しおりちゃんと詩織さん〜愛に怯える少女は本当の温もりをまだ知らない〜

第36話 味なんてもう分からないけれども

「うん、良く出来てるじゃない！美味しいよ？」

　私がそう言うとしおりちゃんは嬉しそうに口を開いた。

「そうですか……お口に合って、良かったです」

　そう言ってしおりちゃんは私が料理を食べる様子をジッと立ったまま眺める。

　私だけ座って食事してるのでは意味が無いし、それでは味気なく感じた。理由は明白だ。

　しおりちゃんと一緒に食事をしてないからだ。

　ならば私が次に取るべき行動は決まっていた。いや、取らないわけがなかった。それが何かと言えば

「ほら、しおりちゃんも立って見てないで、席について一緒に食べよ？料理冷めちゃうわ」

　しおりちゃんに椅子へ座るよう促す事だ。

　ごく単純な事で当たり前の事だけれども、しおりちゃんが過ごしてきた日常では当たり前じゃなかったのかもしれない。私はその事を気をつけながら、言葉選びを慎重に行った。

　もちろん、たった半日ではあるがしおりちゃんとの距離の取り方もなんとなく分かってきた。とは言っても、それに自信があるわけでは無い。

　私は“先生”の様には出来ないのだから。

「すいません、すぐに座ります！」

「うんうん。やっぱ一緒に食べないと美味しくないよね。さ、しおりちゃんも食べてみて？」

　謝りながら席についたしおりちゃんに、私は自身が作った料理を食べる様に促す。

「あっ、はい……それじゃあ、一口……」

　恐る恐るとおぼつかない箸で料理を挟み、自分の口に運ぶしおりちゃん。その箸の持ち方は決して綺麗では無かったが、彼女が生きていくうちに身につけたものをどうも修正する気にはなれなかった。

　どんなことであろうと、それがしおりちゃんの個性だと思ったから。

　​────個性は、その人自身だからね。私は簡単に否定したりしないの。だって、悲しいじゃない？自分の全てを否定されてるようで。

　かつて“先生”に言われたことが頭に過った。

　そう、箸の持ち方だって個性。しおりちゃんが何か言わない限り、私は手出しはしない。私はそう決めた。

「お味のほどは、どう？」

　そんなことを考えながら私はしおりちゃんの顔をじっと見つめてみた。

　一口また一口と料理を口に運ぶしおりちゃん。そして幸せそうに口を開く。

「……美味しいです！冷蔵庫にあったハーブバター、凄いですね！」

「美味しいのは間違って無いけど、ちょっと違うわよ？凄いのはバターじゃ無くてしおりちゃんよ？」

「え？？どういう事ですか……？」

　私の思わぬ言葉にキョトンとした顔をするしおりちゃん。

　きっと本気で分かっていないのだろう。そして、きっと私が教えてもしばらくは分からないままのなのだろう。

　けれど、今はそれでもいいと思った。何より今は

「誰かを思って愛情を込めた料理だから、凄いの。分かった？」

　愛情が美味しさの秘訣だと言うことを教えてあげる事が最優先なのだから。

　料理を通して、愛情とは何なのかを知ってくれればそれでいい。そう思ったのだ。

　無理をさせて心の負担になってしまっては元も子もないのだから──。

　心の内でそう呟くと、ポツリとしおりちゃんが呟いた。

「だとしたら、尚更私じゃ無いですよ」

　と。

「あら、どうして？」

　私は特に責めるつもりもなく、単純な疑問でしおりちゃんに質問をしただけだった。

　しかし、彼女にとってはそれが少しきつく感じたのだろうか

「だって、おねえさんの事を考えて作ったらこんなに美味しく作れたんです！だから、凄いのはおねえさんです！私なんかじゃ無い……！」

　とやや感情的に返答をするしおりちゃん。

　どこで不安定になるか分からないしおりちゃんにとって愛情の話は早かったのだろうか、と少し反省しながら私はしおりちゃんにこんな提案をする事にした。

「……なら、お互いに凄いって事でどう？私はしおりちゃんが凄いと思って、しおりちゃんは私を凄いと思う。これでどう？」

　これの提案に特に意味なんてなかった。

　強いて言うならお互いに尊重し合う事を日常化させる為、だろうか。

　しかしそれこそ意味なんてないだろう。私はしおりちゃんを否定なんてしないし、しおりちゃんは私を目標にしようとしている。度合いの違いはあれど、尊重し合おうと向き合っているのだから。

「……おねえさんがそれでいいなら」

「なら決まりね！」

　そんな、今更かもしれない提案が締結されると、私たちは向かい合って食事を始めた。

　一口食べる度に美味しいというしおりちゃんに、私も合わせて「美味しいね」と答える。

　そんな幸せな時間が、私はやっぱり好きだと実感させられた。

　───私には味なんてもう既に分からなくなっていたけれど。