第69話 人は見た目によらず、心も同様に

「いいわ。いくら払えばよろしいのかしら?」


 そう言って、お父さんと詩織さんの会話に割り込んできた、杖を突いた白髪の女性の人は見た目以上に、凛々しい雰囲気を身に纏っていた。


「「……え?」」

 “私”とお父さんは呆気にとられ、同時に同じ声を出していた。

 けれど、それ以上に詩織さんの方が、その女性に呆気に取られてる気がした。


「“先生”、どうしてここに……!まだ約束してた時間じゃ」

「詩織ちゃんを驚かせようって思ってね〜」

「だからって、なんでここに。駅前で待ち合わせって、伝えたじゃないですか」

「それこそ、私が家に出向いて驚かせたかったのよ〜。……まさかこんな事になってるとは、思わなかったけどね」

「……ごめんなさい」

 親しげとはまた違う感覚の距離感で話す、詩織さんと“先生”と呼ばれた白髪の女性。次第に萎れていく詩織さんとは対照的に“先生”の方は、ニコニコとした表情を崩さなかった。

 咄嗟に現れた時とは違ってこの時は穏やかな雰囲気が漂っていた。

 そんな“先生”が

「謝らなくていいのよ。大体の事は把握したから。……よく頑張ったわね、詩織ちゃん」

 と右肩を優しく叩きながら詩織さんにそう言うと

「ううぅ……っ!」

 詩織さんは呻きながら蹲るのだった。


“私”や私には計り知れない、プレッシャーや心労が掛かっていたのかもしれない。

 それなのにただただ眺めていることしかできなかったのが、悔しくて堪らなかった。


 無意識のうちに私は左手首に爪を立てていた。結局、こうなるのかと、諦めていると

「さて、と……」

 そう言ってずいっと私の前に“先生”が立ち、そっと爪を立てていた右手を優しく左手で包んだ。

 シワだらけで、ところどころ硬い皮膚だったけど、詩織さんにされるのと同じくらいの温かさを感じた。


“先生”……詩織さんの“先生”か……。


 私は自然と、右手を包んでる“先生”の左手を包み返していた。

 彼女の顔を見ると、一瞬微笑みながら私の事を見つめていた。が、すぐさま対峙しているお父さんの方へと顔を向けるのだった。


 そしてそのお父さんはといえば

「なんダァ、バアさん。そんなに睨みつけてよぉ」

 と、“先生”に対して舐め腐ってる態度をとる。きっと自分が有利だと判断したからだろう。


 この人から離れるよう私に伝えておいて本当に良かった。


 っと、そんな事を考えていると“先生”がクルッとこちらを振り向いた。

「アナタの相手はもうちょっとだけ待ってね。私はこの子に会うために詩織ちゃんの家に向かってたんだから」

「……私?」

 私に一体なんの用だろうか。後で会う予定だったみたいだけれども……。

 一体全体なんのことか分からなかった。きっと、“私”が寝ている間に色々と決まった事なのだろう。

 今朝起きた時点で気にも止めてる様子なんて無かったから、知りもしなかった。


 そう言うこともあって、私は突然“先生”に話しかけられてびっくりしていた。けれど、そんな事を気にする様子は無く、更に私に話しかける。

「そ、あなた。えっと、しおりちゃんでいいのよね?聞いてた話と少し雰囲気違うけど……」

「今はちょっと色々ありまして」

「色々?」

 首をかしげる“先生”。そりゃそうだろう。普段の私と“私”は真逆なんのだから。


 と、こんな時大人しくしていたお父さんが割り込んできて、一言発する。

「ソイツ、しおりじゃないんだと」

 その言葉を聞き、目を鋭くさせる“先生”。

「詳しく教えて貰ってもいいかしら?」

 彼女が発したその言葉に、少し重みや凄みを感じた。けれど、お父さんがそれに屈するような単純な人ではなく……

「いいぜぇ?……って言っても、大した事はねぇんだがな。なんか、『病んで私を生み出した』?とかなんとか言ってたぜ。俺にはさっぱりわからん」

 と悪びれる様子も無く、堂々とそう告げる。

「それは、本当なの?」

「本当ですよ、ええ。私は、あの子を守る為に出来た人格です。えっと、二重人格ってやつですかね」

「そう……大変だったのね」

 さっきまで対峙していたお父さんを無視して、私の方に翻し、突然抱きしめる”先生“。

 突然の事で、一歩、二歩と下がってしまったが、“先生”は私を逃してはくれなかった。


 けれど、“先生”が抱きしめてるのは『“私”の時の私』であって、本当の『水沢 しおり』では無い。だから“私”は“先生”に一つ託す事にした。

「私はただ、心のままに動いてただけです。なので、“私”の時では無く本来の私の時に、またお願いしてもいいですか」

「お安い御用よ。任せておいてね」


 そう言うと、“先生”は抱きしめる力を緩め、最後に背中をポンと叩いた。


 ───頑張ってね。


 そう言われてる気がした。

 やっぱり、詩織さんの先生なんだなぁと、心のそこから安心していた。


 しかしその安心も、

「おいおい、俺を忘れて二人で勝手に盛り上がってんじゃねぇよ!!」

 お父さんのこの荒々しい言葉でぶち壊されてしまった。

 けれど、“先生”はさほど気にしてる様子も無く

「あらあら、ごめんなさいね。別に忘れてたわけじゃ無いのよ?ただあなたと話すことの優先度が低かっただけよ」

 飄々とした様子で受け流す。皮肉どころか、直球な言い訳を添えて。

「調子に乗りやがって……!」

 怒り心頭になるお父さんだが、“先生”はまるっきり動じる様子は無かった。それどころか、相手にする気が無いようにも見えた。


「それにバアさんよ、さっき『いくら払えばいいのかしら?』って言ったよな。それに嘘は無いんだな?」

 相手にされて無い事を察したのか、お父さんは本題へと踏み出した。

「ええ、嘘は無いわね。あなたに嘘をつくほど暇じゃ無いもの」

 そしてそれを“先生”は真正面から受け流す。

「一々癪に触るバアさんだなぁ!!……まあいいや、金さえもらえればそれでいい」

「そう、潔いのね。それで、アナタはいくらをご所望なのかしら?」

 そう“先生”が言うと、お父さんは右手を思いっきり広げて突き出して、高らかに宣言した。

「五千万だ」

 と。


 その言葉に耳を疑ったのか、

「……なんて?」

 と少々怒り気味に“先生”が聞き返す。

 その様子に、お父さんは調子に乗ったようで

「五千万だって言ったんだよ。なんだ、聞こえなかったのか?威勢は良くてもやっぱ歳かぁ?」

 と高笑い気味に言う。見ていて気分のいいものでは無かった。

 けれど、“先生”はそれでも顔色一つ変えずに対峙し続ける。

「大丈夫よ、ちゃんと聞こえてるわ。ええ、しっかりとね」

「……“先生”、本当に払うつもりじゃ」

「うるせぇ、アンタは黙ってろ!……なぁ、バアさんよ。どうなんだよ。払うのか?それとも払わずに逃げて帰るか?」

 途中、“先生”を止めるように詩織さんが顔を上げて聞こうとしたが、怒声でねじ伏せられていた。


 しかしながら、“先生”は強かった。


「あなたがその金額を望むのなら、別にやぶさかでは無いわ」

「“先生”……!!」

「はははは!話わかるじゃねぇか!それじゃあ早速───」

「けど、それはあなたがこの子に愛情を十分に注いでいればの話よ」



 ───その外見からはからは感じられぬ、したたかな強さが、そこにはあった。

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