アニマとアニミストのライフフォース
「えっと……日直の仕事を終わらせて帰ろうとしたら花壇の所に変な歪みがいて、いきなり追いかけられたんだ。気が付いたら生徒会室で横になってて、訳が分からないまま天王寺さんが襲ってきたから何一つとして理解できてないんだけど……」
「返信画面が表示されていたけれど、メールは読んだのかしら?」
「そのメールなら英語の授業中に届いたけど、迷惑メールだと思ってたからちゃんと読んだのはついさっき物置の中でだよ。天王寺さんが言ってたエミナスって単語が書かれてたのを思い出して、もしかしたら何かしら関係があるんじゃないかって」
「それなら、このアニマ球のロックはいつ解除したの?」
天王寺さんのブレザーのポケットから出てきたのは、見覚えのある灰色の球。どうやら勘違いではなかったらしく、その色は昼に見た時と比べて確実に白へと近づいていた。
「そのスイッチをいつ押したのかって意味なら昼休みだよ。天王寺さんと駐輪場で会う前に鍵を探してたらポケットに入ってて、うっかり押しちゃったみたいなんだ」
「そういうことね」
天王寺さんがボクの携帯と灰色の球を返却するように差し出しつつ呟いたところで、注文したハンバーグステーキのセットとフライドポテトが運ばれてくる。こうして目の前に並べられると、頼む料理が逆なんじゃないかという違和感が否めない。
「ご注文の品は以上でよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
「ごゆっくりどうぞ」
倒れた時に転がりにくいという理由で斜めにカットされた円筒型のケースに伝票を入れた店員さんは、営業スマイルを見せつつ去っていく。
何も言わずにフォークとナイフを手に取った天王寺さんは、肉汁たっぷりのお肉を食べやすい大きさに切り分けてから上品に口元へと運んでいった。
「えっと……天王寺さん。事情を知ってるなら、色々と教えてほしいんだけど……」
「嫌よ」
「どうしてさ? こんな目に遭った以上、ボクも聞かずには…………」
そう言いかけて口を閉ざす。
具体的にはわからないものの、彼女の身を投じている世界が危険を伴うことだけは紛れもない事実。仮にボクが天王寺さんの立場なら、同じように説明を拒んだかもしれない。
足を一歩踏み入れた程度の今ならまだ引き返せる。
そういう理由なら、普段の彼女からは考えられないような酷い扱いも納得できる話。一見ぶっきらぼうで冷たい態度の裏に、ボクの身を案じる少女の真意が垣間見えた。
「…………天王寺さん、ひょっとして心配して「面倒」くれて…………へ?」
しょうもない理由をさらりと言われた気がする。
ハンバーグセットにもポテトが乗っているにも拘らず、ボクの注文したフライドポテトに躊躇いなくフォークを突き刺した天王寺さんは溜息混じりに答えた。
「聞こえなかったかしら? 面倒だと言ったの」
「た、建前はそれくらいにして本音は?」
「本音よ。生憎と私は忙しいの。詳しく知りたいなら花音に聞いて頂戴」
他の人に話してはいけないなんて掟がある様子もなく、本当に面倒臭いだけというのが態度から伝わってくる。とどのつまり、これが彼女本来の姿ということらしい。
熱々の肉を冷めないうちに味わうのが忙しいと呼べるかはともかく、そういうことならと先程から飲んでいるようで水の減っていないグラスを持っている少女に尋ねた。
「花音ちゃん。アニマとかエミナスって、一体何なのか教えてくれる?」
「は、はい。えっと、霊崎さんはアニミズムって言葉を聞いたことはありますか?」
「うーん……あるような、ないような」
「例え自ら動かない植物や道具でも、この世の全ての物には魂が宿っているという考え方のことです。本来なら一種の信仰に過ぎないのですが、実は幽霊や霊魂ではなくアニマと呼ばれる物が存在しまして……こちらを少しお借りしてもいいですか?」
「え? う、うん」
花音ちゃんは、フライドポテトのお皿に手を伸ばす。
てっきり食べるのかと思いきや、そのまま垂れ下がった長い袖越しにお皿を持ち上げると、幽体離脱するかの如く半透明のフライドポテトが現れた。
「これがアニマです。普通の人には見えませんが、霊崎さんやお姉ちゃんみたいなアニミストだけ見ることができます。アニマが司るのは『質』でして……霊崎さん。そのお水とこのお水を飲み比べてみてください」
「え? うん」
言われた通り、花音ちゃんの前に置かれていたグラスを手に取る。
水なんて大して変わらないだろうと一口飲むと、予想だにしない味がした。
「まずっ? 何これっ?」
「さっきまで私がその水のアニマを飲んでいたので、質が落ちてるんです」
例えるなら理科の実験で器具を洗うために使う純水のように、ミネラルなどの成分が全て抜けてしまったような感じで、舌を刺激するような苦味だけが残っている。
試しに自分の水と飲み比べてみると、その味は雲泥の差。仮にシャッフルしたとしても、百人中百人が間違いなく言い当てられるくらい明確な違いがあった。
「こうした物に宿っているアニマとは別に、霊崎さんを追いかけてきた悪霊のようなアニマもいます。アニミストが回収するのは、往来を漂っている負のアニマですね」
「負のアニマ……でも回収って、どうやってするの?」
「私達エミナスの力と、この回収用のアニマ球を使います」
半透明なフライドポテトを元に戻した花音ちゃんが腕を上げると、長い袖の先からコロリと真っ白な球が出てくる。
形状こそ同じように見えるが、ボクが持っているアニマ球は星の模様が描かれているのに対して花音ちゃんのアニマ球は月の模様。それに色も異なっていた。
「霊崎さんが持っているアニマ球はエミナス用でして、その中に入っている特別なアニマを吹き込むと私みたいなエミナスを生み出すことができるんです」
「それじゃあエミナスって言うのはパートナー的存在で、そのエミナスと協力して負のアニマを回収していくのがアニミストってことでいいのかな?」
「はい。ただそのことについてなんですが、霊崎さんの持っているエミナス用のアニマ球は中身が抜け始めてしまっているみたいなんです」
「えっ? 何でっ?」
「本来はロックを解除してすぐに使う物なので、何時間も吹き込まずにいたのが原因かと。このまま放っておくと、あと半日ほどで真っ白になってしまうかもしれません」
「中身が抜けかけの状態でエミナスを生み出したら、やっぱりまずかったりするの?」
「私も見るのは初めてだったので、具体的にどうなるかまでは……」
「そっか。参ったなあ」
「でもその変色したアニマ球が霊崎君の命を救ったのよ」
黙って話を聞いていた天王寺さんが、ハンバーグステーキを完食するなり口を開く。
テーブルに置かれていた回収用のアニマ球を制服のポケットに入れた後で、自分の水を花音ちゃんに差し出しながら選手交代とばかりに言葉を続けた。
「回収用かと思いきやエミナス用のアニマ球で、ロックを解除したまま放置する愚行。携帯に打ちかけた『テンテ』の文字と、目の前にある折り畳み式のテント。ここまで間抜けっぷりを見せられたら、疑り深い私でもシロだと判断するわ」
「は、はは……」
相変わらずの毒舌に思わず苦笑い。背水の陣で取った破れかぶれな行動だったものの、結果的には身の潔白を伝える手掛かりになったらしい。
少しずつ事情がわかってきたものの、そうなると新たな疑問が生まれてくる。
「でもアニミストの目的は、負のアニマを集めることなんだよね? 天王寺さんがボクを襲ってきたことと、一体どんな関係があるの?」
「ないわよ」
「え……? な、何もないの?」
「ないわ」
「例えば負のアニマがボクに取り憑いてたとか」
「ないわ」
「じゃあボクがアニミストとして大きな脅威になるとか」
「絶対にないわ」
「それなら、何でボクは襲われたの?」
「ただの八つ当たり」
「…………」
「冗談よ。私がそんなことする訳ないじゃない」
天王寺さんの場合、普通にありそうで怖いというのは黙っておく。
空になったお皿にナイフとフォークを置いた少女はテーブルの上に両肘を立てると、口元を隠すように両手を組んだ後でジッとこちらを見つめつつ答えた。
「私が霊崎君を攻撃したのは、貴方が嘘を吐いていたからよ」
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