第63話 HELLO TALK ー新しい朝ー
長いようで短かった夜が明け、朝が来る。
いつも朝は嫌いだった。“あの人たち”の怒声が聞こえ始めるから。
まともに睡眠をとっていなかったその頃の私にとって、恐怖でしかなかった。それがたとえ私に向けられたものでなかったとしても。
しかし、その呪縛から抜けると心なしか朝も悪くないかもと、思えてきた。
「おはようございます、詩織さん」
一昨日までとは違って朝の挨拶をする人がいる。それだけで、今までのことがどうでもよくも、思えてきた。
詩織さんから返事は無い。その代わりに静かな寝息が聞こえる。どうやら、一足早く起きてしまったようだった。
「……どうしよう」
やる事が思いつかなかった。何をしていればいいのか、分からなかった。
昨日、詩織さんが側にいない時に私は何をしていたのだろうか。ふと、昨日の自分を思い出す。
昨日、この寝室で目を覚ましてから何をしていたのかを思い出す。
朝食前、布団の香りに温もりを感じ、詩織さんがコンビニに行ってる間には貰った服の香りを堪能し……。
ここでふと、気づいた。
『もしかして、詩織さんの匂いを嗅いでばっかなのでは?』と。
灰皿を何度も投げつける事になったのも、詩織さんの匂いを味わおうとした事が発端であるのだから、あながち間違ってなかった。
だから、詩織さんの匂いを嗅ぐ以外に暇を潰す手段は今の私には思いつかなかった。
プチパニックに陥ろうとしている、そんな時だった。
───朝ごはんでも作ってあげたら、いいじゃない。
“私”が語りかけてきたのだ。
「迷惑に、ならないかな?」
私はすぐさま口に出して“私”に問いかける。
すると、私のそんな回答なんてお見通しだったかのように、“私”は即答する。
───迷惑どころか、喜んでくれると思うわよ。
「そうかなぁ……」
喜んでくれると言われても、“私”は詩織さんではない為不安は拭えなかった。
けれど、その不安はすぐさま消え去った。
───大丈夫。詩織さんなら、絶対にね。
『大丈夫』
“私”にそう言われると、本当に大丈夫な気がしてきた。本当に不思議だ。
“私”がいつから私の中にいて、何の為にいるのか、分からないけれど、どんな時でも私の味方でいてくれた。だからこそ、その言葉に絶対的な信頼を持てた。
とは言え……
「でも、何を作ればいいの?私、詩織さんに出せる料理なんてないよ?」
───昨日お昼に作ってたじゃない。あれじゃダメなの?
「同じものじゃ飽きられちゃうじゃない……」
私自身には信頼なんて無かった。だからこそ、悲観的で、“私”を毎回呆れされてしまう。
今回もきっとそうなのだろうと、そう思っていた。
───スマホで調べればいいじゃない。
“私”にごく当たり前の事を告げられるまでは。
「あ……」
身近なもので、一度は誰もが考えうる手段、『スマホで調べる』という事がどういうったわけかすっぽりと私の頭から抜け落ちていた。
きっと心の中で“私”はため息をついている事だろう。こればっかりは自分でもため息をつきたいと思った。
しかし、これで詩織さんに昨日とは違うものを食べてもらう事が出来る。そう考えたら、私はあっという間に立ち直り、寝室の扉を開けキッチンの方へと向かうのだった。
詩織さんが喜ぶ姿を想像しながら。
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