第57話 傷ついた体と初めての表情
「詩織さんはやっぱり優しいなぁ……」
お風呂を沸かしに向かったのだろう詩織さんの背中を見たときに感じた事を、私はそのまま口にする。
しばらくの間は痛くて声を出すのも厳しかった喉も、詩織さんと向き合ってるうちに痛みは気にならなくなり、今は違和感は感じつつも難なく声を出せていた。喉のことなんてさっきまで気にも留めていなかったのだから。
───私は悪くない。悪いのは“あの人たち”。
頭の中でその言葉を過ぎらせる。そして過ぎらせる度に心がどこかスッキリしていく感覚があった。
───あぁ、やっぱりそうだったんだ。
ようやく、“私”が言っていた事が分かった気がした。ずっと、“私”はこの感覚を私に伝えたかったのだろう。
自分は悪くないのだと。何も卑下する事は無いのだと。全ては“あの人たち”の所為なのだと。
私はなんて遠回りしてきたのだろう。ずっと、“私”が教えてくれていたのに、聞く耳すら持たず、“あの人たち”を信じて……。
思わず、自分をまた嫌いになりそうになる。また自分の手首を痛めつけようとする。
しかし、突如として詩織さんが悲しむ顔が頭を過ぎった。自分の事を傷つけて気を紛らわせようとしてる私を見て、悲しむ顔が。
「……こういうのも、辞めなきゃいけないんだよね。きっと」
我に返った私は、左手首を優しくさすると、また食事を再開した。
お風呂を沸かしに行った詩織さんはなかなかリビングに戻ってこなかったけれども、その分私は自分を慰める事が出来た。
左手首以外にも恐らく私が思ってるよりもこの体は傷ついてるのだろう。深く、多く傷ついているのだろう。それこそ私の目には見えないところも、きっと……。
傷つけ続けた事実は変わらないけれども、これからは自分の事を好きになれるよう、好きでいられるよう生きていこう。そう密かに決めると、最後の一口を飲み込んだ。
「ご馳走さまでした」
手のひらを合わせながらそう言うと、私は胸の中に抱えていた自分への嫌悪感が少しだけ和らいだ気がした。そうであれば、いいなと私は願った。
「……?しおりちゃん、何かあったの?」
浴室から戻ってきた詩織さんが私の顔を見るや否や、突然こんな事を聞いてきた。
「えっと、特に何も無いですが……どこか変ですか?」
何か変なことしてしまったのだろうかと、急に不安になる。
しかしそんな私の不安とは裏腹に、詩織さんは笑顔だった。
「ううん、そうじゃ無いの。ただ、しおりちゃんが少し元気になってるような気がしてね。違ったら、ゴメンね?」
そう謝りながらも、やはり詩織さんは嬉しそうに笑っていた。
「元気に……あぁ、そうなんだ」
私は心の底から納得した。“私”がどうして詩織さんに頼るように言っていたのかを。“私”がどうして詩織さんは信用できると判断したのかを、今ならはっきりとわかった。
「しおりちゃん?」
「はい、元気です。元気になりました……っ!」
詩織さんは私のことを本気で見てくれると、“私”が感じたからだ。
私が感じていなくても“私”が感じていた。私と“私”は別の人格であってもやはり自分であって、私がどんな人に安心するのかを“私”はよく把握している。
だから、だろう。
きっと詩織さんでなければ、私はこの心の温かさを感じることが出来なかったのだろう。
「詩織さん」
「ん?どうしたの?」
「元気って、いいものですね」
私は今、生まれて初めて本気の『笑顔』をしているのかもしれない。
だって、今まで味わったことの無い感覚の表情をしているのだから。
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