眼鏡と回収のパトロール

 アニミストになったことで私生活が劇的に変化する……なんて予想は見事なまでに裏切られ、これといった事件は起きないまま普通に放課後を迎える。

 変わったことと言えば、天王寺さんと話す機会が増えるどころか0になったくらい。昨日みたいに負のアニマに襲われる気配もないまま駐輪場へ向かうと、担いでいた重い鞄を籠に入れようと勢いよく持ち上げた。


「……」

「わっ?」


 突然、籠の中に霊体姿のサイが直立不動で現れる。

 前兆すらない登場に驚き、反射的に鞄をぶつけまいとして腕を引いた。


「ぶふっ!」


 振り子運動により戻って来た鞄が、勢いよく顔面にぶつかる。今日こそは勉強しようと教科書類を全て持ち帰っていたため、重量感のある一撃は強烈だった。


「つっ……おぉ……」


 痛みのあまり顔を抑え、その場でうずくまる。

 よくよく考えればサイは霊体なんだから、普通に鞄を入れて良かったのかもしれない。


「あ」


 視界に違和感があったため眼鏡を外して確認すると、鼻の留め金を中心にフレームが左右へ曲がってしまっている。この程度なら無償で修理できるため問題ないとして、気になるのはいきなり姿を現したサイだ。


「……」


 ボクが戻ってきた嬉しさあまりに、出迎えてくれたようには見えない。

 少し考えた後で、エミナスに備わっている探知能力のことを思い出し尋ねてみた。


「もしかして、負のアニマが近くにいるの?」

「……」


 サイは肯定するように、何も言わず籠から飛び降りる。

 そしてついてこいとばかりに校舎に向かって滑り出したため、ボクは落とした鞄を担ぐと曲がった眼鏡を制服の胸ポケットに入れて後に続いた。

 視界が不明瞭のまま戦うのは危険かもしれないが、負のアニマを放置して眼鏡屋に行く訳にもいかない。ボクとサイにとっては初仕事な訳だし、本人がやる気を出しているのに水を差すのもどうかという話だ。


「よし! 頑張ろう!」

「……」


 いまいち取れていないコミュニケーションの確立を図るためにも、この回収は成功させたいところ。どうも世の中はボクを勉強から遠ざけているような気がしてならない。

 運営曰く負のアニマの発生頻度は場所によって異なるとのこと。一日に一体のペースが多いか少ないかは不明だが、今回サイが見つけた相手はよりによって校内にいるらしい。


「ん? ここなの?」

「……」


 生徒会室や実験室を通り過ぎ、視聴覚室の前でサイは立ち止まった。

 細心の注意を払いつつ扉を開けると、そこは大きなスクリーンが目立つだけの机も椅子も置かれていない広い部屋。ボヤけた視界では負のアニマの姿を確認できず、胸ポケットから曲がった眼鏡を取り出すとレンズ部分を目に当てて凝視する。


「!」


 視聴覚室の隅に、幼児くらいの大きさをした透明な歪みがいた。

 昨日に比べると少し小さめで、まだこちらに気付いてないのか襲ってくる気配もない。


「サ――――?」


 一瞬の出来事だった。

 まずは弱らせるべく攻撃を指示しようとした瞬間、サイが何かを投げつける。

 一直線に飛んでいったのは、片仮名のユっぽい形をした武器。

 どことなく自転車のハンドルを左右二つに分けたように見えなくもない黒い十手が、いとも簡単に標的を貫いて壁に突き刺さった。


「……………………え……? も、もう終わり……?」


 あまりにも呆気なかったため、思わず声に出してしまう。

 串刺しにされた負のアニマは死んだと見せかけて油断した隙を狙ってくるなんて様子もなく、空気へ溶け込むようにゆっくり散り始めた。


「そ、そうだ。回収! えっと……サイ、回収用のアニマ球って持ってる?」


 あれだけルールが多いと全部覚えるのも一苦労であり、制服の内ポケットに入れていたノートを確認しつつ尋ねると、サイはテニスのように腕を下から上へスイングさせる。

 放物線を描いて飛んできたのは、ファミレスで花音ちゃんに見せてもらった白い球。それをキャッチしたボクは頭頂部のスイッチを押し、恐る恐る負のアニマに近寄った。


「ひゃあっ?」


 突然、持っていた球が周囲の空気を吸い込むような挙動を始める。

 驚きのあまり放り投げると、散漫していた負のアニマはあっという間に吸引。少ししてから周囲が静まった時には、アニマ球の色が白から黒へと変化していた。


「こ、これで終わりなのかな?」


 未だに警戒しているボクをよそに、サイは壁に刺さった十手を抜くと和服の袖に収納する。花音ちゃんも袖の中から色々出していたが、エミナスは皆そうなんだろうか。

 それにしても予想以上にあっさりと終わり、正直に言って拍子抜けでしかない。仮に授業中に襲われたらどうしようかと思っていたが、これなら問題なく対処できそうだ。


「こんなところで、何をしているのかしら?」


 黒くなった回収用のアニマ球を拾い上げて観察し、特に異常も見当たらないため眼鏡を胸ポケットに戻したところで、不意に声を掛けられて振り返る。

 表情どころか顔すら見えないが、入口に立っている女子生徒の声には聞き覚えがあった。


「天王寺さん……だよね? いつからいたの?」

「霊崎君が悲鳴を上げていたところからよ。貴方のことは三から七まで監視していたわ」

「一から十までじゃないんだ……」

「それより質問に質問を返さないで頂戴。ここで何をしているの?」

「何って、見ての通り負のアニマを回収してたんだけど」

「それじゃあ、隣にいるのは誰かしら?」

「ああ、紹介するよ。ボクのエミナスで、サイって言うんだ」

「サイ……?」


 名前を聞くなり、天王寺さんが腑に落ちない様子で呟く。別におかしな名前ではないと思うが、ひょっとしたら動物の方を連想されたのかもしれない。

 マスターらしく偉そうに紹介してみたものの、当の本人はこちらを完全に無視。回収そのものに支障はなかったとはいえ、依然として先が思いやられる。


「その子が貴方のエミナスなのかしら?」

「え? あ、うん。全然喋ってくれないけど、無事にエミナスはできたみたいでさ」

「…………そう。正直、霊崎君には驚かされてばかりね」

「あはは……ところで天王寺さんも回収するつもりで来たの?」

「ええ。それもあるけれど――――」






 ――――今日は警告しに来たの。






「…………え?」


 天王寺さんがそう答えた瞬間、背後で聞いたこともない嫌な音がした。

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