
普段なら敬語を使う品行方正な少女だが、裏の顔として接している今は遠慮なし。先生相手だろうと冷たい眼差しを向け、長い黒髪をかきあげつつ溜息を吐く。
傍から見れば教室に残っていた男女の元へ遊びに来た先生みたいな、青春を感じさせる微笑ましい光景なのに、蓋を開けてみれば生徒が先生に説教という珍妙な状況だ。
彼女がどうしてこんな不満そうにしているのかというと、事の発端は十数分前にあった帰りのショートホームルームでの出来事だった。
「――――と、連絡はこれくらいでしょうか。嵐山先生、何かありますか?」
「えー、皆テストが終わったから言うてハッスルしすぎんようにな! 特に運動部! テスト後みたいに油断してる時こそ、一番怪我しやすいんやで!」
アラシ先生が赴任してから数週間。最初は違和感しかなかった関西弁も徐々に聞き慣れ、至って普通の先生らしい連絡をボーっと聞き流す。
気さくな性格もあってアラシ先生はクラスにもすっかり溶け込んでおり、クラスメイトの中には以前の担任よりも良いなんて言い出す面々もいるくらいだった。
「後はー…………っ!」
他に話すことはあったかと顎に手を当てつつ考えていたアラシ先生だったが、ふと何かに気付いたかの如く廊下へと視線を向けるなり、糸のように細い目を見開く。
クラスの何人かはその視線を追ったものの、数秒後には向き直るだけ。そこにいた陽炎のような人型の歪みの存在に気付いたのは、アラシ先生を含めて三人だけだ。
負のアニマ。
物に触れると品質の低下や劣化を招き、人に触れると精神疾患などの原因になる。
この世の中を不穏へと導く存在は、ボク達アニミストしか見ることができない。
何も知らなければ脅威ではあるものの、対処方法は至って簡単。パートナーであるエミナスに頼めばゴミを掃除するかの如く、驚くほどあっという間に倒してくれる。
特にこの校内の負のアニマに関しては天王寺さんの管轄であり、彼女のエミナスである花音ちゃんに任せればあっという間に処理される…………筈だった。
「ニグルム!」
「「っ?」」
突然声を上げた先生を見て、クラスメイトがキョトンとする。
その単語がエミナスを半霊体にする命令だと知っていたボクと天王寺さんは目を丸くするが、アラシ先生はお構いなしとばかりに言葉を続けた。
「アートルム!」
公衆の面前で堂々と行われた召喚の命令に呼応して、半霊体化したエミナスが姿を現す。
アラシ先生のパートナーであり、地面に着くほど長いポニーテールとキューブ型の髪飾りが特徴的な純白の少女(少年?)のフーコちゃんは、登場するなり負のアニマに向けて両手をかざした。
「きゃっ?」
「うおっ?」
一瞬にして教室内に強い風が吹き込み、揺らめいていた人の輪郭が細切れになる。
クラスメイト達にはその一部始終が見えていないものの、フーコちゃんによって生み出された強風は机の上に乗っていたプリントを飛ばし掲示物を剥がした。
「………………」
そして静寂が訪れる。
ポカーンとする生徒達をよそに大きく溜息を吐くアラシ先生だが、少しして我に返ると取り繕うように口を開くのだった。
「ふう…………あ、えーと、まあこんな風にハッスルしすぎんようにっちゅうことや! 六月は祝日もないし辛いかもしれへんけど、ボーっとしてたら今みたいにお天道様が怒って春一番ならぬ夏一番が吹き荒れるで! 以上!」
――――ということで、話は現在に至る。
「あんな大勢の前でいきなり意味不明なことを口走るなんて、どこからどう見ても変人ね。アニミストがどういうルールの下で生きているのか知らないのかしら?」
「そないなこと言われても、緊急事態や思うて咄嗟に身体が動いてもうたねん」
「仮に百歩譲って反射的に身体が動いたとしても、その後の対処くらい事前に考えておいてほしいものね。こうして貴方と話している私まで変な目で見られかねないわ。スマートにできないのなら、花音に任せて何もせずマネキンみたいにつっ立っていて頂戴」
先生による生徒の呼び出しではなく、生徒による先生の呼び出しという斬新な光景。まあボクとしてもアレは流石にどうかと思うし、天王寺さんの言い分はもっともだ。
ただ生徒を守ろうと反射的に行動してしまったアラシ先生の気持ちもわかるし、かつて人目を忘れてファミレスで花音ちゃんと話していたボクからすると耳が痛い。
「そもそも元はと言えば、校内の負のアニマは私が回収すると伝えていなかった霊崎君も悪いのよ」
「えっ?」
「せやせや。若菜ちゃんみたいなプロフェッショナルがおると知っとったらワイも安心して任せとったのに、偽名の件といい真君も人が悪いで」
中立の立場でいた筈なのに、いきなり矛先がこちらに向けられた。
面識がなかった二人の仲介役になったのは他でもないボクだが、それぞれに伝えたのはアニミストであるということだけ。秘密主義の天王寺さんは花音ちゃんについて話したら怒るだろうし、副担任という立場になったアラシさんにはコミュニケーションを取る良い機会だと考えての判断だったが、変なところで息を合わせないでほしい。
「でも回収を競う必要はなくなった訳だし、もう天王寺さん一人で校内全域を担当しなくてもいいんじゃない? 花音ちゃんだって大変でしょ?」
「さっきみたいな回収を見せられて、貴方達に任せられる訳ないじゃない」
「いくらなんでもボクとサイはあそこまで酷くないよ! …………あっ」
反射的に答えたが、アラシ先生がシュンと肩を落としたのを見て口を閉じる。
何とも言えない空気に困ってしまい、ボクは誤魔化すように話題を変えた。
「そ、それにしてもあれから一週間経ったけど、相変わらず音沙汰ないみたいだね」
「そうね」
天王寺さんは制服のポケットから携帯を取り出し、画面を操作しながら答える。
ボク達にエミナスを生み出すためのアニマ球を配り、エミナスカップと称して負のアニマの回収を競わせようとした運営は、あの日からずっと音信不通のままだ。
「それにしてもワイらが人間やないなんて、未だに信じられへんなあ」
デリカシーのないアラシ先生が、意識しないようにしていたことをさらりと口にする。
ボク達アニミストは人ではなく、運営によって作られた依り代。
周囲の認識を変換する能力によって社会に溶け込み、エミナスを使役して負のアニマの回収を行うために生み出された存在であり、頭の中にあるのは偽りの記憶だ。
例え見た目が学生や教師だろうと、本当の年齢は僅か十数日~数ヶ月程度。人間用の薬が効くのかも、一体どれだけ生きていられるのかも知る由はない。
そんな衝撃の真実をアラシ先生に伝えてよいものか最初は悩んだが、いざ話してみると「な、なんやてーっ?」と関西人らしいノリの良い反応を返される程度だった。
ショックではないのかと尋ねたところ「普通じゃないっちゅーのは特別ってことやん」との超絶ポジティブな意見。これが大人の余裕なのか、はたまた単に能天気なだけなのか。
「顔とか体格を変えたりできへんのかー思うて色々試してみたんやけど、どうも自分の意志で自由にはできんみたいやな。おかげで顔面がえらい筋肉痛になったで」
「やっぱりこの人の記憶、消した方がいいんじゃないかしら?」
「若菜ちゃんは物騒やなあ。ほんのジョークやって。ジョーク! ほなこれはっ?」
「…………チョーク」
「正解やっ! 真君に10000ポインツ!」
可哀想なので答えたら、天王寺さんにジロリと睨まれた。副担任になった時から薄々わかってはいたけど、やっぱりこの二人って馬が合わないよなあ。
口ではジョークと言っているものの、アラシ先生の性格を考えると本当に実践してそうな気がする。もしも隣にフーコちゃんがいたら、間違いなく首を横に振っていただろう。
「せやけど運営がいなくなったとなると、記憶消去のルールはどうなるんやろな?」
「もしもペナルティなしの状態になってたら、結構まずいですよね」
一般人への危害や公共物の破壊が行われた場合、本来であれば運営による制裁としてアニミストの資格を剥奪されるが、今は管理者不在の状態となっている。
エミナスは半霊体にすれば物理的に干渉できるようになり色々と融通が利くため、中には常識で計れないような力を使って悪巧みをする輩が出てくるかもしれない。
「ねえサイ。仮にマスターがルールを無視する命令をしてもエミナスは従うの?」
黄昏れるように窓枠に腰を下ろし、ボク達の会話を黙って聞いていた相棒に尋ねる。
深編笠とインラインスケートがトレードマークの青い和服を着ている少女は、こちらへと振り返ることもないままボクだけに通じるテレパシーで答えた。
(エミナス次第。従うタイプもいると思う)
「そっか。やっぱりその辺りも、エミナスとマスターの絆次第って感じなのかな?」
(多分)
「ちなみにサイだったら従う?」
(断固拒否)
「だよね。そう言うと思った」
「安心して頂戴。仮にそんな不届き者が現れたら、私が再起不能になるまで叩きのめすわ」
「あはは……」
妖艶な笑みを浮かべた少女がポケットを軽く叩くと、その中に入っているらしい手錠の鎖がチャリっと音を鳴らす。天王寺さんを敵に回すのだけは絶対に止めよう……本当に地獄の底まで容赦なく追い掛けてきそうだ。
もっともペナルティが消滅してるかどうかを確かめる術はなく、考えたところで先の見えない話。そう理解しているからこそ、携帯を机に置いた少女は静かに答えた。
「いずれにせよこうして負のアニマが残ってる以上、私達が今やるべきことは一つよ」
「うん。そうだね」
「ワイも希望を持って生きていけるような未来のために、若者達へ夢を与える授業を頑張っていくで! っちゅーことで先日のテスト結果について、霊崎君に話が――――」
「すいませんでしたっ!」
ここにきてそんなキラーパスを投げられるとは予想外だ。
アラシ先生が笑い、天王寺さんが呆れ、ボクが詫びる……そんな時だった。
『ヴヴヴヴヴ』
机の上に置かれていた携帯が震え出す。
天王寺さんが当然のように手に取るが、ボクの携帯もまたポケットの中で振動していた。
『『『ヴヴヴヴヴ』』』
ボクだけじゃなく、アラシさんも携帯を取り出す。
まるで緊急地震速報でも受信したかの如く、三つの携帯が同時に鳴っていた。
一体何だと言うのか。
ボク達は受信したメールを確認し、そして戦慄するのだった。
『復旧のお知らせ』
日頃より負のアニマの回収にご尽力いただき誠にありがとうございます。
先週の金曜日から約一週間に渡り、システムの不具合によりお問い合わせが正しく機能せず、受付できない事象が発生しておりました。
現在は無事に復旧が完了いたしましたので、ご報告申し上げます。
該当期間中にお問い合わせをいただき返信が届いてない場合、大変お手数をおかけいたしますが再度ご連絡くださいますようお願い申し上げます。
また該当期間中に送っていただいた負のアニマに関しましては、問題なく集計しておりますのでご安心くださいませ。
アニミストの皆様にはご不便、ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。
今後はこのようなことがないよう、万全を期す所存でございます。
近日中に一回戦終了の期日もお知らせする予定です。
引き続きエミナスカップをよろしくお願い申し上げます。
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