第10話 わたしのために、あなたのために

「ごちそうさまでした」

 そう言ってしおりちゃんは手に握っていたナイフとフォークをそっと、優しくテーブルの上に置いた。

「はい、どういたしまして」

 私がそう返事すると、どこか申し訳なさそうな表情で私の様子を伺うしおりちゃん。

 そして、目の前の皿に目線をやりながら口を開く。

「あの、すいません……結局残してしまって」

 彼女の視線の先には、残された照り焼きチキンがあった。食事を残したことに私が怒っていると思っているだろう。

 その証拠に、無意識なのか彼女はビクビクと身体を震わせながら身を竦めていた。

 何かある度に怯えた様子の彼女を見ると、やるせない気持ちがふつふつと湧き上がってくる。


 彼女にでは無く、彼女をここまで苦しませている環境に。

 そして、現状何も出来ずに見守ることしか出来ない私に。


 そんなイライラを表に出さないよう、グッと気持ちを抑えながら私は彼女に気にしないように伝える。

「気にしなくていいのよ〜。作りすぎてた自覚はあったしね」

「そうですか……」

「それにね」

「それに……?」

「しおりちゃんがお腹いっぱいになったのなら、私はそれだけで満足だから」

「おねえさん……」

 少しだけ、ほんの少しだけだけど、安心感のある表情になった彼女を見て私はまた感情が昂った。

 もっと見たい。しおりちゃんが安堵する姿をもっと見たい!

 今の私の頭の中はしおりちゃんでいっぱいだった。

 しおりちゃんが少しでも明るい顔を見せてくれるだけで、良かった。本当にそれだけでよかったのだ。

「さて、と。それじゃあお風呂行こうか」

「へ……お風呂?」

「お腹を満たしたら今度は身だしなみを綺麗にしないとね〜」

 お風呂に入れば、終始怯えてばかりのしおりちゃんもきっとリラックスしてくれる。文字通り裸の付き合いをすれば、少しだけでも心を開いてくれる。

 私はそう考えていた。

 お風呂で少しでも身も心も安らいで欲しい、ただそれだけだったのだ。

 だから……

「ご飯も戴いた上にわざわざお風呂なんて……近くの公園の水道で綺麗にしてきますので!」

 しおりちゃんがこんなことを言い出した時は心臓が止まるかと思った。それほどまでにしおりちゃんの言葉は私にとって衝撃的だった。

「そんなところで水浴びしたら風邪引いちゃうわよ!?」

 どうして彼女が公園で水浴びでしてくるなんてことを言い出したのかは、想像がついた。

 今までがそうだったからだろう。今まで、それで身だしなみを整えていたからだろう。

 しかし何よりも、しおりちゃんがそれを躊躇わず口にした事がただただ悲しかったのだ。


 気付かぬうちにしおりちゃんの腕を力強く掴んでいた私は、そのまま回り込んで強く抱き締めた。

 今の私には、抱き締めることしか出来なかった。自分の無力さを今一度思い知らされた。


 それでもしおりちゃんは悲しい言葉を続ける。

「でも……私なんかにお風呂は勿体ないですよ」

 耳元で告げられた彼女の言葉に、私はある案を思いついた。

 しおりちゃんを試すような事だし、もしかしたら傷を深めちゃうかもしれない。

 失敗したらそれ相応のリスクを背負うことになるかもしれない。

 それでも今の私には

「なら、私も一緒に外で浴びようかな」

 捨て身になることくらいしか、思い浮かばなかったのだ。

「どうしてですか!?おねえさんがわざわざ私に合わせる必要なんて……!」

 少し体を離し、しおりちゃんの顔を見ると動揺しているのが見て取れた。


 きっと、しおりちゃんは自分のことが嫌いなのだろう。でなければ、“ 私なんか”という言葉が出るはずがないのだ。

 自分の事を嫌いすぎて、自分が何を欲しているのかを聞こえていなのかもしれない。


 まるでかつての私を見ているようだった。そう考えると、次にとる行動は決まったようなものだった。

「私はただ、しおりちゃんの幸せな顔を見たいだけよ。しおりちゃんが外で水浴びするのが好きだって言うならそれに私も付き合うわ」

「でも……だからって……」

 どうしたらいいか分からないといった様子のしおりちゃん。

 いっぱい悩んで欲しい。悩んで悩んで、自分が何をしたいのかを知って欲しい。

 だから、まずは……

「それで?しおりちゃんはどっちの方が幸せに感じるの?私に教えてほしいな」

 自分自身のことを幸せにする方法を少しづつ教えてあげよう。


“ あの人”が私にしてくれたように​───。

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