第59話 魅惑の母性と無自覚な『母親』

「このくらいの力加減でどうかな?」

 そう言って詩織さんは私の腕をスポンジでなぞる。擦る、にしては力が弱すぎて差し詰め“洗ってもらってる”というよりも“撫でられてる”感覚の方が正しく思えた。


「あの……もう少し力込めても平気です、よ?」

 恐る恐ると私は詩織さんにそう伝えた。

『だったら自分で洗って』と言われるかも、と一瞬思った。が、その不安はすぐさま自分で否定した。詩織さんがそんなこと言う人では無いと、今日一日で十分に知ったからだ。


 それに、この幸せな時間が終わって欲しく無かった。

 動くたびに揺れる詩織さんの豊満な胸。私には無い、大人の女性の象徴。それを間近で観察するのが私にとって密かな楽しみになっていた。

 昼間は鏡越しでしか見れなかった詩織さんの“ソレ”は、目を疑うほどに綺麗な淡いピンク色をしていた。それでいて、周りの“輪っか”も大き過ぎず小さ過ぎずの絶妙な大きさで、気付けば詩織さんの二つの胸に宿る“ソレら”から目が離せなかった。


「そ、そうよね……しおりちゃん強いものね……」

 そう言ってスポンジを押し付ける詩織さん。スポンジの粗目がチクリと私の肌に食い込む。それが突然の事で

「いっ……!」

 と思わず声を出してしまった。当然それは詩織さんの耳に届かないはずが無く。

「あ……!ゴメンね、大丈夫!?」

 と心配する。


 しまった。変な心配かけさせてしまった。


 私はなんとも言えぬ罪悪感に襲われる。それはもちろん詩織さんに心配かけさせてしまった事にあったが、それだけでは無かった。

「大丈夫です。このまま続けてください」

「そ、そう……?痛かったらちゃんと教えてね?」

「はい」

 私がそう言うと再び私の腕にスポンジの粗目が食い込む。声を出さずに私は我慢した。

 そして粗目が私の肌に食い込んだままスポンジが動き出す。


 あぁ……気持ちいい……。


 度重なる我慢の末に、私の体は多少の痛みに“痛い”と感じることは無くなり、それに反して“気持ちいい”と感じるようになっていたのだった。

 詩織さんが心配そうにしているのに対して、私は『もっと欲しい』と考えていたのだ。

 しかし、これに罪悪感が湧いてむしろ良かったと思った。きっとあのまま“あの人たち”の元にいたら罪悪感なんて湧かなくなっていただろうから。


 そんな事を頭に浮かびながら、私は詩織さんの揺れ動く胸を眺めていた。


「……おり……ん?」


 昼の時もそうだけど、私はどうしてこんなにも詩織さんの胸を夢中になって見てしまうのだろう。詩織さんの胸に不思議な魅力があるのだろうか。それとも、さっきの痛みの様に私がどこかおかしいのだろうか。


「しおりちゃん……?」


 どちらにせよ、もっと詩織さんの事を好きになっていた。もっと知りたい。もっともっと……。

 詩織さんの胸が近づいてくる。ぐんぐん近づいてくる。ぐんぐんぐんぐん……。

 あと少しで私の顔に触れるか、と未知の感覚を味わっていると

「しおりちゃん?大丈夫?」

 詩織さんの声と同時にピタリと止まる。


「……ぁれ?」


 徐々に冷静になっていく。間も無くして様々な私が脳裏に蘇る。

 痛みに喜びを覚える私。詩織さんの胸に夢中で詩織さんの声を無視した私。そして次第に詩織さんの胸に劣情を抱きそうになっていた私。


 浴室にいると、新しい自分が生まれそうでとても冷静を保ってなんていられなかった。


「ごごごごっごめんなさい!!!私その……!!洗ってもらってると言うのにぼーっとしてしまって……!!一旦頭を冷やしてきま───」

「大丈夫、大丈夫だから。一旦落ち着いて?色々あって疲れてたんだよね、きっと。だから、一旦座ろう?」

 泡だらけのままとっさに立ち上がった私の手首をガッチリと掴む詩織さん。

 まるで『逃がさないわよ?』と言いそうなその表情に私は大人しく座る。


 時折詩織さんが見せる、“言いたいことがわかる表情”には逆らう気が起きなくなってしまう。考えてることが見透かされてる様な気がして。何も隠せない様な気がして。


 それでいて、私の事をしっかりと見てくれてる様な気がして、目を逸らせなくなってしまう。


「詩織さんがお母さんだったら、良かったのに……」


 心の内に潜めていた言葉がひょっこりと姿を現した。それは私が自覚していたものでは無く、つまりは“無自覚”の気持ちだった。

 けれども、言葉を口にすればたちまち納得してしまう自分がいた。むしろ、納得しかしなかった。


 こんなにも母性に溢れる人は、私は詩織さんしか知らないのだから。

 そんな女性を“母親”として無自覚で見てしまうのも何ら、おかしな事ではないのだろう。



 涙を流す詩織さんを見据えながら、私はそう自分に言い聞かせたのだった。

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