第70話 何度も救われた“先生”の言葉

「……は?どう言う事だよ、そりゃ」


“先生”の『あなたがこの子に愛情を十分に注いでいればの話よ』の発言に対して、呆気にとられた態度で返事をする男。

 その様子に、“先生”は何も臆する事なく言葉を返す。

「どう言うことも何も、そのまんまの意味よ。もしかして、よく聞こえなかったかしら?まだまだ若いでしょうに、耳が遠くなってしまっては大変ね」

「何だそれ、仕返しのつもりかよ!!ってか、コイツに愛情なんか湧いたことなんかねえよ。言ったろ?コイツが勝手に生まれてきたんだからよ」

「そう。ありがとうね」

「はぁ……そりゃどうも……?」

 到底感謝されるようなものでない内容なのに『ありがとう』と言われ、困惑した様子でどこか歯切れの悪い男。

 けれど、“先生”はご機嫌たった。さっき耳の事でちょっかい出されていた事をやり返せて満足でもしたのだろうかと、勝手に想像していると、おもむろに“先生”は杖から左手を離す。

 そして、ゆっくりと口を開く。

「お陰で言質が録れてしまったから」

 左手に握っていたボイスレコーダーを男に見せながら。


 それを見た男はみるみるうちに顔が真っ青になっていく。

「……は!?言質って……はぁっ!?バァさん何してくれてんだよ!!!」

 慌てふためく男。そんな男に“先生”は追い討ちをかける。

『コイツに愛情なんか湧いたことなんかねぇ』

 録音された音声が玄関前で響き渡る。


 慈悲なんてなく、まさに泣きっ面に蜂状態である。流石の心臓が強い男も、容赦無い追い討ちに口を大きく開け呆然としていた。


 そんな彼の様子を見るや否や、体を反転させる“先生”。その時の表情はどこか、満足気だった。

「本当はもうちょっと様子みようと思ってたのだけど、想像以上に酷かったものだからもういいかなと。ほらいつまでも蹲ってないで、行くわよ詩織ちゃん」

「ごめんなさい、“先生”……最後任せてしまって……」

「いいのいいの〜、私がしたくてやったことだしね〜。ほら、あなたも一緒に行くわよ」

「あっ……はい!」

 私としおりちゃんを連れて“先生”は家の前から離れようとする。

 が、そう簡単には行かず

「ちょっと待てよ!」

 と気がついた男に回り込まれ、行く手を阻まれてしまった。

「ソイツ連れてくなら金払えって言ってんだろ!!」

 どうしてもお金が欲しいのだろう、この男は。しおりちゃんでは無く、お金が。

 そしてそれに“先生”が気づかないわけが無く

「それは愛情を注いでたらの話、って言葉を返したの忘れましたか?あなた先程、愛情なんかねぇっておっしゃってましたよね」

 と男に一歩詰め寄りながら問い詰める。


 ここで男は引き下がるべきだったのだ。そうでなければ、プライドや見栄を張り続けられただろうに。

 だが、そんな事が分かるような人では無く

「そ、それはあれだよ……ほら、堂々と『愛情はたっぷりと注いでたぜ!』なんて言ったらダサいだろ?だから、ちょいと意地を張ってしまってだな……!!」

 としどろもどろでなんとか食らいつこうとする。

 私は年のために

「“先生”、騙されないで下さいね?明らかに嘘ですから」

 と、“先生”に注意を促す。しなくても、きっと大丈夫なのだろうけれども。

 そんな少し心配性になってる私の頭に、優しく右手を添える“先生”。



 ───やっぱり、“先生”には敵わないよ。


 もう何度も味わった、“先生”への畏怖。しかし、それ以上に安心感が段違いだった。

「まぁまぁ落ち着きなさい、詩織ちゃん。……この人が言ってることは本当?『愛情たっぷり注いでた』なんて言ってるけど」

「全然。嘘、偽り。その場凌ぎの誤魔化しですよ。食事だってまともに食べさせてもらってなかったわ」

「って言ってますが、どうなんですか?」

「デタラメだ!俺はちゃんとメシは……そう、母さんだ!母さんにそう言うのを任せてたんだ!!」


 未だに厳しい口調のしおりちゃんの言葉に、男は最終手段を決行したのだった。


 罪の擦りつけ。


 ふと、昨日絶縁した“彼”の事を思い出す。

“彼”も目の前の男と同様に自己顕示欲が強く、そして絶対に自分の非は認めようとしなかった。

 けれど、それでも、“彼”の方がまだマシにも思えてきた。“彼”にはまだ、他人に罪を擦りつけるなんて事は覚えてる限りしていなかったのだから。


 そんな、庇う余地すらも無い男に対応する気力が“先生”から無くなったのか

「そう、ですか」

 と気の抜けた返事をする。

 その“先生”の返事を聞くと大急ぎで家の中へと戻っていく。

「今から呼び出してくるから、ちょっと待ってろ……!!絶対逃げんなよ!?」

「それは別に構わないけど、別に話を聞くなんて一言も……って、言い終わる前に行っちゃったわね」

「どうするんですか?待ちますか?」

 私が聞くと、“先生”は首を横に振り、そのまましおりちゃんの方へと目を向ける。

「いえ、もう十分よ。これ以上聞くことなんて無いもの。あなたも、十分に見切りつけれたでしょ?」

「ええ……十分に。それに、とてもスッキリしました。わざわざ私の為にありがとうございました!」

 丁寧にお辞儀までするしおりちゃん。あの男と血が繋がってるとは思えないほどの礼儀の良さに、改めて愛おしさを感じる。


 じっと、彼女を見つめる“先生”。そしてゆっくりと口を開く。

 不思議と、“先生”が次に何を言うのか、分かっていた。長年、“先生”と過ごしていた時に何度も聞いた言葉。そして、しおりちゃんに何度か伝えた言葉。


 そして───

「あなたの為じゃないわ」

「……?」

「私がしたいと思ったから、したまでよ」


 ───何度も救われた言葉。


 その後、私たちは大急ぎで家から離れた。しばらくしてから、微かに怒声が聞こえたが全員振り返ることは無かった。


 振り返ることなんて、何も無いのだから。

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