第3話 安寧と温もりに包まれて

「……温かい」

 目を覚ますと私は、暖房のよく効いた綺麗な部屋に、ふかふかの毛布にくるまりながら見知らぬベッドの上で横になっていた。

 こんなに落ち着いた状態で寝れたのは何年ぶりだろうか。

 自分の部屋でもないのに、私は妙に落ち着いていた。

 この部屋の暖かさも、毛布の温もりも、懐かしく感じられた。そして私は一度開けた目を再び閉じた。

 誰にも邪魔されない、平穏な時間を噛み締めながら、そっと目を閉じた。

 永らく感じてこなかった安寧を感じたのも束の間だった。


「あんたなんか産まなきゃよかった!」

「おら!とっとと金稼いでこいよ!」

「金を持ってこないあんたに用なんてないんだよ!」

「学校?行きたいなら自分の金で行け。学費は出さないからな。お前を学校に行かせて金になるわけでもあるまいし」

 母親から、そして父親から何度も言われ脳裏にこびり付いた言葉が不意に大音量で頭の中に響き、私は結局数秒ほどしか安寧を感じられなかった。


 家から離れ、数時間しか経っていないのだ。

 そう簡単にこの呪縛から逃れられないのか。どこにいてもあの人達から逃れられないのか。


 そんな事を考えている

「あら。しおりちゃん、目覚めたのね」


 綺麗な黒い髪に女性らしい美しいスタイルの大人の女性がドアを開け部屋に入ってくると、毛布にくるまりながらベッドに横たわる私にそう声をかける。


「あれ……名前……」

「あぁ、ごめんね。財布の中、調べさせて貰ったのよ。あなたが誰か、知っておきたくて」

 そういって彼女は私の財布と学生証を私に見えるようにすると、そのまま壁に掛かっている私のカバンにしまった。

「そう、ですか」

 乱暴に扱われてないことに、私はホッとしながら彼女に返事をした。


 この部屋、いや、この家の主であろう女性は、はにかみながら寝そべっている私のそばまで近づくとそのままベッドに座った。

 フワッと仄かに部屋の向こうから匂う甘いバターの香りが鼻腔をくすぐり、微かな幸せを感じる私。

 そんな様子を横目で見ながら

「私の名前もね、“しおり”って言うの。さっき調べた時びっくりしちゃった」

 そう言って、彼女は自分の名前を適当な紙に書いて見せてくれた。

 ”詩織“。

 ”詩“を”織る“。

 美しい響きだった。私のなんの変哲も無い”しおり“とは全くもって別物だ。

 そんな事を考えていると、私と同じ名前のお姉さん、いや、詩織さんが朗らかに笑う。

 それに釣られて私も、少し笑った。

 大した会話もしていないのに心が弾んでいた。


 楽しい。まだ一言二言しか話していないのに、楽しいと感じられた。

 何故だろう。何故、楽しいと感じられるのだろう。

 こんな気持ちはいつ以来だろうか。いや、そもそも感じたことすらあったのかもわからない。


 不思議だ。不思議だけど、嫌な感じではなかった。

 このまま、ずっとこの時間が続けばいいのに。

 そう思っていると、ふとある疑問が脳を過った。


「どうして、お姉さんは私を拾ってくれたんですか?」


 ごくごく自然で、当たり前の疑問が。


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