第29話 温もりに背中を押されて

「とりあえずこれはいらない……これもいらない。ここら辺のも全部いいや」

 詩織さんは家の中をせっせと移動しては、リビングに広げられた大きなポリ袋にどんどんものを放り投げていく。

もちろん、私がベッドから投げ飛ばした嫌な匂いの枕や、さっきまで我を忘れるほどゴミ箱に叩きつけていた青い灰皿もすぐさまそこに放り込まれた。


 ありとあらゆるものがこの家の様々なところから運び込まれる。青い模様の入った歯ブラシや茶碗、箸。さらには本やCDなど、娯楽も運び込まれてはポリ袋に投げ込まれる。


「もうちょっと、待ってね?急いでスッキリさせちゃうから」

 それは家の中をだろうか。それとも、詩織さんの心の中をだろうか。

 どちらにせよ私は何も出来ない。しても、迷惑なだけだ。

「私のことは大丈夫ですから、ゆっくりでいいですよ」

 私はそう言って、リビングの隅っこの方へと体を向けた。そこならきっと詩織さんの邪魔にならない。それに下手に私がおかしくなる事も無い。だからそれでいい。

 私はすぐさまそこへ向かう為、足を一歩踏み出そうとすると詩織さんに声を掛けられた。


「しおりちゃん、はいこれ」

 手渡されたのは白く綺麗な布が入った小さなレジ袋。

「これは……?」

 袋から“ソレ”を取り出しながら、詩織さんに聞いてみる。

「下着よ。いつまでもノーパンは嫌でしょ?」

「それは、そうですけど……いいんですか?」

 今自分が着ている詩織さんの服とは違い、新品だった。誰かが使ったものでは無く、私が最初に使えるもの。


 嬉しかった。誰かが使い古したものでは無いものをこの手で触れるのが。

 そして何より

「もちろん。コンビニの安物で申し訳ないんだけどね」

「いえ……私にはこれでも贅沢すぎるくらいです……」

 詩織さんから、それを手渡された事が、嬉しくて堪らなかった。

 私はまた涙を零してしまった。辛いからでは無い。苦しいからでも無い。

 ただただ、嬉しいから涙が溢れてしまった。

 そんな私を詩織さんは優しく包み込む。

「……私が、これから色々教えてあげるから。しおりちゃんが今まで知らなかった事を、ね」

 背中に感じる詩織さんの温かさに、私は安らぎを感じる。“あの人たち”と一緒にいては絶対感じられなかったであろう、安らぎを───。


 私の涙が乾くと、詩織さんはそっと離れる。離れるのが名残惜しいかのように、ゆっくりと。腕から離れ始め、背中に感じる温もりも徐々に薄くなっていく。

 離れて欲しく無いと思い、気づかれ無いように少しずつ詩織さんの方に下がる。それでも詩織さんが私から離れていく方が早く……やがて、完全に背中から詩織さんの温もりが消えた。


 チラッと詩織さんの方を肩口から覗いてみると、少し困り顔をしていた。どうやら、気づかれていたようだった。

 しかしすぐに表情をいつもの穏やかなものへと戻し口を開く。それと同時に

「それじゃあ、そろそろ掃除を」

 詩織さんのお腹が控えめに鳴った。

 言葉を途中で止めた詩織さんは顔を赤らめ、どこか恥ずかしそうにしていた。

「……お腹空いたんですか?」

 私はそう聞いてみることにした。

 いや、聞かなくてもお腹空いてるのは分かった。体は正直だから。誤魔化そうとしても、勝手に答えてしまう。

「あはは、動き回ってたからかな〜」

 それを知ってるからか、詩織さんは特に隠す様子は無かった。


 そんなあっけらかんとした詩織さんを見ていると、変わりたいと改めて思った。


 だからなのだろうか。

「あの……私がお昼作ってもいいですか……?」

 私がこんな事を口にしたのは。




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