ボクと私物のモノローグ
チュンチュンという鳥の鳴き声で目が覚めた、五月中旬の清々しい朝。
身体を起こして周囲を見渡すと、目の前に広がる世界は脱いだ衣服や読み終えた文庫本で散らかった部屋。普段は気にも留めないのにテスト前だと妙に片付けたくなるが、心理学ではこの現象にセルフ・ハンディキャッピングという名称があるらしい。
「んーっ、おはよ」
枕元に置いてあった眼鏡をかけた後で、大きく伸びをしてから朝の挨拶をした。
自分以外には誰もいないため、当然返事はない。
「大丈夫だよ。今日こそ帰ったらテストに向けて頑張るからさ」
寝巻きから制服へと着替えた後で学生鞄の中身を確認。主要科目の教材がパンパンに詰め込まれた鞄はパンパンに膨れており、許容量ギリギリの状態を保っている。
独り言を呟きながら布団を押し入れに片付けると、セットしたままだった目覚まし時計が単調なリズムを刻みつつ電子音を鳴らし始めた。
(起きろ♪ 起きろ♪
「はいはい、ちゃんと起きてるってば。いつもありがとう」
頭を撫でるようにアラームを止めつつ、起こしに来てくれた目覚まし時計に礼を言う。
もしも他人に見られたら冷たい視線を向けられること間違いなしだが、別に友達がいない訳ではなく、霊感がある訳でもなく、ましてや幻覚が見えている訳でもない。
そもそもの前提として、物に話しかけるのはそんなにおかしな行為だろうか?
例えば普段使っている道具の調子が悪くなったとき、仮にそれが緊急を要するなら「頼むから動いてくれよ」なんて懇願するように語りかける人は多いと思う。
単にそれと同じ感覚が、日常的な癖になっているだけ。
「それじゃあ、行ってきます」
目覚まし時計だけじゃなく机や照明など、ありとあらゆる物に向けて挨拶をする。
階段を下りてリビングへ向かうと、台所では母さんが朝食を用意していた。
「ふんふんふ~ん♪ あ、おはよ~シン君」
「おはよ」
鼻歌を歌いながら頭を軽く左右に振る度、頭上のお団子がゆらゆらと揺れる。何か良いことでもあったように見えるものの、これが
テーブルの上に並んでいるのは二人分の朝食。漬け物や味噌汁といった、いかにも日本人らしい和食の数々を眺めながら席に着くと両手を合わせる。
「いただきます」
「500円になりま~す」
「有料なのっ?」
「ガチャを回せば、レアなおかずも出てくるわよ~」
いつから朝食が課金制になったんだろうか。
母さんはそう言うなり、ある意味ガチャっぽいガスコンロのレバーを回して火を止めた。
「アジィ、アジィヨォ~」
「何その呻き声?」
「スーパーレア、アジの開きを引き当てた時の台詞! アジィ、アジィヨォ~」
グリルから取り出されたアジの開きが、新たな品目として目の前に置かれる。流石に焼き方まではレアじゃなく、ちゃんと中まで火の通ったミディアムだった。
「さあさあ、めっしあっがれ~。アジィ、アジィヨォ~」
「その台詞を聞く度に、美味しさが半減していく気がするんだけど……」
「も~、シン君の意地悪。お母さんが魂を込めて作った朝食だぞ~?」
ぷくっと頬を膨らませて不満そうに言われるが、魚自身の魂は焼かれたことで天に召されたんじゃないかという疑問。そして今になって気付いたけど、アジィヨォ~って熱い熱いと嘆く断末魔じゃなくてアジと掛けてたのね。
「いただきマスケット銃~♪」
外見だけでなく内面から仕草まで年齢不相応な母さんは、向かいに腰を下ろすなりノリノリで手を重ねる。我が母親ながら、一体どうしてここまでハイテンションなのか不思議でしかない。
既にお腹一杯な酷いボケとは裏腹に、朝食はしっかりしており普通に美味しかった。
「そうそうシン君。今日の占い見た?」
「見てないけど」
「悲しいことにシン君は最下位だったけど、その代わりマイナスをプラスに変えるスペシャルアイテムがあったわよ~。89式5.56mm小銃だって!」
「何それ怖いっ!」
「ということで、作っておきました~」
「作ったのっ?」
そう言うなり、母さんは粘土で作った自動小銃を取り出す。
三種類ある粘土ベラを駆使して製作したらしく妙に完成度が高いが、紙粘土じゃなく油粘土のため仮に持って行ったとしても登校中に形が変わってしまいそうだ。
「ねえシン君。学校は面白い?」
「んー、普通かな」
「じゃあ学校とお母さん、どっちが面白い?」
「いや比較対象がおかしいよねそれっ?」
「ここで突然のクイズタ~イム♪ 学校にあってお母さんにないものとはっ?」
「沢山ありすぎでしょ。ごちそうさまでした」
「は~い。お粗末さマスケット銃~♪ バーン☆」
母さんが見たのは星座占いじゃなく、ミリタリー占いだったんだろうか。
わざわざ小ネタを準備していたらしく、マスケット銃と言う名の靴べらで撃つようなジェスチャーをされるが、軽くスルーしつつ顔を洗った後で歯を磨き身支度を整える。
「忘れ物はない? 携帯は持った?」
「大丈夫だって。それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃ~い♪」
過保護な母親に見送られつつ家を出ると、今日の天気は少し雲のある晴れ。既に桜の花は散ってしまったが、まだまだ心地よい程度の暖かさであり春といった感じがする。
「おはよ、サイ。今日もよろしく頼むよ」
自分にしか聞こえない程度の声で、家の前に置いてある愛用の自転車へ声をかけた。
中学入学時に買ってもらい、当時はサドルを一番低くしてもつま先がギリギリ届くような状態だったが、今では逆にサドルを一番高くして乗っている。
「あー、空気か。そういえば入れてなかったね」
鞄を籠に入れてペダルを漕ぎ出すと、ふと足に重さを感じて小さく呟いた。
当然ながら返事はないが、脳内ではちゃんと会話が成り立っている。
(パンクの七割は空気圧の低下が原因。それと油も差してほしい)
「どっちも帰ったら……と言いたいんだけど、テストが終わってからでもいいかな?」
(わかった。楽しみに待ってる)
「うん。ありがとう」
ハンドルの根元を撫でつつ、人とすれ違ったところで口を閉じる。
高校生になってからは自転車通学となり話す頻度も激増。毎日のように片道二十分程度の付き合いを繰り返した影響で、この愛車にはいくつもの細かい設定ができていた。
名前はサイ。
比較的無口な女の子であり、嫉妬深い性格をしている。
口調のイメージは完全に自分の好みだが、性格と性別に関しては単なる趣味ではなくちゃんとした理由付き。妙な話ではあるがサイに乗っている時に女子関連の話をすると、決まって危険な目にばかり遭うからだ。
ブレーキの効きが悪く電柱にぶつかったり。
微妙な段差にタイヤが引っ掛かって車道に投げ出されかけたり。
酷い時には突然ハンドルが言うことを聞かなくなり、畑に突っ込んだことまである。
傍から見れば単なる注意不足に見えるかもしれないが、物は試しと女子の話題を控えめにしたところ効果てきめん。うっかり話してしまった場合でもサイが一番だとフォローするようになってからは、不思議と事故を起こさなくなった。
「ふっ、ふっ、ひー」
(頑張って)
心臓破りの上り坂を前にして、ギアを上げてから立ち漕ぎで加速する。
息を切らしつつ一気に駆け上がったところで、ようやく見えてくる大きな校舎。その校門をくぐると時間が早いこともあり、駐輪場はガラガラだった。
「おーっす、マコト」
「わっ?」
サイから降りると同時に声を掛けられ、振り向くより先に髪をワシャワシャと掻き毟られる。ちなみにマコトというのは、決して母さんの名前を呼んでいる訳じゃない。
真と書いてシンと読むのは珍しいため間違えられることが多く、訂正すら面倒臭くなってしまった今では一種のあだ名として受け入れてしまっていた。
「おはよ、
「おっ? やっと
「あはは。まだあんまり慣れないけどね」
鋭い目つきにチャラそうな雰囲気の友人は、嬉しそうに肩をバンバンと叩いてくる。
どことなく不良っぽい第一印象とは裏腹に話してみると見た目に反して気のいい奴で、実は隠れオタクだと知ったのは最近の話だ。
「お前にトドと呼ばれる度に、俺がどんなに眠れねえ夜を過ごしたことか!」
「建前はそれくらいにして本音は?」
「昨日は九時に寝た!」
「早っ?」
小学生みたいなことを言った颯は、鼻歌交じりに校舎へと歩き出す。
そんな後ろ姿を眺めつつ鍵を掛け終わると、サイを気遣うようにサドルに手を添えた。
「また帰りも宜しく頼むよ」
静かにそう呟いた後で、ボクは颯を追って教室へと向かうのだった。
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