第61話 詩織さんをガッカリさせたく無いから

「私は……詩織さんさえ、私を知ってくれればそれでいいので……。他の人には、詩織さんの言う“先生”にも……別に、知ってもらわなくてもいいです……」


 私は詩織さんにそう告げ、髪を洗い始める。


 どうしてこんなことを言い出したのか私にはもう、分かっていた。

 見捨てられると、瞬時に思ってしまったのだ。詩織さんがそんなことする人じゃないと、今日一日で十分に分かっているのに、本能が『見捨てられたくない』と訴えて止まないのだ。

 詩織さんの言う“先生”もきっといい人なのだろう。きっと私の事を見てくれるのだろう。それでも、『もし違ったら』と言う考えが頭を過ぎったのだ。


 だから私は、“先生”の紹介を拒否した。

 怖いのだ。誰かから興味を持たれなくなるのは。仮に“先生”とやらに会って、その人が私に興味を示さなかったら?私に見向きもしなかったら?

 そんなことを考えると、このままでもいいのではと思えて仕方なかった。


 私のことに興味を持たない人なんていらない。私をただの金蔓としか思ってないような“あの人たち”もいらない。

 私の事を見てくれる人がいればそれでいい……。

 詩織さんが近くに居てさえすれば、それで───。


「その洗い方じゃ、髪傷んじゃうわよ。ガシガシと闇雲に洗うんじゃなくて、こうして優しく包み込むように洗うの」

 そう言って詩織さんは身を湯船に浸けたまま、腕を私の頭に伸ばし、そのまま優しく髪を洗い始める。

 髪の汚れさえ落ちればいい私のとは、まるで別の洗い方だった。髪の一つ一つ丁寧に洗ってるようにも感じられた。

 きっとこれも詩織さんが綺麗である要因なのだろう。


 そう思いながら、今度は黒く艶やかに濡れた詩織さんの髪の毛に見惚れる。そして鏡で私の髪と見比べる。


 見比べたとて、何かが変わるわけでは無かった。むしろ詩織さんがどれだけ凄い人なのかをより実感させられたに過ぎなかった。けれど、それでいいのだ。そう簡単に詩織さんみたいになれるとは思ってない。むしろ、こんな凄い人に興味を持ってもらってる事に喜びさえ感じられた。


 そんな事を考えていると詩織さんが申し訳なさそうに謝ってきたのだった。

「……ゴメンね、さっきは変な事聞いちゃって。気にしなくていいから」

 詩織さんが悪いわけでも無いのに、だ。

「えっ、いや……!謝るのは私の……っ!」

 私はまた罪悪感に駆られた。


“先生”の紹介を断った事では無い。ましてや、詩織さんの綺麗な髪に見惚れていた事でも無い。

 詩織さんに謝らせてしまった事だ。


 私のつまらない本能なんかの所為で、詩織さんを謝らせてしまったのだ。

 詩織さんの迷惑になりたくないと決めた矢先にこれだ。本当に自分が嫌になる。


 それでも、詩織さんは私を見捨てる素振りはない。それどころか

「いいのよ。しおりちゃんが嫌がるのなら無理はさせないわ」

 私を尊重までしてくれる。


 そんな人をガッカリさせたままでいいのだろうか。私の事を思って提案してくれたのではないのだろうか。


 気づけば私は口を開き言葉を発していた。


「……その“先生”は詩織さんみたいに優しいですか?」


 と。


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