第19話 夢見心地の眼差し

「んぅ……ぅ?」

 気がつくと、そこは浴室ではなかった。

 さっきまでの出来事は夢だったのではないかと瞬時に思った。詩織さんに拾われたのも、幸せな寝室で目が覚めたのも、お腹いっぱいに朝ご飯を食べたのも、そして、詩織さんに体を洗ってもらってたのも。全て夢だったのでは、と。

 もしかしたら、幸せな長い長い夢を見ていたのではないかと不安にも思った。神様が私にみせてくれている幻想なのでは、とも。

 けれどそれは杞憂だった。

「あら、しおりちゃん気がついたみたいね」

「……おねえ、さん?」

 辺りを見渡すと、朝ごはんを食べた場所と同じ景色。つまりはリビングであることが分かった。

 私の顔を不安げに覗き込む詩織さんの、しっとりと濡れた長く美しい髪が垂れ下がる。鼻先に髪の先端が触れ、甘いバラの香りが鼻の中いっぱいに広がった。


「大丈夫?気分悪くない?」

「大丈夫、ですけど……」

 むしろ今ので気分が最高潮になった、なんてことは言えることなく、口を噤んだ。

 そんなことを言ってしまって、詩織さんを不快にさせてしまう、そう思ったからだ。

「そう。なら良かった」

 ふっと私に笑いかける詩織さんはより一層美しかった。その美しさをいつまでも見ていたかった。

 けれど、いつまでも聞かない訳にはいかなかった。

「あの、さっきまで私たちお風呂に……いたはずじゃ……」

 どうして、今浴室に居ないのだろうと。

 気持ちが溢れて、涙を零していたのは覚えてる。声を張り上げて泣いていたのも覚えている。現に、声を出すと喉が痛い。

「そうよ〜。ちゃんと綺麗になってるでしょ?」

 そう言って、詩織さんは私の体を指で優しく撫でる。

 頭から首筋、腕にお腹。そして、足。先から先まで、優しく撫でる。

 どうやら、私が泣き疲れて気を失っている間にも体を洗い続けてくれたのだろう。

 不思議と身が軽い気がした。ソファーに横たわったまま、体を動かしてすらいないのに。

 きっと、夢みたいな出来事に心が浮き上がっているという事だろう。体を隅々まで綺麗になることなんて夢のまた夢だったから。

 それと、同時に申し訳なくなった。

「……また迷惑かけちゃって、ごめんなさい」

 綺麗になる姿を最後まで見ておきたかったのに、気を失ってしまった。泣き疲れて、また詩織さんに甘えてしまった。

 それに、浴室からここまで私を抱えて来てくれたのだろう。例え短い距離であるとはいえ、詩織さんにまた負担をかけさせてしまった。


 あぁ……。まただ……またやってしまった……。


 いつものように悪循環に入ろうとする私だったが、詩織さんの言葉でふと我に返った。

「こちらこそごめんね」

「えっ?」

 どうして、詩織さんが謝るのだろう。悪いのは私なのに。

「嫌なこと思い出させちゃって。……私もまだまだね」

「いえ、おねえさんが悪いわけじゃ!!」

 悪いのは全て私だ。“あの人たち”が興味を示さなかったのも私が悪いからだ。それで、いいのに。

「いいのいいの。そういうことにさせてちょうだい?」

 どうして詩織さんはそんな目で私を見つめるの?


 どうして、私を許そうとしてくるの……?

 そんな目で見られたら

「わ、分かりました……」

 私はまた夢を見てるって思ってしまう……。






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