第32話 “ 彼”の気持ちとしおりちゃんの気持ち
「しおりちゃん大丈夫かなぁ……」
私は浴室で一人、キッチンにいるであろうしおりちゃんの事を心配していた。
しおりちゃんに『私がお昼作ってもいいですか?』と言われた時は喜んでキッチンへと案内し、道具も自由に使っていいと伝えた。彼女が自分からやりたいと言い出したのだから、それを邪魔してはいけない。
そうは思いつつも
「怪我しないかしら……」
やはり心配なものは心配であった。
とは言っても、今は私も早いところ“彼”のものを早いところ処分したいところでもあった。“彼”のものが至る所にある状態が長い間続くのは今の私としては許しがたい事なのだ。しおりちゃんにとって害になる“彼”のものは、今後この家にはあってはいけないのだ……。
そんな事を考えながら、洗面台の下の収納を覗き込む。一見すると、洗剤やシャンプーのストックがしまってあるだけに見えたのだが、奥の方に一つだけ見た覚えの無い瓶のボトルがあった。私はそれに手を伸ばし、引っ張り出した。
「……こんなのも買ってたのね」
私は今になって、“彼”がどうして私と一緒に風呂を入りたがったのか、その理由が分かった気がした。
なるほど、だから一緒に入りたかったのか。私は思ったよりもすぐに納得した。そして私はすぐさまそのボトルの蓋を開け、浴室の排水溝に流し込んだ。
排水溝からは今にもめまいを起こしそうな程に甘ったるい匂いがし、それと同時に体が仄かに火照ってくるような感覚もした。耐えきれず、そこにシャワーで大量の水を流し、匂いを無理矢理薄めた。
「はぁ、こんなものに頼らなくても……って今更ね。もう出ていったんだし」
私はそう言いながら、瓶に貼り付けられていたラベルを剥がし、それを丸めた。───『媚薬』と書かれたラベルを。
「さてと……しおりちゃんはどうなってるかな?怪我はして無いかな?」
未だに微かに感じる火照りを抑えながら、しおりちゃんがいるキッチンの方へと足を運んだ。
包丁で指を切って無いだろうか。食材は足りるだろうか。と、そんな事を考えながら。
するとキッチンの方からしおりちゃんの声が聞こえた。
「あれ?無いなぁ」
その声から察するに、何かを探してるようだった。
何を探してるのかな、と少し気になり私はさっきの瓶とラベルをリビングのゴミ袋に入れるついでに、キッチンのしおりちゃんの様子を見に行ってみることにした。
そこで目にしたのは
「捨てちゃったのかなぁ……」
おもむろにゴミ箱を覗き込むしおりちゃんの姿だった。
「ん?しおりちゃん、どうかしたの?」
だまって見守っているつもりが、私は思わず声をかけてしまっていた。いや、声を掛けずにはいられなかったのかもしれない。
もしかしたら“彼”が捨てた“何か”がそのゴミ箱にあるかも知れないからだ。
もちろん考えすぎかもしれないけれど、用心に越したことは無かった。そう思い、私は声を掛けてしまったのかもしれない。
「い、いえ!何でもないです!!」
私が後ろにいる事に私が話しかけるまで気がつかなかったのか、しおりちゃんはビクッと体を跳ねながら私の方を見る。
その反応に少し不安になりながらも
「そう?」
とだけ答える。
「はい、大丈夫です!」
しおりちゃんはそう答えたが、答え方が大丈夫のソレでは無かった。
しかし、大丈夫と言われてしまえばそれまでで
「そう、なら良かったわ」
そう答えて、引き下がるしか無かった。そして私はその場から一歩、また一歩と離れる事にした。
どうしてゴミ箱の様子を伺ってたのかのかと、追求は出来なくは無かったが、私はしなかった。してしまったら、しおりちゃんを信用してないことになってしまう。
それだけはやりたくなかった。むしろ、ありのままで接していたい。
そう、ありのままで。
「あ、私の事は気にしないで好きなもの作っていいからね?しおりちゃんが私のために作ってくれるだけで嬉しいんだから」
私は思い出したかのように再びキッチンへと足を戻すと、しおりちゃんにそう告げた。
「……頑張ります」
少し考え込んでから、しおりちゃんは声を絞り出した。
今すぐにでも手伝ってあげたかった。しおりちゃんが悩む姿を、私は見たくなかった。
しかし、しおりちゃんがやりたいと言い出した事を口出しするのはどうかと思い、私はグッと堪えた。
きっとあの頃の“先生”もこんな気持ちだったのだろう。
私はまた昔の自分と重ね合わせ、そして一歩“あの人”へと近づけた気がした。
そして私は
「うん。楽しみにしてるね」
最後まで見守りたい気持ちを抑えながら、キッチンを後にした。
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