ボクとサイのモノローグ
守田野圭二
幕開けと幕引きのプロローグ
「なあ
「女心と秋の空。移り気の激しい女人の掌握には、ちょっとしたコツがあるでござる」
「おっ? テクニックとかあるなら教えてくれよ! どんなことでもやってやるぜ!」
「拙者の心得では、まず女心を開くための鍵が必要でござる」
「うんうん。確かに女ってのは金庫みたいなもんだからな。それで、その鍵ってのは?」
「顔認証でござる」
「整形しろってかっ?」
沈み始めた太陽の光が差し込む放課後の教室。半透明な相棒と他愛ない話をしつつ、文字通り高みの見物とばかりに窓の外を見下ろしながら様子を窺う。
オレンジ色に染まった校舎と校舎の間にある中庭を、息を切らしながら必死の形相で走り続ける女子生徒が一人。靴ではなく上履きを履いている辺りからも、まるで何かから逃げるような尋常ではない様子が充分に伝わってくる。
恐らく彼女は何も知らない。
自分を追ってきている存在の危険性だけを、先に認識してしまったのだろう。
「!」
脇目も振らずに走っていた少女が振り返り、背後を確認する。
その視線の先には、一般人に見えない相手がいた。
人っぽい輪郭をした透明な煙……というより、空間の歪みの様なもの。燃え盛る炎によって生じた陽炎を、人型に切り取った存在とでも言うべきか。
そんな日常生活では理解不能な相手が、脚も動かさず滑るように移動している。本当の脅威はそこではないが、これだけでも常人にとっては恐怖以外の何者でもないだろう。
「はあ……」
胸に付けているリボンを見る限り、どうやら二つ下の後輩らしい。
危機迫る後輩女子を助けるなんて、見せ場としては絶好のシチュエーションだ。
それにも拘わらず、俺は目の前の緊急事態を悠長に眺めていた。
「…………可愛くねえんだよなあ」
溜息を吐いてから、思わず口から洩れる哀しみ。
好みじゃないとかではなく、クラスにいたらカースト下位確定の微妙な容姿。助けに行かない理由は他にもあるが、顔を見てやる気をなくしたのは事実だ。
とは言っても、見捨てる訳にもいかないだろう。
歪みの速度はスキップ程度であり女子生徒との距離は数十メートル近く離れているが、問題なのは彼女の体力が既に尽きかけていること。傍から見ていてもフラフラで、もはや気持ちだけで前へ進んでいるような状態だった。
「ったく、何が『校内のアニマは任せておいて頂戴』だよ」
本来なら助けに入るべき友人は、困ったことにいくら待っても現れない。
そうこうしている間に体力の限界がきたのか、女子生徒はついに脚を止めてしまった。
流石にこうなっては、黙って見てもいられない。
両手と膝をついた少女に向けて、敵は音もなく移動し近づいていく。
数十メートルから数メートルへと縮まっていく距離。
やがて、大きな悲鳴が周囲に響き渡った。
「――――ぁぁぁぁあああああああああひぃぃぃぃぃぃいいいいいいい」
…………少女の悲鳴ではなく、俺の悲鳴が。
校舎の二階が思ったより高いと気付いたのは、威勢良く跳んだ後のことである。
「はうぅっ!」
着地した足元が土にも関わらず、脚に襲いかかる強い振動と衝撃。萌えキャラみたいに情けない声を発しつつ登場した俺に、女子生徒も驚きを隠せず呆然としていた。
痛みを堪えつつ平静を装う中、歪みの手がゆっくりと近づいてくる。本来なら華麗に格好つけるところだが、悠長に決め台詞を言っている暇はないらしい。
「来いっ! 迅雷っ!」
呼び出しに応じるように、強風が吹き荒れ土埃が舞った。
そしてどこからともなく、俺の相棒は颯爽と現れる。
真っ黒な忍装束に身を包み、両手に握られた黒いクナイ。誰がどう見ても忍者そのものだが、その身体……肉体だけではなく存在自体が半透明に透けていた。
「御意!」
迅雷は短く答えると、少女と歪みとの間に割って入る。
そして瞬く間に決着はついた。
歪みの胴体部分に深々と突き刺さったクナイ。人を模した陽炎の身体は出血の類が一切ない代わりに、少しずつ輪郭を崩していき空気中に散漫し始める。
「これで終わりだっ!」
ポケットからピンポン玉より一回り大きい白い球を取り出し、その頭頂部にある月の印が描かれた部位を押すと、カチッという音とともに球が凹む。
それを消えゆく相手に向かって投げつけると、地面に落ちた球はドライアイスに向けて掃除機をあてがった様な激しい吸引力であっという間に全てを吸い込んだ。
やがて球の色が白から黒へと変化すると、悪夢からの目覚めを告げるように周囲は静けさに包まれ、消失を見届けた迅雷は黙って姿を消した。
「一丁上がりっと」
「一体何をしているのかしら?」
「何だ、いたのかよ?」
「いたわね。支柱をシチューと勘違いする小学生くらいにいたわ」
背後から声を掛けてきたのは、夕風に髪を靡かせるロングヘアーの美少女。膨らんだ胸を強調するように腕を組みつつ、やれやれといった様子で溜息を吐かれる。
対応は任せることにして、俺は黒くなった球を拾い上げてからポケットに入れた。
「怪我はない?」
「あ…………え…………?」
「もう大丈夫だから、安心していいわ」
「は……はい……」
俺に対する接し方とは打って変わって優しい微笑みを見せた少女は、未だに腰を抜かしたままの女子生徒に手を差し伸べる。その愛情を少しくらいこっちにも分けてほしい。
「とりあえず聞いておきたいのだけれど、メールは読んだかしら?」
「メ、メール……?」
「その様子だとまだみたいね。知らない宛先からメールが届いていないか確認して頂戴」
「わ、わかりました」
まだ落ち着かない様子の女子生徒は、スカートのポケットから携帯を取り出す。
そして素早く操作してから、不安げな様子で画面を見せてきた。
「あ、あの……ひょっとしてこれですか?」
「ええ、それよ。その宛先に知りたいことを聞けば、状況について大体分かると思うわ。もしも今みたいなのに関わり合いたくないなら、中等部の三―Bに来て頂戴」
「は、はい……あ、あの、ありがとうございます。その、先輩方は一体……?」
「私は
「自分で言うかそれ? 俺は――――――」
「あの後輩、アニミストになると思うか?」
「興味ないわ」
「さっきまで親切してた人間の台詞とは思えねえ変貌っぷりだな」
「卒業を控えた私達に関係ないことは事実じゃない」
「そりゃそうだけどよ……」
女子生徒と別れた後で、若菜と共に歩いていく帰り道。傍から見ればラブラブに見えなくもないが、単に方向が同じだけであり付き合うような関係には程遠い。
「ってか、校内のアニマの事は任せていいんじゃなかったのかよ?」
「ええ。任せて頂戴」
「いやいや、俺がいなかったらアウトだっただろ? 礼の一つでも言うところだぞ?」
「そうね。お礼を言う前に聞いておきたいのだけれど、貴方の大好きなライトノベルでは情けない悲鳴を上げながら落下しつつ登場するのが流行っているのかしら?」
「………………見てたのか?」
「当たり前じゃない。私がギリギリまで助けなかったのは、彼女が襲われる演技をしていた可能性を考慮しての判断よ。面白い姿を見せてくれて感謝するわ。落ち武者さん」
「その呼び方はやめろぉっ!」
求めていたものとは異なるお礼を口にした若菜は、小悪魔めいた笑みを浮かべる。
俺は深々と溜息を吐いた後で、話題を変えるためポケットに入れていた黒い球を差し出した。
「ほらよ」
「それは貴方が回収した物じゃない」
「本来なら助けるつもりはなかったし、俺には必要ねえからな」
「…………そう。そういうことなら遠慮なく頂いておくわ」
「ああ、それとこれもやるよ。迅雷、昨日話してた霊装ってのを頼む」
「御意!」
呼び掛けに応じて半透明な忍者が現れる。
そして忍装束の袖から取り出された、小型の黒いシャベルを受け取った。
「シャベル……関西で言うところのスコップね」
「ん? スコップって大きい奴じゃねえのか?」
「関東と関西じゃ逆の物を意味しているのよ。シャベルは英語でスコップはオランダ語。法律じゃ足をかける部分の有無で判断しているから、どちらが正しいとかはないわ」
「ほー。流石は植物マスター」
「それで霊装とか言っていたけれど、そのシャベルが何なのかしら?」
「対アニマ用の武器らしいんだが、何でも俺には使えねえみたいでな」
「シャベルが武器? まあ、一応貰っておくわ」
若菜は黒いシャベルを受け取ると、訝しげに眺めた後で鞄に入れる。
迅雷が再び姿を消した後で、分かれ道に差し掛かると少女は静かに口を開いた。
「…………一応聞いておくけれど、本気でやるつもり?」
「ん? ああ、アニミストを探す旅のことなら本気だぜ!」
「今までの回収を棒に振ることになるかもしれないのよ?」
「んなこと言ってもエミナスカップは全然進展がねえし、回収なんかよりも圧倒的に面白そうだからな。俺はもっとドキドキワクワクするようなバトルがやりてえんだ」
「そう。前に話していた関西人に触発されたのか知らないけれど、随分と困った考え方を植え付けられたものね。まあ私としては、貴方の分まで回収できる訳だから歓迎かしら」
「俺としては新しい世界が開けた気分だけどな。他のアニミストがどれくらい回収してるのか、俺の激闘の日々と合わせて連絡してやるから楽しみに待ってろよ!」
「期待しないで待っているわ。それじゃあお互い、幸運を祈りましょう」
「ああ、じゃあな」
別れの挨拶をしたところで、背を向けて歩き出す。
若菜と交わした言葉は、これが最後だった。
「忍法~忍法~朧影~♪ 忍法~忍法~隠れ蓑~♪ 忍法~忍法~」
「えらいご機嫌やな」
「ん? おおっ! こんな所で会うなんて、奇遇っすね!」
「奇遇やなくて探しとったんやで。実は渡したいもんがあんねん」
「渡してえ物? あっ! ひょっとして霊装っすか?」
「何や、知っとったんか。ほなら、ちょい目ぇ瞑ってくれへんか?」
「目? 別にいいっすけど――――」
『ブチッ』
「…………ぐ……あ?」
瞬間、鈍い音と共に身体から力が抜ける。
首がだらりと下がり、胴体を貫く鋭利な形をした刃が視界に映った。
出血は一切なく痛みすら感じない。
しかし背中を強く打った時のように呼吸ができなくなる。
横隔膜は麻痺しておらず、肺も正常に機能していた。
息苦しいのは、呼吸の仕方を忘れたからだ。
「セカンドノアニミストか……シッパイサクメ――――」
意識の消えていく俺が最後に聞いたのは、吐き捨てるような侮蔑の言葉だった。
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