第62話 明るい明日を夢見て

「それじゃあ、明日に備えて早めに寝ちゃいましょ」

 ベッドから少し離れた場所にあった毛布をベッドの上に綺麗に敷き終えた私は、しおりちゃんにそう言った。


 風呂にいた時間が長くのぼせたのか、少し目眩がする。私はいつものようにベッド側に置いてあるペットボトルを手に持つと、そのまま蓋を開け口いっぱいに中の水を流し込む。

「ふぅ……」

 火照った体が、流し込まれた水で少しずつ冷めていくのが分かる。

 それと同時に、どことなく感じていた昂揚感も落ち着いていくのも分かった。


 きっとさっきまでの私は熱に浮かされていたのだろう。うん、きっとそうだ。


 私はそう決めつけながら、蓋を開けたままのペットボトルをしおりちゃんに差し出す。

「はい、しおりちゃんも寝る前に飲んでおいたら?少しクラクラするんじゃ無い?」

「えっ……と。それじゃあ、いただきます」

 そう言って、ペッドボトルを受け取るとジッと飲み口を見つめるしおりちゃん。


 無言でクルクルとペッドボトルを回すしおりちゃん。依然として目線はペッドボトルの飲み口。


 そんなしおりちゃんの様子から、思わずそのペットボトルに手を伸ばす。無用心だったと後悔しながら。

「あ……ゴメンね、気がつかなかったわ」

「え、何をですか?」

「回し飲み、ダメだったよね。新しいの持ってくるから、そっちの方を───」

 もう間も無くでしおりちゃんが持つペッドボトルに手が届く、そう思った刹那の事だった。

「……んっ、ぷはっ。全然、大丈夫ですよ」

 突然、ペッドボトルを飲み始め、そしてそれを飲み干したのだ。およそ500mlの3分の2ほどの量を、一気に。


「ちょっと、大丈夫!?そんな無理して飲まなくても!!お水なんて蛇口ひねれば出てくるんだから」

「回し飲み、全然大丈夫、ですから……」

「だからって、そんな一気に飲まなくても」

 一気に水を飲んで若干むせている様子のしおりちゃんの背中を私は優しくさする。

「……ごめんなさい」

「謝らなくてもいいのよ。ただびっくりしちゃって、ね」

 しおりちゃんが手に持つ空っぽのペットボトルに蓋をしながらそう言うと、しばらくの間沈黙に包まれた。


 しかし、その沈黙はしおりちゃんの言葉で破られた。


「あの……聞かないんですか?」

「ん?何を?」

「“先生”に会う会わないかに対する事を、です」

 どうやら、風呂の時からずっと気にしていたのだろう。

 そんな彼女に私はあっさりとした返事をする。


「あーそのことね。うん、聞かないわよ」

「どうして、ですか?」

 しおりちゃんのその言葉に朝食の時にも、『どうして』と聞かれた事を思い出した。


 きっと、あれこれと理由がはっきりしないと怖いのだろう。朝とは違い、今は怯えてる様子は無いにしてもだ。


 そんなしおりちゃんに対して、私は真面目に答える。しおりちゃんよりも長く生きてきて、染み付いた私の考えを。

「どうしても何も、しおりちゃんが一生懸命考えて決めた事に、私が横槍入れるように理由を聞くのは失礼だと思ったからよ」

「失礼だなんて……詩織さんにそんな事思うわけ無いじゃないですか……」


『何を当たり前のことを』

 そんな事を言いたげな表情をするしおりちゃん。

 分かっていた。

「そうね。しおりちゃんはそう言うと思ったわ」

 しおりちゃんが私を裏切るような事はしないと、分かっていた。


 だからこそ、私はしおりちゃんに知ってもらいたかった。

「だったら───」

「だから、さっきのは私の礼儀よ」

「礼儀……?」

「ええ。少し大人になろうとしてるしおりちゃんへの私なりの礼儀」


 あなたの事をちゃんと見てると。

 たとえ、これがしおりちゃんに届かなかったとしても、仕方ないと思っている。あくまで、これは私の自己満なのだから。


「さっきの返事だけどね……“先生”は優しいわよ。私なんかよりもずっと。“先生”の元から離れて十年以上経つのに私の事を覚えててくれるんだもの。だからきっと、しおりちゃんにも優しくしてくれるわよ。私が保証する」

“先生”の元で過ごした日々の事を思い出しながら、私はしおりちゃんの安心して平気だという事を伝える。


 聞いてる最中、少し強張ってた表情は私が言葉を紡ぐに連れ、緩まっていき

「詩織さんがそこまで言うのなら……少し安心しました」

「それなら良かったわ」

 最後にはホッとしたようにベッドに倒れこんだ。


 相当気を張り詰めていたのだろう。

 しかし、言い残したことがあるのか、目を少しだけ開きながら口をパクパクと動かしていた。


 そんな彼女の口元に耳を寄せると、しおりちゃんは明日の事を口にするのだった。

「明日は……きっと、詩織さんを驚かせてしまうかもしれませんが、最後まで見守って下さい。絶対、乗り越えて見せるので」

 しおりちゃんのその言葉に嫌な予感を感じながらも

「無茶だけは、しないでね。しおりちゃんが幸せなら私はそれでいいんだから」

 こんなありきたりな事しか言えない自分が恨めしかった。


 すると、明日への意気込みを口にできて安心したのかゆっくりと瞼を閉じていく。

 そして

「はぃ…………」

 返事とともに、完全に目が閉じた。



 すぅすぅ……、と穏やかな寝息と共に体を膨らましてはしぼめていく。どうやら、寝てしまったようだ。


 しおりちゃんを少しだけ抱きかかえ、綺麗な状態で寝かせる。そしてすぐさま反対側のスペースに私も寝転ぶ。


 そしてボソリと呟く。

「私も、明日は頑張らないとね」



 目を閉じ、一度私の見せてくれたしおりちゃんの本気の笑顔を思い浮かべながら。



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