第18話 いつまでも、あなたのそばに

 私がスポンジを動かす度に漏れ出すしおりちゃんの甘い声。その声が浴室に反響する。

 蛇口から一定の感覚で落ちる水滴がタイル床に落ち、これもまた反響した。

 それらの音が重なり合い、私は不思議な感覚を味わっていた。

 ボディーソープの泡がそうさせてるのだろうか。いつもの浴室が、幻想的な世界に見えてしまう。それは、目の前のしおりちゃんにも言えたことだった。

 言ってしまえば、どこかの森にいそうな妖精のようだった。となれば、私は妖精の何なのだろう。


 しおりちゃんの体を洗いながらそんなことを考えていると、ちょっとした違和感を覚えた。

「それにしても、結構しおりちゃんの体、引き締まってるのね」

 やせ細って肉があまり無い腕とは対照的に、お腹周りはしっかりとしていたのだった。

 もちろん、それでも細い事には変わりない為お昼はもっと食べさせてあげようと、私は心の中で決意した。


 対して、しおりちゃんの反応は

「そうですか……?今まで言われたことなかったです」

 キョトンとしながら淡白なものだった。


 しおりちゃんがそう言うならきっとそうなのだろう。私を気遣うことはあれど、嘘はつかない。一緒に過ごして間もないけれども、その事だけは私でもわかった。私とは……違って、ね。


 とは言え、いい機会を貰えたと思った。しおりちゃんのことを知れる機会が。

 私はまだしおりちゃんのことをほとんど知らない。知っている事は名前、通っている高校、健康状態、そして衛生状態。まだこれくらいしか知らないのだ。

 もっともっと、しおりちゃんを知りたい。だからこそ、しおりちゃんを知れるいい機会だと思った。

「そう。何かスポーツでもやってたの?」

 私は引き続きしおりちゃんの体をスポンジで優しく洗いながらそう問いかけた。

「……中学まで陸上を」

 鏡に映るしおりちゃんは少し俯いていた。

 どうしたのだろう、そう思いながらも言葉を続ける私。

「へぇ〜!種目は?成績はどうだったの?」

「種目は長距離ですよ。成績は……中学三年の時に県内三位でした……」

「すごいじゃない!親御さん喜んだんじゃない?」

 しおりちゃんの好成績っぷりに私は思わず感嘆の声をあげる。

 すごいことだ!素晴らしいことだ!誇らしい事だ!それなのにどうして……しおりちゃんは顔をさらに俯かせるのだろう。

「それは……その……」

 僅かに鏡に映る彼女の目元を見ると、視線を泳がせているのが分かった。


 なるほど、そういうことだったのね。

 私は直ぐに、彼女がそうしている理由を察した。それでも、間違えていたら申し訳ないと思いながら

「……喜んでもらえなかったの?」

 と確認をしてみた。

 あくまで保険のつもりだった。しおりちゃんを追い詰めるつもりは無かった。

「あの人たちは私に興味ありませんから……」

 しおりちゃんはゆっくりと顔を上げると、目から涙がこぼれ落ち始めていた。

 きっと、辛い思いをしたのだろう。私が想像する何倍も、何十倍も。もしかしたら、さらにそれ以上かもしれない。

 それの救いになるかは分からないけれども、やっぱり私がどうにかしてあげたいと思った。

「なら、その分私が喜んであげる!私が代わりに褒めてあげる!!」

 そう言って、しおりちゃんを私の胸に抱き寄せる。

 普段は嫌でたまらない自分の胸だけれども、今だけは大きくて良かったと思えた。だって、こうやってしおりちゃんを包み込めるんだもの。

「でも……」

「でももそれもないの!私が喜びたいから喜ぶの!」

 遠慮したがる彼女に私は自分の気持ちを伝える。嘘偽りの無い本音だ。


 私の胸から離れようとするしおりちゃんを優しう後ろから抱き寄せる。大丈夫、大丈夫と伝えるように頭と背中を優しく撫でる。

「……あり、がとうございます」

「ふふっ、どういたしまして」

 ごめんなさいじゃなくて、ありがとうございます、か……。もっと言われたいなぁ……。


 そんなことを考えながら、さらに宥めるように撫でると同時に優しく叩いてみる事にしてみた。

 すると、それが引き金になったのだろうか

「うっあ……ぅぅ……っ」

 突如として、しおりちゃんは声を出して泣き始めた。

「親御さんに褒められなくて、そんなに辛かったんだね……」

「うぁ……ひ……っうぅ……!!」

「大丈夫。大丈夫よ、私がついてるからね」

 余程辛かったのだろう。相当溜め込んだのだろう。それこそ、私の想像し得ないくらい。


 でも、もう大丈夫だよしおりちゃん。私がしおりちゃんを癒してみせるから。

 それに

「私はしおりちゃんを離したりしないから……」

 親なんて、所詮子供を見捨てるものなんだから──。

 私はそう、呟いた。顔を知らない、会ったこともない両親の事を考えながら──。

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