警告と冷酷のダマスクローズ

 一体何が起きたのかと慌てて振り返る。

 視界に飛び込んできたのは、見覚えのある薄緑色の服。

 その長い袖から伸びている蔓が、サイの身体を宙釣りにして拘束していた。


「花音ちゃんっ? どうして――――」


 そう言いかけたところで口を閉ざす。

 まるで死神の鎌のように、背後から首筋にシャベルを突き付けられていた。


「少しでも妙な動きを見せたら、ざっくりいくわよ」


 冗談ではなく本気なのが、話し方から伝わってくる。

 状況が理解できないまま、ゴクリと息を呑んだ。


「随分あっさりと掴まってくれたわね。強者の余裕というやつかしら?」

「天王寺さん、これはどういうこと?」

「それはこちらの台詞だけれど、例えどういう事情であろうと関係ないわ。私のやることは一つ……貴方のエミナスを排除するだけよ」

「排除って、どうして?」

「アニミストを辞めてもらうために決まっているじゃない」


 アニマの傷つく音なのか、耳障りな不協和音が響き渡る。

 黙々とサイを締め上げるフードをかぶったエミナスが、ボクに攻撃したことを何度も頭を下げて謝っていた花音ちゃんだなんて、とてもじゃないが信じられなかった。


「負のアニマの回収がアニミストなら誰でも簡単にできる以上、エミナスカップを勝ち進むために懸念すべきは競い合う相手の存在だと思わないかしら?」

「自分の回収率を上げるために、他のアニミストを消すってこと?」

「そうよ。流石に理解が早いようで助かるわ」

「そんなの、絶対に間違ってる」

「貴方に言われる筋合いはないわね」


 一日二回限定の呼び出し『アートルム』なら、あの拘束から抜けられるかもしれない。

 ただそれでは根本的な解決にならず、二人を敵に回すだけだろう。

 考えろ。

 昨日とは違って、解決策は必ずある筈だ。


「ボクは天王寺さんと戦う気なんてない」

「霊崎君にはなくても、私にはあるの」


 この程度の説得が通じるような相手じゃないことは充分にわかってる。

 彼女を止めるには、争いの元を断つしかない。


「…………じゃあこれ、あげるよ」


 握り締めたままだった回収済みのアニマ球を手放す。

 何度かに渡り跳ねる音がしたが、別に隙を作るためじゃない。

 それでも天王寺さんは警戒しているのか、拾うことなく怪訝そうに口を開いた。


「何のつもり?」

「こんなことで争うくらいなら、ボクは負のアニマの回収を止めるよ。そうすれば天王寺さんに敵視される理由もなくなる筈だよね?」

「今回収したアニマ球を渡されたところで、貴方が今後もそんな信念を持ち続ける根拠がどこにあるのかしら? その言葉が真実である保証がないわ」


 そればかりは信じてもらうしかないと言ったところで、馬の耳に念仏か。

 アニミストを辞めさせるという確実かつ手っ取り早い方法がある以上、疑り深い天王寺さんが口約束で納得できる訳がない。


「……」


 断続的な不協和音に、焦りが増してくる。

 エミナスの耐久力というのは、一体どれくらいあるんだろう。

 ただこうして考えている間も、サイは苦しみ続けていることだけは間違いない。

 昨日みたいに死にかけるのを覚悟してでも、力づくで花音ちゃんを止めに行くべきか。




『妙な動きをした瞬間、身体に大きな風穴が開くと思いなさい』


『私が霊崎君を攻撃したのは、貴方が嘘を吐いていたからよ』


『これから先、例え困ったことがあっても私を頼らないで頂戴』




 ………………いや、待てよ?

 あまりにも唐突で気付かなかったけど、よくよく考えてみると変だ。

 疑心暗鬼の塊みたいな少女の行動は、理にかなっているようで矛盾している。


「…………建前はそれくらいにして本音は?」

「この期に及んで何を言い出すのかと思ったら、まだ笑えない冗談を口にする余裕があるとは驚きね。その台詞、そのまま返してあげるわ」

「笑えない冗談を言ってるのは天王寺さんの方だよ」


 負のアニマに襲われていたボクを助けてくれたのは、花音ちゃんの優しさによるもの。

 死にかけの状態を治してくれたのは、颯とのやり取りについて聞きたかったから。

 用済みとなった今、サイを狙うのは筋が通っているように聞こえる。


「ボクが本当に邪魔なら、どうして一日待ったの? あの手紙が天王寺さんの勘違いだとわかった時点で、いくらでもやりようはあった筈だよね?」


 何一つ知識がないアニミストなんて、絶好のカモでしかない。ファミレスでエミナスを生み出すように誘導すれば、帰り際に暗殺するだってできただろう。


「アニミストについての情報を話す花音ちゃんにもお咎めなしだったし、運営に質問する時間を与えるどころか負のアニマの回収まで経験させてから襲いに来るなんて、いくらなんでも用心深い天王寺さんらしくないと思うけど?」

「確かに私らしくない失態だったわ。本来なら昨日のことは夢だったと思えるように、霊崎君の知らないところでエミナスを消すための刺客を送っておいたのだけれど、まさか今もこうして平然と負のアニマを回収しているなんてね」


 仮にその話が本当だとしたら、今朝のサイに傷一つなかったのは流石におかしい。

 不意打ちだったとはいえ花音ちゃんに一方的にやられている点から考えても、天王寺さんが送り込むような刺客を相手に無傷で対処できる可能性は0だ。


「何をしているの花音っ? さっさと終わらせるのよっ!」


 矛盾を指摘するよりも先に、天王寺さんが語気を強めて命令する。

 アニマの傷つく不協和音が、より痛々しい音へと変化した。


「サイっ? 天王寺さん、花音ちゃんを止めてっ!」

「随分と考えが甘いわね。止めたいのなら、力づくで止めてみなさい」

「…………じゃあ、そうするよ」


 こうなったら、最終手段を使うしかない。

 できることなら避けたかったが、覚悟を決めて静かに息を吸う。

 そして戦う意志はないと示すように、首に突き付けられているシャベルを自ら掴んだ。


「っ」


 錨型になっている柄の終端を握り締めた瞬間、自分の取った行動に後悔する。

 それでも、この程度の悪寒に屈する訳にはいかなかった。


「通して……もらうよ……」


 アニマが傷つくことなんてお構いなしに、天王寺さんの手からシャベルを奪い取る。

 そのまま遠くへ投げ捨てつつ前進すると、背後から感情のない声で命令が下された。


「馬鹿ね。やりなさい、花音」


 歩み寄るボクに向けて、花音ちゃんが舞うように腕を振る。

 袖から放たれたのは、半透明で白い無数の棘だった。


「――――――」


 シャベルを掴んだ時とは比べ物にならない感覚。

 アニマやエミナスの攻撃による精神ダメージは、酸欠やパニック症に似ていた。

 最初は呼吸や脈拍の乱れに始まり、酷くなると吐き気や嫌悪感。そしてそれを超えると今のボクのように、眩暈を起こし身体に力が入らなくなる。

 思わず膝をつきかけたが、それでも脚を止める訳にはいかない。


「動かないでください」

「…………へえ…………随分と……冷たく……なったね……」


 持ち主に似るとはこのことか。

 顔を隠すようにパーカーのフードを目深にかぶっている少女は、天王寺さんを彷彿とさせる雰囲気で淡々と答えた。


「私はお姉ちゃんの言うことに従うだけです」


 綺麗な薔薇にも棘はある。

 それでも、あんなに優しかった子がこんなことを望んでやっているとは思えない。


「サイは……ボクの大事な……エミナスなんだ……」

「っ」

「花音。耳を貸す必要はないわ」

「…………もう一度言います。動かないでください」


 花音ちゃんの履いている茶色のストッキングが形を変えていく。

 パーカーから伸びていた細い左足は、主根を彷彿とさせる円錐形に。その尖端がより鋭くなったのを見て、物置でボクの胸部を貫いたランスであると気付いた。

 それでも臆せず、サイを助けるため前に進む。


「花音っ! 命令よっ!」

「……………………ゴメンなさい」


 小さく呟いた花音ちゃんが足を上げた瞬間、根でもある槍が一気に成長する。

 短かったリーチが急激に伸び、ボクの身体に突き刺さった。

 避けられないとわかっているからこそ、逃げることもない。

 最初から覚悟はできている。

 残された力を振り絞り、花音ちゃんに向かって右腕を突き出した。




「――――――――」




 映し出されるシルエットは、見覚えのある光景。

 しかし花音ちゃんの槍が胸部を貫く一方で、ボクの右手は正確に目標を射抜いていた。


「…………? ~~~~~~~~っ!」


 冷酷無比だった少女が、突然動揺し始める。

 それもその筈。伸ばした手が触れた先は、花音ちゃんの慎ましい胸だった。

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