つぼみを檻から解き放て

おにく

第1話

 彼女からホウセンカの花をもらった。それと同時に別れてほしいと涙目で訴えられて、俺はそんな彼女の姿を見て、頷くことしかできなかった。なぜあの時に引き止めなかったのか、悔やむ暇もなく彼女は、俺の前から消えた。なぜ彼女は俺と別れたかったのか、彼女に対する未練よりも別れるときに渡された花の意味に疑問を持っていた。あっという間に一ヶ月が経って、何一つ解読できずにいたある日、偶然花屋の前を通った時、ホウセンカを見つけた。

 『すみません!』

 「いらっしゃいませ」

 食い気味で女性の店員に近寄った俺は、少し怪しまれながらもホウセンカを渡された意味を聞いた。

 『何で彼女は、俺にこの花を渡してきたんでしょうか…』

 「お客様は、花に意味があることをご存じですか?花言葉と言って、それで想いを伝えたりする方もいらっしゃるんですよ」

 『花言葉…初めて聞きました。じゃあホウセンカにも意味があるんですか?』

 初耳だった。紳士がバラの花束を渡して、それに喜ぶ女性をテレビで見たことがあったけど、単純にバラが豪華に見えるからだと思っていた。じゃあホウセンカの意味って。

 「ホウセンカは、“私を放っておいて”“私に触れないで”という意味があります。普通男女間で送り合う花ではないですが…お気持ちお察しします」

 深々と頭を下げて、店員は店の奥に行ってしまった。

 『私を放っておいて…そんなこと考えていたのか』

 しばらく思い出していなかった彼女のことをまた思い出して、別れを告げた時の気持ちを考えたら、心が少しズキンと痛んだ。あの時の俺は、何も分かってあげられていなかった。ずっと表情が暗いことに気づいていたのに、どうせまた疲れているんだろうなんて勝手な理由をつけて、声をかけることもしなかった。俺は最低な男だ。

 『今更遅いよな…謝ったって』

 大きな後悔を小さな声で吐き出して店を出ようと踵を返すと、店員が俺を呼び止めた。

 「お客様!これを」

 『あ、俺何も頼んでないんですけど』

 「すみません、私からのプレゼントです。ツワブキといって、困難に負けないという花言葉があります。こんなことをしてご迷惑になるかと思ったんですが、良ければ受け取ってください」

 『困難に負けない…ありがとう。本当にもらって良いんですか?』

 「もちろん、良ければですが」

 可愛らしい黄色いその花は、花言葉を聞くと更に可愛さが増して、親のような守ってあげたい温かな気持ちになった。

 その日から俺は花に興味を持つようになり、一輪挿しを買って、ツワブキをもらった店員の石井さんのおすすめの花を家に飾るようになった。

 『石井さんこんにちは。今日のおすすめの花は何?』

 「青山さん、いらっしゃいませ。今日のおすすめはオキザリスです。花言葉は“決してあなたを捨てません”。こんなこと言われたら嬉しいですよね」

 『石井さんは言ってくれる人はいないの?』

 「残念ながら…少し前までいたんですけどね。喧嘩して振られちゃいました」

 悲しげな表情をしてオキザリスを紙に包む石井さん。その手に目をやると、水を触り続けて赤切れだらけの痛そうな手。花に触ったときに棘に触れてできた傷も痛々しい。話していても分かる、こんなに心の綺麗な女性なのに。こんな人ほど心に負う傷は深い。

 『石井さんはさ…好きでこの仕事してるの?』

 「うーん…そうとも言えるし、そうではないとも言えます。少し前まで付き合っていた人が、花が好きだったんです。考えがすごく大人な人だったから…少しでも大人な彼に近づきたくて、彼と同じように花を好きになりたいって思うようになって。勉強してこの花屋で働くようになりました。でも別れちゃったので、今はここで働く理由がなくて。背伸びしたらダメだなって気づいたんです」

 『背伸びってどういうこと?』

 「花の香りがきつくて、正直今でも苦手なんです。手荒れもひどいし。でも花が大好きって無理して彼に合わせていました。最近は花の香りと彼に振られた時のことを思い出して、頭が痛くなることが多くて。ダメですね、私」

 段々と話す声がこもって、オキザリスが包まれた紙にポツンと一粒の涙が落ちた。声も手も小刻みに震えているのに、無理に笑顔を作る石井さん。

 『石井さんはダメじゃないよ。大好きな人の為に勉強して、今こうやって働いてる。立派なことじゃん』

 「ありがとうございます。そう言ってもらえると、少し楽になります」

 そう言いながらも、まだ少し手が震えている。鼻をすすって、止まらない涙を拭き続ける石井さんに、衝動的に俺は石井さんを抱きしめてしまった。

 『花屋、辞めないでね。俺が買いに行けるところがなくなっちゃう』

 「…花屋なら探せばどこにでもありますよ?」

 『俺がここに来ている理由も知らないくせに』

 少し会話をしてから、しばらく言葉を交わすこともなく、抱きしめたままどのくらい時間が経っただろうか。

 『ごめん。突然こんな事したら迷惑だよね。他に慰められる方法が見つからなくて』

 「私こそ、こんな話を長々としてしまってすみません。でも、話せた人が青山さんで良かったです」

 俺に話せて良かったなんて、照れるようなことをサラリと言われた。上手く返せる言葉が見つからなくて、『また来るね』と目も合わさずに言ってお店を出る。石井さんが落とした涙の跡がまだ消えない花を強く握りしめて、今度会うときはどんな表情で会えば良いのか…回らない頭で必死に考えた。

 以前買ったオキザリスが枯れそうになってきた頃、そろそろ石井さんがいる花屋で新しい花を買おうと、少し戸惑いながらも花屋へ向かった。どんな風に会えば良いのか考えたけど、結局いつも通りが一番自然なのだろうという結論になった。それなのに、花屋の前まで来ると、シャッターが下りていて臨時休業の張り紙がしてあった。この張り紙が、石井さんが俺を避けているように思えて、自分のしたことに少しの後悔と責任を感じた。今度行くときは謝りたいと思って、次の日も花屋に足を運んだ。それなのに、次の日もシャッターは閉まったまま。本当に避けられているんだと確信したし、もうこの花屋に来ない方が良いのかもしれない。抱きしめた時、花屋は探せばどこにでもあると俺に言った石井さん。携帯で探せば見つかるだろうか。思った通り、同じ道沿いに一軒花屋があった。

 『新しい花もないし、明日買いに行くか』

 好きとも言わずに抱きしめたあの日。諦めが悪く、またどこかで会えたら話しかけようと、道沿いのもう一つの花屋へ。同じ道沿いだから、必然的に石井さんの花屋の前を通ることになる。少しの緊張感と会えるかもしれない期待を胸に、花屋へ向かう途中でシャッターが開いている石井さんの花屋を目にした。頭で考えるより先に、足が動いた。

 『石井さん…どうも』

 「あ、青山さん。いらっしゃいませ」

 いつもの穏やかな笑顔で迎えてくれた石井さん。少し気まずそうにも見えるけど、変わらずに接してくれている。

 「この前のオキザリスは枯れちゃいましたか?」

 『あぁ、新しい花を買おうと思って…それよりさ、聞きたいことがあるんだけど』

 数日間シャッターを閉めていたのは、俺を避けるためだったのか、他に理由があったのか。もしかして、別れた彼氏に会っていたのかもしれない。

 『ここ数日お店を閉めていたみたいだけど、何かあったの?もしかして俺があんなことしたからとか』

 「そんなんじゃないです(笑)友人の結婚式に行っていたんです。ブーケづくりとか式場の飾りつけを頼まれたので、長い時間お休みを頂いて出張に行っていました。すみません、お花を買おうとしてくれていたんですよね?」

 『良かった…急にあんなことしたから、嫌われたんじゃないかって気になっていて』

 「あれは…嬉しかったですよ。青山さんはいつも私のことを気にしてくれているし、こうやってお花を買いに来てくださって、私の話も聞いてくださいますし。今回の事も」

 石井さんは少し勘違いをしているらしい。俺が石井さんを抱きしめたことを、好意ではなく慰めだと思っている。自分の傷を癒すために抱きしめられたんだと。

 『そうじゃないんだよ!そうじゃなくて…もっとこう、何ていうか』

 「青山さん?」

 『そうじゃなくて…好きなんだよ、石井さんのことが。好きだから、石井さんには悲しい顔をしてほしくない』

 「え、私のことが?それって、告白…ですか?」

 『そうだけど、あんまり言われると恥ずかしいから』

 俺が想いをぶつけたことで、石井さんと俺との間に壁ができそうで怖かった。言えることならもっと前に言いたかったけど、それで店員と客の関係が終わってしまうんじゃないかと考えると、あと一歩が踏み出せなかった。でも、石井さんが過去の恋愛の話をして、石井さんが抱える辛い思いを全て忘れさせてあげたいと思った。

 『石井さんにはずっと笑っていてほしいんだ。俺もその隣で一緒に笑っていたい』

 「あ、ありがとうございます。すごく、嬉しい。でも私なんか…」

 『石井さんが良いんだよ。石井さんじゃないとダメなんだ』

 好きだと言えば、もう歯止めは効かない。自分ではコントロールできない感情が、口をついて出る。

 「私、彼と別れた時に言われたんです。“君は俺と居て楽しかったか?”って。返事ができなかったんです。彼と過ごした時間はあまり長くなかったけど、彼のおかげで花を扱う仕事に就けました。感謝はしていましたが、楽しかったかと言われると…正直に言えませんでした。だから、もしいつかお付き合いできる人に出会えたら、ちゃんと自分をさらけ出せて、素直に楽しいって言える人が良いと思っているんです。青山さんなら…素の自分をさらけ出せる気がします」

 返ってきた言葉は、とても意外だった。表情が暗かったから、期待しない方が良いと思っていた。想像以上の返事に、思わず頬が緩む。

 『ありがとう。良い答えが返ってくると思っていなかったから、嬉しいよ』

 「私もこんな事言われると思っていなかったので、びっくりです」

 『あの…花を買っても良いかな?』

 「あ、そっか。そうでしたね。花を買いに来てくださったんですよね(笑)今日のおすすめは…」

 『今日はね。買う花は決めているんだ。“カランコエ”。頂けますか?』

 「カランコエ…少々お待ちください」

 同じ道沿いにある花屋で買おうと思っていたカランコエという花は、あなたを守るという花言葉がある。直接会えなくても良いから、自分の想いだけでも伝えたくて、手紙を添えて、お店の前に置いて帰ろうとしていた。まさか直接想いを伝えられるなんて。きっと石井さんはこの花の花言葉を知っている。必死に携帯で調べた花言葉。愛の告白に関する花は数えきれないほどあって、どれにしようか悩んだ。画像で検索していると、カランコエが目に留まって、小さな花が一つひとつ綺麗に咲いているのを見て、石井さんにぴったりだと思った。告白には向いていないかもしれない。それでも、小さくて可愛らしいところがとても気に入った。

 さっきの石井さんの返事を思い返して、胸を押さえて深呼吸していると、奥からカランコエを持った石井さんが出てきた。やっぱりよく似合っている。

 「お待たせしました。カランコエです」

 『これ、石井さんへのプレゼント』

 「え、くださるんですか?」

 『プレゼントって感じしないよね、ごめんね。でも、石井さんを想って選んだんだ。受け取ってほしい、俺の気持ち』

 「ありがとうございます。じゃあ、少し待っていてください。私も…青山さんにプレゼントがあります」

 『何をくれるの?』

 「…ナズナです。花言葉は、自分で調べてください。すみません、少しお時間いただきます」

 そう言って、石井さんは嬉しそうな表情で再び奥へと消えた。ナズナの花言葉。携帯を取り出して調べて、俺は思わず顔を覆ってしまった。顔を覆っても隠し切れないにやけ。石井さんがナズナを持ってここへ戻ってきたら、想いが通じ合う。お互いに口で想いを伝えて、花でも想いを伝える。今度こそ、絶対に悲しい思いをさせない。幸せな日々を過ごしたい。そんな素朴な願いも、彼女が戻ってきたら伝えよう。あと何分後に伝えられるかな。早く戻ってこないかな。

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