第9話 いつもの私、私の幸せ
「ごちそうさまでした」
「はい、どういたしまして」
食事を終えると共に手を合わせると、詩織さんは満足気にこちらを見つめていた。
目の前の皿には、まだ料理が残っているというのに。
「あの、すいません……結局残してしまって」
辛うじてトーストやスクランブルエッグ、サラダは完食できたのだが、照り焼きチキンは残念ながら残してしまった。
わざわざ私なんかのために作ってくれたのに、それを残してしまったのだ。
それなのにどうして、詩織さんは笑顔でいられるのだろうか。
“ あの人たち”なら、間違いなく私を叱り付けている。拳を振り上げ、喚き散らし、私の耳元で罵声を浴びせながら。
あの雪の降る寒い夜の中、私を拾ってくれた詩織さんがあの人たちとは違うと頭の中では分かっていながらも、思わず身を竦め、叱られる体勢になってしまう。
そんな私に、変わらず優しく接してくれる詩織さん。
「気にしなくていいのよ〜。作りすぎてた自覚はあったしね」
詩織さんは料理が残ってしまった皿に目を向けつつも、笑顔で私を許してくれた。
「そうですか……」
どうして私なんかにこんなに優しくしてくれるのだろう。
そんなことを考えていたら、いつの間にか淡白な返事をしてしまっていた。
それでも詩織さんは顔色を変えることなく、絶えず笑顔だった。
それどころか────
「それにね」
「それに……?」
「しおりちゃんがお腹いっぱいになったのなら、私はそれだけで満足だから」
「おねえさん……」
私の事を最優先に考えて動いていることが感じ取れた。
どうしてだろう。どうして私なんかにこんなに優しくしてくれるんだろう。
私には詩織さんに返せるものなんてないと言うのに……。
ますます詩織さんが私を拾ってくれた訳が分からなくなった、そんな時だった。
「さて、と。それじゃあお風呂行こうか」
「へ……お風呂?」
「お腹を満たしたら今度は身だしなみを綺麗にしないとね〜」
今度はお風呂に入ろうと、提案してきた。
確かに昨日の夜体を綺麗にした覚えはなかったし、汚い格好のまま居座るのも悪い。
そう思った私は
「ご飯も戴いた上にわざわざお風呂なんて……近くの公園の水道で綺麗にしてきますので!」
いつものように公園で体の汚れを落とそうと、外に出ようとした。
ここが何処で、公園が何処にあるのかは分からないけれども、それ以上に、これ以上詩織さんに甘えるわけにはいかない。そういった考えが私の頭で渦巻いていた。
幸いにして玄関は、すぐ目視することが出来た。昨日私が飛び出してきたあの家とは違って、しっかりとした玄関が。
外で済ませてくれば、詩織さんの手を煩わせることは無い。そしたらきっと喜んでくれるだろう。
その時の私は本気でそう思っていた。
詩織さんに腕を掴まれ、悲しそうな顔を見るまでは。
「そんなところで水浴びしたら風邪引いちゃうわよ!?」
玄関に向かう私の腕をがっちりと掴むと、回り込んで私を抱きしめる詩織さん。
とても、痛かった。心がキューっと締め付けられている感じがした。
これが何なのかはその時の私は分からず、
「でも……私なんかにお風呂は勿体ないですよ」
頑なにお風呂に入ろうとはしなかった。
身分不相応。私なんかには公園の水で十分だ。
そういった考えが脳に染み付いてしまっていたのだ。
そんな私だったから詩織さんにこんなことを言わせてしまったのだろう。
「なら、私も一緒に外で浴びようかな」
抱きしめる力を緩め、再び私と顔を合わせた詩織さんはとても悲しそうな顔をしていた。
「どうしてですか!?おねえさんがわざわざ私に合わせる必要なんて……!」
私は詩織さんに煩わしい思いをさせたくない、ただそれだけだった。
それなのに……どうしてそんな詩織さんをこんな顔にさせてしまってるのだろう。
ますます自分を嫌いになる。
それなのに……
「私はただ、しおりちゃんの幸せな顔を見たいだけよ。しおりちゃんが外で水浴びするのが好きだって言うならそれに私も付き合うわ」
「でも……だからって私に付き合うなんて……」
どうして詩織さんはこんなにも私に寄り添ってくれるのだろうか。
どうしてこんなにも私の事を考えてくれるのだろうか。
「それで?しおりちゃんはどっちの方が幸せに感じるの?私に教えてほしいな」
詩織さんに拾われてから新しい事ばかりだ。
どっちの方が幸せか、なんて聞かれたこと無かった。
幸せが何かなんて私には分からなかった。
けれど、もう一人の私はそうでもなかったようだ。
『答えはもう、分かりきってるでしょ?』
そう私に語りかけてきた。
不思議とその言葉だけで、どっちの方が幸せかをすんなりと決めることが出来た。
───────いつもありがとう。
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