幕引きと幕開けのエピローグ

(起きろ♪ 起きろ♪ 霊崎真♪ おはよ♪ おはよ♪ 霊崎真♪)

「ん…………おはよぉぉおおうっ?」


 アラームによって目を覚ました月曜日の朝。テンポ良く鳴り続ける電子音を止めようと無意識に腕を伸ばした結果、痛みからビクッと身体を縮こまらせる。

 土日と休んだことで何とか動けるようにはなったものの全回復までは程遠く、生まれたての仔馬のようにプルプルと震えながらゆっくり身体を起こした。


「…………うん。今日こそは帰ったら掃除しよう……絶対に」


 眼鏡を掛けると、相変わらず足の踏み場のない部屋が目の前に広がる。

 結局あの後ボク達は、サイの能力によって無事に戻ってくることができた。

 しかし幸か不幸か、移動した先はこの散らかった部屋の中。動けないボクにはありがたい話だったが、天王寺さんに自室の惨状を見られたのは失態である。

 直前の幸せからは一転して罵詈雑言を浴びせられたのは言うまでもなく、人の部屋を好き勝手に物色した少女はサイに抱えられつつ窓から帰っていったのだった。


「おはよ。サイ」

(まだ眠い。あと五時間……)

「長っ!」


 押し入れの襖を開けると、相変わらず喋ってくれないサイが丸くなっている。

 その頭には深編笠をかぶっており、脳内で会話できるようになったこと以外は元通りだ。


「寝る時くらい外せばいいのに」

(断固拒否)


 女の子であると気付けなかったことを未だに根に持っているのか、サイはあれから一度も顔を見せてくれない。ボクとしては可愛い素顔を拝みたいため色々と説得を試みた訳だが、女心は難しく許してくれるまでは気長に待つことになりそうだ。

 ちなみにここ二日間におけるサイの生活はニートそのもの。動けないボクを労り色々と尽くしてくれたなんてことは一切なく、自転車のエミナスということもあって屋内は珍しいのか家の中の散策や部屋にある物を興味深そうに眺めるだけだった。

 天王寺さんがマスターじゃなくなった上、ボクが吹き込んだアニマが中途半端だった影響なのか、忠実というよりは自由奔放といった感じ。お願いをしても普通に断られたりするし、以前に比べると随分とコミカルな雰囲気になった気がする。


(出発前に油差し)

「え? この前やったばっかりだよね?」

(シュッパツマエニ……アブラサシ……)

「ロボットになってるっ? まだ身体も痛いし、テストが終わった後じゃ駄目かな?」

(仕方ない)


 荷物が大量に入っている鞄を持ち上げるのが、今日ほど辛い日もないだろう。

 サイ以外には誰もいない部屋に向けて、ボクはいつも通り挨拶した。


「それじゃ、行ってきます」








 運営は消滅した。

 ボク達にメールを送っていたアドレスに返信しても、届くのは『宛先が存在しません』という文面のみ。昨日や一昨日は警戒していたが、母さんに襲われることもない。

 その一方で、エミナスは消えずに存在している。

 これが一体どういう意味を示すのかは、ボクにも天王寺さんにもわからない。ただサイが傍にいてくれることは、気がかりでありながら喜ばしくもあった。


「マコトー。今日からお前を頼りGUYって呼ぶから、英語のノート見せてくれー」

「ノートを見せるから、その呼び方はしないでくれる?」


 運営を倒しても、颯の記憶が戻る気配はない。

 きっとこれから先、新たなアニミストが生まれることもないのだろう。

 平常運転の友人にノートを差し出す中、颯の背後から一人の少女が歩み寄ってきた。


「そういえば超絶面白い話があるんだけどよー」

「そんなに面白い話なのかしら?」

「おう! そりゃもう……モゥっ?」


 牛みたいな返事をした颯が、背筋をピンと伸ばす。

 普段は決して絡んでくることのない天王寺さんから声を掛けられたとなれば、そんなリアクションになるのは無理もない。現にボクも驚きのあまりポカーンとしていた。


「話の腰を折ってごめんなさいね。霊崎君を少し借りたいのだけれど」

「勿論OKだぜ! 煮るなり焼くなり遠慮なく!」

「許可も取れたことだし、ついてきて頂戴」

「ボクの意志はっ?」


 笑顔で送り出す颯だが、殺気を感じたのは気のせいだと思いたい。

 黙って前を歩く天王寺さんの後に続くと、階段を上がった少女は滅多に人が来ない施錠された屋上前の踊り場で立ち止まった。


「花音から貴方へ贈り物よ」

「花音ちゃんから?」


 振り返った天王寺さんから差し出されたのは、何の変哲もない一本の短い枝。

 棘も花もついていない、棒のように滑らかな枝である。


「これって……もしかして霊装?」

「私は渡す必要なんてないと言ったけれど、今回のお礼がしたいらしいわ」

「お礼ならボクが言いたいくらいなんだけど……でもそういうことなら、何があるかわからないし護身用としてありがたく貰うことにするよ」


 サイの十手の件もあったため、少しドキドキしながら霊装を受け取る。

 掌にしっくりと収まった枝は、太陽光に反射してキラリと輝いた。


「これって、どうやって使う霊装なの?」

「それくらい自分で考えなさい」

「えぇ……」


 天王寺さんに聞いたのが間違いだった気がする。これからは運営に質問することもできないし、花音ちゃんに会う機会があったらこっそり聞いておくことにしよう。


「ところで、花音ちゃんの身体の具合は大丈夫?」

「元気にしているわ。霊崎君こそ、調子はどうなのかしら?」

「まだ筋肉痛が結構残ってるけど、とりあえず動ける程度にはなったかな」

「そういうことなら恩返しがしたいから、ちょっと手を出してくれるかしら?」

「えっ? う、うん!」


 ポケットに枝を入れた後で、言われるがままに右手を出す。

 天王寺さんの口から恩返しという単語が出るなんて思いもしなかった。


「そっちじゃないわ。反対側よ」

「反対……?」


 花音ちゃんみたいな贈り物ではないのだろうか。

 掌を返して手の甲を見せると、天王寺さんはジーっと眺めた後で手首を掴む。

 そして人差し指の爪元にあったささくれを摘むなり、問答無用に引き剥がした。


「痛いっ! ちょっ? 何するのっ?」


 バナナの皮を剥くように引っ張られたため、血がじわりと滲み出てくる。

 天王寺さんはボクの手首を放さないまま、出血した箇所を指差しつつ答えた。


「一日に二回、一年に一回しかないものといえば?」

「はい?」

「どうしてもわからないからネットで調べたわ。答えは『血』なんでしょう?」

「いや合ってるけど違うからっ! っていうかそれ、絶対にわかってやってるよねっ?」


 平仮名の『ち』は『いちにち』には二つあり『いちねん』には一つしかない。

 人によっては小学生でも気付けるようなクイズを半霊体に関する裏ルールと勘違いした上、最後まで解けずに八つ当たりしてきた少女は不満そうに答えた。


「くだらない問題で私の時間を浪費させた罰よ」


 どうやら恩返しではなく、怨返しだったらしい。

 天王寺さんがこういう人であると充分にわかっていた筈なのに、今回ばかりは無駄に期待してしまった分だけ落胆が大きく深々と溜息を吐いた。


「何か言いたげな顔ね」

「いや……天王寺さんって、性格悪いなーって思って」

「悪いわよ。水やりを忘れた翌日に、二倍の量の水をあげる小学生くらい悪いわ」


 天王寺さんは悪びれた様子も見せずにさらりと答える。

 そして何を思ったのか、血が出ているボクの人差し指をパクッと口に含んだ。


「ふぇっ? て、てて、天王寺さんっ?」


 あまりにもいきなりすぎる行動に驚き目を丸くする。

 上目遣いでボクの指を咥えている少女の姿は、とてもエロティックだった。

 指先を舌が這い、軽く甘噛みをされる。

 少しして口から指が引き抜かれると、天王寺さんは妖艶な笑みを浮かべた。


「性悪な女は嫌いかしら?」

「え……えっと……その…………」


 流石にこれはずるいと思う。

 恍惚としていたボクがしどろもどろになる中、小悪魔めいた少女はスカートのポケットから見覚えのある携帯電話を取り出した。


「えっ? それってボクの……?」

「貴方が気絶している間に回収しておいたのだけれど、返すのを忘れていたのよ」

「そうだったんだ。ありがとう」


 気付いたのは翌日だったため諦めていたが、これは本当に恩返しだ。

 電池が切れたままかと思いきや、どうやら充電までしてくれたらしい。投げ捨てられた時の傷は残っているものの、軽く操作した限り故障もしてなさそうだった。


「…………あれ? 天王寺さん、これって……」


 電話帳を確認していた際、ふと見つけた新規の連絡先。

 その名前を見せるなり、天王寺さんはくるりと背を向ける。


「恩返しと言ったでしょう? クラスメイトと連絡先を交換するのは、そんなにおかしいことかしら? 競い合う者同士じゃなくなった訳だし、せいぜい感謝しなさい」

「建前はそれくらいにして本音は?」

「調子に乗っていると、この場で廃人にするわよ?」

「すいませんでしたっ!」


 髪を掻き上げつつ答えたツンデレ少女を見て、自然と口元が緩む。

 これから先は良きパートナーとして、上手くやっていけそうな気がした。


「マーコートー?」

「あ、ホームルーム始まるよ」


 天王寺さんと一緒に教室へ戻るなり颯が満面の笑顔で出迎えるが、丁度良いタイミングでチャイムが鳴ったため逃げるようにして自分の席へ腰を下ろす。

 どんな言い訳をして誤魔化そうか考えていると、教室内がざわつき始めた。


「…………?」


 そういえば今日から休んでる元担任に代わって、新しい先生が来るんだっけ。

 ボク達のクラスの副担任となる訳だが、どんな人なのかと顔を上げる。


「!」


 教室に入ってきたのは、お兄さんともおじさんとも呼びにくい年齢の男性教師。

 見覚えのあるその顔を目の当たりにして、開いた口が塞がらなかった。


「えー、初めまして。まず自己紹介から始めようと思います」


 関西弁を強引に標準語へ替えたような、違和感のあるイントネーション。

 糸のように細い目と視線が合うなり、ニカッと笑顔を向けられる。

 黒板にでかでかと名前を書いた後で、先生は大きな声で自分の名を口にした。




「嵐山と言います。アラシ先生で宜しく!」




 ――――ボクとサイのモノローグ――――完。

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