第27話 それでも“私”は現れない

「それで、一体どうしたの?灰皿に……タバコに嫌な思い出があるの?」

 私をベッドの上に座らせると、詩織さんも私の隣に座る。その詩織さんの表情に怒りの感情は見られなかった。それどころか、私を許そうとまでしてくる。

 私の全てを許そうとしてくる。そんな事今まで経験したことなんて無かった。どんな説明をしていいか分からなかった。


 詩織さん以外の人の匂いがしたから。その匂いが、私にはとっても嫌な匂いだったから。

 頭の中で理由を組み立てるのは簡単だった。

 けれど

「……」

 口で説明する事は私には難しかった。


 説明して理解されなかったらどうしよう。そもそもこの理由で詩織さんは納得してくれるのだろうか。いや、更に言えば……私が我慢すればなんてこと無かったのではないか。


 そんな考えが、口を開こうとするたびに頭に過ぎる。そして次第に口が重くなり、開かなくなる。


 詩織さんが信用できない訳じゃない。私が私自身を信用してないのだ。……たまに現れる“もう一人の私”を除いて。

 あの子はいつも私に危険を教えてくれていた。現れるたびに『こうした方がいいんじゃない? 』とアイデアをくれた。私がその指示を聞かなくても、何度も現れてくれた。

 辛い時、寂しい時、そして絶望した時。そのたびに現れてくれた。


 だから、お願い、教えて?私はどうしたらいいの?


 心の何処かにいるであろう“もう一人の私”に問いかけてみるも特に反応は無かった。彼女からしたら、まだその時ではないのかもしれない。

 だとしたら、私はどうしたらいいのだろう。

 自分の中での唯一の救いが絶たれた、そんな時、詩織さんが私に話しかける。

「教えて?私、しおりちゃんのこともっと知りたいの。しおりちゃんがどんな事に嫌な思いをするのか、今のうちに知っておきたいだけなの。だから……少しだけでもいいから私に教えて?」

 優しい口調。今日、何度も心を揺り動かされた優しい口調。そして、私の心まで見透かしてそうな澄んだ瞳で、ジッと私の顔を見つめる。

 そんな詩織さんの底知れぬ圧力によって

「家の……」

 重かった口を少し、開くことができた。

 口が開くと同時に思考が少しだけ、まとまってくる。

「“あの人たちの家”の匂いがしたから……つい、カッとなって……」

 辿々しくも、私は頭に思い浮かんだ言葉を続けて口にする。

「“ あの人たち”って……さっき言ってた両親のこと?」

 詩織さんの確認に私は黙って頷いた。“あの人たち”に関する事に、短い言葉であっても反応するのが嫌だったのだ。

「そういうことだったのね」

 そのことに気づいたのか、詩織さんは手をクッと握り、少しだけ怒りを露わにする。どこか、顔も強張ってるようにも見えた。

「……ごめんなさい」

 そんな様子に私は反射的に謝ってしまう。

「いや、いいのよ。ありがとうね、教えてくれて。おかげで私も踏ん切りがつけられそうだわ」

「それってどういう」

 強張っていたような表情を直ぐに引っ込め、どこかスッキリした様子の詩織さんに、私は前のめりになって質問した。

「彼が置いていったものを、残らず捨てるってこと」


 彼って、誰?

 という事を聞ける雰囲気では無かった。

 それよりも

「何もそこまでしなくても……!」

 わざわざ私なんかの為にそんな事しなくてもいいのに、と思ってしまった。

「でも、それじゃあしおりちゃんがいつまでも安心できないじゃない。彼、タバコ吸ってたから至る所に染み付いちゃってるのよ」

「でも……だからって!」

 だったら消臭スプレーでいいのに。それくらいのことなら私は我慢できる。

 そう、続けて言葉にしようとしたのだったのだが……。

「私が許せないのよ。彼の残り香がこれ以上しおりちゃんの鼻に入るのが」

「詩織さん……?」

「ちょっと待っててね、直ぐにスッキリさせるから!」

 口を挟む余地すらもなさそうな気がして、それ以上何も言えなくなってしまった。



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