第60話 身を寄せ合い、肌を擦り寄せ、それでも心はすれ違う
「詩織さんがお母さんだったらよかったのに……」
しおりちゃんが静かに放ったその言葉に私は涙がこみ上げてきてしまった。
あぁ……私が求めていた姿はこれだったのかもしれない。
スッと、胸の中に入ってきたその言葉は思いのほか私にじんわりと馴染んでいく。愛を求め、“先生”からの愛を捨て、色んな人に愛を与え続けて、辿り着いた答えは『母親の姿』。
皮肉のようだった。自身の本当の母親を知らないのに、『母親であったらな』と言われてしまったのだから。
けれど、しおりちゃんに言われるのは嫌な気はしなかった。むしろ、それでより一層しおりちゃんに近づけるのならそれでもいいとさえ、思った。
そんな愛おしいしおりちゃんを抱きかかえ、私は湯船に浸かっていた。
お湯は二人分の容積分外に溢れ出し、床のタイルの溝に沿って排水溝へと流れていく。
そして浴槽に残ったお湯は私たちを隙間なく包み込む。
「「…………」」
湯船に入ってからずっと無言が続く。お互いに口は開かず、ただ見つめ合う。
私はしおりちゃんを抱き寄せ、しおりちゃんは私に
それは私にとって初めての感覚で、それでいて求めていた感覚のようにも感じられた。
母親と一緒にお風呂に入るって、こんな感覚なのかな……?
未知の体験、未知の感覚。今感じてるこれは母性への本能なのだろうだと私は考えた。
「どう?気持ちいい?」
私はまるでしおりちゃんを自分の娘のように話しかけてみた。腹を痛めて子を産んだわけでも、育児をした事がある訳でもないが、その振る舞いはどこか自然にできたように思えた。
一重に、これが“先生”の事を追い求めた結果なのだろう。
愛を求めて、“先生”に頼らずに私なりに愛を与えられる人物になろうと追い求めた結果が、“先生”と同じ振る舞いであった。複雑な気持ちではあったが、どこか納得したところもあった。
それ以上に
「はい……とっても」
「そう、それは良かったわ」
しおりちゃんが喜んでくれる事が私にとっては大事だから。しおりちゃんの幸せの方が大事だから。
そう、しおりちゃんの幸せが私にとっての幸せなのだ。
自分にそう言い聞かせているといつのまにか自分の覚悟が決まっていた。そしてそれを口に出す。
「明日ね、しおりちゃんの用が終わったら会ってもらいたい人がいるの」
「会って、もらいたい人……ですか?」
私に身を寄せたまま、首を捻り私の顔を見れるようにするしおりちゃん。その彼女の表情はどこか不安そうなものだった。
けれど、一度口に出した以上揺らぐわけにもいかず
「そう。“先生”に一度、会ってもらいたいの。いいかしら……?しおりちゃんのことをわかってくれる人だと思うし……」
と私は続けた。
きっと、大丈夫。少しづつ前を向こうとしてるしおりちゃんなら、きっと。
そう私は自分に言い聞かせていた。のだが、それに反した答えがしおりちゃんの口から飛び出るのだった。
「それは……絶対に会わなきゃダメですか?」
「え……?」
「私は……詩織さんさえ、私を知ってくれればそれでいいので……。他の人には、詩織さんの言う“先生”にも……別に、知ってもらわなくてもいいです……」
その言葉だけ残すと、しおりちゃんは私の肌から離れ、浴槽からも出る。そして黙々と唯一洗い残していた髪を洗い始める。
そのしおりちゃんの横顔はどこか、哀愁を感じさせるようなものだった。
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