第41話 詩織さんの独り言

「……しおりちゃん?」

 いつの間にか私の横にいた詩織さんは少しうっとりとした目をしていた。

「えっと……どうかしましたか……?」

 私に身を任せて、詩織さんが寄り添ってくる。右半身には詩織さんの重みが掛かる。

 私の右肩に頭を乗せる詩織さんの表情はどこか哀愁が漂っていた。私が間違いを起こした時にしていた悲しい表情とはまた違うもの。


 今の詩織さんは一体なにを思っているのだろう。


 そんな事を心の中で呟くと、詩織さんがしっとりとした声を出す。

「んー……ちょっと、昔のことを思い出しててねぇ……」

「おねえさんの昔のこと?」

「うん……“先生”の家に住んでいた時の……ね」

 そう言ってゆっくりと瞼を閉じる詩織さん。


 昔の詩織さん。詩織さんがどんな人なのかを知れる機会。これを聞かないという選択肢は私には無かった。

 けれど、それよりも……

「“先生”って……誰ですか?」

 詩織さんの思い出に残っている“先生”と呼ばれる人物が気になって仕方無かった。


 詩織さんの口ぶりからはさっきの“タバコの人”とは別人のようだけれども、そんな事はどうでも良かった。そんな事を気にしてる余裕は無かった。

 詩織さんの口から私以外の名前が出た事が、こんなにも心が苦しいとは思わなかったから。


「んー……?“先生”は“先生”だよぉ……?私を育ててくれた、大切な人」

 瞼を閉じたまま、詩織さんはまた“先生”の話をする。


 心なしか、穏やかな表情になっていた。

 詩織さんにとって、“先生”という人物はどんな存在なのだろうか。

“彼”とはどう違うのだろうか。

 そもそもどうしてその人たちと今一緒に暮らしてないのだろうか


 様々な思いがまた私の中に渦巻く。

 こういう時私はどうしたらいいのかは、分かっていた。

 さっき、自分自身に分からされた。



 結局、聞かなきゃ分からないし、言葉にしなきゃどうにもならない。“私”が何度も私に伝えようとしていた事だろう。

 今は反応ないけど、きっと大きく頷いてるに違いない。いや、もしかしたら『今更過ぎるわね!』って言ってくるのだろうか。どちらにせよ、“私”には感謝しないといけない。

 私一人だったら、きっと暴れて詩織さんに危害を加えてしまってたかもしれない。


「んんぅ……しおりちゃん、ごめんね……私はまだ、“先生”みたいにはなれないよ……」

 瞼を閉じたままだと言うのに、またもや表情が変わる詩織さん。今度は悲観的な表情。

 そしてそれと同時に、不意に首に腕を回された。

「えっ、ちょっ……詩織さん!?」

 あまりにも突然の事で、バランスを崩し、ベッドにそのまま倒れ込んでしまった。


 それでも詩織さんは瞼を閉じたままで、今になってうたた寝している事に気がついた。

 すぅすぅ……と穏やかな詩織さんの寝息が耳元に直接流れ込んでくる。温かな日差しが詩織さんと私を照らし、急激に睡魔が襲ってきた。


 いつもは寝ることすら怖かったが、詩織さんがそばにいると何故か悪夢を見ない気がした。仮に悪夢を見ても、詩織さんがそばにいるのだから、きっと乗り越えられる気がした。



 そうして、私は詩織さんを抱き寄せ、そのままゆっくりと瞼を閉じた。



 ───詩織さんの心地良い鼓動の音を聴きながら。

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